密室の浴室 2
こうなったら、普段からシャイナをお嫁さんに迎えたいと言ってはばからない身として覚悟を決めるしかない。
大丈夫。見ることさえしなければ問題ないはずだ。
心の中でセラシオーヌ様にお祈りを捧げ、目を固く閉じる。
いや、閉じてはダメだ。
視界からの情報が遮断されたため、嗅覚とかその他の器官が刺激されて、余計に想像を掻き立てる。
シャワーの水が肌に当たって弾ける音、タオルが揺れる音、そしてシャイナのつま先が水面に触れる音がしたところで、流石に限界を感じて目を開いた。
狭いわけではないとはいえ、それは1人で使用した場合に限っての話だ。そもそも、1人以上で使用する状況ってどんな状況だという考えは浮かばない。
膝を抱えて座り直して出来たスペースに、シャイナが背中合わせになるような格好で入って来る。
タオルは毎日、メイドさんたちが洗って、日の光の下で干され、浄化の魔法までかけてあるため、汚れてはいない。
とはいえ、流石に非常識であるため、タオルを巻いたまま、ということはしなかったらしい。
シャイナの素肌、背中と背中が触れ合って、双方ともに反射的に背筋を伸ばしてそれ以上の接触を回避しようとしたけれど、いつまでもそうしているわけにもいかず、結局、わずかに背中同士が触れ合う格好に落ち着いた。
温まるどころではない。むしろ、汗までかいてきているけれど、別に温まったからではない。全身はこの上なく熱くなっているけれど。
「ふぅ……」
背中から、やけに色っぽい吐息が漏れるのが聞こえる。
もしかして、ここが天国なのだろうか? それとも地獄? 拷問でも受けているかのような気分だった。
心臓の鼓動が、破裂してしまいそうなほどに早い。これだけ近くにいるのだから、それに背中が触れ合っているわけだし、もしかしたら、シャイナに気づかれてしまっているかもしれない。僕の方は、シャイナを気にする余裕はない。シャイナの事しか気にする余裕がないともいえるけれど。
首の上の方までしっかりお湯につかれるだけのスペースがあったため――逆に、それ以上は流石になかったため――すっかりのぼせてきてしまって、頭が朦朧としてくる。
目を閉じると妄想が浮かんできて止まらなくなるため、閉じられないのだけれど、目を開いていたら開いていたで、視界の端に映りこんでいる曇った鏡に映りこんだシャイナの真っ白なうなじとかが、気にするまいと思っていても、どうしても意識を引っ張られる。
ああ、やばい。鼻血が出そう。この状況は、色々と危険すぎる。
「ユーグリッド様」
「はいすみませんもう考えませんもうちらちらと見たりしません」
緩んでいた背筋をピンと伸ばし、用件も聞かずに、ただ謝罪を繰り返す。
頭を下げようとすると、背中とか、腰より下とかがぶつかりそうになるので、真っ直ぐと伸ばしたままだけれど。
「……いえ、そうではなく、今回は、私の早とちりで御迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
ぽそぽそとした小さな声で紡がれているはずのシャイナの言葉が、浴室にこもって、よく反響し、割と大きく聞こえる。
「……そのことなら、さっきも言ったけれど、僕は全然気にしてないよ。むしろ、シャイナがやきもちを妬いてくれたんじゃないかと、嬉しく思っているよ」
都合の良い解釈かもしれないけれど。
何にしても、シャイナが僕のことを気にしてくれたのだということが嬉しい。
「いえ。お詫びに、私に……え? でも、そんな……いえ、そんなこというはずがありません……そもそも、もとはと言えば、クリストフ、あなたが……」
シャイナが何か言いかけたところで、どうやら、まるでタイミングを見計らっていたかのようにクリストフ様からの念話が届いたらしく、ひとり言のようになってしまう。
念話の返事なのだから、声に出す必要はないのだけれど、シャイナも、ついでに言えば僕も、そんなことを気に出来るような心持ではなかった。
べつに、お詫びとか、全然気にしなくていいのだけれど。というより、この状況がすでに僕にとってはご褒美のようなものだし。
なんてことは、シャイナに言ったりしない。
せっかく、シャイナの方から動いてくれるというのだから、僕は黙ってそれに従おうと思った。
「ユーグリッド様」
決意を固めたような硬い声でシャイナが僕を呼ぶ。
「お詫びに、私に、ユ、ユーグリッド様の、お、お背中を流させてください」
決意を固めても、恥ずかしいものは恥ずかしかったらしい。
というよりも、えっ? 今、シャイナは何て言った?
自分の耳が信じられず、思わず、振り向いてしまう。
むき出しの白い肩越しに見える、アップにまとめられた髪の向こうに、真っ赤にそまった耳と頬が見える。どうやら、僕が振り向いたことにも気付いていないほどに緊張しているらしい。
「ありがとう。よろしく頼むよ」
なんて、涼しげな顔で言ってのけることが出来たら良かったのだろうけれど、生憎と、僕にそんな余裕はなかった。
これは、試されているのだろうか? 相手は、シャイナか、クリストフ様か、あるいはシェリスなのか、はたまた違う誰かなのか。
とにかく、シャイナがせっかく申し出てくれたのだから、恥をかかせるわけにはいかない。
もちろん、僕だって嬉しい。
「お願いします」
そのまま、しばらくぼうっとしていると、
「あ、あの、ユーグリッド様。そのままですと……」
「あ、ああ、ごめん、ごめん」
湯船につかったままでは、背中を流してもらう事なんてできなかった。
僕は意を決して、立ち上がると、背中の感触が消えたことを少し残念に思いつつ、曇った鏡の前の椅子に座った。




