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ミクトラン帝国 7 夜の調査 2

 ◇ ◇ ◇



 僕だけがこんな風に夜の街に出てきていることが知られたら、シェリスは不満を漏らすかもしれない。

 でも、これは遊びで出てきているわけではないし、ちゃんと護衛の方も付いてきてくださっている。

 街並みに紛れやすいよう、町人風の服に身を包んだ僕達の事を照らしているのは、天上に浮かぶ朧月だけだ。

 シェリスももう子供ではないのだし、自分の事はちゃんとできると思うけれど、それでも兄としては心配だった。他国の姫であるシャイナには強制することは出来ない。そもそも、こんなに夜遅くに起きていることは、女性にとっては美容と健康の大敵になる。浄化や治癒などの魔法はあるけれど、それで彼女たちが心から納得しているのかと言われれば、それはまた違うだろう。

 いつもエルヴィラで視察に出掛ける時や、アルデンシアまでシャイナに会いに行くときには、お忍びなんて考えたこともなかったけれど、今回の調査は王族だとばれると、やりにくくなる部分もあるかもしれないため、極力、必要な人にしか身分は明かさないつもりだ。 

 おとぎ話なんかでは定番の『お忍びで街へ行く』というやつだ。身近なところでは、僕にはすぐに分かったけれど、シャイナが昔、降誕祭でやっていたことがある。

 前夜祭のつもりなのか、街中のいたるところで、お酒を飲んでいる赤ら顔の大人たちや、翌日の準備に精を出している女将さんの姿が確認できる。

 僕は一番人が多く入っている居酒屋に足を踏み入れた。


「おい兄ちゃん。なんで水ばっかり飲んでんだ。せっかくの祭りの夜だってのによお」


 そうだそうだと周りのお客たちも囃し立ててくる。


「いえ、僕はまだ仕事中ですから」


 そう答えて遠慮すると、肩を強く叩かれる。


「何言ってんだ。祭りだぞ? 仕事の事なんか忘れちまいな」


 おおらかな笑いが沸き上がり、仕方がないので、僕は差し出されたジョッキを手に取った。

 つまるところ、酩酊というのは身体の異常だ。

 普通、飲んでいる最中には絶対にしないけれど、治癒魔法でその効力は抑えることが出来るはずだ。というよりも、すでにそのことは実験、練習で確認している。

 麦酒を流し込むのと同時に、治癒魔法を行使して、酔いが回ることなく、思考に冷静さが戻る。

 

「へえ、兄ちゃん、やっぱりいける口かい」


「じゃあ、飲み比べだな」


 大声で笑いながら、勧められる酒を拒むわけにもいかず、毎回、同じように治癒の魔法を使用する。

 本来、お酒というのは、そのほろ酔い気分を楽しむものなのかもしれないけれど、今の僕は一応、仕事で来ているので、流されるわけにはいかない。

 もともと飲んでいた方々に、その上魔法まで使用して僕が負けるはずもなく、数杯のうちに相手の方はダウンして眠りに落ちてしまった。

 周りから歓声が上がり、やはりまた肩や背中を叩かれる。


「兄ちゃん、細いくせにやるじゃねえか」


「さては酒の飲み過ぎで追い出されたんだな」


「そりゃお前さんだろ」


「そうだった、そうだった」


 次は俺だ、いやいや俺だ、その前に俺と、などと争っている酒飲みたちの様子を見て、彼らからの情報収集はあまり期待できないのではとため息をついていると、


「随分強い酒だったのに、お客さん、若そうに見えて随分強いんだねえ」


 女将さんに感心されて、僕はなんとなく居心地の悪いものを感じて、乾いた笑いを漏らした。

 仕方がなかったとはいえ、こんなちょっとした遊びに反則を持ち込んだんだから。


「それほどでも。こちらの方はすでに出来上がっておられたようですし、それにまあ、あとは秘密という事で」


「ふーん。訳ありかい」


 女将さんがにやりと笑う。

 黒髪の長髪に白いハンカチを被った女将さんの、切れ長の紺色の瞳がすっと細められる。

 魔法を使っていたことに気づかれた様子はなかったけれど、長く居酒屋をやっている方の勘のようなものかもしれない。

 そうだ。この女将さんなら、お酒も飲んでいないみたいだし、何よりこうして情報が集まる場、というよりも世間話の台所のような飲み屋の主人だ。何かご存じの事があるかもしれない。


「えーっと、僕は他国からこの開花祭を観に来ているのですが、この国の皇女様、確かお名前はエルマーナ様とおっしゃいましたっけ。その王女様に関する良くない話を小耳に挟んだものですから」


 王子だという身分を明かしても、酒を飲んでいる場の冗談として気にも留められなかった可能性はある。

 しかし、何となくそのことを宣言するのは躊躇われた。

 僕は王子としての義務感からという事よりも、シャイナやシェリス、エルマーナ皇女の事を心配する1人の男性としてこうして情報を集めに来ているのだから。


「この国、ミクトラン帝国は、建国されてから200年ほどで、今もまだ、表立ってはいませんが、皇家に反抗している勢力があるのだとか」


「そりゃ、まあ、そういった輩はいるだろうねえ。私は何も不満はないけど。あの、王妃様の歌を聴いたことのある奴なら、そんなどうでもいいようなことは忘れるくらいに魂が震えるってもんだよ」


 周りのお客たちも、そうだそうだと、同調する。


「あれこそまさに女神の調べさ」


「天使の歌声だよ」


「俺は昼間に広場であの歌声を聴いたけれど、本当に感動したなあ」


 それに一緒にいた月光のような女の子のヴァイオリンも、と誰かが言うと、おおそれな、とこちらも同調する声が上げられた。


「噂にしか聞いたことはなかったけれど、まるであの山を越えた向こうのアルデンシアのお姫様のようだったって。妖精か、それこそ女神みたいだったって」


「俺も聴きたかったなあ」


「どうせ、開花祭で聴くことが出来るさ」


 皇女様に、と何度目なのかわからないジョッキをぶつける音が店内に響き、僕もそれを周りに合わせて飲んでいたんだけれど、ふと、店の隅にいたお客が、不機嫌そうな態度で椅子から立ち上がるのが目に入った。


「暢気なもんだ」


 真っすぐ出入り口に向かうのではなく、わざわざ僕たちが飲んでいる横を通り過ぎながら、すれ違いざまに舌打ちとともにそんな言葉を残していった彼女の方を僕は振り向いたけれど、すでに人込みと夜の闇の中に消えていた。


「女将さん。これ、僕の分です」


 引きとめてくるお客さんの事をどうにか躱しながら、僕は彼女の後ろを追いかける。

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