デートのお誘い 4
図書館へ来る途中では、2人ともとても仲良くしていると聞いていたのだけれど。
僕が2人の姿を見つけると、僕に気がついたらしいシェリスが顔をぱっと輝かせてぱたぱたと駆け寄ってきた。
「兄様」
「シェリス。図書館で走ってはいけないよ」
ごめんなさいと謝りながら腰に抱き着いてきたシェリスの髪を撫でながら、シャイナ姫が座っている椅子の正面に腰を下ろした。
「シェリスが騒がしくてごめんね」
「いえ。シェリス姫は騒がしいなどということはありませんでしたよ」
シャイナ姫は、僕と、僕に抱き着いているシェリスの方へと、ちらりと視線を向けたのだけれど、それから何故か責めるような視線を一瞬だけ僕に向けて、すぐにまた手元の本へと視線を戻した。
「シェリス、シャイナに何か言ったの?」
「何にも言ってないわよ。どうかしたの、兄様?」
シェリスが不思議そうな顔を浮かべる。
僕を相手にそんな風に造った顔を浮かべても意味はないと、この賢い妹ならば知っているはずだと思うのだけれど。
「一体、どうしたの、シェリス」
一応、他国に来ているということは事実なのだけれど、シェリスは公と私の切り替えははっきりとつける方だ。というよりも、公の場ではしっかりと区別をつけられるというのが正しい。
つまり、今は公の場ではないということはしっかりと分かっているはずで、シェリスの性格からしたら、ここで張り切った笑顔を浮かべる必要はないと思うのだけれど。
たしかに、図書館へ僕が足を踏み入れた時に駆け寄ってきたシェリスが浮かべていた笑顔は作り物ではなく、本当にそう思っていたのだろうと思えた。
しかし、今、シェリスがシャイナ姫に向けているこの笑顔は、どこか挑発的というか、なんとなく好戦的な意思が見て取れるようにも思える。
「シェリス。ここは図書室で、本を読んだり、勉強をしたりするところなのだから、僕にじゃれついていてはいけないよ」
別に、嫌いだからそう言っているわけではないことはシェリスにだって分かるはずで。
シェリスは僕が注意すると、少しは不満そうな顔を浮かべるかもしれないと思っていたのだけれど、存外にすんなり腕から離れた。
「はーい。兄様」
少しばかり拍子抜けして、目をぱちくりとさせて、隣で本に目を落としたシェリスを見ていると、シェリスは、余程良いことがあったのか、楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「いや。何でもないよ」
シェリスのやわらかな髪をなでると、シェリスは気持ちよさそうに目を瞑り、再び本に目を落とした。
「‥‥‥ここは図書室で、書物を読むところですから、おふたりの仲が大変よろしいのは分かりましたけれど、そういう事は、ご自身の国かお城へ戻られるか、もしくはお部屋で、他の人の目のないところでなさってください」
私は気にしませんが、周りを気にしてください、とシャイナ姫は冷たく尖った氷柱のような声で言った。
今は図書室に居るのは、シャイナ姫とシェリス、それからおそらくは司書と思われる女性の方と、僕だけだ。とはいえ、図書室の壁には静かにするように記された張り紙もあることだし、少し騒々しくし過ぎてシャイナ姫の読書の邪魔をしてしまったかもしれない。
僕も何かと思い、席を立って、棚の間を歩き、アルデンシアの王宮の歴史が記されている本を手に取る。
どうやら、歴代のアルデンシアの国王様、王妃様が記されたものであるらしく、著者の名前にはエルフリーチェの姓が入っていた。
少し読んで、僕はそっと本を閉じた。
「あの、少々お尋ねしたいことがあるのですが」
声をかけると、司書の方––レラさんとおっしゃるらしい––は、一瞬だけ、驚かれたようなお顔を浮かべられたけれど、すぐに何でございましょうか、と手に持たれていた本を閉じられた。
「この本ですが、色々と、その、他国の王子である私が読んでしまってもよろしいものなのでしょうか?」
それは何というか、公に出回るような、一般的なアルデンシアの歴史書に載っているような事柄ではなく、実際に何が起こったのか、真実が記載されている物だと、すぐにわかった。
もちろん、ダミーである可能性も考えたけれど、まさか自国の図書室にそんな偽物を置く必要はないだろう。
「もちろんです。ここに置いてある本は全て、国王様、王妃様から閲覧の許可が下りている物ばかりです」
そもそも、ここまでいらっしゃるような方にお見せできないものはございません。
レラさんはクールに言ってのけられた。
それもそうかもしれない。
見られてはいけないようなものを見られてしまう時には、すでに事は決定的になっている場合が多いのだし、それほどまでの事態ならば、気にすることなど出来ないのかもしれない。
「こちらにいらっしゃったのですね」
声がして、顔を上げると、ファラリッサ様がノートを片手に歩いてきていらした。
「もっと、面白い本があるのですよ」
歩いていらした心配をすると、お気になさらず、お医者様には許可をとってきましたから、と朗らかに微笑まれて、手にされていたノートを差し出された。
「これは?」
「シャイナの日記です。毎日つけているんですよ」
思わず落としてしまいそうになって、ファラリッサ様が、あらあら大変と、落ちそうだった本を支えられる。
「とっても可愛いので、是非読んでみてください」
人の日記をかってに読むのはどうかと思って、僕が躊躇していると、ファラリッサ様が1冊を取り上げて、ぱらぱらとめくられた。
「『ウムシュ 24日』」
ウムシュは1年の暦で春の第三月だ。
それはどうでもよくて、重要なのは日付の方で、たしかその日は––
「『明日ごろにはユーグリッド様が––』」
そこまで朗読されたところで、いつの間にやら近くに来ていたシャイナ姫が、霞むような速度でファラリッサ様の手から日記を奪い取られた。
「お母様。人の日記を勝手に持ち出さないでください。というよりも、何故私の日記のありかをご存知なのですか?」
「えー。だって、シャイナがどれだけユーグリッドむぐっ」
ファラリッサ様が、何か僕にとって大変貴重なお話を聞かせてくださりそうだった所で、シャイナ姫が真っ赤なお顔でそのお口を塞がれた。
たしかに、好奇心に負けてしまいそうになっていたけれど、他人の日記を勝手に読んだり、見たりするのは咎められるべき行為だ。
「ユーグリッド様」
「僕は何も見ていないし、聞いていないよ」
シャイナ姫は平静を取り戻したように取り繕ってはいらしたけれど、耳は真っ赤に染まったままだった。もちろん、指摘したりはしないけれど。
「そうですか。では、私は用事が出来てしまいましたので、少し失礼致しますね」
日記を置きに行かれたシャイナ姫を、僕は何だか嬉しい気持ちで見送った。