エルヴィラの車窓から 10
2人は口論している感じにはなっていたけれど、内容は、申し訳ないけれど言わせて貰えば、幼稚というか、呆れるようなものだったので、わざわざ止めに入るまでもないと思えた。実際、周りの人たちも、2人の様子を微笑まし気に見守っている。
まあ、一応、実際には違うとはいえ、シェリスとローティス様は好き合っていて、婚約しているのだと、ここの人たちは思い込んでいるのだ。たまには痴話喧嘩もするだろう、くらいに思われているのかもしれない。
「ユーグリッド様。戻りましょう」
同じように2人の様子を見ていたエルマーナ皇女に声をかけられる。
周囲を見回してみても、これ以上シェリス達に危害を加えようとする輩は現れないみたいだ。立場上、自身の危険には常に気を付けているため、そういった気配にも割と敏感な方だと自分では思っているけれど、この場ではシェリス達に向けられる悪意とか、そういった気配は感じられていなかった。
僕だけならば不安にもなったかもしれないけれど、シャイナも、エルマーナ皇女も、ジーナも、クリストフ様も同様だとおっしゃっていたので、おそらくは問題ないだろう。
シェリスとローティス様の仲だけが気がかりだけれど、それは僕たちがこの場にいてもいなくても変わらないことだった。
「そうですね。いつまでもここにいると、シェリスたちに気付かれてしまいますから」
まさか探知魔法まで使ってくることはないだろうけれど。
今の2人の熱の入りようを見ていると、もしかしたら僕たちの事を忘れてこのままなのではないか、とも不安になるけれど、それについては考えがあるため、おそらくは大丈夫だろう。そのためには僕たちがなんとしても 先に戻っている必要があるのだけれど。
僕たちは揃って元来た道を引き返し、
「あの、この辺りでおすすめの、食事が出来るところへ向かっていただけますか?」
息を整えてから馬車へと乗り込むと、僕は御者さんにそうお願いした。
「勿論、存じておりますが、殿下。姫様方はお待ちになられずともよろしいのですか?」
「むしろ、待っていた方がこの場合は恐ろしいと言いますか。シェリス達ならば大丈夫です。ああ、ですが、出来るだけ近場にしてはいただけますか?」
畏まりましたと御者さんはおっしゃられ、馬車がゆっくりと進みだす。
シェリスたちがいつまで言い争っているつもりか分からないけれど、シェリスの事だ。きっとすぐに、こんなことしていても仕方ないわと、引き揚げてこちらへ向かってくるだろう。
「それとも、シャイナ達は何かリクエストでもあるかな? もちろん、お城へ戻ってというのであれば、引き返すけれど」
僕に作ってくれとか、自分で作りたいとか言われると、少し困るけれど。
僕だって、一般の教養として、料理が作れないということはないけれど、僕が作ることの出来るような環境ならば、きっと一流の料理人さんがいることだろうし、例えばお城の料理人の方々は、他の、お城で働いてくださっている方と同じように、御自身の職に誇りを持っていらっしゃるので、殿下はお待ちください、と言われるのがオチだろう。
幸いというか、4人とも、お任せしますとのことだったので、大変かなとは思いつつも御者さんにお任せすることにした。
シェリスやローティス様には聞いていなかったけれど、先に始めていてと言い残していたくらいだ。リクエストがあればその時にでも告げてくれていただろうし、おそらくは特にこだわりはなかっただろう。
御者さんの案内で、この辺りでおすすめだとおっしゃられるお店に入って、流石に先に食事を始めるのは、と待っていると、しばらくしてから、シェリスとローティス様が入って来られた。
「先に始めていてくれても構わなかったのに。いつになるかわからなかったのだし」
シェリスがそう言いながら入ってきたので、僕たちは苦笑を浮かべて誤魔化した。
まさか、2人が口喧嘩を始めるところまで観察していたから遅くなった、とは言えない。
「シェリス達も無事なようで良かったよ。万が一、と心配していたけれど、杞憂で終わったみたいだね」
「……当然じゃない。私の事を見くびりすぎよ。」
若干の間があった後、シェリスは短く言い切った。
その際、ローティス様が若干困ったようなお顔を浮かべられたけれど、僕が見ているのに気がつかれると、すぐにやわらかな笑みを浮かべられた。
もしかして、いや、おそらく、僕が離れてから何か、多少の問題が起こったのかもしれない。
パッと見たところ、シェリス達には、服にも、本人たちにも、目立った外傷は見受けられないけれど……
「シェリス。本当に、何もなかった? セラシオーヌ様に誓って」
「私はセラシオーヌ様に恥じるようなことは何もしていないわ。ねえ、ローティス様」
珍しいことに、シェリスが他人に同意を求めていた。
普段は、ほとんど何でも自分の意思で決める子なのに。
「ええ。シェリス姫は大変ご立派でした」
シェリスの方には若干の違和感を覚えたけれど、ローティス様とは(少なくとも今はまだ)それほど親しいわけではなかったので、変わりがあるようには思えず、これ以上追及してもシェリスから本当の事は引き出せないだろうと思ったので、追及はやめておいた。
シェリスにだって、僕に秘密にしておきたい事の1つや2つ、出来る年頃だろうから。
そのことに少しの寂しさはあるけれど、嬉しさというか、雛鳥の巣立つ母鳥の心境というか、そういった感情の方が大きく、僕は「そう」とだけ返した。




