第4話:寛の思い
4月20日。緋亜がバイト帰りの帰路に着いたときだった。
辺りは夜で、薄暗く、時には蛍光灯があるのについていない道路だってあった。そんな道を一人、彼女はポツポツ歩いている。後ろから、足音がした。緋亜の歩くペースより大幅に速い足音は、すぐに彼女の近くにまで忍び寄っている。そして、丁度後ろ、又は横というところで、足音が重なった。
何この人……。変な人。逃げよう。緋亜はそう思って、一段と早く歩こうとした。が、その時。誰かに肩を掴まれた。
「ひゃっ!」
思わず、裏声が出てしまう。掴んでいる手は大きい。男性だ。
「俺のこと、分かるか?」
「ひ、寛さん……?」
緋亜は声を頼りに、自分の知っている人を答えた。「当たり」
寛は、緋亜の前に出る。薄暗い蛍光灯でも、顔がはっきり見えた。そこで、一息つく。
「ビックリしたじゃないですか。こんな夜に、いきなり肩を掴むなんて」
「悪かったよ。でも、こんな薄暗いところを歩いてるからいけないんだって。俺がもし、殺人犯とか、強盗犯だったら、緋亜を見つけたら『なあ、嬢ちゃん。怪我したくなかったら、一緒についてきな』とか言って、お前を連れてくぜ?」
「だって、この道が一番あの家に近いんですよ。それに、殺人犯とかはそんなこと言わずにさっさと私を連れてっちゃうんじゃないですか?」
顔を見合わせて彼らは笑った。こんなところで、なぜか淡々と話してしまう二人。
緋亜はそこで気づく。なぜここに、寛がいるのか? ということに。「なんでこんな時間にしかもこの場所を通っているんですか?」聞いてみた。
「あっ、俺? 俺は今日、飲み会行かずに帰ってきたわけ。で、駅から大通りを歩いてたら、見覚えのある人が横切ってったと思って、つい、追っちゃったわけ。そしたら、緋亜だったと」
寛は通ってきた道を指しながら答えた。
「追ってきたって、ストーカーですね」
その一言に、寛は傷ついたのだろうか。「それは……」と言って、黙り込んでしまった。
「寛さんも、帰りなんですよね? 一緒に帰りましょうよ」
二人は横に並んで歩き出した。
と言っても、寛はさっきの言葉で傷付いているせいで、喋ることはなかった。
緋亜は少しだけ目線をあげた。寛は目線を少し下げた。二人の目線がぶつかり合う。
「っ……」
寛は顔に手を当てる。二人は目線を元に戻した。
なんなの? 今の。
緋亜が心の中で叫ぶ。
なんで俺の顔、見るんだよ……。
寛が心の中で呟いた。
「さっきの、すいません」
「……何が?」
寛は手を外す。緋亜は、寛が喋ってくれるとは思ってなくて、少し戸惑った。彼の顔には少し、顔が赤くなっていた跡があった。
「ストーカーって言ったの……」
「あ、そのことか。俺はてっきり……」
寛は語尾を濁した。「てっきりなんですか?」
「なんでもない。聞かなかったことにしといて」
分かったよ。ただ、そういうしか緋亜には出来なかった。相手の心の中まで、人は見ることは出来ないのだから。
「ありがと。ちょっと俺見て」
緋亜は寛の言うとおりに、彼を見た。そのときだった。波のように押し寄せてくる感情が生まれたのは。
…………。心が熱い。
「何するの?」
「ん? じゃあ、まず目をつぶって……」
寛の息がだんだん近くで聞こえるようになってくる。鼓動が早くなってきた。そして、もっと熱くなる心……。
一瞬、寛の唇が触れたような気がした。
「やっぱ無理」
寛は緋亜から離れた。
「ねぇ、何をしようとしたの?」
「……ほっとけ」
「ほっとけじゃないよ! 知りたいんだから!」
「……しょうがねぇなぁ。一回だけだぞ」
寛は手を伸ばし、緋亜の体を引き寄せた。
「えっ」
緋亜の顔が赤くなる。寛の手が腰にまわる。顔が近くなる。「ここで……」息が途切れる。緋亜は寛の顔が近すぎて、倒れそうだった。
「キスしようとした」
二人の唇が触れ合うという瞬間で、寛は顔を戻し、代わりに緋亜を抱きしめた。
「えっ! 寛さん……」
緋亜はどうしようか迷っていたが、自分からも、抱きしめた。
「俺、緋亜のこと好きなのかもしれない」
「ありえないと思うよ。だって、まだ会ってから一ヶ月も経ってない」
二人はまだ、抱き合っている。
「時間なんて関係ないよ。もしかしたら俺、会ったときから好きだったのかもしれねー」
緋亜はわかっていない。この言葉が告白だということを。
「ありがとう、寛さん。でも私、好きっていう感情が良く分からないし、まだこの町に来たばっかだし、寛さんのこと全然知らない。もうちょっとだけ、好きになるには時間が要りそう」
緋亜は寛の手を外した。二人の体が離れてゆく。
「ごめん……なさい」
緋亜は目をそらして言う。寛を直視できなかった。