男の戦いの始まり 9
「失礼致します、シャイナ姫」
僕が声をかけると、周囲からどよめきが起こり、わずかに人垣が左右に開いて、シャイナまでの道が出来た。
「ユーグリッド様よ。エルヴィラの第1王子でいらっしゃる」
「今日のために隣国からお越しになったのかしら」
「なんでも、もうずっと長い事シャイナ姫様に求婚していらっしゃるともっぱらの評判よ」
周囲の女性が色めき立ち、何かを期待するような視線を向けてこられるのに対して、反対に男性からは嫉妬の込められた視線が向けられるのが分かる。
恋における競争では公平にゆこうと思っているけれど、それならば僕が声をかけても何も問題はないだろう。
たしかに、僕は王族、王子としての立場にかなりの恩恵を受けている。
飛行の魔法で国境を顔パスで通過するなんて、密入国とそれほど変わらないし、さらに言えば、アルデンシアのお城にだって、普通はホイホイ入れるものではないにも関わらず、僕が行くと歓迎までしてくださる。シャイナにではないけれど。
シャイナにプレゼントを直接渡したこともあるし、デートに誘って、一緒に出掛けたこともある。
優位に立っていることは事実だけれど、最終的にシャイナに認められなければ、そんなことは何の意味もなくなる。
だからこそ、僕は自身の優位性を自覚したうえで、少しだって引くつもりはなかった。
「シャイナ姫」
僕が声をかけると、シャイナが一瞬だけ、本当にわずかに身体を硬直させて、整った眉を動かしたのが分かった。
さらりと銀糸のような髪を揺らして振り向いたシャイナの宝石のような紫の瞳は、僕を非難するようにわずかに細められている。
プライベートのときにはシャイナと呼んではいるけれど、今は公の場だし、シャイナもあまりそれを望まないのではないかと思っていたけれど、どことなく不満そうな雰囲気は、どうやら僕が間違えてしまったらしいということを告げているようだった。
「お誕生日おめでとうございます。先日訪れた際にはトルメリア公国へと演奏の招待に出向かれていたので、出来ることならば私も聴きに行きたかったのですが叶いませんでしたので、本日の演奏はとても楽しみにしております」
いつも通りなら、シャイナの演奏はパーティーの最後に行われるはずだ。
それまでは――丁度、宮廷楽団の演奏の美しい調べがホールに流れ始めたところで、これからはダンスの時間だ。
「シャイナ姫。よろしければ私に貴女のダンスの最初のお相手を務める名誉をいただけますか?」
別に計っていたつもりではなかったのだけれど、何ともタイミングよく、結果として他の人を出し抜く形になってしまった。
「……謹んでお受けいたします、ユーグリッド様」
綺麗なお辞儀で手を重ねてくれたシャイナの後ろでは、唇を噛みそうに顔を歪めているヴィレンス公子の事が目に入った。
シャイナとこうすることを望んで、ずっとシャイナの警護のようなことをしていたヴィレンス公子には悪いと思ってはいるけれど、まあこれも競争、あるいは戦争の一貫だということで許して貰おう。これは、月の光より、星の輝きよりも惹きつけられてやまない、シャイナというこの世にたったひとつしかない宝石を争う聖戦なのだから。
「ごめんね、シャイナ。こんな風に強引に連れ出すような形になってしまって」
「‥‥‥心にもない事をおっしゃっていると、そのうち口が曲がってしまいますよ」
それじゃあ君とキスが出来なくなるから困るねと言うと、シャイナは呆れたように深く溜息を吐き出した。
恥ずかしいとは思わないけれど、僕がやきもちを焼いてあの場から連れ出してしまったのだということは、当然のようにシャイナにはバレバレだったらしい。それでもこうして踊ってくれているのはとても嬉しいことだけれど。
シャイナの細い腰に手を回し、シャンデリアの光が照らすホールの真ん中でゆっくりとステップを踏む。
出会った頃よりも、僕とシャイナの身長差は広がっていて、シャイナの顔を見ていると、そのわずかに下の方にある、見えてはいけない部分が見えてしまいそうになるので、細心の注意を払う。
「そうだね。じゃあ、正直に。君がたくさんの男性に囲まれているのを見ているのは、どうにも心が乱されていたよ。はっきり言って嫉妬していた。今日は君の誕生日だし、我慢しようかと思たけれど、どうも僕は自分で思っていたよりもずっと嫉妬深くて、堪え性のない、情けない男だったみたいだ」
君の前だけでは。
「……本当にしょうのない人ですね、貴方という方は。これから先も、私の目に映る全てのものに嫉妬なさって、今のようになさるおつもりですか?」
透き通った紫の布を幾重にも重ねたようなドレスを着ているシャイナの神秘的な銀の髪には、金色の台座に紅い石が埋め込まれている冠が輝いている。
この会場に来ている人たちの中でも、シャイナの美貌は一際輝いていて、こうして踊っていても何だか視線が集まっているのが感じられた。
「どうだろう。シャイナがやめて欲しいというのなら、僕ももう少し我慢できるように努力はしてみるつもりだけれど」
「……別にそうは申しません」
シャイナが呟いた言葉は、なんだか僕にとっては嬉しい事であるように思えたけれど、残念ながら下を向きながら小さく発せられたので、パーティーの喧騒と音楽にかき消されて、完全には僕の耳に届かなかった。
「シャイナ、お誕生日おめでとう。こうして1番に君と踊れて最高に幸せだったよ。それから」
曲が止まり、周りからは拍手が沸き起こる中、僕は収納の魔法で持ち歩いていた小箱を取り出した。
「残念ながら、まだ指輪はやめておくよ。踊るのにはそぐわないだろうし、シャイナの気持ちが――僕の申し出を受けてくれると決めてくれる時まで取っておくよ。恰好がつかないからね」
小箱の中に入っているのは、指輪ではなく、腕輪だ。
クロスして重なる銀のリングに、小さな紫の宝石が1つ煌いている。
ほっそりとした指をとり、僕が腕輪を贈るのを、シャイナは黙って受け取ってくれた。
「ありがとう、シャイナ。僕と踊ってくれて。これ以上君を引き留めていると、いい加減、パーティーが進まないからね」
見世物になっていたことに、シャイナは今更のように気がついたらしく、周りを見て頬を赤く染めていた。
立ち上がりざま、シャイナの頬の真横を丁度通過する、銀のカーテンに隠れる一瞬に、触れる程度のキスをする。
大変失礼な事とは分かっていたけれど、何となく悪戯心が勝ってしまった。
真っ赤な顔で、僕の事を睨みつけるシャイナの可愛い事といったらなかったけれど、あんまり褒められた行為ではなかったことは分かっている。
「あんまり押さえていると気づかれてしまうよ」
左手で頬を押さえるシャイナにそう声をかけながら微笑むと、シャイナはくるりと背中を向けてしまった。
正面には1つ人だかりが出来ていて、中心にいるだろう妹のことは分かっていたので、あえてそちらへは向かわなかった。シェリスの事だから、きっと上手くやっていることだろうし、正式な手順をとっていれば、断ったりすることもないだろう。心配ではないということはないけれど、大丈夫だろうと信頼はしている。
「あの、ユーグリッド様」
まだ音楽は続いている。
ありがたくもダンスを申し込んでくださった方の手を、僕は取らせていただいた。




