デート 3
気がついて周りを見てみれば、空はもうすっかり夕焼け色に染まっていた。
本当はもう少しこうしてシャイナと2人でデートを楽しみたかったのだけれど、御者の方にも悪いし、お城ではきっと夕飯の準備なんかも進められているだろうから、あまり遅くなりすぎて心配させてしまうわけにもいかない。
「今日は色々と連れ回してしまったけれど、大丈夫だった?」
本当は、教会とか、学院、海岸や音楽ホールなんかも案内して回りたかったのだけれど、時間と、それから移動距離から、今日のところはやめておいた。何も、今日が最後というわけではないはずだから、これから先、いくらでも案内する、デートに出かける時間はあるはずだ、多分。
「ええ、ありがとうございました。とても有意義な時間でした」
回答自体は、ありふれた、当たり障りのなさそうな言葉だったけれど、シャイナがどう思ってそう言っているのか分からないほど鈍感ではないつもりだ。
「良かったらその人形、僕が持っていようか?」
甘い顔をしながらジェインとエレナの人形を見つめていたシャイナは、さっとそれをお出かけ用の白いワンピースのポケットに仕舞い込んだ。
ずっと手に持っているのも大変だろうと思っていたのだけれど、どうやらポケットがついていたらしい。それならば何故、今まで出していたのかという疑問が残るけれど、理由を教えてはくれなかった。見るのなんて、それこそ馬車に戻ってからでもいくらでも出来ただろうし、外で出しっぱなしにしていると、危険なのはもちろんの事、汚れてしまったり、埃を被ったり、或いは日に焼けてしまうようなこともあるかもしれないというのに。
「いえ。これは私がいただいたものですから」
お城にもあることはあるけれど、こうして2人で新しいものを買うのは、当然ながら、初めてだ。シャイナに、少しでもエルヴィラの街の良いところが伝わると良いと思っていたのっだけれど、結局、1日ではあまり回ることも出来ない。
「ところで、ユーグリッド様。この馬車ですが、お城とは反対方向へ向かっているようですが?」
すでにある程度の地形を照合しているのか、窓の外をちらりと眺めながらそう訪ねてきたシャイナに、僕はかなり驚かされた。
普通に考えれば、行きと帰りには同じ道を通るもので、もちろんよく見れば馬車についている窓からでも行きの道と景色が違う、つまりお城へ向かって進んでいるのではないということはわかるのだけれど、まさか今日初めて正式に案内したエルヴィラの街並みを、正確に把握しているとは思ってもみなかった。
「別に、注意深く観察していた訳ではありません。太陽の位置を見れば進んでいる方向は分かりますし、そもそも、全く同じ街並みというのは、そうだと意図しない限り、出来上がる物ではありませんから」
それはそうなのだろうけれど。
普通は、そんな風に、1回で地理を把握出来たりはしない。
「そうだね。シャイナの言う通り、この馬車は真っ直ぐお城に帰るようには向かっていないよ。ああ、別に、変なところへ連れて行って2人きりになった挙句に手を出そうとかは全然考えていないから安心して欲しいな」
間に合うかどうかはギリギリだけれど、きっと間に合わせてくれることだろう。
「……今まで全く気にしていませんでしたが、その一言で急に気になり始めました」
「大丈夫、すぐだから」
距離的に考えれば、アルデンシアへ行くよりも大分近い。
本当はもう少しゆっくり来たかったけれど、こればかりは時間的に仕方がなかった。
馬車が停車すると、外からは波の音が聞こえてきていた。シーズンとはいえ、流石にこの時間帯にお客さんは居ないようだった。
「お手をどうぞ、シャイナ姫」
シャイナの手をとって、馬車の外へと連れ出す。
顔を上げたシャイナの宝石のような紫の瞳が大きく見開かれて、花びらのような唇がわずかに開かれる。
どうやら御者さんも頑張って間に合わせてくれたようで、今まさに、マルディアージュ海の向こう側に陽が沈もうとしているところであり、それは幻想的に水面を夕焼け色に染め上げていた。細々とした雲が広がる中、沈みゆく夕陽は、きっとエルヴィラでもアルデンシアでも変わらないのだろうけれど、海にも来たことがないと言っていたシャイナは、直接沈んでゆくところを見たこともなかったことだろう。
その太陽の光が反射してきらきらと光る、茜色と黄金色のグラディエーションを作り出している水面に、魚が数匹、跳ねているのが見えるけれど、波の音にかき消され、跳ねる音までは聞こえてこない。
結局海に来てはいるけれど、遊びに来たという雰囲気ではないし、シャイナも特に気にしている様子はない。
この時間だからこそ作り出される幻想的な光景は、どうやらアルデンシアのお姫様のお気に召したらしい。
目を細めているシャイナを見つめていると、シャイナがこちらを振り向いた。
「ありがとうございます、ユーグリッド様。とても素敵……ご覧になられないのですか?」
「いいや、見ているよ。夕日に照らされたシャイナをね。とても綺麗だよ」
ふわっと膨らむ風に靡く、銀細工のように長く綺麗な髪が、今まさに変わりつつある夕日に染められて、とても眩しい。
美人は3日で飽きるなんてよく言うけれど、本当に美しいものはいつまででも見ていられるのだなあと、改めて実感させられる光景だった。
シャイナの宝石のような紫の瞳が、僕を真っ直ぐに捕らえる。
頬が夕日と同じ色に染められているのは、きっと僕の気のせいでも、夕日のせいでもないことだろう。そのくらいは自惚れてもいいのではないだろうか。
教会の鐘の音が聞こえてきて、見つめ合っていた僕たちは同時に我に返った。
「ええっと、そろそろ戻ろうか。あまり夕食を待たせてしまうのも忍びないし」
「そ、そうですね。なんだか寒くなってきましたし」
僕は、それから多分シャイナも、むしろ熱いと感じているだろうけれど、夕方になって涼しくなっていることは確かだ。それに、暗くなりすぎると色々と危険も増える。
「じゃあ、少し待っていてくれるかな」
馬車までシャイナをエスコートして、一緒には乗り込まず、扉を閉めようとする。
「どうやら、お客さんが来たようだからね」
絶対に出てこないでねと念を押し、御者の方にアイコンタクトを送る。
「じゃあ、こちらの態勢は整ったから、用件を聞こうかな。多分、昨日の方のお仲間だろうとは思うけれどね」




