オーリック公国 16 天体観測(仮)
◇ ◇ ◇
仕事を終えてから皆で一緒にお屋敷まで戻って来て、入浴や食事を済ませた後、シェリスたちを引き留める役をヴィレンス公子に任せて、夜の街の中へこっそりと抜け出そうとした僕を呼び止める声がした。
「ユーグリッド様、このような夜更けにお出かけなさるのですか」
お屋敷の扉を開きかけていた僕は不自然にならない程度にゆっくりと声のした方へと振り返る。
「やあ、シャイナ。いやね、今宵の空は星屑を床に敷き詰めたみたいに美しいから、外に出て夜風に当たりながら直接見てみたくなってね」
「それならばお部屋のテラスからでも、そちらの方がより近くから見られるのではありませんか?」
シャイナは氷の人形に最上級の紫の宝石を2つはめ込んだような冷え冷えとした美貌で、僕のことをじっと見つめてきていた。
「もしよろしければ、御一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
それは星を見ることの方なのか、それとも僕がこれから出かけてやろうとしていることに対してなのか。
前者であれば歓迎したいけれど、後者であるのならば、何としてでも阻止しなくてはならない。
「それなら何か羽織るものでも取ってきた方が良いんじゃないかな。その格好だと流石に夜は冷えると思うから」
僕の上着で良ければ貸そうかと、着込んでいたコートを脱ごうとすると、それには及びませんと止められた。
「それではユーグリッド様のお召しになるものがなくなってしまいます。自分のものをとって参りますので、お待ちになっていてください。先に行ってしまってはいけませんよ」
わざわざ釘を刺したほどだ。
もし、シャイナが戻ってきた時に僕の姿がなければ、何と言われるか分からない。
そんなことくらいで――仮にこちらの真意を見抜いているのだとしたら――嫌われることはないと思うけれど、シャイナと星空を見るデートに出かけられるというのはかなり魅力的に思えてしまった。
今考えるべきはそこではないのかもしれないけれど、そんな機会も中々ないのだ。僕にはこれを見逃すことは出来なかった。
僕はこくりと頷いた。
しばらくして、
「お待たせいたしました。では参りましょうか」
星を見に行くと言っていたはずだけれど、シャイナの服装はネグリジェにストールを羽織ったような格好ではなく、少しばかりフリルが多くなってはいるものの、深い海のようなワンピースとソックスまで履いていた。
香水はつけてきてはいないらしく、わずかに香るのは本来の女の子特有の甘い感じのするものだった。
そんな、まさに人形が歩いているかのような美貌に見とれている暇はないのだと自分に活を入れ直して、差し出してくれたシャイナの手を取らせて貰う。
お屋敷の庭を、無言で手を取り合ったまま、2人で歩く。
本来の目的は別にあるのだけれど、僕は今のデートと言ってもおそらくは差し支えないだろう状況に、こんな時だというのに、興奮を覚えていた。
多少強引な論法かもしれないけれど、今の状況はシャイナがデートに誘ってくれたと考えても良いのではないだろうか。
今まで、僕がシャイナをデートに誘ったことは数限りなくあるけれど、シャイナからデートに誘ってくれたことは初めてだ。
「あの空の真ん中で明るく輝いている星が、女神セラシオーヌ様の星ですね」
すべての星々は、天から僕たちを見守ってくださっている女神セラシオーヌ様の星を中心にして、毎日少しづつ移動しながら、1年かけて元の位置に戻るのだけれど、女神様の星だけはそこから動くことなく、1年の間ずっと僕たちを見守り続けてくださっている。
「ユーグリッド様。今、何をお考えだったのですか?」
持ってきたらしいシートの上に並んで腰を下ろしているシャイナが星を見上げたまま僕に問いかけてくる。
「勿論、シャイナのことだけを考えていたよ」
間をあけずに、真っ直ぐにシャイナのことを見つめながら答えたのだけれど、どうやらシャイナは誤魔化されていると感じているらしく、不満そうな顔を浮かべていた。
「私は真剣に尋ねているのですが」
「僕はいつだって君に対して真剣だよ」
そのまましばらく僕とシャイナは無言のままに互いのことを見つめ合っていた。
先に目を逸らした方が負けのような気がして、視線を動かすことが出来ずにいる。
これだけ近くにいるので、空気が澄んでいることもあり、夜の風に吹かれていても、女の子に特有の甘い香りがふんわりと鼻腔を刺激する。
夜風に流れるサラサラの銀の髪も、音がしそうなほどに長いまつ毛も、吸い込まれそうなほどに澄んだ宝石のような紫の瞳も、つんと整った鼻立ちも、花びらのように可憐な唇も、あらためずとも分かっていたことだけれど、本当に綺麗な女の子だなあと実感させられる。
「では、率直にお尋ねいたします、ユーグリッド様。今から、私たちに黙って、調査、あわよくば解決に向かわれるおつもりでしたね」
もちろん、シャイナの安全を考えれば、ここは誤魔化すべきだったのだろう。
しかし、僕にはシャイナに嘘をつくなど出来るはずもなかった。
せめて黙っていたところで、沈黙は肯定、そうとられても仕方がない。
「うん」
僕は素直に頷いた。




