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井戸の底の深い工務店

作者: 相葉俊貴

 蜘蛛男は恋をした。とても暗く寂しい恋を。

『井戸には近づいてはならぬ。井戸は骸を打ち捨てるためにあるのだから』

 井戸の上でのお触れである。井戸の上の屋敷では、たくさんのお触れがあるが、井戸の中に棲む蜘蛛男には関係なかった。

 蜘蛛男には仕事がある。井戸に投げ込まれる骸を井戸の奥へ運び、管理しながら土に還す仕事が。

 井戸に棲み始めた頃より、腰はぐったりと曲がり、光をあまり受けなくなった目は随分と小さくなった。井戸が狭すぎるせいで、手と足の両方を使って歩くようになった。――そうして、いつの間にか男は蜘蛛男と呼ばれるようになり、忌み嫌われるようになった。

 骸のあまり降ってこない日に、蜘蛛男は井戸の外に頭だけ出してみた。

 古めかしいが、それが威厳にもなっている屋敷が目に映る。目が痛くなるのであまり長い時間、外を見ていられない。井戸の中に戻ろうかと思ったところで、少女が歩いてきた。

 少女は人形のようで、とても白く幻想的だった。もしかしたら本当に人形かもしれない。蜘蛛男は目の痛いのも忘れて少女に見入った。いや、魅入ってしまった。

 井戸の内壁にかけている手が痺れたので、蜘蛛男は仕方なく井戸の中に戻ろうとしたその時、少女の声が聞こえた。

「わたしは、自転車というもので友達と遊んでみたい」

 蜘蛛男はなんとなくその言葉を、自分に向けたものではないかと思った。そしてここに棲んで初めて、井戸の中がとても湿気っていて、かび臭いことに気がついた。

 それから何度か、蜘蛛男は井戸の外に近づいて少女のことを知ろうとした。

 少女は一日のほとんどを屋敷で過ごしているようだった。どうやら親しい友達はなく、それは父親の生業に深く由来するものらしい。

 少女の父親の指示で、蜘蛛男のための食べ物をくくりつけた骸が井戸に投げ込まれる。骸を秘密裏に処理していながら、少女の父親は破綻していないのだから、父親が真っ当な生き方をしていないことは明らかだった。おそらく周囲の人間は少女の父親にそそげぬ暗い感情を、少女を忌避することで解消しているに違いない。蜘蛛男は少女のために何かしてあげたかったが、自分には何もできないことを知っていた。

「わたしは、自転車というもので友達と遊んでみたい」

 唐突に少女の言葉を思い出した。友達にはなってあげられないが、自転車ならあげられるかもしれない。

 この深い井戸の底には、たくさんの材料があるではないか。

 それから蜘蛛男は、これまでに降ってきた骸や、新しく降ってきた骸の破片を使って自転車を作り始めた。少女の可憐な身体に合うように、そう心がけて作った。

 長い腕の骨はハンドルになり、骨盤はそのままサドルの骨組みになり、あばら骨はスポークになった。そうやって骨をうまくつかった。

 とてもお気に入りなのは、サドルにかぶせた柔らかい肉。これは座り心地が良さそうだ。いくつかの骸から取り出した腰椎を繋いでチェーンとするのは大変だったが、喜ぶ少女の顔を思えば苦しくはなかった。

 タイヤの替わりに骸の中にあるぬらついた長い部分を使った。それでようやく完成かと思ったが、大切なベルが付いていないことに気がついた。

 ベルには喉仏がちょうどいい、そう思っていたが、この自転車に合う喉仏がなかなか見つからなかった。

 それから蜘蛛男は、早く次の骸が降ってくることを願った。しかし蜘蛛男の願いとは裏腹に、骸が降ってくる頻度は低くなった。仕方ないので蜘蛛男は井戸の上に近づいてみた。目が痛くならないので、夜だということが分かった。近くで誰かの声がする。

「どうやらおやっさんもやばいようだ。このままじゃ若に乗っ取られるぜ」

「そいつはやべぇな。身の振り方考えるべ」

 声は遠ざかっていた。

 蜘蛛男には会話の中身はよく分からない。けれども、今が異常時であることは分かった。そしてそれが原因で骸が降らないことも。

 蜘蛛男は自分が空腹なのも忘れて、骸が降らないことを悲しく思った。

 それから数日後、ようやく骸が降ってきた。蜘蛛男は嬉しくなって骸に駆け寄る。ところがそれは正確には骸ではなく、微かに生きていた。胸元が血だらけなことを見ると、死にかけてはいるようだ。

「わ……わたしは……上の……屋敷の……当主だ……。た……助けてくれ……うら……ぎられた……」

 男がそう喋った言葉よりも、蜘蛛男は動く男の喉仏に注目した。

 これはとても具合が良さそうだ。

 蜘蛛男は井戸の奥にある工具を取ってきて、男の喉仏を取り出した。やはり欲しかった形、大きさの喉仏だ。これは素晴らしいベルになる。さぞきれいな音を鳴らすだろう。

 かくして少女に贈る自転車が完成した。とても乗りやすそうだし、少女が乗る様をまじまじと思い浮かべられる。

 蜘蛛男は自転車を背に括り付けて、井戸の外に向かってよじ登り始めた。

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