軽井沢康夫の『孤道』完結編・落選作品~天皇からの贈り物を運んだ人生~ 下巻
軽井沢康夫の『孤道』完結編(下巻)
〜天皇からの贈り物を運んだ人生〜
軽井沢康夫
『孤道』プロジェクト応募・落選作品です。
第十四章 泉涌寺界隈
御寺・泉涌寺は東山三十六峰の一つである月輪山の麓にある。御寺の呼称が付いているのは皇室の菩提所でもあるからである。千二百四十二年四条天皇が十二歳で崩御した時に葬儀を行ったのが御寺の始めである。その後は後光厳院から後水尾天皇、孝明天皇などの御陵が造営された。八百五十五年、左大臣藤原諸嗣の山荘を仙遊寺として僧侶に与えたのが始まりである。千二百二十六年に月輪大師・俊芿が宋の様式を取り入れた大伽藍を造営した。この時、寺地の一角から清水が湧き出し、名を泉涌寺と改めた。造営に際しては後鳥羽上皇や後高倉院が資財等を寄進した。その後も後小松天皇から『大興正法国師』、中御門天皇から『大円覚心照国師』、明治天皇から『月輪大師』の号が贈られている。また、楊貴妃観音堂には(大阪府と奈良県の境界にある生駒山の奈良県側の)宝山寺を再興した修験僧・湛海律師が中国・宋朝より招来したとされる聖観音像が祀られている。その美しさから江戸時代初めころに楊貴妃の冥福を祈って作られた聖観音像であるとの伝承が生まれたとされる。宝相華唐草透かし彫りの宝冠を被り、宝相華を手に持つ観音である。その他、緑の樹木が鬱蒼と茂る広大な境内には霊明殿、仏殿、舎利殿、雲龍院、海会堂、善能寺、今熊野観音寺、各天皇陵など多くの寺院仏閣が点在している。
そして、次の日の午後二時前に泉涌寺の駐車場で落ち合った藤田刑事、中村刑事と浅見光彦の三人は森高家を訪問した。
敷地は六百平米くらいで平屋の戦前からの和風建築の邸宅が森高家である。家屋などの建築物は部分的な補強が行われた形跡が所々にあるが、古風な建物の品位を保つように工夫されている。幅三メートルくらいの木製両開き扉の横に高さ百五十センチ、はば九十センチくらいの小さな潜り戸がある。二つの表札には森高と立浪の文字が書かれている。門塀の柱に取り付けられた映像カメラ付きの呼び鈴を押すと返事がした。
「どちら様でしょうか?」
「二時に訪問の約束しておりました京都府警の藤田と申します。」
「はい。しばらくお待ちください。」
一分くらいしてから潜り戸が開き、中から老年期に入ったばかりに見える女性が現れた。
「お待たせいたしました。こちらからお入りください。」
「恐れ入ります。」
光彦たち三人は小さな玄関先の庭を通り、細い格子が入ったガラス引戸の玄関から二十畳くらいある中庭に面した座敷に通された。
座敷の畳の上には赤い絨毯が敷かれ、その上には八人掛けの長方形の洋風テーブルが置かれている。テーブルの周りには三脚、一脚、三脚、一脚と椅子が並んでいる。そのテーブルの長辺の中央の椅子に老女が一人座っている。
「年を取ると椅子の方が楽ですのよ。そちらにお座りください。」と既にテーブルに就いていた老女が言った。
光彦たち三人は軽く会釈をした。そして老女の対面にある三つの椅子に座った。
「私が森高千尋です。お名前をお聞かせ願えますか?」
ゆっくりした口調であるが、しっかりしたしゃべり方である。とても九十六歳とは思えない。
「私がお電話した藤田です。右横にいるのが中村刑事。左が東京から来たルポライターの浅見光彦さんです。ちょっと訳があって浅見さんには向日町で起きた事件の捜査を手伝うてもろてます。」
「浅見です。本日はよろしくお願いいたします。」
「浅見さんが私に向日町で起きた事件に関連したご質問がお有りとの事でしたが、私の事を何処でお知りになったのですか?」
「戦争前の夏の日に鈴木義麿という中学生が竹島伸吾郎という京都大学阿武山地震観測所の土木工事をしている人と一緒にお父様の森高教授を訪ねてきたのを覚えておられますか?」
「ええ。竹島さんは父の手伝いでよくこのお家へ来られていました。鈴木少年は将来有望な中学生と父が話していたのをよく覚えています。私が高等女学校に通っていた頃の事でしたわ。鴨川に沿って四条まで一緒に西瓜を買いに行きましたわ。ちょっと素敵な、遠慮深い少年でしたわね。三高に入られると聞いておりましたが、その方のその後の事は知りませんわ。」
この時、千尋の娘である立浪泰代が冷たいサイダーが入ったガラスコップを持ってきてテーブルの上に配り、千尋の横に座った。
そして、光彦が質問を続けた。
「その鈴木義麿さんが日記のような記録文書を残されておりました。その文書の中に千尋さんのお名前が出ていました。」
「あらまあ。妙なことが書かれておりませんでしたこと?」
「ご心配いりません。森高教授を訪問した時に、千尋さんと一緒に西瓜を買いに行ったことが書かれていただけです。」
「そういえば、そんなことがありましたわね。昭和何年でしたか?」
「昭和九年の夏です。」と光彦が言った。
「そうでしたわね。私が女学校の三年生の時でしたわね。あの時は父の健康状態も芳しくなく、大学の学生の皆さんと一緒に三高寮歌を歌ていた父の姿を今でも思い出します。そして、あの後も病状は回復しないまま、2年後、私が女学校の最終学年で十七歳の時に父は他界いたしました。父から聞いた最後の言葉は『幸福になれよ。』でした。一人娘でしたので小さい時から父には可愛がられました。何の苦労もない少女時代を過ごさせてもらいました。父との思い出はいっぱい有りますわ。父と母と三人でいろんなところへ連れて行ってもらったのを思い出します。岡崎の動物園、醍醐寺でのお花見、祇園祭の宵山見物、大文字の送り火、八瀬の釜風呂、鞍馬山の写経会、琵琶湖での海水浴、嵐山高尾の紅葉刈り、保津峡の川下り、戦争中に閉鎖された愛宕山遊園地の飛行塔、美濃吉の朝がゆ、お昼は六盛の手桶弁当等々、いろいろなところへ連れて行ってもらい、楽しい思い出ばかりですわ。一番の思い出は、泉涌寺境内を父と一緒によく散歩したことですわ。楊貴妃観音堂にお祈りしては『千尋の幸せをお願いしたよ。』と、いつもニコニコしながら言ってくれました。少し涙目になって千尋が話した。」
「昔のことを思い出させてしまい申し訳ありません。」
「宜しいですのよ。この年になると懐かしいことを思い出すのも楽しみになりますわ。自分の人生の一コマ一コマが懐かしく、ああ、ここまで生きて来たのね、って思うことがよくあります。」
「昭和九年は高槻にあるその阿武山で古墳が発見された年です。」
「そうでしたわね。藤原の鎌足か天皇さんのミイラか、と騒々しい話でしたわね。」
「そこで、不躾で申し訳ありませんが、お父様と工事現場の人夫頭であった竹島伸吾郎氏が話していた事を何か覚えていませんでしょうか?」
「ミイラが発見された古墳の事ですか?」
「はい。それでもかまいませんし、何でも覚えていることがあればお聞かせいただければありがたいのですが。」
「父と竹島さんが話していたことは今は思い出せませんが、亡くなった主人が話していたことなら覚えておりますわ。父が生きていた時の話ですから、その当時の話も入っていると思います。」
「亡くなられたご主人というのは時岡さんですか?」
「あら、よくご存じですわね。」
「はい。鈴木義麿さんの記録ノートに時岡さんの名前が出ておりました。」
「どんな風に書いてありましたの?」
「西瓜を切る千尋さんのお手伝いで時岡さんが席を立つと、花井さんと吉村さんが意味ありげな顔をしたそうです。」
「あらまあ。あのお二人もご存知でしたのね。恥ずかしいですわ。時岡は三男坊で、私の父が死亡したこともあって一人娘の私の為にと、森高家に養子に来る形で結婚いたしました。」
「時岡さん。失礼しました。ご主人は京都大学の教授になられたのですか?」
「はい。父の死後も研究室に残り、助教授から教授になりました。大学では時岡姓のままで研究生活を終えました。ですから、時岡の名前で呼んでいただいて構いませんことよ。」
「それで、ご主人から聞かれた話というのは?」
千尋は大学の研究室であった事件など幾つか話した。
しかし、光彦が聞きたかったことではなかった。
「如何ですか。ご期待に添えましたでしょうか?」
「時岡さんと森高先生の話ではなく、森高先生の研究されていた内容などは覚えておられませんか?」
「父の研究は地震に関係することでしたから、私はあまり興味はありませんでした。でも、日本政府からの依頼で九州に設置する地震観測所の場所を探しに行って、長期間、家を留守にしていたことがありましたわ。私はまだ小学生でしたので父が居なくて寂しい思いをしたのを覚えています。そういえば、そのことで主人が話していた事を思い出しましたわ。」
「どのようなことでしょうか?」
「確か、古代に薩摩隼人が朝廷に対して反乱を起こしたことがあったそうです。その時に朝廷と戦うための多くの軍資金を集めたらしいのですが、それをどこかに隠したというような資料が発見されたらしいのです。ああ、それを発見したのは父ではなく、お名前は憶えておりませんが、中国大陸と古代日本の文化の繋がりを研究されていた高名な人類学者の方だったそうです。考古学や民俗学にも造詣が深い学者さんらしいですわ。確か、大隅半島の何とか云う神社でした。えっと・・・。確か、大阪にある神社と同じ名前でした。えっと・・・。そう、住吉さんだわ。その住吉神社がある山の何処かでその資料を掘り出したとかでした。その話を聞いた私の父が俄かに考古学を勉強し始めたそうです。父も地震観測所の調査を兼ねてその神社へわざわざ行ったようで、母が、地震学者が考古学なんか研究してどうするのかと愚痴を申していたのを覚えておりますわ。主人も考古学の資料集めに協力させられたとぼやいておりました。でも、主人は私と結婚してからも地球物理学だけではなく、考古学の研究もしていたようですわ。父が保存していた考古学関連の文献や資料をたびたび読んでいた姿を思い出しますわ。どうも、父からの要請で竹島さんから考古学研究室の山村教授を紹介されたようです。それに私と母が持っている古美術の文献もよく読んでいましたわね。」
「その人類学者の名前は憶えておられますか?」
「すいません。覚えておりませんわ。」
「お父様はそのことでなにか資料などは残されていませんか?」と光彦が身を乗り出す様にして訊いた。
「父の研究資料は主人が引き継ぎましたので、亡くなった主人の部屋にあります。その中にその関連のものが何か残っているかもしれませんが、分量が多いですから、探すのはちょっと大変ですよ。」
「今日はこの後、約束がありますので後日、それ等の資料を拝見させていただけますか?」
「構いません事よ。何時でもいらしてください。出来ましたら、どのようなものがあったかを教えていただければありがたいのですが。」
「ありがとうございます。お言葉に甘えまして、明日にでも見せていただきたいのですか。」
「お時間は?」
「午前十時頃からで如何でしょうか?」
「構いませんわ。」
「では、そう云うことで、よろしくお願いいたします。」
「浅見さん。他に訊きたいことはありますかな?」と藤田が訊いた。
「最後に一つ。歳を取っても元気で居られる秘訣は何ですか?」
「健康を維持する努力を怠らないことですわね。それは、口の中を清潔にする事。私の主治医の先生が仰っておられましたが、最近の研究で、脳血栓部から虫歯の原因菌が見つかっているそうですわ。細菌は口から入って歯の根っこや口腔内の内壁に寄生するそうですわ。口の中で繁殖した細菌は喉を通って肺に入り、肺から血管やリンパ管の中に入り込みます。そして、全身を巡ります。特に悪玉の細菌は心不全や心筋梗塞などの心臓疾患の原因になるそうです。そして、睡眠と栄養をしっかり取る事。特に睡眠は5時間以上必ず連続で寝ます。それは睡眠中に血管内壁に取り着いた悪玉の細菌を洗い流す為ですわ。睡眠中に血管は膨張し、リンパ管からリンパ液が血管内に注入され、血液濃度が下がります。このために血管内壁に吸着しているコレステロールや悪玉菌は血液に溶け込み易くなるそうですわ。そして腸などから体外に排出されるそうです。睡眠時間が短いと脳溢血の原因になるそうですわ。また梅のエキスを摂取することも重要だそうです。私は食前に梅酒を御猪口二杯、食後に梅干しを二個食べるようにしております。梅のエキスは唾液、胃液などのリンパ液の分泌を促進します。リンパ液には殺菌作用はないのですが、溶け込んでいる活性酸素が細菌を二酸化炭素と水とその他の残渣物に分解してくれます。リンパ液が流れているリンパ管は血管に平行して走っているそうです。リンパ管に十分に活性酸素を取り入れるために呼吸法を実践して居りますわ。呼吸法で大切なことは肺の中に残っている二酸化炭素をしっかり吐き出し、肺からリンパ液中への酸素の吸収を良くする事ですわ。もちろん、散歩で足腰の衰えを防いで居りますことよ。この話は、父が病気になっていた頃には判明していなかったことです。このことが判っていれば父も病気で亡くなることは無かったのですが・・・。残念ですわ。これで宜しいでしょうか、浅見さん。」
「はい。ありがとうございました。大いに勉強になりました。」
「それでは、森高様。本日はおおきに、ありがとうございました。これで失礼させてもらいます。」と藤田が言って会見は終了した。
向日市のマンション・サンライズビラ301号室
森高邸を出て泉涌寺の駐車場に戻った三人は光彦のソアラに同乗して向日市のマンション・サンライズビラに向かった。
泉涌寺の駐車場を出たソアラは泉涌寺道を五百メートル下り、東大路通りの泉涌寺道交差点を左折し道なりに進んで九条通りに入り、更にそのまま西に進み西国街道と呼ばれる国道一七一号に入った。そして桂川に架かっている久世橋を越えて向日市に入り、久世殿城交差点を右折してサンライズビラに到着した。泉涌寺道交差点から久世殿城町までは道なりに一本道であり、走行距離は八キロくらいであるが、道路が混んでいたので出発してから到着するまで四十分程掛かった。
マンションの301号室には時田刑事に連れられて来た三名の鑑識課員がすでに入っており、指紋や食料品の試料採取、証拠写真撮影などを行っていた。301号室入口には管理会社の担当者である上杉が立っていて中を覗いていた。
「上杉さん。面倒なことをお願してすんませんな。」
「いいえ。お安い御用です。」
そして、藤田刑事は部屋に入るなり開口一番、驚きの声を発した。
「何や、この部屋は。」
「時田、これお前がやったんか?」
「違いますよ。私たちが来た時からこの状態です。」
光彦も驚きで目を見開いた。
2LDKの部屋のそこ彼処に物が散乱している。しかし、物取りが入って物色した痕ではなかった。
「全然、整理ができとらんがな。竹島伸一は如何云う性格しとるんや。」
「どうでしょうね・・・。」と光彦も返答に困った。
玄関や部屋扉の郵便受けには広告チラシ以外の物は入っていない。
新聞は定期購読していないようであるが、駅の売店かコンビニで買ったのか不明だが、とびとびの日付がはいった大毎新聞が部屋のあちらこちらに散らかって置かれている。置かれていると言うより、放り出されていると言った方が良いかもしれない。
「藤田さん、この新聞を見て下さい。」と言って時田刑事が六月二十日の日付がはいった新聞を藤田刑事に渡した。
「大毎新聞の朝刊か。向日町毒殺疑惑事件と牛馬童子事件が載っとるな。竹島伸一も事件の事を知ってる訳やな。」と藤田が呟いた。
