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不穏な国境線 2

「どちらへ向かわれるのですか、殿下」


 こっそりと抜け出そうとしたところ、案の定、部屋を出る前に扉の所に立っていたドルックさんに見咎められた。

 何かもの言いたげな表情でこちらをじっと見ていたけれど、それには気づかないふりをして笑顔で横を通り抜けようとしたところ、前に立ち塞がられた。

 笑顔を浮かべて、右から抜けようとすれば右に、左を通ろうとすれば左に、剣を構えたままスライドされて進路を妨害される。


「殿下。どうか事態が収拾されるまで大人しくしていただけますか」


 周りには他に人はいない。

 過保護な彼らの事、必要ないと言ったのにも関わらず、こうして護衛を残してゆくくらいだ。本当ならば、少なくとも部屋の中と外、2人以上は残してゆくつもりだったのだろう。つまりそれだけ事態が逼迫しているということだ。


「ドルックさん。本当は貴方もこんなところにいるような余裕はないのではないですか?」


「殿下のお傍に控えること。この場は『こんなところ』ではございません。殿下の御身、ひいてはこの国の未来を守るという点において、最重要ともいえる場所です」


 つまり僕のいる場所をこそ守るべきだということか。


「それでしたら、僕が戦場に出たとして、貴方が付いて来てくだされば何も問題はないのではないですか? 『僕のいる場所』を守ることこそが重要なのだとおっしゃるのでしょう?」


「……貴方が傷つかれでもされたなら、たとえ治癒の魔法で治っていると分かってはいても、シェリス様も、それからシャイナ姫も悲しまれることになるのですよ」


 うーん。それを言われると弱いのだけれど。

 しかし、こうして待っている間にも、僕の視線の先、廊下の突き当りでは、戦傷者が運び込まれてきているのがみえる。

 戦線を留めるのが目的であるのならば、おそらくこの砦に残っている魔導士、つまり治癒の魔法を使える人は少ないか、あるいはほとんどいないはず。騎士よりも魔導士の方が広域殲滅に向いているというのは当然で、ならば戦場に全員が出払っているはずだからだ。


「でも、ここを、砦と言っても良いのでしょうか、この砦で必死に魔物の侵攻を食い止めている人たちを見捨ててゆくというのは、あまり皆の主たる姿とは言えないのではないでしょうか」


 ただ冠をかぶり、椅子に座って命を下すだけならば、そんな王族なんて制度は必要ない。

 皆の先頭に立ち、引っ張るからこそ、こうして忠義厚くついて来てくれるのではないだろうか。

 僕達の立っている床が揺れ、壁が軋み、天井がぱらぱらと崩れ、外から大きな音が聞こえてきた。


「あなた達を信頼していないわけではありませんが、ここだっていつまで持つことか。魔法師1人の参戦が、どれ程戦局に影響するのか、あなた方ならば分からないということはないでしょう?」


「それはそうですが、しかし……」


 あまり時間もない。これ以上ここで引き留められるわけにはいかないし、明らかに嘘だと分かってしまっても、かけたくない言葉でもかけなくてはならない。


「これ以上引き留めるというのであれば、貴方から先に行動不能にして救護室送りにしてから出ますよ? その場合、僕は無駄な魔力を使ってしまうことになりますが」


 実際は無駄というほどの事ではない。

 ドルックさん1人を行動不能にするだけならば、おそらく数秒で事足りる。いくら彼が優秀な騎士であっても、この場での駆け引き、状況、立場、それらを考えた際、本気で僕が彼に負けることはあり得ない。最悪、砦の壁に穴を空けて、そこから外へと飛び出せばいいのだから。魔法師ではない彼には僕を追いかけて来ることはできない。


「大丈夫です。ここをとばされても、城へ戻れるように僕が必ず手配します。しかし、今ここで僕が出なくてはクビになるだけでは済まないかもしれません。首だけになってしまうかも」


