オーリック公国 33 騒動 11
まさかこんな時間に、普通の住居スペースに起きている人がいるだろうとは考えていなかった。
いや、お城で働いてくださっているメイドさんたちの事を考えたら、何も不自然ではなく、むしろ当然のことなのだけれど、何故だかその考えはすっかり頭から抜け落ちていた。
「夜分に申し訳ありません、お嬢さん。実は私たちは義賊、いえ、恰好を付けた言い方はよしましょう、泥棒を生業として暮らしているものでして」
どこの世界に『自分は泥棒です』と、盗みに入った先の住人に告げる輩がいるのだろうか。
創作の世界での話ならば、カードを残したり、予告状を出したりと、そういった様式美が好まれるのかもしれないけれど、現実では目くらましという手段以外には使用されることはほとんどないだろう。
「はあ」
案の定、彼女も呆けているような表情を浮かべている。一体、目の前の男は何を言い出すのだろう、といったところだろうか。
「今宵はすでにこうして1番の宝石と、1番の花を手にした私ですが、最後にまた星を手に入れるチャンスが巡ってきたことをセラシオーヌ様に感謝しなくてはなりません」
彼女が事態を飲み込むよりも早く、僕は彼女の前で膝をつき、そっとその手をとる。もちろん、初対面の相手の手の甲にいきなり口づけをするような、そんな失礼なことはしない。
「どうぞこの私目に、あなたのお名前を頂戴する栄誉を与えてはくださいませんか?」
収納して持ち歩いていた花束の中から真っ赤な花1輪だけを、そっと手の中に出現させると、彼女は驚いたような表情を浮かべた。
収納の魔法を使って持ち歩いている物はたくさんあり、硬貨のほかに、今出したように花や、状態が維持されることを利用して非常食、こちらに滞在するための衣服や、その他にも様々な状況を想定して、考え付く物はほとんど持ち歩いている。
「スルーシカです、女泣かせの泥棒さん」
スルーシカさんは、肩のあたりで短く揃えられ、左右にふわりと広がった金の髪をわずかに揺らされながら、おかしそうに唇の端を上げられた。
「それで、宝を手に入れられたあなたはもうお帰りになるおつもりですか?」
そんなことはないだろうとおっしゃるような口ぶりだ。
「だって、あなたとは今が初対面のはずですもの。つまり、私のことが目的で忍び込んでいらしたわけではないのでしょう? 私個人としては、あなたのような紳士な方に盗み出されるのも素敵だとは思うのですけれど」
スルーシカさんの視線が僕の後ろを捉える。
そちらをちらりと見やると、慌てた様子で、シャイナとジーナ公女は顔を逸らした。
「とても素敵な従者さんをお持ちなのですね、ジーナ様」
これから彼女を誑しこんで、もとい、誠意をお見せして、どうにかして話を聞き出そうと思っていたのだけれど、どうやらその必要はなかったらしい。
「よくお分かりになりましたね」
「この国の人間として当然ですわ。そのように変装もなさらずにおいでになって、ご本人と分からないような者はこの国にはおりません。もう少し、御自身の事についてお知りになっていらした方がよろしいですよと、いち国民として進言いたします」
「ご忠告、感謝いたします、スルーシカ様」
ジーナ公女もはっきりと言い当てられて、誤魔化すつもりもなかったのか、すんなりと自身の正体を認めた。
当初の予定とは違うけれど、これはこれで、話が早くなって助かるかもしれない。
「ユ――、ここは私にお任せくださいますか?」
僕の名前を明かすのは、少なくとも今の段階では、まずいと思ったのか――もっとも、僕もシャイナも顔を知られている可能性はないわけではなかったけれど――ジーナ公女がそう申し出てくれたので、僕はお言葉に甘えることにした。
本当は、こんな事を女性の――ジーナ公女の口から話させたくはなかったけれど。
「スルーシカ様」
「様などと敬称は不要です、ジーナ様。どうぞ、スルーシカとお呼びくださいますよう」
互いに遠慮し合ったりしていたけれど、すぐにそんな場合ではないと思い直したのか、ジーナ公女の方が先に折れた。
「では、スルーシカ。現在の――もっとも、すでに収束しているかもしれませんが――街中の様子は知っていますか?」
流石に屋敷の中までは外の音は響いてきていない。
スルーシカさんは、いいえ、と首を横に振った。
「では、あなたのご主人様、ポシス様のことはどのくらい――いえ、時間もありませんし、手短に尋ねます。商会ギルドからこの屋敷に連なるまで、この周辺一帯の地下に巨大な偽硬貨の製造所が存在していることを、あなたは知っていましたか?」
こちらの言っていることが分からないと言いたげに、瞳を何度も瞬かせるスルーシカさんの様子を見て、僕とシャイナは頷き合った。
「失礼します」
シャイナがスルーシカさんの手を取ると、手首に指を当てる。
「誤魔化してはいないようです。申し訳ありません、大変失礼いたしました」
シャイナが頭を下げたけれど、スルーシカさんはやはり意図が分かっていらっしゃらないらしく、曖昧な表情を浮かべていた。
瞳の動き、動悸、発汗状況、その他色々と虚偽を見破る方法はあるけれど、シャイナがとったのはその中の1つ、脈拍から推測するという方法だ。
「そんなわけで、その調査をしに来たというわけなのですが、この屋敷の、ポシス様の従者であるところのあなたは、私たちの行く手を阻みますか?」
迷う様子も、躊躇う様子も、微塵にも見せず、スルーシカさんは頭を下げられた。
「私はポシス様にお仕えする身ではありますが、もちろん、ジーナ様、そしてセラシオーヌ様にお仕えさせていただいている身でもあります。そして、もし、私が優れた従者であるならば、主人を諫めるのは当然の仕事ですし、この国にあるギルドを守ってゆくためにも、そのような疑いは即座に解消したいと考えるはずです」
スルーシカさんの案内を受けながら――それは彼女にとって非常に危険な行為だったにもかかわらず、スルーシカさんは僕たちの先頭を歩いてくださった――屋敷の部屋を回って歩いた。