キッチン台にはスーパーで買ったと思われる砂糖の袋が5袋重ねて置かれ、同じインスタントのコーヒー瓶が何本も並んでいる。賞味期限の過ぎたサバやマグロ、カニ缶などを重ね置きした大量の缶詰が幾列も並んでいる。中には三十年前に賞味期限が切れたものもある。カップラーメンもいろいろな種類が大量に重ねて置いてある。冷蔵庫の中には賞味期限の切れた生卵と牛乳パック、ハムなどが入っている。一方、和室の六畳間には新品のパジャマや下着類が幾袋も重ねて置いてある。洋室にはベッドがあり、敷き布団の上に寝ゴザを敷いたベッドにはタオルケットと脱いだパジャマが無造作に置かれている。
「買い溜めの趣味があるんかいな。」
「もしかしたら、躁うつ病なのかもしれませんね。」と光彦が言った。
「うつ病でっか?」
「躁の状態の時は外出する気分が出ますが、鬱の状態の時には外出する気力が出ない病気です。」
「なるほど。」
「ですから、躁状態で外出した時に鬱に襲われた時のことを考えて衝動的に買い溜めをするわけです。一人で生活していますから、誰も助けてくれませんからね。」
「それは気の毒なこっちゃな。しかし、今現在、マンションンに居らんと云う事は如何云う事でっかいな?」
「さあ、それは判りませんね。」
「元気があるときに出掛けたまま帰って来られへんと云う事はあるのかいな。」
「僕はうつ病の事は詳しく知りませんから、何とも言えませんが、長い間孤独な日々を送っていて、精神が病んでしまったとも考えられます。」
「一体全体、竹島伸一はどこに居るねん。」と藤田が苛立ちながら言った。
そして、光彦は再び部屋の中を見渡した。
リビングルームの応接テーブルの上にはコミック漫画のシリーズ本が積み重ねて置かれている。少し傷んでいるのが何回も繰り返し見ていることを想定させる。あるいは中古本を購入したのか。
「『みゆき』か。どのような話なのだろう。」と思いながら光彦は何冊かを手に取り、ページを捲って読んで見た。
「青春恋愛ものらしいな。竹島伸一はこんな本を読んでいるのか。」
そして、光彦は八畳間のリビングに置かれているオーディオ機器が置かれているテーブルに目が移って行った。窓から入る光を反射して緑色に輝くCDシングルのジャケットが一枚、無造作に置かれている。
「H2Oの『思い出がいっぱい』か。中身のCDが入って無いな。作詞は宇崎竜堂氏の嫁さんの阿木燿子さんか・・・。」と思いながらCDプレーヤーの電源をオンにした。そして、無意識にプレイボタンを押した。そしてテーブルの両サイドに置かれたスピーカーから若い男性の透き通った歌声の楽曲が流れてきた。
古いアルバムの中に
・・・・・・・
・・・・・・・
想い出がいっぱい
無邪気な笑顔の下の
日付は
遥かなメモリー
時は無限のつながりで
終わりを
思いもしないね
・・・・・・
・・・・・・
幸福は誰かがきっと
運んでくれると信じてるね
・・・・・・
・・・・・・
一人だけ横向く
記念写真だね
・・・・・・
・・・・・・
少女だったと懐かしく
振り向く日があるのさ
・・・・・・・
「竹島伸一にとって、この歌はどのような意味を持つのだろう。」
浅見光彦はこの歌曲が一九八〇年代に放送されていたテレビアニメ『みゆき』のエンディングテーマ曲であったことを知らない。
「懐かしい歌でんな。」と藤田部長刑事が歌を聞きながら言った。
「藤田さん、この曲を知ってるんですか?」
「はいな。テレビアニメの曲ですわ。警察官になって交番勤務をしてた若い頃、毎週テレビ見てましたわ。二人のみゆきちゃんとみゆきちゃんの兄さんの複雑な恋心の青春ドラマのアニメ番組でしたな。なんか、野球放送の為か知らんが、尻切れトンボで番組は終わりましたな。原作のコミックはちゃんと終結してると聞きましたがね。」
「そこに、その漫画本が置かれています。」
「これですか。フーン。登場人物の顔はこの原作とテレビアニメとでは少し違ってますな。しかし、あの老人がこんな本を読んどりましたか。青春を追憶しとりましたんかいな?」とページを捲りながら藤田が言った。
「如何でしょうか。竹島伸一さんはどんな青春経験をしたのでしょうね。」と、監視カメラのビデオ録画映像に写っていた竹島老人の後ろ姿を思い浮かべながら、考えを巡らす様に光彦は呟いた。
リビングの壁に掛かっている月捲りのカレンダーは6月のままで、その月の予定を書き込んだ様子もない。
「上杉さん。古い写真とか、アルバムとかは有りませんでしたか?」
「そんなもんありませんな。クローゼットの下の段には下着や、ワイシャツ、セーター、ズボンが入った小さな三段のタンスがあるだけです。上の段は冬用の布団、毛布が入っています。あと、電気掃除機があるだけです。」
「キッチンには電子レンジ、オーブントースター、電気釜がありますが、水屋は無いですね・・・。」と光彦は確認するように言った。
「まあ、そうですな。それが何か?」と藤田が言った。
「このマンションの他に借りているマンションが何処かに有るのかも知れませんね。」
「もう一軒、借りていると云う事でっか?」
「はい。熊野古道へ行った時に鈴木義麿さんが撮ってくれた楽しそうな何枚もの記念写真を捨ててしまうとは考えにくいですから。それに、掃除機は有りますが、洗濯機は有りませんね。」
「洗濯は近くのコインランドリーでやってんのんとちゃいますかな。」
「そうですね。その可能性は有りますね。しかし、独身の老人が長く生活して来たとして、全体的に生活物資が少ないような気がするのですが。長く人生を送っていると、物資は増えていくものですが、それがありませんね。玄関の靴箱にあるのはサンダルが一個のみです。革靴など、もう少し在ってもよいのではないかと。また、骨董商を営んで居れば古美術に関する本が少しは有っても善いと思うのですが、あのコミック本以外の書籍類が全くありません。ここは仮の住まいで別に住居が在るのではないでしょうか。」
「なるほどね。そっちの住処に竹島伸一は居てるのか・・・。」と藤田が呟いた。
「ああ、藤田さん。遠藤課長からの伝言を忘れてました。」と時田刑事が言った。
「何や?」
「行方不明中の参考人田島兼人が契約している携帯の電話番号が判ったんですが、電話してみても『電源が入ってません』の返事だけだそうです。」
「まあ、そんなこっちゃろ。生きとんのか、死んどんのか、どっちかな。」
「廃品回収業者田中健吾の方は向日町署でアリバイなどを調べたところ、白という事でした。」
「そうか。」
大阪府警天満橋署の捜査本部
捜査本部会議室の表札がすでに書き換えられている。
『八軒家船着場殺人事件捜査本部』から『八軒家船着場及び淀川河川公園殺人事件捜査本部』に代わっている。捜査本部は二つの殺人事件を同一犯によるものと断定していた。
その根拠は、
1 被害者はいずれも『八紘昭建』の関係者であること。
2 被害者の一人である松江孝雄はもう一人の被害者である社長の鈴木義弘の遺体が発見される四日前に電話で話していた相手を知っていたと思われること。しかし、それを故意に隠していたと思われる。
3 和歌山県海南市の藤白神社の鳥居前でその男と思われる人物と松江孝雄は遺体が発見される二日前、すなわち、鈴木義弘社長の葬儀の前日に会っていた。しかし、その目撃証言を否定している。それは、会った目的が金品の要求と推測できるからである。恐喝を受けた男は口封じに松江孝雄を殺害した、と想定する。
4 事件発生前にその男は藤白神社横の鈴木家の様子を窺がっていた。
5 その男は大阪府三島郡島本町に関係がある人物であり、島本町の西隣の高槻市には八紘昭建の所有管理地が多くある。
であり、この五点の捜査前提を踏まえて、捜査本部はその人物の特定を急いでいた。
「鈴木義弘の遺体発見の四日前の七月三日午後三時から午後四時の間の八紘昭建の通話記録から判明していた電話相手についての調査報告をいたします。」と主任捜査官が三十数名の本部員に向かって発言した。
「確か八件の通話記録があったのだな。」と事件主任官が言った。
「はい、そうです。個人の名が判っているもの五件、会社の部署名しか判っていないものが二件、公衆電話一件について調査しました。皆さんの手元に配布されている資料4を見てください。」
「午後三時から午後四時に限定した理由は何んですか?」と本部員の一人が訊いた。
「鈴木社長が電話しているのを隣の部屋で聞いていた松江孝雄の証言を松永刑事が聴取しています。その証言によると、『島本』と云う言葉や『商談の不成立』の様子、社長が『敬語を使って話す』べき相手、『再会』の約束、などを聞いています。その時刻が午後三時から四時の間であったと松江孝雄は証言しています。正確な時刻は通話資料に書いてあるいずれかの時刻と考えられます。これでよろしいですか?」
「はい。ありがとうございました。」
「それでは、資料を見て下さい。まず、竹中紘一ですが、鈴木社長の学生時代の友人で、日曜日に行うゴルフコンペの話をしていたことが判りました。アリバイもあり、白です。次に山城慎吾ですが、神戸市東灘区にある不動産会社の従業員です。八紘昭建への借地料支払いの期日延期の話をしていたようです。アリバイがあり、白です。次の田島兼人ですが、現在行方不明になっています。電話番号が携帯ですが、電源が入っていない為連絡が取れません。JR向日町駅前にある当人の不動産事務所に行ってみましたが誰も居らず、事務所も締まっていました。アルバイトの従業員がいたとのことですが、社長不在のため出勤していない模様です。そして、残りの二人ですが、不動産業者の谷下満男と寿司屋の主人の高山史郎は『フグ卵巣の糠漬』中毒で死亡しています。死亡日は六月十八日から十九日ですから、七月三日には電話できません。本件に関与していないのは明白です。谷下と高山の電話を使って誰が電話したのかは不明です。通話時間は資料の通り、いずれも一分弱です。」
「寿司屋の電話から何故に不動産業の八紘昭建に電話したのですか?」と松永部長刑事が訊いた。
「それは不明です。寿司屋の関係者が電話したとは限りません。」
「寿司屋の店舗の敷地が八紘昭建の所有地だったとかですかね。」
「松永君。まあ、その辺は如何でもいいだろう。二人は鈴木義弘殺人事件発生以前に死んでいるのだからね。」と事件主任官が言った。
「はい。失礼しました。」と松永は言いながら、京都府警の藤田部長刑事の事を思い出していた。
「本件殺人事件と、向日市毒殺疑惑事件は熊野古道の牛馬童子像損壊事件とでつながっている可能性がある。何かあるはずだ。」と松永は思った。
「会社の部署名の電話番号の二件ですが、不動産会社ライオンパレスの西宮センター店と丸菱工務店大阪本社不動産管理部賃貸マンション統括課借地管理係です。ライオンパレスの方は菊池永太と云う人物が八紘昭建の鈴木社長に電話していたとのことでした。話の内容は西宮市内の土地の賃借料の値引き交渉と云う事でした。他方、丸菱工務店の場合、誰が電話したのかが不明です。午後3時から午後4時の間は課長以外の全員外出中でした。おまけに通話時の午後3時21分頃は課長は会議中で席を外しており、他部署の人間が電話を掛けたと考えられます。しかし、誰なのか目撃証言は得られていません。ただ、通話時間は2分足らずでしたので松江孝雄が聴いた『島本』の件の話では無かったと思われます。」
「残りは?」と本部長が急がせるように訊いた。
「はい。天王寺駅近くにあるフープービルの中にある公衆電話からです。後ろのスクリーンに出している映像が監視カメラ映像です。手元に配布してある資料に男の姿写真を添付しています。ご覧のように監視カメラ映像から男性と判明していますが、野球帽にサングラスを掛けており顔は判りません。近隣の監視カメラの記録映像を当たってみましたが、それらしき人物の姿は捕らえられていませんでした。」
「通話時刻は?」
「はい。午後3時37分21秒から43分2秒の約5分強の間です。」
「そいつが一番怪しいな。明らかに顔を隠しとるな。」
「はい。」
「もう少しフープービル周辺の調査範囲を広げて監視カメラ映像を調べてください。」と事件主任官が言った。
「それから、丸菱工務店の外出していた社員の行動は把握しているのか?」と本部長が訊いた。
「借地管理係の部員4人ですが、外出先などの行動範囲は確認しておりません。急ぎ調査いたします。」
「しっかり頼む。」
「はい。」
泉涌寺近くの森高邸
翌七月二十一日の午前十時。光彦は森高千尋を訪ねた。昨日は九条通りあるビジネスホテルに宿泊した。ソアラは東大路通りにあるコインパーキングに駐車し、森高邸までは泉涌寺道を歩いて来た。そして、千尋の夫であった時岡氏の書斎であり、父親の森高露樹の書斎でもあった部屋にある資料・文献を調べ始めた。
幅一メートル五十センチ、奥行き八十センチくらいの書斎机が北窓の前に置かれている。その左右に六段の本棚が二つづつ並んでいる。
「どこから手を付けて行こうかな。さすがに学者の書斎だな。じっくり調べ出したら一か月あっても足りないぞ、これは。しかし、物理学や地震学の文献資料と考古学関連の文献資料が整理区分けしてあるので助かるな。薩摩隼人の軍資金探し。これが森高教授の考古学を始めたきっかけだと考えられる。阿武山のミイラの玄室での不可解な行動。阿武山の麓、奈佐原に居を構えた理由はお宝探しが目的であったのかもしれない。そこに陪塚があると森高教授は考えていた。すなわち天皇の死に伴って殉死した陪臣の墓や副葬品を収めた墳墓がある。天皇の陪臣、それは宮門警護をしていた薩摩隼人たち。その陪塚にお宝があると踏んだのだろう。」と思いながら部屋の中を一通り眺めた。
「千尋さんが言っていた大隅半島の住吉神社に関係する資料が残されているか如何かだな。森高教授の所持していた文献や資料がどこにまとめられているかだが・・・。古そうな書籍があるのはこの本棚だな。」と考えながら、ガラス扉のある4段の書籍棚に光彦は目が留まった。
そして、ガリ版刷りの文献を見つけた。人類学者・鳥山龍彦の調査報告書である。光彦はそれを手に取った。
「表題は『大隅半島住吉山の姥石に対する一考察・昭和五年十月』か。このころ森高教授も地震観測所設置調査で九州を訪問していたのだったな。」
「『隼人とは鹿児島県、熊本県、宮崎県に及ぶ地域の古代種族住民の総称である』か。なるほど°」
「『阿多隼人、大隅隼人、多ネ隼人、甑隼人などがある。薩摩隼人とは阿多隼人の事で、山城国隼人計帳によると、京都山城や洛西・洛北地域に移り住んだのは大隅隼人や阿多隼人であり、阿多隼人は阿武隼人と称された可能性がある。宮中を警護する阿多の武人隼人という意味で阿武と呼ばれたのかもしれない』か。」と阿武隼人に赤鉛筆で傍線が引かれているのを光彦は確認した。
「そうすると、阿武山は阿多隼人が移り住んだ名残の地域と考えられるのかな。たぶん、森高教授はそう考えた訳だな。そして、阿武山周辺に軍資金が隠されているという証拠の品物か文献か何かが鳥山龍彦氏によって住吉山で発見されたのだろう。その証拠は何だろう。この報告書には書かれていないかな・・・。しかし、そうすると阿武山古墳の棺の主が藤原鎌足とするならば、藤原鎌足は隼人一族であった可能性が出てくるな。中臣の鎌足の中臣とは宮中を警護する天皇の臣下という意味か?そういう推測は鳥山龍彦氏のこの報告書には書かれていないな・・・。そういえば、中臣氏は京都市山科区中臣町付近に古くから住んでいた豪族とされていたな。山科と云えば隼人たちが住んだ山城国の中心地でもあるな。」とページを捲りながら光彦はいろいろと考えを巡らせた。
