庭でお茶会 4
あるいは逃げだしたら負けだと思っているのかもしれないけれど、シャイナはこのエルヴィラのお城の敷地から飛んで行ってしまうようなことはなかった。
ヴァイオリンのお稽古、あるいは聖書を読みに行くと言っていた割には、建物の中に入るようなコースを通ることはなく、ただ走り続けていた。
追いかける僕の目の前には、風に吹かれてきらきらと踊る、長い銀の髪。
木々の回廊に行く手を遮られながらも、後ろを走る僕の目がシャイナを見失うはずはない。
シャイナの青いドレスの裾が広がって、乱れる。普段のシャイナならば絶対にそんな状態に陥ったりはしないだろう。
シェリスたちがいる、今まで僕たちがお茶会をしていたところと、お城の建物を挟んで、丁度反対側くらいのところでようやく追いつくことが出来た。
シャイナが魔法まで使って逃げていたら分からなかった(もちろん、それでも追いつく自信はある)けれど、僕とシャイナとでは、歩幅も、体力も全然違うので、追いかけっこでは話にならなかった。
「ど、どうして追いかけてくるのですか」
シャイナは顔を赤くして、恥ずかしそうに、あるいは悔しそうに言う。
僕はシャイナの前で膝をついて、誠心誠意、心を込めて、いつもシャイナと話すよりも丁寧な口調で答えた。
シャイナが逃げるからだよ、などとは言わない。
「お詫びを言うためです」
シャイナは困っているような、申し訳なさそうな顔で俯いて、
「べ、別に、ユーグリッド様に謝っていただくことなど……」
シャイナは普段、言い淀むことなんてしない。
自分の意見ははっきりと言う。もしくは、全く口に出さない。
この場でシャイナが言い淀んだということは、少なくとも、シャイナ自身には気にしていることがあるということで、それも僕に対して悩んでいるということだ。
それはとても嬉しかったけれど、もう少し、シャイナがちゃんと自覚してくれるまで待つことにする。今更、待つのは慣れっこだった。
「このところ、他の事にかまけていて、シャイナの事を蔑ろにしてしまうことが多くなってしまい、すみませんでした。僕の方から告白しておいて、他の女性に構っている僕のことを、シャイナは呆れてしまっているのかもしれないね」
実際、実情を知らない第三者から見れば、軽薄だとか、浮気者だとか思われていても仕方のない態度をとっているだろうということは自覚している。
この場合、僕自身がどう思っているのかではなく、シャイナがどう考えているのかということが重要だからだ。
それでもこうして付き合ってくれているのは、まだ完全には呆れられていないからなのだと信じたい。
「それでも、これだけは信じて欲しいな。僕が恋しているのは、あの日からずっと、シャイナただ1人だけだ」
好きが、いや、隙が多いと言われてしまうようなこともあった。
実際、これから先も、目の前で(あるいはどこか遠くでも)困っている女性がいれば、僕は迷う事も、躊躇う事もなく、手を差し伸べることだろう。
好意を抱くこともあるかもしれない。けれどそれは、きっと恋にはなりえないだろう。
なぜなら、心の真ん中、胸の一番奥では、シャイナの事を1番に思っているのだということは、きっといつまでも変わらないだろうからだ。
あんなに、幼いといっても過言ではないときから、僕とは違って、真面目に、逃げだしたりすることもなく、王女としての務めを果たす、立派な姿を見た時から(正確にはその前だけれど)僕の心は君に囚われていて、離れることは出来そうにもないんだ。
というような事を伝えたかったのだけれど、残念ながら、万の言葉を用いても、僕の正確な気持ちを表現するには愛の言葉が足りないだろうから。
ひと言で言うなら。
「つまり、僕は君に恋しているんだよ。ずっと」
シャイナが潤んだ瞳で僕を見上げる。
これはもしかして、今日こそはいけるのではないだろうか。
震えそうになる手を、どうにかこうにか抑え込み、シャイナの肩に手を乗せる。
証明してください、とでも言われているかのように、シャイナは静かに、綺麗な宝石のような紫の目を瞑り、わずかに顔を上に向けた。
おでこや頬っぺた、手の甲になら何度もあったし、奪われることも何度かあった。
しかし、自分から他人の唇を奪ったことは、少なくとも僕の覚えている範囲では今までなかった。
落ち着け、と何度も自分に言い聞かせているのだけれど、どうにも心臓がうるさくて集中できない。
これはゴールじゃない。通過地点なんだ。そう、ただ唇にキスをするだけのことじゃないか。
待たせてしまって、女性に、シャイナに恥をかかせるわけにもいかない。
言葉にこそ出してはいないけれど、明らかにシャイナもそれを望んでいる。
僕も黙って目を瞑り、花びらのようなシャイナの唇にそっと――
「お取込み中のところ、申、し、訳――失礼いたしました!」
あとほんの花弁1枚くらいの距離だったというところで、声をかけられて、僕たちはぱっと飛びのいた。
「よほど急ぎの用件なのでしょう? どうしましたか?」
口調だけは切り替えつつも、心の中は後悔でいっぱいで、心の声が漏れてしまわないようにするのに苦労した。
「はっ! 我が国内において、すでに諍いでは済ますことの出来ない争いが起こっております。現在、騎士団が鎮圧に向かっておりますが、ここも危険に晒される可能性がございますので、出来ることならば、城内にいてくださると助かります」




