不穏な国境線 4
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フォリウム隊長はもう少し休むようにおっしゃっていたけれど、僕の体調はすこぶる良好だった。
元々、魔力が欠乏していただけで、別段、怪我など負ったわけではないと思っていたから大丈夫だとは思っていたけれど、何ともないように身体は軽かった。
魔力に関しても心配はいらないようで、飛行の魔法を使用していても、倦怠感があったり、どこかが痛むというようなことは全くなかった。
目に見える範囲、僕の認識できる魔物のいた範囲は全て氷結させてしまったため、どうなっているのか心配だったけれど、どうやら余計な心配だったようで、白くなっている部分は全体の1割以下にはなっていた。いや、それももちろん、問題がないという事ではないのだろうけれど。
問題は、侵攻して来ていた魔物だけではなく、他の動植物まで凍り付かせてしまったということだ。
一瞬で冷凍させたため、処置が迅速かつ丁寧であれば、もしかしたら死なずに済んでいるもの、あるいは飛行できるならば上空へと逃げていたということがあるかもしれないけれど、さすがにあの状況でそういった選り分けをしているだけの余裕はなかったので、取り返しのつかないことになってしまっているのかもしれない。
防衛のためという題目で、環境破壊をしてしまったと思うと、心が痛む。
短期的に見れば、エルヴィラや、アルデンシアの方を救うことが出来たと捉えることが出来るかもしれないけれど、長期的に見れば、自然を破壊してしまったために、土地の死期を早めてしまったのかもしれない。
過ぎてしまったことはしょうがない、で済ませることの出来る問題ではないかもしれないけれど、またこのような事態に陥った際にはどうするべきか、きちんと対策を検討する必要がある。
罪滅ぼし、罪の償いというわけではないけれど、今の修復作業を手伝いますと地上に降りたら、また何か怒られてしまいそうだし、ただでさえ母様、父様、シェリスに僕が倒れたことは報告されてしまっていることだろう。さすがに最前線の砦まで来るような、無謀な事をしてくれずに済んで助かったと思っているけれど、帰ったら大分怒られそうだ。相当心配もさせてしまったのだろうし。
ああ、なんかそう思うと帰りたくなくなってきたなあ。
いっそ、このままアルデンシアに留まって、シャイナと結婚式を挙げてから戻ろうかな。いや、シャイナが結婚を了承してくれるまでどれ程かかるか分からないけれど。それに、シャイナをお嫁さんに迎えるのなら、式はエルヴィラで挙げる必要があるだろうし。
そうそう、これからシャイナと会うのだというのに、もしかしたら戦闘の、あるいは戦場のと言った方が正しいのかもしれないけれど、臭いがついているかもしれない。
多分、僕が寝ている間に砦の魔法師の方がそういったところも浄化してくれたのだろうとは思うけれど、一応、僕としては、自分の知らない間にお風呂に放り込まれていたというような感覚なので、念のため、浄化の魔法を使っておく。
「街の方までは被害は出ずに済んだみたいだ」
地上の様子を見るに、被害はウィルコー川の上流、ゼノリマージュ山脈の麓付近までで留まっていて、アルデンシアへの被害はほとんどなかったように見える。
被害が出なかったとこはもちろんだし、最悪これを口実に戦争だなどと騒がれたりすることもなさそうで安心した。
報告書を読めば、あるいはきちんと調べれば、実際には何が起こったのかは分かるのだろうけれど――だと思うけれど――とりあえずなんだかんだと口実を作られたり、言いがかりをつけられたりして、最悪戦争を始められるとか、そうでなくとも賠償を求めるられるとか、そういったことにならないとも限らなかったわけで。
まあ、前者に関してはおそらく心配はなかったとはいえ、そうなっていれば、シャイナを口説くどころの話ではなくなってしまう。
いや、待てよ。もし戦争が始まりそうになったのだとしたら、あるいは始まってしまったのだとしたら、僕とシャイナが結婚することで両国に停戦を求めることが可能になると説得できるかもしれない。
「それはいくら何でもだめだろう」
自分で言って、自分で否定する。
それじゃあまるで、僕がシャイナと結婚するために戦争を始めたのだと、そのきっかけを作ったのだと邪推されてしまうかもしれないし、そんな噂が広まるようなことになってはさらに色々と遠のいてしまう。
まったく脈がないという事ではない、とは思っているけれど、ヴィレンス公子の件もある。
そういえば、あの後ヴィレンス公子とは会っているのだろうか。
ヴィレンス公子は、自分で言うのも何だけれど、僕みたいに非常識に空を飛んでまで会いに行くような性格であるようには見えなかったし、他国に訪問に出かけるには普通ならば色々と、費用とか、人手とか、時間などが入用になると思うので、そう気軽には出来ないと思うけれど。
しかし、恋の力は偉大だし、その程度の障害ならば乗り越えてしまうかもしれない。相手として不足はないけれど、何となく心配になる。
ああ、僕は心の狭い男だったんだ。それどころか、独占欲も相当強いらしい。
そう考えていると、ようやくアルデンシアのお城が見えてきた。
いつもよりは少し時期が遅かったので、ダメかなと思ったけれど、綺麗な、心の安らぐようなヴァイオリンの旋律が聞こえてきて安心した。
良かった。どうやらちゃんと守るなんておこがましいかもしれないけれど、平穏だったみたいだ。
「おはようには少し遅いかな。久しぶり、シャイナ。今日も素敵なヴァイオリンの音色が聞こえて嬉しいよ」
そうやっていつものように降りていったのだけれど。
「ご、ごきげんよう、ユーグリッド様」
澄んだ青空のようなドレスを着たシャイナは、何故だか滑るような動きで僕から離れて行ってしまった。
「え、えーっと」
「ち、違うんです。別に、その、ユーグリッド様を避けているということではなくて、その何と言いますか、今はあまり近づかないで欲しいと言いますか」
僕が呆然としていると、シャイナは少しばかり赤みの差した顔で、一気にそう捲し立てた。
それを避けているのだと、世間一般では言うのではないのだろうか。一体、僕は何をしてしまったのだろうか。
「と、とりあえず中へお入り下さい。お母様もユーグリッド様がいらっしゃるのを心待ちにしていましたから」
シャイナに避けられたとショックを受けていた僕は、シャイナが何だか嬉しくなるようなことを言ってくれたかもしれなかったというのに、それを聴き逃してしまっていた。