「『発見した姥石は住吉山に大隅隼人が構築した結界の領域を囲む結界石の一つである立石。この姥石の傍の土中から横穴が見つかった。その細長い横穴の奥から一つの素焼きの壺が出て来た。その壺には『三宝奴』の刻印があり、壺の中には砂金が詰っていた。呪術を駆使したとされる隼人一族は砂金を結界を護る神々への供え物としたのだろう。壺の粘土成分を分析したところ、滋賀県信楽地方の土と同じであることが判明した。しかし、何故に住吉山に結界を構築したのか、その目的が不明である。例えば、隼人の反乱に供した軍資金の残りを住吉山に隠したのかもしれない。因みに、南九州地域の墳墓の特徴は地下横穴式である。これは宮門警護の役目を終えた隼人が南九州に戻って天皇陵を真似て造ったとも考えられる。』と云う事か。紫香楽で焼いた壺か。そういえば、昨日、千尋さんに話しを聞いた部屋の床の間に壺が飾ってあったな。海南市の鈴木家の床の間にも信楽焼の壺が置かれていた。後で千尋さん言って観せてもらうことにするか。」
その時、千尋の娘である立浪泰代が光彦の為に冷たいサイダーをお盆に載せて持って来た。
「何か見つかりましたこと?」
「はい。薩摩隼人の隠した黄金に関する資料を見つけました。」とサイダーを手に取って飲みながら光彦が言った。
「それは良かったですわね。」
「泰代さんは、お父様の時岡教授からお爺様の事を何かお聞きになっていませんか?」
「お爺様の事ですか?」
「例えば、戦争前に竹島伸吾郎と云う工事人夫頭がお爺様の森高教授の手伝いをしていたのですが、お爺様がお亡くなりになった頃の事で何か聞いていませんかね。」
「阿武山地震研究所のトンネル工事の頃ですね。阿武山古墳でミイラが発見された話は聞いておりますが。」
「その話に関係した何かをお聞きになったというご記憶はありませんか?」
「はあ。そうですね・・・。そういえば、お父様が面白いことを言っておりましたわ。」
「面白いことですか。」
「考古学の教授である方、お名前は・・・っと。」
「山村教授です。」
「その山村教授とお爺様が犬猿の仲のように謂われていたそうですが、それはお芝居だったようです。」
「如何いう事ですか?」
「最初は確かに仲たがいをしていたらしいのですが、その竹島さんが山村教授との仲を取り持ったようです。そして、お爺様が撮ったミイラのレントゲン写真を山村教授にお渡ししたそうです。しかし、山村教授はそのレントゲン写真を何かの報告書に使うと問題が発生するので、お爺様に返却されたそうです。頭部の写真だけは利用されたと父は申しておりました。」
「問題が発生するとは、如何云う意味でしょうか?」
「お父様の話では、当時の政府関係者が良く思わないことが起きて、京都大学に悪い影響が出てしまう可能性があったそうです。」
「良く思わない、悪い影響とはどういう事でしょうか?」
「さあ、それは良く判りません。ただ、その教授が憲兵隊に引っ張られる事態も想定されたそうです。まあ、戦争前は言論統制が厳しく、山村教授は何かと睨まれていたと父は申しておりました。」
「成程。竹さんが二人の教授の仲介役だった訳か・・。確か、山村教授は薩摩閥が指揮する軍隊を批判していたな。」と光彦は思った。
昼食にサンドイッチをご馳走になった後も光彦は資料調べを続けた。
そして『歴代天皇陵墓』と書かれた冊子を見付けて開けた。
「これは、歴代天皇の陵墓所在地と陵墓管理監区、天皇の父母などを書いたリストだな。」
そして三ページ目を開けると一枚の古い写真が挟まれていた。
「この写真に写っている四人の中の一人は竹さんだな。そうすると、少年は鈴木義麿氏。年配の男性が森高教授。横を向いている少女は千尋さんかな。このページの聖武天皇陵所在地に赤鉛筆の傍線が入っているな。とすると、背景の陵墓は奈良にある聖武天皇の佐保山南陵か。後で、千尋さんに確認してみるか。」と考えて、光彦はその写真と資料を横に置いた。
その他の資料をいろいろと調べて終えたのが午後三時を回っていた。書斎を出た光彦は廊下から泰代の名前を呼んだ。
「泰代さん。浅見です。資料調べは終わりましたので。」
奥の部屋から泰代が廊下に出て来た。
「もうよろしいのですか。」
「はい。ありがとうございました。ところで、千尋さんは居られますか?」
「いま、散歩の時間帯で泉涌寺境内を歩いていると思います。」
「この真夏の昼下がりに散歩ですか。暑くないのですか?」
「ご心配いりませんわ。泉涌寺の境内は緑の木陰が多くて、影になった場所を歩いているようです。木陰で休憩している時に風が吹くと気持ちが良いようですよ。」
居間にある古いゼンマイ式の柱時計が三時を打った。
『ボーン、ボーン、ボーン』
「あら、もう三時ですわね。そろそろ帰宅すると思いますが。最近、お散歩仲間ができたそうなのです。老人だそうですわ。」と泰代が言った時に玄関から声が聞こえてきた。
「ただいまー。」とゆっくりした口調の千尋の声である。
「噂さをすれば影ですわ。」
「確かに。」
「お帰りなさい、お母様。」と言いながら泰代が玄関に向かった。
光彦も玄関に行った。
「ふー。今日は暑かったわ。あら、浅見さんにまでお迎え頂いて、ありがとうございます。」と千尋は言いながら玄関土間から廊下に上った。
「冷たいサイダーを入れて来ますわ。」と云って泰代は台所へ向かった。
「お調べ事は終わりましたこと?」と千尋が光彦に訊いた。
「はい。無事に終わりました。それで、この写真がこの資料に挟まっていたのですが。」と言いながら歴代天皇陵墓の冊子と写真を見せた。
「あら、懐かしいお写真。」と千尋が写真を手に取った。
「背景に写っている陵墓は聖武天皇陵ですか?」
「そうですわ。写真がもう一枚あったのですね。」
「もう一枚と言いますと?」
「この写真は鈴木少年のお父様に撮って頂いたものですわ。この写真では私だけ横を向いているでしょ。」
「そうですね。何かあったのですか?」
「シャッターを押す一瞬前に『千尋』と呼ぶ声が聞こえた気がしたのです。それで声の聞こえて来た方向を向いたのですが誰も居ませんでした。他の人には聞こえなかったらしいのです。私の空耳だったようですわ。そこで、もう一度取り直していただきました。その撮り直した写真は私が持っていますわ。」
「だから、もう一枚ですか。成程。」
「でも、今思い出しても、私には名前を呼ぶ声がハッキリ聞こえたのですわ。不思議ですわね、私の耳はどうかしていたのかしらね、ほほほほほっ。」
「この陵墓を訪問することは森高教授が言い出されたのですか?」
「そうですわ。阿武山古墳騒動の翌年の春頃でしたかね。父の病状が少し良くなった時、鈴木少年が無事三高に入学され、鈴木少年のお父様が和歌山から私の父にご挨拶にお車でお見えになりました。その時に京都、奈良のご見学をして行かれる話が出たのでした。私の父が聖武天皇陵に参拝したいので車で連れて行ってくれないかとお頼みしたところ、快諾されました。それで、その翌日にこの写真に写っている皆さんとご一緒したのです。」
「その時、森高教授は何か申されていましたか?」
「さあ、どうでしたか・・・。『聖武天皇に千尋のことをお願いしておいたよ。』とかの冗談は言っておりましたが、他の事は何も覚えておりませんわ。」
「そうですか。」
「このお写真は私が頂きますわ。それと、その冊子は私がお部屋に戻しておきます。」
「それでは、お願いします。」と言って光彦は冊子を千尋に渡した。
「それから、あと一つお願いがあるのですが。」
「あら、何でしょう?」
「昨日お話を伺ったお座敷の床の間に置かれている壺を見せていただきたいのですが。」
「浅見さんはお若いのに、骨董のご趣味がお有りですの?」
「いえ、趣味ではなくて、今回の調査の一環です。」
「そう、よろしいことよ。お座敷へどうぞ。」と言いながら千尋は座敷に向かった。
そして、二人は床の間の前に立った。
「どうぞ、手にとってご覧ください。」
「この壺は信楽焼ですか?」と光彦が聞いた。
「まあ、信楽で焼いたものですから、信楽焼ですわね。」
「と、言いますと?」
「この壺は私が滋賀県の信楽に遊びに行ったときに作った壺ですわ。」
「千尋さんが作られた物なのですか?」
「はい、そうですわ。父が亡くなる数年前、私が高等女学校のころ、夏休みに母と父と私の三人で二泊三日で信楽に滞在しました。楽しい想い出ですわ。その時、三人で焼き物教室に参加して焼いたものです。ですから、本来は三つの壺があったのですが、何故か父は、私の作った壺だけを手元に残し、あと二つの壺を他人に差し上げてしまいました。理由は覚えていません。母は納得していたようですが。」
「何時頃、何方に上げたのかはご存知ですか?」
「そう、阿武山の古墳事件があった頃でしたわ。父ははっきり言わなかったのですが、当時、何となく感じたものです。人夫頭の竹島様と鈴木少年ではないかと思いました。思い出の壺がなくなって悔しい思いをしたのでよく覚えていますわ。間違っていたらごめんなさいね。多分、鈴木少年と西瓜を四条まで買いに行ったその日にお二人に差し上げたのでしょう。その夜に壺が二つ無くなっているのに気が付きましたから。」
「多分、当たっていると思います。五年まえに死亡した鈴木義麿さんが大学の先生から頂いたという信楽焼の壺が和歌山県の鈴木家に有りました。」
「やはり、そうですか。」と千尋が言った。
そして、光彦は壺の裏底を見た。
「この壺には『仏』の漢字が彫られていますね。」
「その底の文字は父が彫ったものですわ。父の作った壺には『僧』、母の壺には『法』、私のその壺には『仏』の文字を父が彫りました。」
「仏法僧ですね。何か意味があったのでしょうか。」
「信楽は仏教に帰依した聖武天皇が大仏様の建立を始められた場所だと父は申しておりました。仏教の言葉。それだけですわ。」
「やはり、聖武天皇ですか・・・。」
しばらくして泰代がガラスコップに入ったサイダーを三つ持ってきた。そして、三人は椅子に座り、サイダーを飲みながら千尋の今日の散歩報告を聞いた。
森高邸を辞した光彦はソアラを駐車している九条通りにあるコインパーキングを目指して泉涌寺道を歩いていた。その時、前方から俯き加減に歩いて来る一人の老人が目に入った。近くのスーパーマーケットで購入したのだろうか、大きく膨らんだ白いビニール袋を右手に提げてゆっくりと歩いている。
「あれは、竹島伸一さんではないか?麦藁のハットを被っているので判りにくいが、あの寂しげな雰囲気は今城塚古代歴史館の監視カメラ映像で見た姿に似ているが・・。そうだとして、何故、こんな処に居るのだろう。」
京都府警本部捜査一課の応接室
「それで、京都府警での捜査状況を知りたいのですが。」と大阪府警本部天満橋署の松永刑事が言った。
「そうでっか。不動産業者の田島兼人と谷下満男、寿司屋の高山史郎の三人の店の電話から同じ時間帯に八紘昭建へ電話しとりましたんか。それは七月何日でしたか?」と藤田刑事が言った。
「七月三日の午後3時から午後4時の間です。」
「谷下不動産の店舗と寿司屋『いしかわ』の店舗は休業で閉まっとりまっさかい、誰ぞが侵入して電話を使こうた訳でんな。扉の鍵を持っとる奴が誰かでんな。谷下の家族か友人か。それとも他の奴か。」
「行方不明中の田島兼人とは如何いう人物ですか?」
「我々も判っとりません。ただ、その三人はギャンブル仲間です。」
「金の貸し借りがあったとか。合鍵を持ち合っていたとか。」
「まだ、殺人事件と決まった訳ではないので捜査はあまり進んどりませんのや。すんませんな。」
「いえ、それは承知していますが、何かヒントでもあればと思いまして。」
「ヒントでっか。そうですな、同じ時間帯に同一人物、例えば田島兼人が電話したとなると、各店舗への移動時間がありまっさかい、徒歩で移動の場合は十分から十五分の通話時刻のズレがありますな。車で移動したとしたら五分くらいのズレでんな。しかし、そんな面倒臭いことをやりますかいな。まあ、警察を惑わす犯人の陽動作戦と云う事も考えられますな。」
「そうですね。牛馬童子像の頭部損壊事件との兼ね合いは如何ですか。」
「竹島老人ですか。毒殺疑惑が晴れた訳ではないですが、八紘昭建の鈴木社長の顧客と云う事はないと思えますな。八紘昭建の顧客は個人ではなく企業でっさかいな。」
「そうですね。」
「折角京都まで来て貰ろたのに、ご期待の回答が出来ずに申し訳ありませんな。」
「いえ、どうも。」
「他に何かあれば答えますが、ありまっか。」
「あと一件の電話は丸菱工務店大阪本社からですが、電話した人物が特定で来てません。その部署の人間は外出してまして、他の部署の人物が電話したのだろう云う事になっとります。」
丸菱工務店と聞いて藤田は身を乗り出して訊いた。
「丸菱工務店のどの部署からの電話ですかいな?」
「不動産管理部賃貸マンション統括課借地管理係ですが、それが何か?」
「いやね。竹島伸一の住んでいる向日町のマンションが丸菱工務店京都支社の賃貸管理物件でしてな。」
「偶然ですかね。」
「その借地管理係でっか、その部署の人間の名前は判ってますのんか?」
「ちょっと待ってください。」と言って松永は胸ポケットから手帳を取り出してメモを調べた。
「武井友彦、行田康孝、鹿島順二、生田哲也の四人ですね。」と手帳を見ながら松永が言った。
その時、横で藤田と松永のやり取りを聞いていた中村刑事が声を出した。
「生田と云いましたよね。」
「そうですが。」
「漢字は生まれるの『生』に田んぼの『田』ですか?」
「その通りですが。」
「藤田さん。竹島伸一のマンション契約時の担当者の名前が生田でした。」
「そうやったかな。忘れとったわ。」
「生田が何か関係しとるとは限らんが、そいつの素性を調べとくか、中村。」
「それは大阪府警に任せてください。」と松永が言った。
「そうでんな。丸菱工務店の大阪本社やからな。情報掴んだら教えてもらえますかいな?」
「勿論です。場合に因ったら京都府警との合同捜査になるかもしれませんね。」
「あんまり大事にするとうちの課長が文句言いよりまっさかい、静かに遣ってください。経費節減が京都府警の合言葉ですわ。」
「わっはっはっはっは。それはどうもご愁傷さまです。」と松永部長刑事が笑った。
「そんなら、さっそく合同捜査と行きまっか。おい、中村。」
「はい。何ですか?」
「丸菱工務店の上杉とか言うたな。電話番号判るか?」
「名刺とってきます。」と言ってなかむらは応接室を出て行った。
そして、直ぐに戻って来た。
「これです。」
藤田は名刺に書かれている直通の電話番号に電話を掛けた。
「はい。丸菱工務店の上杉でございます。」
「先日お伺いして話を聞かせてもろた京都府警の藤田です。」
「ああ。先日は失礼いたしました。それで、本日はまた何か?」
「竹島伸一が向日町のマンションを借りる時に手続きを担当した生田さんの件ですが。」
「はい。確か書類の担当者欄に生田の印鑑が押されていましたね。」
「その生田さんについて、確か、上司の方が知っているとかなんとか仰っしゃてましたな。」
「はい、上司の植村なら当時もこの支社におりましたから。」
「その植村さんに話を聞かせてもらいたいのやが。」
「お待ちください。植村と替ります。」
そして、植村が電話に出た。
「はい。課長の植村と申します。ご用件は何でしょう。」