「殿下、御冗談はおやめください!」


 仮に魔物の侵攻を止められたとして、生き残ることが出来るかどうかは分からない。

 そして、今の状況を知ってしまった以上、ここでスルーしてのうのうとシャイナとお茶を飲むことが出来るほど、僕は人間的に終了しているわけではない。


「全ての責任は‥‥‥僕が、自分で負います」


 収納の魔法で持ち歩いているペンと紙を1枚取り出すと、今回の件に対する自身の立ち位置を明記し、サインを入れ、部屋の窓から外へと飛ばす。事態が収拾されるまで、どこか別の空に浮かんでいて貰おう。



 建物からわずかに離れた、少し開けた場所は、まさに戦場だった。

 僕は戦場全体を俯瞰できるような高い位置に立つ。

 死んでいる魔物と思しき物体から発せられる腐臭。辺りに飛び散る肉の断片やまき散らされている体液と血。

 しかし、その光景に怯んでいるような時間はないし、その程度の覚悟がなかったわけではない。

 とにかく、これ以上の死傷者を出さないために、僕の出来ることをしよう。


「現状、我が隊は――」


 話しているだけの時間が勿体ない。

 見れば大体の戦局は理解できた。

 ひっきりなしに、間隙を与えず魔物が押し寄せてきているため、いくらエルヴィラの精鋭とはいえ、魔法師が大規模な魔法を使う暇がないのだろう。

 騎士の方は固まってなんとか押しとどめてはいるけれど、それだって長くは持ちそうにない。


「では、僕がこれからあれらの魔物をまとめて一気に殲滅しますので、それだけの時間を稼いではいただけますか?」


 少しずつやっていたのでは、行動の遅い歩兵程度にしかならず、それでは魔法を使える意味がない。このような戦場、戦況では、広域を殲滅できる魔法こそが求められるべきだろう。


「僕が魔法を使うまで、流石にこの数となりますといくらか溜めが必要になりますから、その間、あれらの飛行している魔物をこちらに近づけさせないようにしてくださると助かります」


「承知致しました。この命に代えても」


 命に代えてはいけませんよと忠告して、僕は目に見える魔物のみに照準を定めた魔法の展開を開始する。

 人を巻き込むわけにはいかない。これだけの数を相手にすると、流石に魔力はほとんど尽きてしまうだろうから、治癒の魔法を使う余裕が残らない可能性が高いからだ。

 炎で燃やすよりは、凍らせてしまった方が、周辺への被害が少ないかもしれない。

 幸いなことに、ウィルコー川が流れているため、空気中の水蒸気とを利用することで、少し、ほんのわずかかもしれないけれど、楽になるかもしれない。

 焦ってはいけないけれど、早くに作用させるため、より多くの魔力を一気に放出する。

 隣にいるのが魔法師の方ではなくて良かった。魔法師の方だったとしたら、この魔力を感知できる方がすぐ近くにいたのだとしたら、否応もなく止められていただろうから。


「こ、これは……」


 隣から、ドルックさんの驚きよりも畏怖が勝っているような声が聞こえてきた。

 まあ、目の前の景色が真っ白に染まったのだから、無理もないだろう。

 魔力が一気になくなったためにふらふらする頭で何とか周りを見回す。

 鳴り響いていた魔物の侵攻を知らせる足音は止まっていて、聞こえてこなくなっていた。

 しかし、まだここで止めるわけにはいかない。

 続けて、上空の魔物群を打ち落とすべく、戦場の上にシールドを展開した後、雷を降らせる。

 探索、感知の魔法を使用したため、まず間違いなくそれぞれ一撃で貫くことが出来ただろう。


「殿下! これ以上は危険です! こちらの危機的な状況は乗り越えましたから、後は私共に任せて、どうかお休みください!」


 魔力は感知できずとも、こんな状態の人間がいれば、それは色々と察されることだろう。自分でもわかるくらい、目の前がちかちかとして、ふらふらとして、頭の中まで真っ白になってゆくのが分かる。魔法を習い始めた際によくやった、魔力の欠乏している状態だ。


「大丈……す……や……ば……ます……」


 僕は無事を伝えようとして、そこで自分の意識が深く沈んでいくのを感じていた。



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