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ミクトラン帝国 21 朝のデート

 ◇ ◇ ◇



 翌朝、とはいっても、昨夜の開催式のステージの名残は夜中の間もずっと続いていて、ミクトラン帝国の方にとっては、昨日も、今日も、それほど変わらないと思えたけれど。

 きっとシャイナがヴァイオリンの練習をするだろうと思って、朝日が顔を見せるのとほとんど同時に目を覚ました僕は、帝城の庭園へと散歩に出ることした。

 さすがにこの朝早い時間帯、初日ではないからなのか、それとも今日のために力を溜めているのか、城壁の外からも騒々しい、けれど嫌ではない、音楽や歓声は聞こえてきたりはしていなかった。

 代わりに、小鳥のさえずりを聴きながら歩いていると、城の裏側の方から、この数日でよく知った歌声で、優し気なメロディーが聞こえてきた。

 はたして、彼女はそこにいた。

 眩い朝日に照らされた緑の芝の上、エルマーナ皇女は静かにそっと佇みながら、綺麗な表情で歌っていた。

 やわらかい風が吹き抜けて、舞い散る花びらと同じ色の綺麗な髪をなびかせながら目を瞑る彼女の横顔は、それでいながら、どこか不安げにも見えた。

 風が吹きやむと、エルマーナ皇女は途中で歌うのを止め、物憂げな表情で小さくため息をついていた。


「エルマーナ皇女」


 僕が声をかけると、エルマーナ皇女はびくりと肩を震わせて、ゆっくりとこちらへ振り向いた。

 涙の跡は見えなかったけれど、エルマーナ皇女の瞳は、いつにもまして、充血しているように、より紅く染まっていた。


「……昨夜はよくお休みになられなかったのですか?」


「……はい」


 誤魔化しても意味はないと思ったのか、少しの間の後、エルマーナ皇女は力なく肩を落とした。


「昨日のステージでの歌声は、とても素晴らしかったですよ。今でも僕の耳にはしっかりと残っています」


 心からそう告げたのだけれど、エルマーナ皇女の表情は、心なしか、さらに沈んでしまったように感じられた。


「口下手で申し訳ありません。けれど、僕は心からそう思っています」


 事実、ステージを聴きにいらしていた方々、つまりはこのミクトラン帝国のほとんど全員と、他国からの観光客の方たちは、皆、エルマーナ皇女の歌声に聞き入っていたように見えていた。

 それに、僕が夜中に情報収集の一環として、ちょっと外へ出かけた際に尋ねた人たちも皆さん、エルマーナ皇女の歌声についてはご存知の様子で、とても楽しみだというような話をされていた。


「……それはユーグリッド様が私の歌しかお聴きになっていらっしゃらないからです」


 それはいったいどういう意味だろう?

 尋ねたいのは山々だったけれど、エルマーナ皇女はまだ話を止めるつもりではないようだったので、僕は黙ったまま、彼女の言葉の続きを待った。


「昨年までの開花祭では、私ではなく、母が歌い手を担っていたのだということはお話ししたと思いますが」


 確かにエルマーナ皇女御自身がそうおっしゃっていたのを覚えている。

 僕の反応を確認しながら、エルマーナ皇女は話を続ける。


「……母の歌は本当に豊かで、あたたかく、可愛らしく、嬉しそうでいて、ときめきながら、微笑んでいるようで、たくさんの感情がいくつもの声と音になって紡がれている、本当に素晴らしい、女神様、セラシオーヌ様のような歌なのです」


 それは機会があれば是非とも拝聴させていただきたいものだなあ。

 

「……私も、今年初めて開花祭での歌い手を任されると、お父様とお母様に言われた時はとても嬉しく、誇らしく思っていました。お母様のように、ミクトランの人たちに希望をもたらすことのできるような、開花祭をより楽しんでもらえるような、そんな大切な役目を任せて貰えるくらいに認められたのだと」


 嬉しそうに瞳を輝かせていたエルマーナ皇女の顔が曇る。


「……けれど、それまで何の責任もなく、ただ楽しくて、大好きで歌っていた歌も、母の後を担う、皇宮の行く末を担っていると思うと、時折、とても不安な気持ちになったのです」


 僕にはエルマーナ皇女の気持が……分からなかった。

 物心ついた時から、エルヴィラの王子として育てられ、もちろん家族の愛情はそれ以上に注いでもらっていたけれど、そのことに疑問を持つようなことはなかったし、たしかに、小さい頃は面倒くさいとか、少し休んでも良いじゃないかと、逃げ出したくなることも、実際に逃げ出したこともあったけれど、シャイナと出会ってからは、そんなことではだめだと、それまで以上に、魔法も、勉強も、それ以外の稽古事も、もっと強くなろう、もっと優しくなろう、もっと世界を広げようと頑張ってこられた。

 だから、エルマーナ皇女の悩みが、そんなこと、という程度にしかわからなかった。


「ですから、昨日攫われた時、不安に感じていたのはその通りですけれど、このまま歌わずに済んだらと思う自分がいたことも事実でした」

 

 けれど、こんなに追い詰められている様子の女性を放っておくことは出来ないという、そのことは分かった。


「エルマーナ皇女」


 だから、僕にできるやり方で、彼女を励まそうと思った。


「もう1度と言わず、何度でも言いましょう。昨夜のあなたの歌声はとても素敵なものでした。それは一緒に聞いていた、シェリスも、シャイナも、ヴィレンス様も、同じ思いだったと、尋ねたわけではありませんが、その時の表情が十分すぎるほどに物語っていました」


 僕はエルマーナ皇女の前で膝をつき、優しく、紳士然とした態度で、その手を取らせてもらった。


「今から僕と一緒に出掛けては貰えませんか? ちょっとした朝の散歩に」




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