「京都府警本部の藤田と云いますが、平成元年ころにそちらに居った生田さんについて話を聞かせて欲しいんですが。」
「平成元年と云えば二十七年前ですね。生田哲也と云う者が居りましたが、どのようなことでしょうか?」
「二十分後くらいにそちらにお邪魔しますから、話を聞かしてもらえますかな。」
「はい、判りました。お待ちしております。」
「ほんなら、よろしゅう頼んます。」と言って藤田は電話を切った。
「中村、至急や。運転手付きのパトカー確保してくれ。」
「はい。」と言って中村は急いで部屋を出て行った。
「松永はん。出かける準備してきますよって、ちょっと待っといてくなはれ。」
「分かりました。」
泉涌寺道
光彦が寂しげな老人に声を掛けようか如何しようかと迷っている間に二人はすれ違ってしまった。
「とにかく、老人の行き先を突き止めよう。」と決心して、光彦は老人の尾行を始めた。そして、老人は泉涌寺道を右に曲がった。
「このまま行くと森高邸だが。」
そして、森高邸の五十メートル程先にある古そうな三階建てマンションに老人は入った。
「『東林町ハイツ』か。ここに住んでいるのか。」
そして、老人が201号室のドアーを開けて中に入るのを確認し、マンション入り口にある総合ポストの名前表記を確認した。
「竹島となっているな。」
ソアラを駐車している東大路通りのコインパーキングに戻った光彦は京都大学の盛尾教授に電話した。
「明日、お時間を頂けますか?」
「要件は何ですか?」
「古代に反乱を起こした薩摩隼人の軍資金について知りたいことがいくつかあります。」
「それは、面白そうな話になりそうですね。」
「研究室にお邪魔してもよろしいでしょうか?」
「いいですよ。午後二時以降ならいつでも空いています。」
「それでは、午後二時に研究室にお伺いいたします。」
「はい、どうぞ。」
「それではよろしくお願い致します。」と言って光彦は電話を切った。
そして、昨日宿泊した九条通りのビジネスホテルに電話し、宿泊予約をした。
丸菱工務店京都支社の応接室
「生田と私は昭和六十三年の同期入社でした。平成元年はその翌年で、二人とも仕事に少し慣れてきた頃です。生田は洛西と洛北地域の賃貸マンションを担当しておりました。私は山城地区と洛南地域の担当でした。」と植村課長が言った。
「生田さんが入社一年目で契約担当した竹島伸一氏とは親密な関係だったのでしょうか?」と藤田刑事が訊いた。
「いえ、そのようなことは無かったと思います。もし竹島さんが親戚などでしたら家賃の割引をしていたと思います。資料や契約書を見た限りでは割引をしていないので親密な関係ではないと思います。我が社では顧客が親戚などの場合は割引することを許されています。」
「そうですか。」
「生田さんは何時頃大阪に転勤になったんですか?」と松永刑事が訊いた。
「入社して十年後くらいでしたか。係長に昇任して神戸支社に転勤して行きました。その後、どのくらいの時期でしたかね。えっと、確か七年前ですね、生田が大阪本社に移動したのは。毎年十二月に同期入社の人間が集まって忘年会をしていますので、みんなの情報は良く知っています。私も一時期、名古屋支社に勤務しておりましたが、大阪本社に移動後、昨年から京都支社に戻って賃貸マンション担当の統括課長をしています。生田も来年あたりは統括職に就くと思います。多分、神戸支社だろうとの情報が入ってきています。生田の現在の肩書は課長補佐ですが、統括職ではないので部下はいないと思います。」
「神戸地域でも八紘昭建の土地を借りているのですか?」と藤田が訊いた。
「よくご存じですね。京都南西部から大阪北中部、兵庫県南東部は古代の摂津国でして、八紘昭建の鈴木社長のご先祖の豪族穂積氏が大和朝廷から賜った地域と聞いています。現在は鈴木家の所有地の規模も縮小されていますが、それでも合計すれば広大な面積になります。もちろん神戸支社も八紘昭建とお付き合いをさせていただいています。我が社だけでなく関西にある多くの不動産関係企業が八紘昭建の土地を借りていますよ。八紘昭建さんは基本方針として土地を売却しないことにしているようです。まあ、大阪などの市街地に土地をお持ちですが、現在の所有地の多くは山林地域です。住宅用のニュータウン開発で山林を開拓するデベロッパーも増えているのが現状です。我が社も大阪本社で色々な計画を進めています。」
「生田さんもその計画の担当者だったのですか?」と松永が訊いた。
「生田の担当地域では八紘昭建の土地は計画から外したと聞いております。」
「借地は諦めたと云う事ですか?」
「借地か購入かは知りませんが、八紘昭建の所有地は世間ではあまり人気がない地域にありますので、開拓計画から外したと聞いています。」
「そうですか。」と呟きながら松永刑事は『今頃になっておかしなことを・・・』と鈴木義弘が妻の真代に話していた言葉を思い浮かべていた。
「熊野古道のあたりにも八紘昭建の土地は有るのですか?」と松永が訊いた。
「私は、和歌山の事は調査したことはありませんが、海南市などの地元の土地はかなりの面積をお持ちだと聞いています。」
「大阪本社では和歌山の土地も調べてますかね?」
「勿論、調査しているはずです。生田も和歌山へはちょくちょく行っていると聞いています。」
「生田さんはローン返済やサラ金などから借金していたとかは有りましたかね?」
「それは如何でしょう。あまり聞いたことはありませんね。ただ、入社したころは良く競馬をやっていましたね。日曜日には祇園花見小路の場外馬券場だけでなく、淀競馬場や阪神競馬場にも出かけていたようです。その頃はまだ、給料は低かったですから、お金が無いとよく零していました。でも、最近は如何しているのかは知りません。」
「競輪はやってなかったですかね?」と藤田が訊いた。
「時々は行ってたみたいですが、競馬ほどではなかったですね。」
「いや。今日はありがとうございました。今日の事は生田さんには内密にお願いします。生田さんに心配かけるといけませんから。」と松永刑事が言った。
「あ、はい。承知しました。ところでこれは、我が社に関係する事件の捜査ですか?」
「丸菱工務店とは全く関係がありません。御社の賃貸マンションを借りている竹島伸一氏に関しての調査の一環で、生田氏がたまたま賃貸契約時のご担当で会ったと云うだけです。竹島伸一との親密な関係がありそうか如何かを確認しただけです。」
「そう云う事ですか。安心しました。」
第十五章 薩摩隼人の足跡
京都大学文学部・考古学盛尾研究室
森高邸で古代薩摩隼人の反乱軍資金の情報を得たと思い込んでいる浅見光彦はその翌日の午後二時から盛尾教授を訪ねていた。
「時岡先生の書斎をお調べになったのですか。それは羨ましい。時岡先生にはいろいろとお教えいただきました。先生は地球物理学の教授でしたが、山村先生と懇意にされており、考古学にも造詣が深い方でした。懐かしい想い出が色々とあります。地球物理学と謂うのは地球内部の事が宇宙の惑星の影響を受けることから、宇宙も研究対象です。考古学資料の年代を研究する時、宇宙の星の位置など古代の天文観測の記述から年代を割り出したりしますが、その時に時岡先生にご意見を聞かせ頂くことが度々ありましたね。そうそう、京都大学の地球物理学教室は森高先生が大正九年にお始めになった学科です。」
「そうですか。時岡教授の書斎は森高教授の書斎でもありましたので、昭和五年に書かれた鳥山龍彦と云う人がかかれた大隅半島の住吉山で発見した薩摩隼人の遺物に関する報告書がありました。」
「鳥山龍彦氏は明治から大正、昭和に亘って研究活動をされた文化人類学者ですね。人類学の研究に付随した形で考古学や民俗学も勉強されていたようです。その報告書に書かれていたことについて今日は質問があるわけですね。」
「そう云うことです。」
「それで、何をお話すればよろしいのかな?」
「住吉山に姥石があるのはご存知ですか。」
「ええ。住吉神社の上方の山頂付近にあると聞いたことがあります。その姥石は立石とか墓石と評されているようですね。」
「その姥石の近くの土中から滋賀県の紫香楽で焼かれたと思われる壺が鳥山博士によって掘り出されました。その中には砂金が詰まっていたそうです。」
「紫香楽で焼かれた壺の中に黄金があったと云う事ですか。成程。それで?」
「鳥山博士の考察では薩摩隼人が結界構築のために神に奉げた宝物であろうと云うことでした。そして、その砂金は、隼人の反乱を起こした時の軍資金の残りではないかと推測されていました。」
「その根拠は何ですか?」
「鳥山博士は何も書かれていませんでしたが、薩摩隼人は宮中警護の役目で畿内地方に住んでおり、紫香楽で焼いた壺に天皇から貰った砂金を蓄えていたのではないかと思うのですが。」
「まあ、有り得る話ではありますね。しかし、考古学は科学です。事実に基づく推論は許されますが、空想は科学ではありません。軍資金と言い切るのは早計だと思いますが。」
「そうですか。」
「薩摩地区は、古代には中国大陸からの貿易船などが坊津という港に来ていました。坊津は現在の南さつま市坊津町にありました。砂金は大陸からもたらされた物かも知れませんね。壺は信楽の陶土が使われていた訳ですね。」
「はい。壺には『三宝奴』の文字が刻まれていたようです。」
「何ですと、三宝奴。」と驚いたように盛尾教授が呟いた。
「はい。三つの宝の奴さんです。」
「浅見さん。三宝奴とは聖武天皇のことです。三宝とは仏法僧。すなわち仏様、世を司る法則、そして僧侶です。それは人間にとっての三つの宝です。そして、奴とは使徒・下僕です。仏教に帰依した聖武天皇は自分の事を三宝の奴と称したのです。」
「へえ。知りませんでした。」
「と云う事は、隼人の反乱は七二〇年に薩摩国で起きた事件ですが、聖武天皇が紫香楽の宮で大仏建立事業を始めたのは七四三年ですからその砂金は隼人の反乱時の軍資金ではないですね。むしろ、盧舎那仏に塗る金メッキの材料の砂金だったと考えるのが妥当ですね。最終的には紫香楽ではなく、奈良に大仏は建立されましたがね。」
「大仏さんに塗る為の黄金ですか・・・。」
「七百四十年に宮城県石巻の金華山で金山が発見されています。同じころ、岩手県陸前高田の玉山でも砂金が発見されます。これらの金山で採掘された黄金が金メッキに使われたそうです。どの程度の黄金が紫香楽経由で奈良に運ばれたのかは判明していません。」
「と云う事は、どこかに聖武天皇が残した黄金が隠されている可能性は有りますよね、教授。」
「まあ、そうですね。聖武天皇は紫香楽での盧舎那仏製作を中止して平城京に戻る時、『若し朕が時に造り了るを得ざるあらば来世に於いて身を改めて猶作らん。』と述べたようです。そうだとすれば、来世に生まれて来た時の為に黄金を何処かに隠した可能性が充分に考えられます。浅見さんは、地震学の森高先生がその黄金を探すために考古学を勉強したと考えているのですね。」
「その可能性が非常に高いと思っています。」
「まあ、そう考えると辻褄が合ってきますね。その隠されているかもしれない黄金が殺人事件の原因な訳ですか。」
「僕はそう考えています。しかも、その黄金は見つかっているはずだと思います。」
「誰が見つけたのですか?」
「森高教授や山村教授の手伝いをした竹島伸吾郎と云う土建職人の方だと思います。もちろん、森高教授の推理か指示があっての事だと思いますが。その方は、すでに昭和二十年六月七日のアメリカ軍の大阪空襲で負傷され、翌日の六月八日に死亡されました。」
「阿武山地震観測所のトンネルを掘った人ですね。六月八日の死亡ですか。聖武天皇も六月八日が命日です。太陰暦では五月二日に当たります。奈良の東大寺では五月二日に聖武天皇祭と呼ばれる法要を行っています。」
「そうですか。六月八日は聖武天皇の命日ですか。何か因縁めいていますね。」
「そうですね。ところで、浅見さんは黄金が隠されていた場所は何処だと考えているのですか?」
「判りません。それを盛尾教授からお聞きしたいと思って、ここにやって来ました。」
「私が推理するのですか?」
「はいそうです。」
「はっきり言いますね。」
「紫香楽の壺に砂金と云う事で、若しかしたら聖武天皇が関係しているかもしれないと思っていました。その通りでした。盛尾教授のお考えを聞かせてください。」
「参りましたな。しかし、砂金のあり場所を発見したとしても、殺人事件の犯人を特定することとは関係ないのではありませんか?」
「確かにそうです。しかし、犯人と思われる人物を警察が逮捕しても、事件の動機となる事実や証拠品が存在しないとなると、犯人が自白しない限り検察局は証拠不十分として不起訴にしてしまう可能性が有ります。」
「成程、そう云う事になりますか。判りました。真剣に推理してみましょう。」
「お願いします。」
「聖武天皇は盧舎那仏の表面に塗る黄金を宮城県の金華山や玉山にある金山から採掘しました。かなり大量に採掘されたと考えられます。何故なら、平安時代になってもまだ、金売吉次と呼ばれる黄金商人が東北と京都の間を往復して砂金などを売り歩いたと謂われています。したがって、東北の金山は大量の黄金を埋蔵していたはずで、聖武天皇の天平年間、すなわち七百二十九年から七百四十九年の間にはかなりの黄金が紫香楽に運ばれたと考えられます。紫香楽での大仏建立が中止になり、奈良の平城京に戻って大仏を再建立するまでの間、藤原氏に奪われないように黄金をどこかに隠したと考えられます。その指揮を執ったのは民衆から絶大な信頼を得ていた僧侶の行基でしょう。行基は紫香楽で大仏を建立する時も黄金や資金を集めるために全国行脚をしたとされています。行基の足取りを追えば、黄金の隠し場所は見つかると考えましょう。」
「行基の足取りですか・・・。」
「その黄金を守り、運搬するのは天皇の宮門警護を担っていた薩摩隼人と考えられます。」
「ここで、薩摩隼人が出てくるのですか。だから、鹿児島県の大隅半島にある住吉山から紫香楽の壺に入った砂金が出て来たのですか。」
「聖武天皇の時代に神仏習合の考え方が起こり、七百二十五年に宇佐八幡宮で神宮寺としての弥勒寺が境内に建立されます。その以前、越前国の気比神宮では神の託宣で七百十五年に神宮寺がすでに建立されています。七百三十八年には聖武天皇から多大な援助を受けて宇佐神宮で金堂が建立されました。このことを考えて、神社仏閣で行基や薩摩隼人が関係している場所に黄金は隠されたと推理しましょう。紫香楽で焼かれた壺に砂金を入れて隠したのでしょう。」
「それで、教授。どこにあるのですか?」
「まず、大隅半島の住吉山ですが、京都にも住吉山があります。」
「本当ですか?」
「御室仁和寺と竜安寺の中間地点に住吉山町があり、そこに住吉大伴神社があります。この地域は天皇の離宮が多くあった場所で大伴一族や薩摩隼人が警護の為に住んでいた地域です。大伴家は大和朝廷の軍事部門を率い、宮門警護の指揮を執っていました。八世紀に起きた隼人の反乱の時、隼人と親しい大伴旅人が説得のために大隅半島に出向きましたが、隼人族が説得に応じようとしなかった為、京都に引き上げました。その後、朝廷軍による隼人の殺戮が始まり、反乱は鎮圧されました。住吉大伴神社は隼人の住吉神社と大伴氏の氏神を合祀した神社です。この神社の北側の山に京都市が運営する墓地があります。古代には宮門警護の隼人たちの墓があったと思われます。この墓地周辺を調べる必要があるでしょう。何処かに地下横穴式の墓があれば黄金が隠されている可能性があります。阿武山古墳も地下横穴式でした。藤原鎌足は天智天皇の腹臣でしたから隼人族に警護されていたと思われます。森高教授はそこに目を付けたのでしょう。阿武山古墳で砂金が入った壺を見つけたのでしょうかね。」
