デートのお誘い
「では、今日はここまでですね」
僕は作り出していた結界の魔法を止めると、セキア様に確認をとった。
隣で同じように魔法を中止したシェリスは息を荒げて、地面にぺたりと座り込んだ。
「はい。おふたりとも、大変結構でしたよ」
セキア・レリー女史、僕とシェリスは、セキア様だったり、セキア先生と呼んでいるけれど、彼女はエルヴィラ王宮に仕えてくださっている、魔法に関する最高位の責任者で、僕達の魔法の授業の他にも、お城の防衛や、研究、それから稀に学院での授業も担当されている女性だ。
腰の辺りまで伸ばした緋色の髪に、青い瞳の彼女は、スタイル抜群で容姿端麗な、おそらくは僕とそれほどは変わらないだろうという年齢にもかかわらず、厳格な性格の持ち主で、指導は厳しいけれど、たしかにお城で魔法の教師を務めるだけの実力をお持ちの方だ。
「じゃあ、僕は今日この後用事がありますから。シェリス、そろそろ昼食の準備が出来るはずだから一緒に行こう」
それは僕がセキア先生に飛行の魔法を教えていただいてから続けている、恒例行事のようなものだ。
この後用事が、の辺りで飛び起きたシェリスは、毎月末の事であるにもかかわらず、じとっとした目を向けてきた。
「またあの女のハウスね‥‥‥」
「シャイナ姫はシェリスと1つしか違わない、可愛い女の子だよ」
もっと言えば、シャイナ姫は秋生まれで、シェリスは春生まれだから、夏に差し掛かろうというこの時期にはシェリスと同じ9歳であるはずだ。
「‥‥‥分かっているわよ」
僕がアルデンシアまで出かける時はいつもこうして少し拗ねたような態度を見せるシェリスの額にキスをして、お昼に行こうと手を差し出す。
「‥‥‥そんなことじゃ誤魔化されないんだからね。帰ってきたら、私に丁寧にシャンプーをして、優しく髪を梳かして、たくさん甘やかさなくちゃいけないんだからね」
「え? でも、今日の夜は確か公爵家のパーティーに––」
「いいわね?」
これ以上言うと、大声で叫んで飛んで行ってしまいそうだ。
僕は、僕の可愛い妹の、金で作った細い糸のようにサラサラで真っ直ぐな髪を優しく撫でると、わかったよと微笑んだ。
◇ ◇ ◇
エルヴィラ王国と隣接して東に位置しているアルデンシア王国までは、道なりで1000キロくらい、通常馬車での移動では18時間ほどかかるものなのだけれど、僕であればひとっ飛びに、1時間もかからない距離だ。
領空侵犯とか、初めてのときには少し国境の警備隊の人に注意––心配されたけれど、今ではこの時期には顔パスで飛び越えてゆくことが出来る。
それは、エルヴィラ側も、アルデンシア側でも同じことで、国境であるウィルコー川の西と東で、軽く会釈をしてから、再び一直線にアルデンシア王国のお城がある首都レンザレアまで向かって飛んで行く。
最初は、僕が護衛も何もつけずに1人で行くことに、特に母様は難色を示していたけれど、何と言っても無駄だと諦めたのか、それとも十分に1人前だと認めてくれたのか、最近では特に何も言われなくなっていた。
「あっ、今日も練習しているのかな」
いつものことながら、お城が見えてきて下降を始めると、美しいヴァイオリンの音色が聞こえてきた。
白亜のお城の、2階のテラスでは、月の光を集めて作ったような、神秘的な銀の髪を静かに風に揺らしながら、シャイナ姫がヴァイオリンの弓を動かしていた。
いつもながらのその光景に、心に温かいものが広がる気がする。
練習の邪魔をしないように、極力静かに、気配を絶って降りていったつもりだったけれど、やっぱり気付かれてしまった。
「おはよう、シャイナ。素敵な演奏だったよ」
もうお昼も大分過ぎていて、お茶の時間に差し掛かってはいたけれど、僕がそう言って微笑むと、弓を動かす手を止めて、ヴァイオリンを下ろしたシャイナ姫は、小さく溜息をついた。
「‥‥‥ユーグリッド様。また護衛をつけられずに、空を飛んでいらしたのですね」
呆れているとも取れる口調だったけれど、僕が来るときにはいつでもこうして同じ場所でヴァイオリンやら、フルートやらの練習をしている。
「うん。シャイナに会える時間を無駄にしたくはないからね」
「‥‥‥本当に仕方のない方ですね。何度も正式な手順でお越しくださいと申し上げておりますのに」
そう言いながらも、どうぞこちらへと、部屋の中に案内してくれる。
シャイナ姫の部屋では、ファラリッサ様が紅茶とクッキーの用意をしてくださっていた。優し気な瞳をされているファラリッサ様は、シャイナ姫のお母様で、ここアルデンシア王国のお妃様だ。
「今日は来てくださると思っていました」
シャイナ姫がヴァイオリンを片付けている間に、ファラリッサ様がそっと僕に耳打ちをしてくださる。
「‥‥‥あの子はあんな風に怒ったふりなんてしていますけれど、ユーグリッド様がいらっしゃる頃になると、こうして練習の場所を自分の部屋のテラスにしているんですよ」
いつもは、別の部屋だったり、お庭だったりするんですけど、とファラリッサ様はシャイナ姫に温かい瞳を向けられた。
「このクッキーだって––」
「お母様」
シャイナ姫が紅茶を入れている手を止めて振り向いたので、ファラリッサ様は「はーい」と、失礼だけれど、可愛らしく舌を出された。
「––知っています」
そもそも、僕は、自惚れかもしれないけれど、シャイナ姫が怒っているなどとは思ったことはない。
こうして毎回迎え入れてくれていることからも、どちらかと言えば好意を抱いてくれているだろう。恋ではないかもしれないけれど。
「それで、今日はどのようなご用件でいらしたのですか?」
シャイナ姫がそっけない口調でそんな風に言うものだから、ファラリッサ様からのお言葉をいただいているとはいえ、なんだか少し心にダメージを受ける。
「それはもちろん、婚約の申し込みに––」
めげずに手を差し出した僕に、細い眉をすーっと上げた、シャイナ姫の冷ややかな瞳が向けられた。
夏も近づいてきているため、大変ありがたい、とか言っている場合ではない。
「毎年の事だけれど、今年も秋の降誕祭への招待にね」
シャイナ姫のお誕生日も近いからだろうか、秋にエルヴィラで行われる降誕祭への参加を了承されたことはない。
エルヴィラ王国では、というよりも大陸のほとんどの国では、女神セラシオーヌ様が信仰されていて、名称や時期に違いはあれど、大陸全土、どこでも似たようなお祭りは開かれる。例えば、ここ、アルデンシア王国では、冬に芸術祭が開かれている。
「まあ! ありがとうございます」
シャイナ姫が口を開く前に、ファラリッサ様がお返事を下さった。
「強引な方は好きではありません」
シャイナ姫はいつもと同じ様な文言で、否定の意を示してきたけれど。
「では、その際にはお迎えに上がります」
ご馳走様でしたとカップを戻し、本当はキスをしたかったけれど、シャイナ姫の手をとるだけに止めておいた。
シャイナ姫の答えを聞かないまま、ファラリッサ様に「またいらしてくださいねー」と見送られながら、僕はシャイナ姫と会えたことの喜びを噛みしめつつ、アルデンシアのお城まで戻った。