追いかけっこ 2
僕とシャイナが揃って侯爵の前に降り立つと、カナル侯爵は自身の感情を隠そうともされず、僕たちの事を睨みつけてこられた。
「侯爵、落ち着いてください。僕たちはあなたを強引に捕らえに来たわけではありません」
国家反逆罪は死罪に問われても仕方のないことだったけれど、幸いなことに、我が国の諜報部は優秀なので、細かなものはあれど、まだ決定的な事態は引き起こされてはいない。
本当に優秀であれば、そもそも事件を引き起こされる前に事態の収拾が終わっているを地で行っていた。
「もちろん、形式的には捕らえさせていただくことになりますが、自由を阻害するとか、身の保証をしないとか、いきなり罰するなどということではなく、ただ、話し合うための機会の場に出てきていただきたいということなのです」
カナル侯爵がどうこうということではなく、今回の事の起こりを遡れば、僕とシャイナが婚約しているらしいという噂を基にした、国内におけるアルデンシア派とレギウス派の諍いに端を発している。
僕がシャイナと、それからシェリスがローティス様とどうこうなるかどうかは、今の段階ではまだ正式に公表していないとはいえ、それが市井の人たちの噂や、行動に燃料を投下しているというのは間違っていないだろう。
元々は、それらを鎮静化する狙いであのように一芝居うったのだというのに、今のところ、正しく作用しているところが多いとはいえ、今回のように過激ともとれる行動に、しかもこれほど早く行動を起こされるとは、少々見通しが甘かったと認めざるを得ない。
「あなただけに限りません。他にも説明の欲しい方がいらっしゃるのでしたら、僕たちの意見で良ければ、出来る限りの説明をするつもりでいます」
それでも完全に納得してもらえるとは思っていない。
そんなに簡単に解決するのであれば、そもそも、こんな風に派閥などの争いになるはずはないからだ。
「もちろん、それで僕がシャイナと結婚を取りやめにするなどということはありません。この世界の誰になんと言われようと、僕はシャイナに恋をしているし、どうしたって結婚したいと思っているからです」
真実を告げてしまおうかとも考えた。
そもそも、僕とシャイナが婚約しているというのが誤解なわけだけれど、それを告げてしまえばとりあえず、今回の騒動を収めることは出来るのではないだろうかと。
僕とシャイナ、それにシェリスとローティス様が、婚約しているように振舞っているのは、騒動を、とりあえず一時にでも沈静化しようとした結果だ。それにより、新たな騒動が起こるのでは、あまり意味をなしていない。
「あなた方にも思惑はあるのでしょう。商人や、他国の貴族の方とも交流があるものとも思います。それにより、自分に出来る限り有利になるようにと誰もが思い、こうして派閥が出来てしまっていることも。しかし、僕の身体は残念なことに1つしかありませんから」
ジーナも、エルマーナ皇女も、僕なんかにはもったいないほど素敵な女の子で、いや、そんなことを言うことすらおこがましいと思っているのだけれど。
残念なことに……か。
それは、僕を好きだと言ってくれた2人に対する侮辱になるのではないだろうか?
エルマーナ皇女にも、ジーナにも、都合、2度以上告白されているようなものだ。それも、断ってしまった直後に。
そんなに僕を想ってくれている女性の告白を断っておいて、じゃあ、2つ、3つと身体があったら2人の想いに応えられるのかと言われたら、多分、そんなことにはならないだろうと、それなりの確信がある。
「あなただって、御自分の好きな人と結ばれたのでしょう? たとえば、世の中には、自分の望まない、政略結婚をさせられる人もいるのでしょうが、あなたはそうではないはずです。すくなくとも、今回の事を起こそうという日に、御自分の奥様を遠ざけておかれるくらいには」
「一介の貴族というだけの身分に過ぎない私共と、国のすう勢を左右される立場にいらっしゃる御身の立場を同列に語られても困りますが」
どこか呆れているような様子のカナル侯爵は、おそらくは僕が相手でなければ、肩を竦めているのではないかと思わせられた。
それはその通りだけれど。
「殿下。ここで私を捕らえられますか? もっとも、私は今回の事を起こした首謀者として、死刑か、あるいは流刑か、いずれにせよ愛したこの国にはいられなくなるでしょうから、どちらでも同じことですが」
まだ何も起こしていないではないですか、と反論したところで、それではすぐに、と向かって来られても困る。
「私は、この国をより強くするためにと、そのことだけを考えております。ですが、どうやら殿下のお考えは違うご様子。極刑が免れないのですから、いっそここで」
そこで言葉を切ると、唐突にカナル侯爵は僕たち、正確にはシャイナへと目掛けて、猪か何かかとも思うほどの速さで突っ込んできた。
武器を所持している様子はないから、おそらくは生身でそのまま突撃するつもりだろう。
障壁は展開しているけれど、一点に集中されたなら、どうなることかは想像できない。というよりも、今の強度ではほぼ確実に突破されてしまうだろうし、重ねている暇はなさそうだ。
そんなことを考えているうちに、すでにカナル侯爵は僕たちが展開していた障壁を破壊、突破して、真正面から突っ込んできている。
先程の言動から考えても、カナル侯爵が突っ込んでくる先は僕ではなくシャイナだろう。
分かっていても、今すぐに場所を変えたところで、追尾してこられてしまう。
だから、最後の一瞬に位置を変える必要があるのだけれど。
シャイナがアイコンタクトを送ってくるので、僕も頷いて返す。
「シャイナ!」
カナル侯爵が僕たちのところに届くほんの数舜前、シャイナは右に、僕は左に、それぞれ跳ぶ。
と見せかけて、シャイナが飛んで避けた後、僕はその場に留まった。
仮に、僕たちが左右に分かれた場合、侯爵が余力を残していた場合に、1人になってしまうシャイナの方へと方向を変えてしまわれる恐れがあるからだ。
もし、シャイナが僕と同じことを考えていた場合、突き飛ばさなくてはならなかったところだったのだけれど、そうはならなくて良かった。
「ユーグリッド様――」
思っていた以上にカナル侯爵の突撃の威力は強く、そのまま受け止めきることが出来ず、どんどん押されてしまう。
シャイナの叫び声が遠くなる。
いくらシャイナが魔法師として優れていようと、体力的には普通の女の子で、数秒前まで障壁に神経を集中、そして、横に飛んで避けることだけに集中していただろから、すぐにこちらへ駆けつける、あるいは飛んでくる態勢を整えるのは難しいはずだ。
しかし、それは僕にも言えることで。
カナル侯爵をこのまま放りだすわけにはゆかないし、かといって、この突進の勢いをすぐに殺すことは出来ないし、であれば、空へと方向を変えることも出来ない。
「ユーグリッド様!」
「え」
シャイナの、ひときわ大きな、それも焦っているような声が耳に届いたのだとわかった時には、すでに遅く、足元がずるりと崩れ、僕とカナル侯爵はそのまま落ちて行く。
カナル侯爵だけでもと、自分にではなく、カナル侯爵に飛行するための魔法をかけると、どうにか彼を元の場所まで戻すことは出来たようだった。