「鎌足の棺の中から西瓜大の丸い物品を持ち出すところを竹島伸吾郎さんと鈴木義麿さんが持ち出すのを見ていました。それが壺だったのかどうかは不明です。」
「ミイラの棺の中に在ったのなら、カノープスの壺と云う事も考えられます。エジプト王朝ではカノープスの壺の中にミイラの目玉や心臓が収められました。」
「森高教授が持ち出したのはカノープスの壺でしたか・・・。」
「もし、砂金の入った壺なら陪塚に副葬品や殉死者に交じって隠されたでしょう。当時、奈佐原付近の小山に陪塚があると考えられていました。森高教授は陪塚の方を探されていたのではないでしょうかね。」
「鈴木義麿さんの記録ノートを読んだ限りにおいて、阿武山では黄金は見つからなかったと思います。住吉大伴神社に関する記事は無かったので今後の問題です。紫香楽の宮はどうですか?」
「当時、聖武天皇は平城京から大阪湾に近い難波京、木津川沿いの恭仁京、そして紫香楽宮と首都を移動させていました。紫香楽から平城京に都を戻したのはマグニチュード七・九クラスの大地震が美濃・岐阜を中心に発生し、紫香楽でも大きな被害が出た為でした。ですから紫香楽の土地は荒れており黄金を隠すには難しかったと思われます。七百四十二年に離宮を造営した紫香楽は東国への中継地点でしたが、七百二十六年に造営を始めた難波京と七百四十年に開いた恭仁京の場所は経済を発展させる貿易港としての役割を考えられていました。天平時代以前では中国大陸との交易では日本からの輸出品の代金は砂金で受け取っていました。しかし、金華山黄金山や陸前高田の玉山金山が発見されて、中国からの輸入品に対しては金で支払うことが可能なっていました。これらの地で仏教に関係する神社仏閣を探すのが妥当でしょう。紫香楽で焼いた壺に『三宝奴』と書いたのですからね。」
「それは何処でしょうか?」
「うーん。」と盛尾教授は何かを思い出そうとするように考え込んだ。
しばらく考えた後、教授が口を開いた。
「一番可能性があるのは竹生島ですね。」
「琵琶湖に浮かぶ竹生島ですか?」
「そうです。聖武天皇は行基に命じて四天王像を祀る堂宇を竹生島に建立させました。行基は七百四十九年平城京で大仏造営中に死亡しましたから、その以前、すなわち紫香楽から平城京に都を戻すときに竹生島に堂宇を建てる名目で黄金を隠したのではないでしょうか。当時はまだ、竹生島には弁財天は祀られていませんでした。修験道の行場でありましたが、海上航行の安全を守る水神浅井姫命が祀られていました。当時の堂宇の場所が特定できればそこに砂金が埋まっているかもしれませんね。」
「難波宮や恭仁京は如何ですか?」
「難波京の南には住吉大社があります。先ほども言ったように隼人族は鹿児島で大陸貿易を行っていましたから、船の操縦はお手の物でしたでしょう。海の神である住吉三神を祀る住吉大社には宮門警護の隼人一族が居り、貿易で使う黄金庫の護衛役を担ったと推理できます。同様に恭仁京も黄金警護に薩摩隼人が使われていた可能性があります。恭仁京がある木津川の西側に流れる淀川沿いに宮門警護を終えた隼人が住んだと考えられる男山があります。後の平安時代には石清水八幡宮が勧請された地です。」
「薩摩隼人が関係する住吉大社と男山八幡宮ですか。ふーん。」
「そんなところですが、納得できましたか?」
「森高教授もこの三か所を探されたのでしょうかね・・・。」
「如何でしょうね。阿武山の麓の奈佐原に居住して隼人の陪塚を探していた可能性はあります。その点を考えれば、男山くらいは調査したのではありませんかね。」
大阪府警天満橋署の捜査本部
「海南市の鈴木家に入った空き巣が残していった信楽焼の壺から採取した唯一の指紋と生田哲也の指紋が一致しました。」
「生田の指紋は合法的に採取したものだろうな?」
「はい。天王寺駅にある自動販売機の缶ジュースを飲んだ生田が捨てたものを拾いましたので問題ありません。」
「それから、藤白神社の巫女である竹内三千惠さんに生田の顔写真を確認してもらいました。鈴木家を覗いていた男であり、且つまた神社の鳥居の処で松江孝雄と会っていた人物に間違いないそうです。」
「生田哲也とはどういう人物や?」
「はい。住所は守口市新橋寺町○○のリバーサイドレジデンス一〇五号室です。年齢は四九歳。独身です。このマンションは淀川河川公園のすぐ近くです。」
「よっしゃ。住居不法侵入と窃盗容疑で生田哲也の逮捕状を取れ。逮捕は天満橋署の松永巡査部長に任せる。和歌山県警と刑事局長には私から連絡入れて了承してもろとくわ。」
「はい。有り難うございます。」と松永刑事が言った。
「本日の捜査会議はこれで閉会とする。まだ、生田哲也が鈴木義弘及び松江孝雄を殺した犯人と決まった訳ではないが、それまでは捜査会議は休会とする。各自の捜査活動自体は続けておく事。次回の会議は追って連絡する。皆、ご苦労さんやった。」
三十人余りの捜査員たちはほっとした表情で自分たちの着替えを置いている天満橋署の道場へ戻っていく。
「やっと家に帰れるな。」と思いながら刑事たちは会議室を出て行った。
天満橋署捜査一課長が松永部長刑事に声をかけた。
「松永。殺しの動機が不明やが自供に追い込めるか?」
「ええ。任してください。」
「うん。頼んだぞ。」
岩手県陸前高田市玉山金山廃坑跡
市民からの通報を受け、陸前高田幹部交番を出たパトカーは『世界大遺産玉山霊域』と書かれた高さ十五メートルの白い塔が立つT字路を右折し、伏見稲荷を勧請した竹駒稲荷神社の赤い鳥居を潜り、行基菩薩腰掛岩の横を通り、検問所跡を通過して玉山温泉の駐車場に止まった。
パトカーを降りた二人の警察官は未舗装の山道を歩いて登っていく。
そして、玉山神社祠がある付近で地面を掘り返している一人の男に声をかけた。
「もしもし。失礼ですが何をされていますか?」と言いながら警察官は身分証を提示した。
大きなスコップを手にして振り返った男が言った。
「えっ。ああ、ポリ公、あっ、いや、お巡りさん。黄金を探してますのや。」
「ここは私有地ですよ。そして、黄金の採掘は国の採掘権の取得が必要ですが、許可証をお持ちですか?」
「そんなん、有りませんがな。」
「そこに置いてある白い袋の中身を見せてもらえますか?」
袋の中には三ミリくらいの小さな砂金が数個と大きめの水晶柱が二個入っていた。
「申し訳ありませんが、不法侵入と不法取得行為の現行犯で逮捕します。七月二十五日、午後二時三三分です。」
京都府警捜査一課
電話が鳴った。
「はい。京都府警本部捜査一課です。はい・・・、はい・・・。しばらくお待ちください。課長、岩手県警から電話です。内線の二番です。」
遠藤課長が机の受話器を手に取り電話器の二番ボタンを押した。
「はい。課長の遠藤です。」
「岩手県警大船渡署生活安全課課長の高橋と云います。」
「ご苦労様です。」
「京都府警から全国警察署に出されてました『行方不明参考人捜索依頼』の田島兼人を逮捕しました。」
「ホンマでっか。」
「はい。陸前高田の玉山金山で不法行為を行っていたところを管轄の陸前高田幹部交番の巡査が市民の通報を受け現行犯逮捕を実行しました。現在は大船渡署で拘留しております。こちらの調書は取り終えていますので、明日にでも書類送検して、当人は釈放します。つきましては、そちらからの事情聴取のご希望があればもう少し拘留を延しますが、如何されますか?」
「明日、担当の刑事をそちらに行かせますよって、任意での取り調べをさせてくれまっか。」
「承知しました。大船渡署生活安全課の高橋宛にお越しください。」
「おおきに。有り難うさんです。」と言って遠藤課長は電話を切った。
「おい、中村。藤やんは何処に行っとるねん。」
「大阪府警の天満橋署ですが。」
「ああ、生田哲也の取り調べの立ち合いやな。」
「そうです。」
「天満橋署へ電話して伝言を頼んでくれるか。」
「はい。どのように伝えますか?」
「『向日町の田島兼人が見つかった。至急京都に戻れ。』や。それから、中村も明日、藤やんと一緒に岩手県警の大船渡署へ行ってもらうで。京都駅初発の新幹線で出発やぞ。」
「判りました。」
「ああ、それから。」
「何ですか?」
「藤やんに言うといてくれ。土産はホタテかカキや。」
「はい、伝えます。」と言いながら中村刑事は「この人は何なんやろ。仕事を重視してるのか?それとも、趣味で仕事をしてるのか?何で土産の話になるのかな?」と思った。
すると、横の席に座っていた時田刑事が言った。
「おまえ、何か考えてるやろ。」
「はい。判りますか?」
「俺も、若い時分、出張する時にいつも考えたわ。」
「そうですよね。」
「藤田さんが言うとったわ。」
「何と?」
「あれは京都生まれのボンボンの癖やて。」
「土産物を要求する癖ですか?」
「昔から京都は内陸部にある盆地の為、採れる物産が少なかった。そこで、昔から京都人が旅するときは何か土産を買ってくるのが生活習慣になってたらしい。遠藤課長の家系は代々京都で生活してるから、土産物を貰うのが癖になってるらしい。」
「課長の家系の癖ですか。得な癖ですね。」
「ホンマにな。」
「おい、時田、中村。そこで何をごちゃごちゃ話しとるねん。中村、早よ天満橋署に電話せんかい。」
「はい、すいません。」
大船渡署生活安全課取調室
「京都府警刑事の藤田と中村や。」と言って二人は身分証を提示した。
「京都府警の刑事が何やねん。儂、何もしとらんで。」
「フグ卵巣の糠漬け中毒死事件の事や。」
「フグの中毒事件?何や、それ。」
「お前、知らんのんか?」
「知らんな。」
「お前の友達の谷下満男と高山史郎がフグの糠漬け食べて中毒死したんや。」
「フグの糠漬けで死ぬ訳ないやろ。毒は無くなっとるで。」
「それがやな、現場に残ってた糠漬けからフグの毒が検出されたんや。誰ぞが毒を入れよったんやろな。」
「それ、いつ頃や?」
「六月十九日や。」
「一か月前かい。儂が向日町を出たんは六月の十五日や。玉山で黄金が採れる云うから、こっちの知り合いの不動産屋に頼んでアパート世話してもろたんや。ほんま、警察云うたらけち臭いこっちゃ。砂金くらいええがな。何が現行犯逮捕や。アホかちゅうねん。」
「まあ、それは私らの知らんことや。せやけど、聞く事に答えてくれたら、直ぐにでも釈放してもらえるように大船渡署に頼んだるで。」
「ホンマか。何でも聞いてくれや。話すで。」
「犯人の心当たりは無いか?」
「谷下と高山を恨んどった奴か?」
「まあ彼奴等、えげつないとこあるからな。誰かな・・・。」
「お前、誰から玉山金山のこと聞いたんや。」
「えっ。誰からや云うて。噂やがな。」
「その噂、誰から聞いたんや。」
「ん、もう、背負う無い刑事やな。」
「老人や。谷下が知っとるジジイやがな。」
「名前は?」
「確か、竹島伸一とか言うとったな。そのジジイが砂金を仰山持ってる話を儂等三人と丸菱工務店の人間がマンションで聞いたんや。」
「丸菱の誰や。」
「生田哲也や。」
「ふーん。生田哲也ね。それで、何処のマンションや。」
「向日町駅前のサンライズビラや。そのジジイの部屋や。」
「何で四人も揃とったんや。」
「ちがうがな。儂等三人は向日町競輪から帰りやったんや。儂が大穴当てて、新京極で谷下と高山に酒でもおごったる話になって、東向日駅に着いたら、生田が歩いとったんや。冗談で、どこに行くのかと尾行したら、サンライズビラに入りよったんや。彼奴、マスターキー持っとるさかい、自由に出入りできるんや。儂等も商売上、玄関の鍵だけは預かっとるから生田を着けてマンションに入って行ったら三階の爺さんの部屋に入りよったんや。扉にある郵便受けから中の声を聴いてたら、生田が爺さんを脅かしとる話が聞こえてきてな。生田が黄金の事を言うったら、爺さんが陸前高田の玉山で砂金を採取してきたと話しとったんや。爺さんが言うには、昭和十八年に国の政策で金鉱山整備令が出て玉山金山は休山にさせられたらしい。まだまだ黄金は出るらしい。それで、わしは玉山に来たんや。」
「その爺さんと生田哲也の話の内容は何やったんや。」
「はっきりとは聞こえんかったんやが、黄金を東京でお金に換えているとか、熊野古道とかギュウバ何とかとか、写真がどうとか、言うとったな。儂は訳が判らんかったが、玉山金山の事だけは解ったわ。儂は大穴狙いが好きやねん。大穴当てた時の気分は堪らんわ。黄金を当ててみたいと思ったんが運の尽きかな。」
「お前の気分は如何でも良えんやが、それ、何時頃の話や。」
「向日町で大穴当てた日やから五月の十八日かな。」
「五月か。他に何か言葉を覚えとらんか。」
「そやな。天皇さんがどうのこうの、それに、奈良の大仏の話もしとったな。後は覚えとらんわ。」
「その後はどうしたんや。」
「静かになったから、わしら三人は引き上げて、新京極の居酒屋で酒飲んで帰ったわ。生田は如何したか知らん。」
「三人で酒飲んだ時、谷下と高山は何か言うとったか?」
「黄金の話はしたな。儂等も黄金を探しに行こか、とかの話はしたな。その時はまあ、冗談で話しただけやったが、儂は本気になってしもうて、このザマや。」
「生田に会いに行くとかの話はせんかったんか?」
「生田から脅しの分け前取るかとかの冗談は言うたかな。酒で酔うとったから、はっきり覚えとらんわ。」
「そうか。」
「刑事さん。早よ釈放されるようにあんじょう頼んでや。」
「ああ。心配すんな。この後、大船渡署の刑事に頼んどいたる。」
御寺・泉涌寺境内の楊貴妃観音堂前
浅見光彦が楊貴妃観音堂の前にある手水場の近くの岩に腰を掛けて待つのは今日で三日目である。
「千尋さんお話では、午後二時頃にその老人は現れるのが常だと云う。痩せていて寂しそうな顔をした白髪の老人。多分、竹島伸一さんに間違いないだろう。こちらから、あの『東林町ハイツ』に訪問することもできるが、伸一さんが鬱の状態にあったら、話は何も聞けないだろう。そして、その後は口を開いてくれなくなるような気がする。ここは辛抱だ。散歩に出てくる気分なら鬱状態ではないはず。その時が話を聞くチャンスだ。諦めずに待ってみよう。」と、光彦は自分を鼓舞するように考えた。
そして、ついに白髪の老人が現れた。
光彦は老人が観音様へのお参りを終えるのを待った。そして、近づいて行き、単当直入に声をかけた。
「恐れ入りますが、竹島伸一さんでしょうか?」
伸一は一瞬びっくりしたような表情を浮かべ、間を取ったが、素直な返事が返って来た。
「はい、そうですが。どちら様でしょうか?」
光彦は「関西弁のアクセントはあるが標準語をしゃべるのだな。」と思った。
「浅見光彦と申します。『旅と歴史』と云う旅行雑誌のルポライターをしております。」と言いながら名刺を老人に手渡した。
「ルポライターですか?」と言いながら老人は名刺を確認した。
「はい。日本や外国の歴史のある史跡やお寺などを訪問してその時に感じたことなどを文章にして発表する仕事です。」
「今回はここ泉涌寺と云う事ですか。でも、僕の名前は何処でお知りになったのですか?」
「鈴木義麿と云うお名前はご存知ですか?」
「ああ、子供の頃お世話になった鈴木のお兄ちゃんですね。」と即座に反応があった。
