お礼の約束
◇ ◇ ◇
その夜。
シェリス達女性陣は一緒の部屋で休むと言っていたけれど、僕たち男性陣とは当然別の部屋だ。
僕の部屋には、クリストフ様とローティス様が一緒に休むことになっている。
クリストフ様は先日とは違い、すぐにお休みになってしまわれたみたいだったけれど、ローティス様は中々目がさえてしまっていらっしゃる様子だった。
「すみません、ユーグリッド様。お水をいただいてもよろしいでしょうか?」
「勿論構いませんよ」
ローティス様は、失礼いたしますとベッドを離れられた。
パタンと扉が閉められた後、ふと、ローティス様は厨房の場所をご存じだろうかと疑問に思った。
ローティス様がいらした際、城内の案内は一通りメイドさんがしてくださったはずだ。
しかし、それは日中のことであり、今は夜番のメイドさんしかいらっしゃらず、明かりも消えていて、明るいところとは勝手が違うだろう。ましてや、ここはローティス様にとって、初めての場所である、エルヴィラの王宮内である。
万が一、迷子にでもなられたら(探知魔法があるから部屋にはお戻りになられるだろうけれど)大変だと思い、僕もベッドを抜け出した。
お水、というよりも、少し歩かれたい気分だったのかもしれない。
ローティス様は、途中お会いになった今晩の夜番のメイドさん、セミロングの茶髪が鮮やかな、フレスコさんに道を尋ねられながら、水差しをお持ちしましたのに、という提案は断られ、御自分で台所の棚からグラスを取り出され、魔法で水を注がれた。
「はぁ……」
グラスを戻し、小さなため息を漏らされたローティス様は、何かを振り払うように首を振ると、用事は済んだらしく、こちらに戻っていらした。
そうだった。
帰りの事を全く気にしていなかった。
別に声をかければいいのだろうけれど、何となく躊躇われてしまい、柱の陰に隠れてやり過ごす。
「あっ……」
そんな声が重なって、柱の陰から顔を出すと、奥から、僕たちの寝室がある方から歩いてきていたシェリスとばったり顔を合わせていた。
シェリスは白い寝間着に着替えていて、髪は綺麗におろしていた。
2人はどうするでもなく、その場で立ち止まっている。
ややあって、シェリスがわずかに頬を染めながら
「……少し構わない?」
まさか、シェリスから夜這い!? などと思う僕ではない。
出会った際のシェリスの表情にも、ローティス様の表情にも驚きが含まれていたし、おそらくは演技ではなかっただろう。
「……はい」
ローティス様のお返事にも、やはり少しの間があった。
女性の誘いを断るのも紳士としてはいかがなものかと思うけれど、こんな夜中ならば、相手の健康を少しは気遣って、明日以降とでも提案してもよさそうだけれど。
つまり、ローティス様の方にも話したいことがあったのか、それとも、シェリスから話されることに心当たりがあったのか。
観光から戻って来てからの2人は、僕の主観にはなるけれど、特に変わった様子もなく、昼間の件など特に気にしていないようにも思えたけれど。
もっとも、シェリスは猫を被ったりするのは得意なので、悪いことならばともかく、そうでないのならば、僕にも見破ることが出来なかったという可能性は、なくもない……と思う。
兄としては、妹の変化に気がつかないなんて情けないとは思うけれど、それよりも、今は2人の事が気になっていた。
いや、茶化すつもりなんて全くなくて、本当にただ気になっただけなのだけれど。
シェリスとローティス様は、そのまま中庭まで歩いてゆくようだったので、ここまで来たらと、僕も気配を消しながら、慎重に、2人の後を付けた。
「ローティス殿下」
中庭の池の前に立ったシェリスが呼びかける。
「昼間はごめんなさい。助かったわ……いえ、助かりました。ありがと」
シェリスが感謝の言葉を口にする。
途中までは見ていたけれど、それだけだとシェリスが夜中に偶然出会ったローティス様を呼び出してまでするような話ではないようにも思える。
たしかに、ローティス様が助けになっていたのは事実だったけれど……もしかしたら、僕たちが戻ってから、まだひと悶着あったのかもしれない。
「感謝されるほどの事では……ぼ、私もあれを防ぐことが出来たのは偶々で、やはり気を抜いてしまっていたのは事実ですから」
「でも、実際、あなたは私を守ってくださったわ。本当にもう大丈夫なの?」
「ええ。御覧の通り、傷1つ残ってはおりません。もっとも、私としては貴女を守ることの出来た証に残ってくれても構わなかったのですが、それを見てあなたが沈まれることがないよう、ちゃんと治ってくれて良かったです」
ローティス様はそうおっしゃって微笑まれて、服を捲られようとなさってから、2人とも慌てて気づいたように、揃って顔を逸らした。
「こ、今晩は少し暑いですね……」
「え、ええ。そうみたい……」
そんなことを言いながら、シェリスがパタパタと胸元の服を仰ぐものだから、せっかくまた顔を向き合っていたというのに、2人はそっぽを向けてしまった。
2人の頬は、さっきよりも少しだけ、赤みが増しているようにみえた。
「でも、感謝しているのは本当よ。貴方はいらないというけれど、やっぱりお礼をさせてくれないかしら。何でも言って。私に出来ることなら何でもするから」
「えっ……えっと、その……」
ローティス様の顔も真っ赤に染まる。
まあね。気になる女の子にそんなことを言われたらそうなるよね。
僕も同じ、恋をするもの同士、その気持ちはよく分かる。
まあ、シェリスが狙って言っているのか、天然なのか、五分五分といったところだろう。
「それなら、明日、改めて一緒にお出かけしてくださいますか」
ややあって、意を決したようにローティス様が口を開かれると、シェリスはきょとんとした顔をした。
「え? そんなことでいいの? それなら今日もしたじゃない。この私が何でもいいって言っているのに」
「い、いえ、そうではなく、その、2人きりで……」
ローティス様の顔は見ているこちらが恥ずかしくなるくらいに真っ赤になっていて、最後の方は夜風の音にかき消されてしまいそうなほどに小さかったけれど、他に人もいない中庭では、ちゃんと届いていた。
「冗談よ。ええ、分かったわ。約束ね」
シェリスが微笑みながら小指を差し出す。
戸惑っていらっしゃる様子のローティス様の手を強引にとると、やはり強引に小指を結んだ。
「あっ、ですが、僕はあまりこちらの地理に詳しくないので、シェリス姫には満足していただけないかもしれません」
ローティス様はまた少ししょんぼりとなさっていたけれど。
「なんだ。そんなこと、気にしなくて構わないわよ」
シェリスは花の綻ぶような笑顔を浮かべて、
「だったら、私がエルヴィラの素敵なところを案内してあげる」
「……よろしくお願いします」
それじゃあね、おやすみなさい、とシェリスが手を振って部屋へ戻っていったのを、ローティス様はぼうっとした表情で見送られたまま、しばらくその場に立ち尽くされていた。




