落ち込んでいるばかりでは何も始まらないから
真っ白な石の扉の前に戻ってきて、僕は膝を折って地面に手をついた。
なんてことだ。
シャイナに嘘はつかないと、約束を破ったりはしないと誓ったはずなのに。
女の子との約束を破るなんて最低だ。最悪のクソ野郎だ。
そのうえ、あんな顔までさせてしまって。
あのシャイナが、4歳の頃から、大人の中に混じっても臆することなく堂々とした態度で社交辞令のような挨拶の出来ていたシャイナが、人前で、恥も外聞もなく、声を上げて泣くところなんて全く想像できないけれど、あの様子だと、例えば部屋に1人でいるときなんかには、静かに心の中、胸の内では泣いていたに違いない。
どうして僕はこんなところにいて、シャイナのことを抱きしめていてあげられていないのだろう。
時間が全然なかったから他の人の事を聞くことは出来なかったけれど、シェリスやクリストフ様は大丈夫だったのだろうか。
とりあえずシャイナが無事だったということは分かったけれど、シャイナに告げられた言葉が重石となって、中々その場所から動くことが出来ない。
このよく分からない不思議な場所で目を覚ましてからの体感時間的には精々数分、長くても数時間の事だろうと思っていたのに、なんと現実の世界の僕は7日間も眠ったままでいるのだという。
この空間の時間の流れが非常にゆっくりしているということだろうか。
だとするとまずい。戻った時にはもうお爺ちゃんでした、なんて、笑い話にもならない。そんなことは物語の中だけで十分だ。
僕は自分に喝を入れて立ち上がる。
それに、さっきの逢瀬は何も落胆する事ばかりではなく、分かったこともある。
ここで魔法を使うことが出来ないのは、これが現実ではなく夢の中のようなものだからだ。
もしかしたら、ここで魔法を使おうと思うと現実の僕の身体の方が反応して、部屋の中をぐちゃぐちゃに荒らしてしまうのではないかと思ったけれど、さっき見た時の僕の部屋は特段荒れた様子もなく、それどころかむしろ普段以上に片付いているようですらあった。
(あれは、荒らしてしまったのをシャイナが、そうでなくても誰かが片付けてくれた後だったのだろうか)
勿論想像ではあるし、それが正しいかどうかなんて確認する術を持ってはいないわけだけれど、そう考えるとぞっとしてしまって、気軽に試してみようという気にはなれなかった。
向こうとこちらでは加減が違ったりして、例えば、水を手のひらに1杯飲もうとしたら大洪水になっていたり、火を起こしたら部屋の中が燃え尽きてしまったり、飛ぼうとしたら天井を突き破ってしまったり。
そして、そこまでしてもこちらでは何の効力も生み出さないのだろうから、まさに無意味、どころか多大な損害を出している、つまりは大きなマイナスになっているのかもしれない。
他に、こちらで出来そうなことといえば。
出来そうなことというよりも、心当たりになるものは1つしかない。なにせ、その他には靄のかかった林しかないのだから。
これが夢の中だというのなら、もう1度、彼ら、もしくは彼女たちに逢うことは出来ないものだろうか。
(セラシオーヌ様。今1度、何卒、お導きください)
自分の力だけでシャイナの元へと帰ることが出来ないのは、何とも口惜しい気持ちではあるけれど、シャイナの元へと戻るためならそんなことは言っていられないし、何だってする覚悟だった。
ただ一心に思い続け、眩しい光に当てられて目を開けると、目の前にはさっきも見た、白いポンチョに金の髪、小さな銀の羽根を背中につけた人形のような女の子たちが、再びクスクスとした笑みをたたえながらこちらを見つめていた。
「お帰りなさいませなのー」
「お礼はいらないのー。ここへ来る人のところへ姿を見せるのが私たちの仕事だからなのー、ってセラシオーヌ様がおしゃっていたのー」
セラシオーヌ様は女神様でいらっしゃる。
それは僕たちのいた世界では常識――宗教をそう言い切ることには疑問を投げかけたいところではあるけれど、それは今は関係がないので放っておこう――だけれど、所詮は(というと悪いけれど)宗教であり、人が作り出した偶像に過ぎない。
そう思っていたのだけれど、こうして目の前に現れてくれた彼女たちは、やけに現実味を帯びているというか。
まあ、元々が夢のような空間で何を言っているのかという話ではあるのだけれど。
それに、今は宗教上の考察をしている場合ではなくて、そんな暇もない。
助けてくれるというのなら、彼女たちが何者であっても、僕の頭が勝手に作り出しているイメージであっても、本当に天使なのだとしても、何だって構わない。
あ、いや、悪魔とか言われて、お前の魂と引き換えだとか、本当は助けるつもりは無くて、甘い希望を見せただけだ、なんて言われるとすごく困るけれど。
「先ほどはありがとうございました。それで、僕の方はどこで、どのようにして想っていたら良いのでしょうか?」
例えば、エルヴィラ、あるいはアルデンシアでも、ミクトランでも、オーリックでも、どこにでも教会であったり、相応の場所があった。
もちろん、普段から毎日通うわけではないし、どこにいても見守ってくださっているという考えから、例えば自室であっても捧げるお祈りに何ら変わりはなかったけれど。
なんとなく、世界を繋ぐような事には、それに相応しいというか、それに適した場所があるのではないかと思った。
これもやはり、僕の方にはこの場所に関する知識も、何もないのだから、彼女たちに頼るしかなかった。
「こっちなのー」
女の子たちは微笑をたたえたまま、きらきらとした光の粒を自身の軌跡に沿ってまき散らしながら、先へ先へと進んでゆくので、僕は木の陰に隠れたり、闇に紛れてしまったりして見失ってしまわないように、速足で後ろを追いかけた。