「その鈴木義麿さんが中学時代からの記録ノートを残されていました。そのノートに竹島伸一さんのことや竹島伸吾郎さんの事が書かれており、それでお名前を知りました。」
「しかし、ノートは活字ですよね。僕の姿と名前が良く一致しましたね。」
光彦は「しっかりした口調で話せる人だな。そして、頭の回転も速い。あの寂しげな表情からは想像していなかったな。もう少し弱弱しい口調を想像していたが違ったな。」と思った。
「実は、四日前に森高千尋さんにお会いいたしました。」
伸一はびっくりした表情を浮かべた。しかし、
「森高千尋さんとは誰ですか?」と言った。
「四日前に、あなたがこの場所でお会いになった女性のご老人です。名前はご存知ではなかったのですか?」
「ああ、あの方が千尋さんと言うのですか。お名前は聞いて居りませんでしたので失礼しました。」と森高の苗字を省いて伸一が言った。
「嘘だな。千尋さんの姿と名前は知っていたはずだ。」と光彦は思ったが伸一の警戒心を解くために話の矛先を変えた。
「ところでこの観音堂にはよくお参りをされるのですか?」
「泉涌寺を散歩する時は必ずお参りしております。観音菩薩様は阿弥陀如来様の化身です。母なる観音菩薩様は三十三の変化をしてすべての人を救済します。祈りと犠牲が人々の救済には必要なのです。」
「犠牲ですか?」
「命を奪うという事ではありません。人を救うために何かの犠牲を払うことが必要と云う事です。それは、たとえ自分の人生を奉げることになっても、と云うことです。」
「哲学的なお話ですね。」と光彦は感心するように言った。
「哲学と云うよりも、観念です。何事も観念することが重要です。」
「覚悟を決めるという事ですか?」
「まあ、そうです。」
「この人の向日町のマンションの部屋は別人のものではなかったか。東林町ハイツの部屋にはいろいろな書籍があるのかな。しかし、ここで引き下がる訳には行かない。牛馬童子事件の顛末を聞き出さねばならない。」と光彦は思った。
「実は、私は名刺にもある様に東京の人間です。牛馬童子像頭部損壊事件の新聞記事を読んで、事件の真相を知りたくなり関西に来ました。」
「その事件をルポすることがお仕事ですか。」
「それもありますが、紀伊田辺にいる新聞記者から殺人事件の犯人探しを依頼されたことも関係しています。」
「殺人事件と言いますと?」
「鈴木義麿さんのお孫さんの鈴木義弘さんの遺体が大阪天満橋の大川に浮かんでいました。鈴木義弘さんの奥様が警察から犯人扱いされているので真犯人を見つけて欲しいというのが新聞記者の要望でした。」
「あなたは警察ではないですよね。」と再確認するように伸一が言った。
「はい。しかし、過去にいろいろな事件に関わった経験があり、それをその記者は必要としたのでしょう。兎に角、紀伊田辺に来てくれと云う事で関西にやって来たのです。他の人からの要望もあり、熊野大社で牛王神符を頂いて帰ることにもなっています。」
「それはお忙しいですね。」
「それで、早く、殺人事件を解決したいので、あなたの知っていることを教えていただきたいのです。」
「僕が殺人事件の何を知っているというのですか?」
「犯人です。」
竹島伸一は平然と光彦の話を聞いている。
「その理由は何ですか?」
「話が長くなりそうですから、そこにある岩に座りましょう。」と光彦は今まで座っていた大きな石のある場所を指差した。
そして石に座った二人は話を続けた。
「鈴木義麿さんが牛馬童子像の前で写した貴方と貴方のお父さんとが写った記念写真です。それをお持ちですよね。」
「また、古い写真のことをご存知ですね。」
「殺された鈴木義弘さんが札入れの中にお持ちでした。鈴木義麿さんがお持ちだったもののようです。裏に『昭和二十年四月十日、竹さん親子と熊野古街道にて』と書かれていました。」
「熊野古道ですか。あれは、本当に楽しかったお父ちゃんとの想い出です。」
「僕とか、お兄ちゃんとか、お父ちゃんとか、言葉遣いは子供の時のままだな・・。」と光彦は思いながら話を続けた。
「なぜ、義麿さんのお持ちだった写真をお孫さんの義弘さんが肌身に持っていたのでしょう?」
「僕には判りませんが。」
「そんなことは無いのではありませんか?」
「何故です?」
「あの写真を見た人間が牛馬童子像の頭部を切り取ったと私は考えています。」
「何の目的があってそんなことをするのですか?」
「あなたから何かの情報、例えば黄金のある場所。あるいは黄金そのものを手に入れる為です。」
「僕が黄金を持て居るとでも言うのですか?」
「違いますか?」
「何故そう思うのですか?」
「賃貸マンションをこの近くと向日町に借りておられますよね。さらに、京都市内には商売を度外視した『信楽堂』という骨董店舗の土地を借りておられますね。これらの賃借料を支払うためのお金は何処から出るのですか?私は不思議に思うのですが。」
「なるほど。僕が『金の生る木』を持っていると仰るのですね。」
そして、「ふふふふっふ。」と伸一が含み笑いをした。
「何か私は間違っていますか?」
「いえ。そうではありません。ただ、いろいろと推理するのが好きな方だなと思っただけです。話を続けてください。」
「あなたのお父様が残していった『金の生る木』をお持ちのはずですが。」
「そう断言できる理由を聞かせてください。」
光彦は伸一の気持ちを害するのは得策ではないと思い、問答形式の話が続づくのを避けるべく、話を変えた。
「その理由を申し上げる前に、森高千尋と謂う名前は以前にも聞いた記憶がお有りでしょうか?」
「僕がここで出会った老婦人のお名前ですな。以前に聞いた記憶ですか・・・。」と伸一は二分くらい考え込んだ。
「何を考えているのだろう?」と光彦は思いながら返事を待った。
そして、老人が口を開いた。表情が今までとは変わっている。少し感情が込み上げてきたような表情である。そして、話し方も変わった。
「千尋さんは僕の弁天様。守ってあげるべき弁天様。幸せであるべき弁天様。」と突然に躁状態にスイッチが入ったように話し出した。
「この人は何を言い出したのだろう。一体、何を考えているのだろう。弁天様とは如何いう意味だろう?」と光彦は思った。
「お父ちゃんから頼まれていたんや。お父ちゃんは千尋さんの幸せを守ってあげる約束を森高先生としてたんや。」と、伸一老人は関西弁に戻っている。そして、昔を思い出す様に上空を見上げたり、目を瞑ったりしながら話を続けた。
光彦は口を挟まず静かに伸一老人の話を聞いた。
「僕が鈴木のお兄ちゃんに勉強を観てもろうとる頃やった。もう戦争が始まって何年か経ってた時や。」
そして、老人は話を続けた。
「お父ちゃんは僕に言うたんや。『戦争が激し成って来たから、お父ちゃんも戦地へ行かなアカン様になるかもしれん。この歳やから兵隊やのうて、軍隊の陣地を造る職人としてや。その手伝いに駆り出されるかもしれん。お父ちゃんが居らんようになっても心配せんでええで。大家のおばちゃんに伸一のことは頼んであるからな。お金も銀行に置いてあるからな。』と。お父ちゃんは戦地には行かんかったけど、ある日から家に帰って来んようになった。鈴木のお兄ちゃんは空襲で死んだのかもしれんと言いよったけど、何処に行ってしもうたんか、判らんままや。そやけど、お父ちゃんは僕の夢の中に出て来とったんや。そいで僕に『伸一、頼んだぞ。頼むぞ。』と言うたんや。はじめは何の事か判らんかったが、お父ちゃんに森高先生の家へ連れて行ってもろたことを思い出した。大学の先生は死んでしもてたけど、きれいな娘さんとお母さんが居ったんや。」
「いま、伸一老人が辿る記憶の想い出は、少年時代に戻っている自分の姿を脳裏で見ているのだろう。しかし、話していることが作り話でないのなら、なんと記憶力が優れていることか。」と光彦は思った。
「真夏やった。きれいな娘さんから冷たいサイダーを出してもろたんが忘れられへん。美味しかった。」
ここで一分くらい間があった。老人は目を瞑って何かを想い出しているようであるが、光彦にはそれが何なのか判らない。そして、老人は話を続けた。
「東山から市電を乗り継いで円町の家に戻ってからお父ちゃんが僕に言うた。『伸一、話がある。あのな、今日お会いした森高先生の娘さんを守ってあげる約束を森高先生が死ぬ二年前に儂は約束したんや。それは、お前が生まれた年やったかな。そうか。お前はもう十歳になったんやな。』 守るとはどういうことなのかと僕はお父ちゃんに訊いた。『お宝の在処を先生が儂に教えてくれた。そのお返しや。その時、先生はもうすぐ死ぬことが判っとった。そやから、自分が死んだ後、家族が生きていくためにはお金がいる。先生はそのお金の苦労を奥様や娘さんにはさせとうなかったんや。それで、先生は天皇さんが隠したお宝を必死になって探してはったんや。そして、お父ちゃんと一緒になっていろんな場所を探した。探す場所は先生が考え、儂がそこを掘る作業をした。いろんなとこへ行った。そして、ある場所からお宝を見つけた。それがこれや。』と言いながら風呂敷包みを解いて壺を出した。西瓜より小さめの丸い汚い壺やった。僕は骨董品かなと思った。骨董品でもあるが、その壺の中には砂金が入っていた。『これは黄金や、伸一。手に取ってみい。』 僕は言われた通りに壺の中に手を入れて一握りした。重たかった。『重たいやろ。それが砂金や。覚えておけ。これを貴金属のお店でお金に交換してもらうんや。そのお金を少しづつ貯めて銀行に預けてある。これが預金通帳や。この印鑑をもって銀行に行ってお金を引き出せる。お前の名前で預金してある。自分の名前はちゃんと書けるやろな。』僕は紙に名前を書いてお父ちゃんに見せた。『おう。これで善えわ。字書くのん上手なったな。今日、先生の奥様と娘さんを訪問したのは仕事を頼みに行ったんや。先生が儂に頼んだことは、奥様と娘さんに仕事を依頼して、その対価として、儂がお金を払うことやった。奥様と娘さんは文学女性でな、文章を書くのんが得意なんや。そこで先生は古美術の本を買い込んで、奥様と娘さんの古美術の勉強させたんや。また、儂を知り合いの古美術商に就職させて、古美術の商売の仕方を勉強させた。今は戦争で古美術が商売にならんから土木工事の仕事に戻ってるが、古美術との関係は続いている。伸一、お前も古美術の勉強をしておけ。お父ちゃんの部屋に本が置いてあるやろ。あれを見ておけ。もうちょっと大きなったら内容は判るから、今は写真を見るだけでもええから勉強は怠るな。ええな。そいでお父ちゃんが居らんようになったら、娘さんに仕事を依頼してお金を渡すんやぞ。まあ、今は娘さんは時岡さんと結婚してるからお金の心配はいらんけどな。将来、どうなるか判らんから、娘さんから目を離したらあかんぞ。約束は守らな竹生島の神様から怒られるからな。鈴木の坊ちゃんが言うとったが、戦争に敗けたら円の価値がなくなるから、今はお金が余ってたらダイヤモンドやプラチナや黄金などの貴金属に変えて持っといたほうがええそうや。戦争に敗けたら鈴木家の持ってる土地もどうなるのか判らんと坊ちゃんは言うとった。しかし物を買うにはお金がいるからな。先立つものはお金や。』 僕は、これが夢に現れたお父ちゃんから『頼むぞ』言われたことの内容やと思うた。千尋さんを守る約束を果たさなあかんのやと僕は決心した。子供心にお父ちゃんは死んでしもうたんやな、とも思うた。寂しかった。毎日泣いたけど、涙は人には見せんかった。おとうちゃんから言われていたんや、お母ちゃんが居らんかっても泣くなと。」
「お父さんの伸五郎さんと鈴木義麿さんが森高教授から貰った信楽焼の壺が在ったと思いますが、どのような理由でお二人が教授からその壺を貰ったのかご存知ですか?」
「お父ちゃんが貰うた壺の底には『僧』の文字が彫ってあった。鈴木のお兄ちゃんが貰うた壺には『法』の文字が彫ってあったらしい。お父ちゃんがそう言うとった。それから、『仏』の文字が入った壺は千尋さんのために森高先生のご自宅に残したと云うことやった。」
「その文字の意味を何か聞かれていませんか?」
「お父ちゃんが言うてた話では、『僧』の字はお坊さんの意味で、お父ちゃんには他の人の為に役立つことをするお坊さんのような役目を森高先生は期待していると言うてたそうや。特に『仏様』の教えである法を守り実践するように言われたそうや。」
「『法』の意味については如何ですか?」
「鈴木のお兄ちゃんが貰う時に先生は『仏さんの教えである法を知り、世間に役立つ人間になりなさい。僧侶が法を違えた行いをしたときには注意をするように。』と言うてたそうや。」
「そうですか。それでお父さんは千尋さんを守る役目を引き受けていたのですね。」
「そう云うことやねん。」
「それで、よくお父さんと大阪に会いに行っていた伸一さんのお母さんはどうなったのですか?」と光彦が聞いた。
「お母ちゃんは戦争が始まって仕事がなくなった時に金沢へ帰った。実家から結婚する相手が居るから帰って来いといわれたらしい。それで僕とお父ちゃんをほったらかして郷里に帰ってしもた。実家の場所ははっきり知らん。終戦後に金沢へ何回も行って街中を探したが無駄やった。戦後はお父ちゃんが残した天皇さんの黄金をお金に換えて生活したけど、戦後のどさくさの中で食べ物を手に入れるのには苦労した。大家のおばちゃんの手伝いでいろんなところへ行って食物を調達したもんや。千尋さんとこへもお父ちゃんの名前で、食べ物を届けてもろたりしたな。昼間は動き回って忙しかったけど、夜は一人で寂しかった。」
「お母様の名前は憶えていますか?」
「立浪泰子と云うたけど、名前だけでは探し様が無かった。ある時から千尋さんが僕のお母ちゃんやと思うようにした。そしたら、寂しさが和らいだ。」
「立浪泰子。何処かで聞いたような名前だけど。」と光彦は思いながら言った。
「お父さんは大阪市内の柴島上水場の修理工事中に空襲に遭い、収容された病院でお亡くなりになったそうです。命日は昭和二十年六月八日だそうです。」
「そうですか。鈴木のお兄ちゃんが言ってたように空襲で死んでましたか。」
「お墓は紀伊田辺のご実家の近くのお寺にあるそうです。」
「そうですか。お父ちゃんはちゃんとお墓に入ってるんやな。善かった。」と伸一の顔が和らいだ。
「ところで失礼なようですが、あなたは昔のことをよく覚えておられますが、物事を記憶する秘訣は何でしょう?」と光彦が疑問に思えることを訊いた。
「僕は円町に引っ越して来た子供の頃、嵐山や仁和寺、竜安寺、金閣寺、銀閣寺、南禅寺、東寺、八坂神社など、いろいろな方面に一人で歩いて遊びに行ったんや。その時、帰り道に迷わんよう、行く道すがらに風景を記憶する努力をしたんや。この時に物事を映像で記憶する習慣を身に着けました。京都は碁盤目状に道が走っているので、記憶しやすかったですね。今、お話をしている内容の記憶を呼び出している時、僕は昔に記憶した映像を取り出して、それを言葉に置き換えてるだけです。」と老人は関西弁と標準語を混ぜた話し方になった。
「この老人は子供の頃に記憶した映像を言葉に置き換える時は関西弁で、現在の事を言葉にする時は関西弁なまりの標準語になるようだな。変わった能力を身に着けたものだな。」と光彦は不思議に思った。
そして質問を続けた。
「戦後の昭和三十年ころ、寺町の古美術店舗『信楽堂』を手に入れて何をなさろうと思ったのですか?真剣に骨董品の売買に力を入れる心算はあったのですか?」と光彦が訊いた。
