オーリック公国 44 騒動 22
「私たちは今まで皆さんの声によく耳を傾けては来ませんでした。おっしゃりたいことがあるのならば、直接告げに来てくださると、そう思い込んでいてしまいました。ですが、実態はそうではないのだと、今回の件で思い知らされました」
ジーナがやわらかな、見とれてしまいそうになるふんわりとした笑顔で、僕の方へと振り返る。
その笑顔に少しどきりとさせられていると、集まられた方々の中から、特に女性のものと思われる甲高い歓声のようなものまで上げられた。
「私は公家の者として、議会の実態を把握してはおります。議会が何を為すべきところで、そして何を為さねばならないところなのか。上からのような物言いになってしまう事をお許しください。それはつまり、国の方策を決めるうえで、この土地に暮らしている皆さんの意見を掬い上げる場所だという事です」
おそらく、そのことはこの場に集まった方、それも大人の方は把握していることだろう。
しかし、実際はその通りには機能していなかった。
最終的な決定をするのはモンドゥム陛下だとはいえ、それまでの意見を出すのがその場に集まられた一部の方たちの意見だけだという事だ。そもそもその会議の場に参加さえしていない多くの方の意見は、聞こえてすらいなかった。
確かに、ギルド長の参加する会議であったことは事実であり、そのギルドとしての方策を決めること、報告会の場にはなっていたのだろう。しかし、すべてのギルドが、完全に全員の意思を統一出来ていたかと問われれば、そういうわけではないのだろう。というよりも、それは不可能にも近い。
他人に煽られた結果とはいえ、そんな不満が形になってしまったのが今回の騒動というわけだ。簡単に言えば。
「たしかに、私たちは私たちのご先祖様が築かれたものの上で、公家という皆様のまとめ役の地位を預からせていただいてはいます。しかし、そのことで皆様が壁を感じ、今回のように不満を燻らせ、爆発させてしまうようなことが起こるというのであれば……この地位を辞すこともやぶさかではありません」
集まられた方の間にどよめきが起こる。
僕も小さくはない衝撃を受けていた。
どちらかと言えば、ジーナは自分から直接、少なくともヴィンヴェル様とミーリス様がいらっしゃる間には、執政に関わる、それもこれほど重要な案件を切り出すとは考えていなかった。
出会ってからの期間が短い僕でさえそう思ったのだ。あまり交流がなかったとはいえ、ずっとこの国に暮らしている人達の衝撃は相当なものだったに違いない。
「それから、今一度、そう、今度はしっかりと、私たちも含めて、この国に暮らす全員で『公家』の地位を預かる方を決めましょう」
ジーナは迷いのない、強い瞳ではっきりとそう言い切った。
暖かな風が広場を吹き抜け、ジーナのやわらかな空色の髪を揺らした。
「公女様万歳!」
誰が言い出したのだろう。
「ジーナ様万歳!」
1人、2人と広がっていった掛け声は、瞬く間に広場を飲み込み、大きな渦となって、おそらくは街中へ広がった。
その光景を、我に返ったように、ジーナはポカンとした表情で見つめていた。
「ジーナ」
僕は何だか幸せな気持ちで、もう1度、ジーナと繋いだ手を強く握った。
ジーナははっとした顔で僕のことを見上げた。
「ジーナ。笑顔で手を振り返してあげるといいよ。この前ジーナはお飾りだなんて言っていたけれど、今はそうじゃない。皆、今のジーナの演説に感動した、感銘を帯びたから、こんな風に沸き上がっているんだよ。それこそ、さっきまでの暴動なんて必要なかったと思わせるくらいにね」
「ユーグリッド様……はい、はいっ!」
ジーナは空のような瞳を潤ませて、とても嬉しそうに微笑むものだから、やっぱり僕はまたどきりとさせられた。
「ところで、隣の男性は? ジーナ様の婚約者の方なのでしょうか? 先程はユーグリッド様と呼ばれていらっしゃいましたが」
歓声がやみ、視線が僕とジーナの間を行ったり来たりする。
おそらく、僕は変な顔をしていたことだろう。
ジーナが視線で躊躇いがちに尋ねてくる。
僕はそれに頷き返した。
今更、黙っていても、話してしまっても、それほど違いはないことだろう。
「いいえ。ユーグリッド様は、残念ながら、私の婚約者ではありません。ユーグリッド・フリューリンク様。隣国エルヴィラの第1王子殿下でいらっしゃいます」
それからジーナは悪戯気に微笑んで、
「勿論、私はユーグリッド様にご結婚のお申し込みをしたのですが、ユーグリッド様には他にお心に決めた方がいらっしゃるようで」
何だと! とか、信じられない! とか、公女様をフっただって! とか、それはもう、まさに、先程の事など問題にすらならないようなざわめきが起こる。もはや、ざわめきと言って良いのかというレベルだ。
僕は女性と話したことを忘れるような男ではない(と思っている)ので、まだジーナに結婚を申し込まれたことはないはずだった。
「騒々しいわね。またお兄様は何かやらかしたのですか?」
公家の邸宅の方へと戻っていてくれるようにと頼んだはずのシェリスが、シャイナと、それからヴィレンス公子と、クリストフ様と一緒に僕たちの隣へ降り立ったので、これ以上はないだろうと思っていたどよめきがさらに大きくなる。
「いいや、僕は何もしていないよ。いや、もちろん何もしていないってことはないけど。ちゃんと、自分の役割はこなしていたけれど――」
やましいことがない、とははっきり言い切れなかった。
まさに今、告白まがいの事をされた女性の前でそれを否定してしまうことは出来なかった。しかも、これだけ多くの観客がいる中で。
一瞬、シャイナの瞳をジーナが見つめて、シャイナが何かを悟ったような表情で僕のことを見ていた気がしたけれど、気のせいだったようで、僕がシャイナの方を向くと、シャイナは静かに顔を逸らしてしまった。
いや、逸らしたということは、こちらを見ていたという事だったのだろうか。
そんなことを考えていると、強く手が握られた。
「ユーグリッド様。そろそろ戻りましょう。お父様とお母様も心配なさっているはずですから」
僕がそちらを向くと、ジーナはそう言って微笑んだ。




