第6話:言葉
もう、梅雨になったのだろうか。突然、雨が降り出した。緋亜は、提げていたバックから折り畳み傘を取り出し、差す。
広げた傘に、雨粒があたり、弾ける。
ポツ、ポツ。バチャ、バチャ。
水溜りの中に靴が入っていた。なぜ、こういう日に限って革の靴なのだろう。最悪だ。
服まで、湿ってきた。
「冷たいなぁ……」
顔をしかめる。
「早く帰ろう」
バイト帰り。今日はあまり、稼ぐことは出来なかった。本当に、最悪だ。
ポツ、ポツ。バチャ、バチャ。
止まない雨。止まない音。
ビチャ、ビチャ。コツ、コツ。
緋亜の足音も、雨の所為で乱れている。
「……最悪」
呟いた。タクシーでも使おうか? いや、歩いて帰ったほうが近いし、基本料金を払うだけ無駄だ。頭の中で考える。結論的には、雨に濡れても構わないのだ。
電灯の明かりが、朦朧となっている。大通りから小道に入ると、すれ違う人が一人や二人になった。
その時、あの日のことを思い出す。
……寛と小道であった時のことを。
「逢いたがってんの? バカみたい。来るはずない……よ……」
自分に問い、自分で答えを出し、自分で自分を傷付ける。語尾はかすかな音としかならず、自分でも何を発したのか分からなくなった。
足を止めた。自分の見ている世界が一瞬静止する。
「いつまでも、夢見てる場合じゃ……ない……よ、ね?」
誰かに答えを聞いて欲しい。誰かに、この悲しさ、辛さを受け渡したい。
傘を持っていた手が震えだす。悲しさ、辛さ、自分に対する怒り。なぜ、私はこんなに感情が無茶苦茶なの? 手の震えが止まらなくなる。
とうとう、傘が地面に落ちてしまった。
雨粒が緋亜の体を浸食しようとする。緋亜は、そんなことはお構いなしになった。さっきまで、最悪と思っていた自分とはまるで違う。
この雨と一緒に、私も雨になってしまえばいいのに。
人という存在に、会わなくてもいい世界に行ければいいのに。
「どうかしましたか?」
不意に、落とした傘を差し出された。傘を受け取り、雨をしのぐ。今の声は、聞き覚えのある寛のものだ。まさかと思って、相手の顔を見た。……やはり、寛だった。
「ごめんなさい……」
寛も、緋亜だということを気づいたのだろう。返す言葉を見失っている。「まだ、私のこと少しでも、好きですか?」尋ねてみた。
「……そうだと言ったら?」
「ちょっと嬉しいです」
「違うと言ったら?」
「自分の殻に閉じこもりますね」
緋亜は、心にないことを言ってしまった。なんでだろう?
「どっちでもないって言ったら?」
「初めて会ったときみたいに接して欲しいです」
寛は一つ、息を吐いた。「俺は……緋亜のことが好きだ」
緋亜は目を硬く瞑った。なんとなく、分かってた答えだったけど戸惑う心はどうしようもない。
それとさ。寛は続けている。「緋亜がどう思ってても、俺の気持ちは変わらない。それと、緋亜に今すぐ答えを求めてるんじゃないから。俺はいつまでも待つよ、緋亜が答えを言ってくれるまで」
「……分かりました」
緋亜は自分の言いたいことを言えなかったが、寛にそう言われて言うのをやめた。
言葉は、緋亜と寛を繋ぎとめた。
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