「はっははは。真剣にですか。『砂金をたくさん持っていたのに』と言いたい訳ですね。」
「まあ、そういう事ですが。」
「千尋さんのお婿さんの時岡先生に仕事をお願するためやった。その為の古美術商やった。鈴木の兄ちゃんは日本が戦争に負けてすぐ実家に帰ったんや。僕は一人で京都で生活を続けた。お父ちゃんに頼まれた約束を果たさなあかんと思い、千尋さんのお婿さんの時岡先生に仕事をお願するためやった。その為の古美術商やった。鈴木の兄ちゃんは日本が戦争に負けてすぐ実家に帰ったんやけど、僕は一人で京都で生活を続けた。お父ちゃんに頼まれた約束を果たさなあかんと思うとった。鈴木の兄ちゃんが何時も言うとったことは、考古学はお金にならへんと云うことやった。戦後のどさくさの間中ずーっと、時岡先生と暮らしてる千尋さんの生活を楽にしてあげなあかんと思うてた。そやけど、物が足らへん時代は、お金の力だけでは楽な生活ができる時代でもなかった。人間同士の繋がりが重要やったんや。一人で生きてる僕には何も出けへんかった。お父ちゃんに怒られるやろな、とそう思うことが多かった。『竹生島の弁天さんへ顔向けでけへんやろ。』と謂われてる気がずーっとしとったんや。それが、やーっと時代が変わって来た。それで、時岡先生を応援するチャンスが来たと思うた。戦争中にお父ちゃんから紹介されてた山村先生に会いに行った。お父ちゃんを祇園の骨董屋に紹介したのが山村先生やった。お父ちゃんは山村先生の遺跡発掘調査のお手伝いをしょっちゅうしとったんや。その後、山村先生から時岡先生を紹介をしてもろた。時岡先生や山村先生には考古知識と骨董品の関係文を書いてもろて、『信楽堂』の骨董品紹介広告の小冊子にのせたり、全国での講演会の講師をお願いしたりしたんや。その時に謝礼を仰山させてもろた。それが、お父ちゃんとの約束を実行する僕のやり方やった。時岡先生は清らかで澄んだ心の持ち主やったな。千尋さんは先生に抱かれて幸せそうやった。」
「砂金を貴金属商に換金してもらうのはどのようにしたのですか?」
「砂金を金塊にするための小さな陶器タブを信楽で焼きました。黄金の融点は摂氏千二十六度ですが信楽焼の耐熱温度は摂氏千二百度以上ですから黄金を溶かすことができます。焼成用の電気炉を使って陶器タブに入れた砂金を溶かして延べ板にします。それを東京御徒町にある貴金属商に持ち込んで換金します。最初は黄金の純度を測定するのに延べ板を貴金属商に一日預けましたが、今では信頼を得て純度測定はアルキメデス方式の簡便比重測定だけで即日換金してもろてます。」
「電気炉や陶器タブは東林町ハイツに置いてあるのですか?」
「僕の住んでいるマンションを知っているのですか。そうですか。」
「いつごろから東林町のマンションに住んでいるのですか?」
「今のマンションには平成元年から住んでいます。」
「それ以前も泉涌寺の近くに住んでいたのですか?」
「戦争が終わって、鈴木のお兄ちゃんが京都に居らんようになって、二年後くらいに円町からこの近くに引っ越してきた。大家のおばちゃんが亡くなってしもたんや。もう一人で生きていく自信ができてから円町の借家を出て、千尋さんの様子が分かる処に住むことにしたんや。お父ちゃんの頼みを守るためや。今のマンションに住むまでに何回か引っ越しをしたけど、ずっとこの近くに住んでる。」
「今まで千尋さんと話したことは何回ぐらいあるのですか?」
「数日前が初めてでした。あの楊貴妃観音堂の登り口の階段に座っていたら千尋さんが僕に声をかけて来た。どうも、寂しそうにボンヤリ座ってたらしい。それで心配して声を掛けて来たようです。一瞬どうしようかと思ったのですが、もういいかと思って話に応じました。」
「もういいかと思ったとは、如何云う意味ですか?」
「千尋さんの幸せそうな顔を真近で見て、もう役目は終わったと感じました。長かったのか、短かったのか、兎に角終わりにしようと思った。それだけです。もしかしたら、観音様が『もう良いよ』と言ってくれたのかもしれません。そしたら、気持ちが一遍に楽になった。それから時々散歩に出るようになってしまいました。今日も散歩がてらに観音堂にお参りに来たところを貴方に出会ってしまったという事です。貴方が待ち構えていたのでしょうけれど。」
「申し訳ありません。」
「いいのです。僕には、今はもう何も守るべきものは無いのですから。それで、僕に何か聞きたいことがあるのでしょ。」
「はい。聞いてもよろしいでしょうか?」
「遠慮なくどうぞ。」
「それでは。牛馬童子像の首を今城塚古墳公園の埴輪祭祀場に投げ入れたのは貴方ですか?」
「そうです、僕です。牛馬童子は花山天皇の子供の時のお姿です。首を切られた天皇は死んだと云う事です。そのお墓には殉死者の代わりに埴輪が並べられるのが常です。だから、埴輪の中に葬ってあげたのです。」
「何処であの首を手に入れたのですか?」
「あの首は丸菱工務店の賃貸マンション営業をしている生田哲也と云う人物から買い戻したものです。」
「買い戻したとは如何云うことですか?」
「聖武天皇の隠し砂金の在処を教えるのと交換に取り戻したのです。」
「どの様な経緯があったのですか、生田と云う人物と。」
「生田哲也は僕が借りた賃貸マンションの契約担当をしていました。それで時々、僕の住んでいるマンションを訪問して来ていました。住み心地などのアンケートや部屋の傷み具合などの調査でした。しかし、彼の務めている会社が保管しているマスターキーを使って僕の居ない間に部屋に入り込んで、たまたま置いてあった砂金の入った古代焼の壺を見付けたのです。僕が時々、東京の御徒町へ出かけて行っているのを知っていた彼は、御徒町の貴金属商に黄金を売っていると察知したようです。それで、砂金の出処を訊いて来ました。もちろん教えませんでした。すると、牛馬童子像の首を田辺から取って来て僕に見せました。鈴木の兄ちゃんが撮ってくれた牛馬童子像の前でお父ちゃんと楽しそうに写っている記念写真を生田に見せて想い出を語ったことがありました。砂金の在処を教えたらその首を渡してくれるというのです。僕にとっては大切な思い出の牛馬童子像です。その場所を教えました。」
「その教えた場所は何処ですか?」
「高槻の阿武山の麓の奈佐原と言う地区に森高教授が戦前に見つけた横穴がありました。その穴は鈴木のお兄ちゃんの会社が所有している土地の中に在ります。穴を発見した時は棺が在ったそうですが、砂金が入った壺は無かったのです。しかし、お父ちゃんと森高先生は別の場所で見つけた聖武天皇の隠し砂金の壺をその穴に移していました。三個だけですがね。その場所を生田に教えました。その時にお父ちゃんが森高先生からもろた壺を持って行きよった。」
「生田さんには森高教授からの壺の由来を話しましたか?」
「ええ、しました。鈴木のお兄ちゃんが貰うた壺の話もしました。壺の底に彫ってある『僧』の文字と鈴木のお兄ちゃんが持っている壺の『法』の文字には森高先生が見つけた砂金の秘密が隠されているらしい、と言うてやった。」
「生田さんの反応は如何でした?」
「『砂金の入った壺の在った場所が判るのか?』と聞いて来ました。」
「それは如何か知らない、と答えました。」
「生田さんは鈴木さんの実家に押し入ってその壺を手に入れたようですよ。」
「はははっは。僕の言葉を信じよったんやな。」
「それで、森高先生とお父さんが砂金の壺を発見した別の場所とはどこですか?」
「ははあ。聖武天皇の為に、それは秘密にしておきます。」
「秘密ですか。そうですか。ところで、仁和寺と竜安寺に挟まれ地域に御室住吉山町があります。その住吉山町近くには薩摩隼人が祀った住吉神社と大伴一族が祀った大伴神社を合祀した住吉大伴神社が現存しています。宮門警護を統率した大伴氏一族と警護の実務を実行した薩摩隼人たち。聖武天皇が行基上人に勅命して隠させた砂金を薩摩隼人たちが古代の天皇たちの離宮があった住吉山地域に隠したか、あるいは保管した。その何処かに砂金を隠したと考えられますが。」
「浅見さんは御室住吉山町をご存知でしたか。参りましたね。あそこには京都市営の住吉山墓地があります。その墓地は明治時代以前から自然発生的に墓が点在していた土地です。この墓場近くに薩摩隼人が掘った横穴をお父ちゃんと森高先生が見つけたんや。そこに十個くらい砂金の壺があった。その穴をお父ちゃんに見せてもろた。もうそこには砂金の壺は無いけどね。僕が使うてしもたから。」
「今はどのくらいの壺が残っているのですか?」
「生田哲也に残っていた壺を渡したので、もう残っていません。黄金を換金した分は預金通帳に残っていますが、砂金はありません。だから、僕の役目は終わったのです。」
「そうですか。ところで、『フグ卵巣の糠漬』を食べて死んだ谷下満男さんと高山史郎さんの事は何かご存知ですか?」
「新聞の記事で読みました。あの糠漬は僕が向日町のマンションに持っていたものです。生田哲也が僕のマンションの冷蔵庫に入れてあった五袋全部を持って帰りました。僕は時々、お母ちゃんの面影を偲んで金沢の犀川の畔を散策しに行きます。その時にフグの糠漬を買って来ます。その後、あの毒殺疑惑事件が起こりました。谷下さんと高山さんは石川県出身だそうですね。谷下さんとは賃貸物件を探すときに知り合いました。何回かお話した記憶があります。フグの糠漬が好きだと言われていました。」
「中毒死する少し前に谷下さんと話されましたか?」
「はい。中毒死事件の二日前くらいですか。砂金の事を知りたいと申されて、パチンコホールでお話ししました。」
「話の内容は何でしたか?」
「生田哲也に何を話したかを訊かれました。聖武天皇の砂金の壺の在り場所を教えたことを伝えました。それだけです。」
「向日町のマンションに『みゆき』の本が有りましたが、あれには何か思い出があるのですか?」
「『御幸』の本ですか?天皇の熊野行幸が書かれた本があそこにありました?」と竹島伸一が不思議そうな顔をした。
「あっ。失礼しました。『みゆき』という女性の恋愛ストーリーを描いた連載のコミック本です。」
「ああ、『想い出がいっぱい』ですね。あれは、アニメ映像のテレビ番組を見てエンディングテーマ曲が気に入ったので、原作本を買いました。当時、僕は五十歳近くでしたが青春の想い出とはどんなものなのかをあのコミック本で追体験しました。寂しい話ですが、それが僕の人生です。歌のイメージが千尋さんと重なったのです。千尋さんに幸せを運ぶ誰かが僕なのです。母親の死を二度も経験したみゆきの腹違いのお兄さんが頑張っている姿を見て僕も頑張らないといけないと思ったものです。僕の想い出は少ないですが、千尋さんが幸せな生活を送るのを観れたのが一番の想い出ですかね。時岡先生が頑張っておられたので、僕のしたことの貢献度は小さいですが、千尋さんの幸せを守ると云うお父ちゃんとの約束が果たせたことは何よりの人生でした。千尋さんは僕の『弁天様』でした。」
「如何云う意味ですか、その『僕の弁天様』とは?」と光彦が不思議そうな顔で訊いた。
「千尋さんが居たから、僕に黄金が着いて回る人生が送れたのです。貧困を救い、財物を贈って下さる女神が弁天さんです。」と穏やかな表情で伸一が言った。
その時、境内を散歩している森高千尋が楊貴妃観音堂の前まで歩いてきた。
そして、光彦と伸一が岩に座って話しているのに気が付いた。
「あら、浅見さん。それにいつものご老人。お二人はお知り合いでしたの。」と千尋が伏し目がちにほほ笑んだ。
竹島伸一には千尋の顔が伏し目がちに微笑している楊貴妃観音像の
顔のように思えた。
「僕の名前は知らないことにしてください。僕は千尋さんの影法師ですから。」と伸一は光彦の耳元で囁いた。
御寺・泉涌寺の駐車場を出た浅見光彦の愛車ソアラは泉涌寺道を下り、東大路通から九条通に入り、東寺の南角にある京阪国道口の交差点を左折して国道一号線京阪国道に入り、大阪方面に向かった。途中、木津川大橋を渡り、八幡市、枚方市、寝屋川市を通過して守口インターから阪神高速十二号守口線に入り、南森町出口で高速を下り、再び国道一号線を少し東進して東天満交差点を右折して天満橋筋に入った。そして、南下して直ぐに大川沿いにある大阪府警天満橋署に到着した。時刻は午後五時に近くなっていた。
光彦は天満橋署の受付で取調室にいる松永刑事と藤田刑事を緊急情報があると言って呼び出してもらった。
程無くして受付に降りて来た松永刑事と藤田刑事に竹島伸一から聞いた話をした。そして、最後に付け加えた。
「生田哲也を送検するために竹島老人の証言が必要で無いなら、老人をそっとしておいて欲しいのですが。余生を静かに過ごさせてあげてください。」
天満橋署を出た光彦は、八軒家船着き場に近いホテルのシングル部屋が空いていたので一泊することにした。そして、鳥羽映佑の携帯に電話した。
「スクープ情報だが、近日中に生田が犯行を自供するはずだ。それと、今城塚古墳公園に牛馬童子像の頭部を捨てたのは竹島伸一だ。その理由は言えない。大毎新聞の情報収集機能を使って理由は確認してくれ。」
「先輩。それは無いでしょ。理由を教えてくださいよ。」
「警察の責任問題になるから駄目だ。諦めてくれ。」
「判りました。明日、和歌山支局へ行って岩永デスクに相談します。それで、先輩はこれからどうしますか?」
「明日、熊野本宮大社を経由して東京に帰るから海南市の藤白神社で会いたい。その時、田辺通信部の居間に置いてある鈴木義麿氏の大学ノートが入った段ボール箱を持って来て欲しいのだ。大谷宮司にお返しするから。」
「判りました。和歌山支局に行く序でに寄ります。時間は午前十時でいいですか。」
「出来たら、鈴木真代さんと竹内美千惠さんにも連絡しておいてくれないか。お別れの挨拶をしたいから。」
「了解しました。」と竹内美千惠と話す口実が出来たので鳥羽は喜んで返事した。
大阪府警察本部天満橋署の取調室
松永巡査部長は浅見光彦から聞いた竹島伸一の証言を生田哲也にぶつけた。壁際の椅子には藤田巡査部長が座って取り調べの状況を見つめている。
「竹島老人が『フグの卵巣糠漬』をお前に持っていかれたと証言しているが、これは嘘か? それに、黄金の在処を教える代わりに牛馬童子像の首をお前から譲り受けたと話しているが、如何なんや。」
「・・・・・・」生田は黙っている。
「それと、廃品回収業者の田中健吾が、お前から一万円で頼まれて田島兼人の不動産店舗から八紘昭建社長の鈴木義弘に七月三日午後三時十五分に電話を掛けたと証言しているが、これも嘘か? 電話する時間も指定したそうやないか。田島の不動産店舗の合鍵をお前から渡されたと言うとるが、如何やねん。あと、谷下満男の不動産店舗からの電話と高山史郎の寿司店舗からの電話も誰かに頼んだやろ。何とか言うたら如何や。ああ、それから、丸菱工務店大阪本社のお前の職場から八紘昭建の鈴木社長に電話した人物がわかったぞ。お前の大学の後輩で総務部の池上順二と云う奴や。お前に頼まれて、不動産売買の件で午後三時三十分に電話で質問してくれと頼んだそうやないか。自分の部署からかけて上司に睨まれるの怖かったんで、お前の机の電話を使こうたと言うとる。」
そして、生田が落ちた。
「すいません。私が殺しました。鈴木義弘さん、松江孝雄さん、それに谷下と高山の四人を私が・・・。」と言って生田は顔を机に伏せた。
「そうか。それでええんや。全部しゃべったら気が楽になるで。ほしたら、四人をどうやって殺したんかを聞かしてもらおか。」と松永刑事が訊いた。
