それぞれの事情 3
◇ ◇ ◇
シェリスとローティス様がデートをした2日後、エルマーナ皇女とジーナが次々に帰国した。
「今回は安心いたしました。ユーグリッド様にとっては残念な事だったのでしょうけれど、私にとってはわずかでも、まだ希望が残ったと、それだけでも少し胸のつっかえが取れた気がします」
そう、花のように微笑まれたエルマーナ皇女に、手を振る側の僕としては申し訳のない気持ちで一杯になりそうだったけれど、そんな気持ちを僕の方が持つのはいけないと思い、謝ることは出来なかった。
騙しているわけではない……と思っているけれど、実際に僕の気持ちはエルマーナ皇女には伝えてあるのだし、それでも生まれて、物覚えの付いたころからしみ付いている習慣というか、環境というか、女性の気持ちを無下にすることなど出来ない僕に、エルマーナ皇女は
「ユーグリッド様はお優しい方ですけれど、その点に関してだけはとても残酷でいらっしゃいますね。もちろん、私が自分自身に自信を持っていないという事ではありませんが」
そうおっしゃられて、わずかに悲しみの滲んでいらっしゃるような笑顔を浮かべられた。
いや、正確に言うのであれば、浮かんでいたのは悲しみではなく、もっといろいろな感情の入り混じっているような複雑なものだったけれど、最後には笑顔を見せてくださった。
「それでもあなたを嫌いになることも、忘れることも出来ない辺り、私も大概ですが」
そう寂しそうな笑顔を見せられながらおっしゃられた後、エルマーナ皇女はシャイナに向かって何事か、先日と同じように耳打ちをされていた。
聞き終えたシャイナは、難しい顔を浮かべていた。
「それではユーグリッド様。また近くお会いできることを願っております。もちろん、要件などなくとも遊びにいらしてくださっても、私は大歓迎いたしますが」
今回の騒動ではないけれど、僕としては、遊びに行くのだとしても、もう少し国内の派閥の動きが穏やかになってからの方が良いとは思っているのだけれどね。
というより、今回のことで国内の派閥の争いももう少し穏やかになってくれればいいと切に思う。
馬車の窓から顔を出されたエルマーナ皇女が手招きをされるので、僕はそこへと近づく。
「ユーグリッド様」
しかし、エルマーナ皇女的には少し不満だったらしく、もっと近くに寄るようにと待っていらしたけれど。
「あなたの帰途が穏やかであることを願っております」
僕は差し出された手をそっととって、静かに唇を落とした。
別にエルマーナ皇女に恥をかかせようなどと意図するはずはない。
女性に対してそのように思うことなど、天地が逆さまになったってあり得ないけれど、そのことと、僕が学習しない人物であるかどうかというのは別の話だった。
さすがに、つい最近、それも立て続けに2件起こって、しかもそのご当人が相手なのだから、警戒、ではないけれど、色々と察することもある。
「ありがとうございます。ユーグリッド様。ですが、私はまだ、さようならは申しませんから」
エルマーナ皇女は僕の頬に手を添えられると、ふんわりとした笑みを浮かべられ、それからゆっくりと、名残を惜しむかのように、僕の頬を撫でられるような格好で、手を離された。
「またお会いいたしましょうね」
そうおっしゃられて、ピンク色の髪を風に大きく靡かせられながら、馬車の窓から大きく手を振られるエルマーナ皇女に、僕たちも大きく手を振り返した。
「姫様! 危険です、お戻りください!」
馬車の中からブランさんのそんな声が聞こえてきて、先程まで少ししんみりとしていたというのに、僕たちはわずかな笑みを漏らした。
エルマーナ皇女が帰ってからすぐ、同じように、今度はジーナを見送った。
「本当は私もユーグリッド様のように、好きな方のところへ毎日でも飛んでゆきたいというのは山々なのですが……」
ひとり娘にそんな危険な冒険をさせることは、さすがにヴィンヴェル大公もミーリス様も許されはしないだろう。
以前、ミクトラン帝国皇帝のモンドゥム陛下、つまりエルマーナ皇女の御父上は娘をお飾りの公女にするつもりは無いというような事をおしゃられてはいたけれど、少なくともあの時には移動手段は馬車であり、護衛の人もいらしたし、そしてミクトラン帝国内だった。
僕が言えた義理ではないというのには違わないけれど、大公家のひとり娘、つまりは今のところの次期公国のトップを、そんな風に避けられる危険に晒されるはずもない。
「あら。ユーグリッド様はご存じのはずですけれど、オーリック公国の公家というのは、厳密に言うならば、カルレウム家でなければならないということはないのですよ」
「だからって、ジーナがわざわざ危険を冒して良いという事ではないからね」
ジーナの言い分を聞いて、少しだけ不安になった。
まさか、本当にそんなこと思っているのではないよね。
「お兄様には言われたくないでしょうね」
おそらくはこの場の誰もが言わずにいてくれたことを、シェリスはさらりと言ってのけた。
シャイナも僕にじとっとした眼を向けてきていたから、同じような事を思っていたには違いなく、シェリスが発言しなければ、シャイナに言われていたのだろう。
「何かありましたら、またこうして駆け付けますから。それは必ずです」
「何もなくても遊びに来てくれると嬉しいな」
何かなくては会えない関係なんて少し淋しい。
立場を考えると、そんなに気軽に、じゃあ明日、みたいなノリで会うというわけには行かないけれど。
「ふふっ。それは楽しそうですね」
ジーナは優し気な顔で微笑んで、僕が動く隙も与えないほどの早業で、頬にくちづけを落とし、
「またお会いしましょう」
誰も動けないうちに、眩しい笑顔を浮かべて去っていった。
また、シャイナにスキがあるのがいけないんです、何て言われてしまうかとも思ったけれど、予想に反して背後から声が掛けられることはなかった。
振り向くと、シャイナは複雑そうな顔をしていて、何か悩んでいるような、そんな表情だった。
そして、胸のあたりをぎゅっとしたかと思うと、はっとした表情で首を振り、ぱたぱたとお城の方へ走っていってしまった。
「姉様……」
「シャイナ、もしかして……」
シェリスとクリストフ様の声が重なる。
心配しているというよりも、驚いているような、そんな声だった。
それから2人は同時に僕のことを見つめてきた。
もしかして、今のって重要な場面だった?
「すぐに追いかけ――」
「いえ、今はそっとして、姉様に1人で考えさせた方が賢明です」
「大丈夫よ、兄様。私たちを信じて」
クリストフ様とシェリスに言われては、いつもシャイナの事で心配をかけている僕としては従った方が良いのだろう。
シェリスとクリストフ様が、何となく怪しげな雰囲気で会話しながら歩いてゆく後ろに、僕は黙ってついていった。