「鈴木社長とは天王寺駅前で午後一時に待ち合わせ、私の車で高槻市の奈佐原の土地の場所を確認に行きました。社長は売買契約の話を私が条件面を理由にして一度断わっていたので、あまり気乗りがしていなかったようです。電話で話した時も『今頃になって何や。おかしなこと言うな。もう他の会社と話を進めてるところや。』と言われましたが、強引に土地を確認したいと言って高槻まで連れ出しました。そして、帰りに私の自宅でお酒を飲もうと言って守口のマンション井呼び込みました。そこで頭を殴って気絶させ、ロープで首を絞めました。夜になってからファンシーケースのビニールに包み台車で車まで運び、車で大川の毛馬水門近くにある毛馬橋蕪村公園まで運んで、遺体だけ川に捨てました。」
「何で殺してしもたんや。殺したら土地購入の契約がでけへんやろ。」
「鈴木社長は売る気がないし、会社からは奈佐原での開発計画はなくなっと言われてました。そやけど、奈佐原の土地の在る場所には黄金が埋もれている事を竹島伸一から来ていたので、どうしても掘り返したかった。それで社長が死ねば、松江が契約の相手になると思いました。それで社長を殺した後で松江に連絡をと取りました。」
「それで松江孝雄の時は如何して殺したんや。」
「松江は私が社長を殺したことを確信していました。そして、殺した理由は阿武山古墳のお宝と考えていました。社長のお祖父さんが残していたノートを読んだ社長が奈佐原にはお宝があるかもしれんと社長から聞かされていたようです。それで、私に分け前を要求して来ました。それで、松江も殺すことにしました。鈴木社長と松江が死ねば、奈佐原の土地の場所を知っている奴は当面は居らんから、ゆっくりとお宝のある場所を掘れると思いました。殺し方は鈴木社長と同じです。遺体を捨てた場所が毛馬橋を渡った長柄橋下の淀川河川公園に面した淀川だっただけです。」
「遺体が発見された場所やが、鈴木義弘の遺体は上流から流れて八軒家船着き場まで流されたのは判るが、松江孝雄は淀川に流されんとその場所にとどまったままやったが、何か細工でもしたんか?」
「あの河川公園のあたりは毛馬水門の閉門されている取水口で、水が淀んで流れていません。それで、遺体は流されなかったんでしょう。」
「なるほど、そう云う事か。地元の事やから川の状況をよう知っとるな。」
「それで、谷下満男と高山史郎はどうやって毒殺したんや?」と藤田刑事が訊いた。
「簡単です。私が渡した酒の中にフグの強力な毒液と睡眠薬を入れておいたんです。」
「糠漬の毒は如何したんや。」
「私が袋の封を少し開けてそこから毒をいれておきました。その後、そこから袋を破れるようにしておいたんです。糠漬を食べない場合でも、彼奴らは酒が好きですから必ず飲むと思ってました。」
「そうか。今日はもう遅いから取り調べはここまでにしとこか。明日また、話を聞かしてもらうわ。」
海南市藤白神社の社務所前
浅見光彦、鳥羽映輔、鈴木真代、巫女装束の竹内三千惠、宮司の大谷隆の五人が社務所入口の前で立ち話をしている。
「近日中にご主人や松江社員の殺人事件の犯人、それと牛馬童子像頭部損壊事件の犯人がハッキリすると思います。僕の役目は終わったと思いますので、これで安心して東京へ帰ります。」と光彦が鈴木夫人たちに言った。
「今回の事では浅見さんにはご苦労をおかけしました。本当にありがとうございました。」と真代が言った。
「浅見さんはこれから熊野本宮大社に行かれるのですね?」と三千惠が確認するように訊いた。
「はい、そうです。軽井沢に住んでいる作家先生の依頼で牛王神符を頂きにまいります。」
「それじゃ私、神田屋さんに行ってお弁当を作って来て上げます。浜屋で働いていた頃に覚えた美味しい美千惠特性弁当があるのよ。ちょっと待っててください、浅見さん。」と言って三千惠が神田屋へ走って行った。神田屋は藤白神社の参集殿であった建屋にある料亭である。
「三千惠ちゃん。僕の分もお願いね。」と追っかけるように鳥羽が大声で叫んだ。
そこへ、かつては藤白神社の参集殿であった神田屋の方から一人の和服を着た中年女性が歩いてきた。
「お賑やかなことどすな。」と中年女性が言った。
「ああ。先生。もうお着きですか。」と大谷宮司が言った。
「どちらの方ですか?」と光彦が宮司に訊いた。
「本日十一時から神田屋の参集殿で氏子崇敬会を開催します。その会で講演をしていただく、京都から来られた霊能占い師の方です。」
「中田和佐と申しますわ。よろしくね。」と和服の女性が軽く会釈した。
「意外と鋭い目つきをしている女性だな。」と思いながら光彦が言った。
「東京から来た浅見光彦と申します。お見知りおきください。」
「あら、東京からわざわざお越しやしたんどすか。はばかりさんどすな。」
「そうだ、浅見さん。先生に東京にお車で帰るまでの安全占いをして頂いたら。」と鈴木真代が言った。
「それがよろしいな。先生、観てあげてください。」と宮司が言った。
「いや、別にいいですよ。」と光彦が言い終わる前に、中年女性は『太郎坊』と云う印を両手で組んで光彦を見つめ、九字の呪文を唱えた。
「前・在・裂・陳・階・者・闘・兵・臨。キイェーッツ。」
「こんなん出ました。」と中田女師が言った。
「どんなんですか?」と光彦が思わず中田女師の顔を覗き込んだ。
「あなたの右横に一人の男性が立っておられます。そのお方が『お宝を守ってくれたお礼に熊野権現までお護りする。』と仰ってはります。」
「その方の名前は?」と光彦が聞いた。
「三宝奴と言うてはります。」
「そうですか。有り難うございます。」と光彦が言った。
東京北区の浅見邸
強行軍で走行して東京の自宅に光彦が戻ったのが昨夜の午後十一時を大きく過ぎていた。そして、風呂に入り就寝したのが午前二時頃。旅の疲れもあって今日のお目覚めは正午を回っていた。
朝食と昼食を兼ねた食事をしていると、テーブルに置いてある携帯が鳴った。内田の文字が液晶画面に出ている。
「はい、浅見です。」
「やあ、浅見ちゃん。お帰りなさい。」と聞きなれた声が返って来た。
「何で僕が東京に帰って来たことを知ってるんですか?」
「蛇の道はヘビですよ。霊感、霊感。最近は霊感が鋭くなってね。」
「それはあの世に近づいて行ってると云う事じゃアーりませんかね。」と光彦が冗談を言った。
「浅見ちゃん、鋭いね。」と否定する様子がない。
「えっ、如何したんですか先生。」と光彦は思わず呟いた。
「まあ、いいじゃないの。それで、例の物は頂いて来てくれました?」
「はい。ちゃんと先生の為にご祈祷をして頂いて、護符を頂いて来ました。」と光彦が代参の報告をした。
「ありがとう。それで、二、三日中に軽井沢まで持って来てもらえますか?郵送はいけませんよ。手渡しでないと御札の効果が薄れますからね。手渡しでお願いしますよ。」
「先生、今日はやけに丁寧な言い回しだな。」と思いながら光彦が返答した。
「判りました。明日にでも軽井沢に飛んで行きます。」
「お願いしますね。ところで、牛馬童子の一件は解決しましたか?まあ、浅見ちゃんの事だから心配はしていませんがね。」
「任せてください。ちゃんと解決して来ました。」
「それはご同慶の至りですね。」
「それで先生、お身体の具合は良いのですか?」
「うん、まあ、一進一退ってとこですかね。」
「矢張り元気がないな。」と光彦は少し心配になった。
余り長話も良くないかなと思い光彦は電話を切ろうとした。
「じゃ、先生。明日お会いしましょう。」
「あっ、ちょっと待って。」
「どうかしましたか、先生?」
「明日、来るときに東京土産が欲しいのです。」
土産と聞いて、藤田部長刑事が紀伊田辺で土産を買う時にこぼしていたことを光彦は思い出した。そして思わず笑った。
「ふふふふふ。」
「僕、何かおかしいことを言いましたかね?」と内田が訊いた。
「いえ、別に。ちょっと紀伊田辺であったことを思い出したものですから。」
「あら、そう。それで土産だけれど。」
「何でもどうぞ。」
「日暮里の羽二重団子を買ってきて欲しいのです。」
「羽二重団子ですか? 僕の知っている平塚亭のみたらし団子じゃあだめですか?」
「以前に食べさせてもらった団子ですね。それも美味しかったですが、今回は羽二重団子にします。JR日暮里駅前にお店があるからそこで買ってきてください。子供の頃によく食べましてね、思い出のあるお菓子なのです。」
「はあ。思い出がいっぱいですか・・・。」と竹島老人の姿を思い出した光彦である。
「本当に、子供の頃の思い出はいつまでも残ってますね。浅見ちゃんもあるでしょ。誰かが好きになったとか、恋心を懐いた人がいたとか。早く結婚しないとね。浅見ちゃんも、もう三十三歳でしょ。」
「大きなお世話です。先生が結婚させてくれないから独身なんです。」
「おや、私の責任ですか。まあ、良いお見合い相手をそのうちに紹介しましょうかね。」
「先生の奥様のような美人をお願いしますね。」
「女性は人柄ですよ、浅見ちゃん。」
「そうですね。まっ、あてにしないで待ってます。それじゃ、電話切ります。」
「はい。では明日。」
電話を切った光彦は考え込んだ。
「熊野は黄泉の国とも謂われている。熊野の護符を貰ってきて欲しいなんて。先生、あの世へ行く準備を始めたんじゃないだろうな。否、古の天皇や公家たちが熊野詣をしたのは黄泉の国からまた帰ってくることで『甦えり』を願ったからとも謂われている。作家先生も病気からの蘇りを考えているのだろう。」
電話を切ってすぐにまた電話が鳴った。
今度は『旅と歴史社』の表示が液晶画面に出ている。
「やあ、浅見ちゃん。やっと帰って来たね。待ってましたよ。」と藤田編集長の声である。
「僕が帰って来たのを誰から聞いたのですか?」
「決まってるじゃない。蛇の道はヘビならぬ、須美子さんですよ。浅見ちゃんが帰ったら教えてねと頼んどいたのよ。それで、弁当の原稿は出来てる?」
「まだ、昨晩に帰って来たばかりで書けてません。」
「じゃ、今日中に書いてね。そして、明日出して。」
「明日は軽井沢の先生の処へ行く約束だから、明後日以降になりますね。」
「ダメダメ。もう締切り日はとっくの昔に過ぎちゃったんだから。じゃ、今日中に出してよ。」
「えっ。今日中ですか。」
「そう。今日中。だって、秋の特別号の出版日は九月十日よ。もう印刷に回さないといけない時期が来てるのよ。判ってるでしょ。それに、お弁当のグラビア写真も掲載しないといけないのよ。写真は撮ってあるよね。」
「はい。いろいろと撮ってあります。」
「じゃ、原稿を待ってますからね。」と言って電話が切れた。
「うーん、もう。せっかく疲れを癒してるのに。」
エピローグ
九月も中旬を過ぎると朝夕が涼しくなってくる。しかし、昼下がりはまだまだ残暑が厳しい。木漏れ日が溢れる庭の樹木からは『ツクツクホーッシ、ツクツクホーッシ』と鳴く蝉の声がしている。
そんな昼下がり、浅見光彦は昼食を終えて自宅の洋間のリビングで雑誌『旅と歴史・秋の旅行特集』号を見ながら寛いでいた。
「我ながら上手く撮れてるな。これなら小内美由紀さんに負けないな。」と松花堂弁当や手桶弁当の写真を見ながら光彦は自画自賛している。全く、誰が撮ってもそれほど変わらないと思える写真であるのにである。
その時、テーブルの上に置いてある携帯電話が鳴った。
「はい。浅見です。」
「浅見ちゃん。俺、藤田。」
「はい、判ってます、編集長。何か御用事ですか?」
「用事があるから電話してるの。」
「御尤もです。それで?」
「秋の旅行特集の中で、浅見ちゃんが書いてくれた例の弁当記事。」
「それが如何しましたか?」
「『箸折弁当は何処で食べられるのか』の質問電話が殺到してるのよ。もう、みんな仕事にならないとボヤキ放しよ。あの弁当は何処の料亭の物?場所と名前を教えてよ。インターネットに載せないと会社がつぶれちゃうわよ。」
「そんな。大袈裟なこと言わないでください。電話パニックくらいで会社が潰れる訳ないでしょ。」
「まあ、如何でも良いけど、早く教えてよ。」
「弱ったなあ。あれは、編集長が言ったんですよ。」
「私が何と言ったの?」
「『箸折弁当が見つからなかったら、適当に造ってもらえ』って。」
「そんなこと言ったっけ。でも、その造ってもらった料亭の名前を教えてよ。」
「それがね、料亭じゃないので困ってるんですよ。」
「料亭じゃない。食堂?」
「違います。神社です。神社の巫女さんに造ってもらったの。」と、光彦はやけくそ気味に言った。
「神社、神社ね・・・。浅見ちゃん。それ良い。」
「何が良いんですか?」
「松花堂弁当が出来たのは、江戸時代に道具箱を料理の器に利用することを思いついたからでしょ。平成時代は神社で料理を造る。これ良いよ。」
「まあ、適当に考えてください。」と光彦は呆れたように言った。
「それで、神社の名前は?」
「和歌山の海南市にある藤白神社です。」と、つっけんどんに光彦が言った。
「藤白神社。名門じゃないの。ますます良いね。『藤白巫女の箸折弁当』 決まりだね、浅見ちゃん。」
「編集長、・・・・・・・・。」と、光彦は呆れてものが言えなかった。
そんな頃、警察の監視や尾行が無いのを確信した竹島伸一は琵琶湖に浮かぶ竹生島を訪問していた。
竹生島に渡るにはJR北陸線の長浜駅で下車し、長浜港から毎日運航されている遊覧船『べんてん』に乗船する。JR湖西線の近江今津駅で下車して今津港から竹島まで乗る遊覧船『リオグランデ』は土、日、祝日のみの運航である。竹生島港には『琵琶湖周航の歌』碑がある。その石碑には四番の歌詞が彫られている。
瑠璃の花園
珊瑚の宮
古い傅への
竹生島
佛の御手に
いだかれて
ねむれ乙女子
やすらけく
都久夫須麻神社本堂の弁財天に参拝した後、リュックを背負った一人の老人が本堂裏から鬱蒼と樹木が生い茂る山道を一人で登っていく。そして石垣の残骸がある場所に来た。
「お父ちゃん。ここに来るのはこれが最後や。」と老人は思った。
老人は石垣を覆っている蔦と草を一部分取り除いた。そして、一辺が二十センチくらいの石積みの一つ一つを丁寧に外していく。石垣は土木建築の特殊技術が使われているので外す要領があるらしい。そして、人ひとりが通れるくらいの穴が開いた。横穴である。手にLED懐中電灯を持って、老人は穴の中へ入って行った。
そして、懐中電灯で照らし出した先には茶色い西瓜大くらいの壺が数十個、地面に横たわっていた。
エンディング
青空と入道雲を背景にして遠ざかる竹生島を『リオグランデ』の船上から自分の人生を重ね合わせながら老人が眺めている。
船内にあるスピーカーからはペリー・コモが歌う『And I love you so』の声が聞こえている。
And I love you so
・・・・・・・・・・・・
How I have lived till now
・・・・・・・・・・・・
How lonely life has been
But life began again
・・・・・・・・・・・・
And yes, I know how lonely life can be
The shadows follow me
・・・・・・・・・・・・
All but life is dead
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Now that you are around me
孤道・完結編 『完』