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廓寥の森

作者: 古井雅

これは主人公のモノローグであり、台詞などは一切出てきません。




 小さくついたため息が辺り一面に広がる。

 手に触れた草花が皮膚に突き刺すような感覚を残したと思えば、暁闇に染まる空に一粒の光が浮かぶ。

 恒星と見紛うほど耿々としているその一粒の光がなんなのか、最初分からなかった。未だに空は夜更け前の闇に埋もれている。この空は現実であるのか、はたまた夢まぼろしの類であるのかは自分でも分からない。

 ただ、頭蓋に全ての重力が掛かっているような痛みが伸し掛かる。首元には擦り切れるような痛み、顔はやけに蒼白としてまるで病人のように薄気味悪さを覚える。体調不良とも言えるその表情とは裏腹に、この森は不気味なまでに廓寥としていて薄明かりが辺りにひっそりと瀰漫している。現在自分のいるこの森は、何処にも属さず何者も拒まない。

 森は生命系の一つの象徴だ。生きることを善として生命は命を取り合う。生きることは悪かもしれない、そんなことも思わないまま、森に点在する生命たちは殺しあう。自然の厳しさという言葉にかまけて大切なことを忘れているのかもしれない、僕はふとそんな疑問に駆られた。


 皆、生きることの重要性は説いてくれる。だけど、生きることを悪だと教えてくれたことはない。それに気がついてしまった瞬間、自分の心の中で小さな綻びが罅となって現れた。どうしても解けない生への執着、その執着から開放された自殺という死の方法は、人間が得た叡智より生まれた最も善に近い形の状態なのだ。僕はふとそんな妄想(りそう)に行き着くことになった。生きることの拒絶、それが人生で最も得なければならないこと、僕は勝手にそんなことを思い込んでいた。

 だけど生への拒絶はそのまま大きな罪として語り継がれていた。本質的な善とはあまりに違った苟且の悪、生きることはそのことの象徴であると幼い僕は考えた。

 それからは簡単。あとはこの廓寥の森に身を投じるだけだった。この森は誰も拒まないが誰も追わない。森に入るものは招き入れ、森の外へと消えていくものは追わない。繰り返される生命の連鎖がこの闃然とした森で繰り返されている。生命を回すことしかしないこの森の真意にたどり着くことはきっと出来ない。その代わり、森はある時ふとその意図を他の者に伝えることがある。

 それは生命が絶命する瞬間、特定の条件を満たす者だけに情報が流れ落ちる。すべてを知ることができるのはこの世のほんの一握り、完全に理解することができるのは更にその中の一定数だ。僕がすべて理解しているわけではない。だって森のなかにいるのだから、僕がすべてを理解できるとは言えないのかもしれない。森を理解するものは森を見下ろすもの、その先入観が常に頭のなかを先行していた。



 小さく見上げると、暁闇に浮かぶ小さな光が少し大きくなった。

 僕はあの光が現れた時から、黒色の空に浮かぶ一つの光の粒がなんのなのかを考えていた。その光は闇の中で一層強く自分を輝かせ、その身の存在を十分にこちらに伝えようとしているのだ。それがその光によって作り出されるものかは分からないが、何故か僕は、その光を見るたびに首元の擦れるような痛みが強まる。

 まるで光とともに呼吸しているかのような錯覚とともに、僕は手のひらに触れた草花を掴み引きちぎった。根と離れ離れになってしまった草花を鼻に近づけると、甘い香りが鼻腔を突く。草花は僅かに水分を含んでいて、その雫が地面に流れると同時に、森に小さな変化が生じた。

 舞い降りた雫を中心に、草花が急に成長を始める。音を立てて畝る草木はすぐに幼い僕の背丈を通り越して、闇に溶ける虚空へと自身の躰を伸ばしていく。

 まるで時間の進み方が変化したかのように、時計が刃のごとく素早く回転し始める音が辺りに幻聴として広がる。


 闃然とした森のなかに、こすれるような金属音が幻聴として鼓膜に響く。

 それと同時に自らの網膜も徐々に失われ始めたことに気がつく。それだけではない。味覚も嗅覚も、聴覚も触覚も徐々に薄らいでいくのだ。僕はそれが死であることを即座に理解し、走馬灯のような記憶の断片たちが脳内で弾け飛ぶように感覚として頭のなかを這いずりまわった。既に身体的な機能ではこれらの幻覚(おもいで)をみることは不可能だ。それなのに、僕はこれのら記憶の断片を躰の体験として感じ、理解する事ができる。それは身体の機能ではなく、少し荒っぽい言い方をするのならば魂そのもの働きなんだ。


 たった一瞬、時間にして一秒にも見たない間に人間は自分のこれまでの一生で理解したこと、感じたこと、すべてを一つの確認として把握する。それが走馬灯と呼ばれるもので、そこからこれからの運命が決定する。

 そのまま絶命するもの、意識の波を延々と浮遊し続けるもの、かろうじて一命を取り留めるもの、僕はその中で何処に行き着くのだろう。

 淡い期待を込めて、僕は小さく瞳を閉じた。もはやどうして自分がこの廓寥の森に入ることになったのかすら分からない。終わりのない成長を遂げ続ける草花に埋もれながら、僕は小さく笑みを浮かべることが出来た。


 こんな表情を浮かべたのはいつ頃だろう、いや、そもそもこんなに満たされた気持ちを感じたことはいつだろう。

 死というものは誰しも畏怖する忌々しいものだと教えられた。だけど僕の受け取るこの生からの解離というものは、実に透き通ったものだった。完璧な透明だった。すべての光を透過する完璧な透明というのはこのようなものだったのか、僕は一人簡単の表情を浮かべながら、衰えていく声帯に触れる。


 僕はまだ、恋愛とか友情とか、仕事とか趣味とか、そういうものをあまり知らない。だけど、これから先無限に続いていく光のなかで、少しずつ理解していくことができるのかな。そう思えば薄い人生の色彩も徐々に彩りで満ちていく。

 僕は空虚だった。僕の心は常に何もなかった。それに対して僕はなんの興味もなく、この世への未練を徐々に亡くしていった。心のなかでの自分が死んでいく。最期に残ったのは躰という亡骸(いれもの)だけだった。心は既に死んでいたんだ。だから心は魂とイコールで結ばれるものじゃないんだよ。


 あの時僕はすべてを失った。自分まで、その時に殺してしまった。この手で殺してしまったんだ。

 未だにあの場所に繋ぎ止められた自分の存在を殺したんだ。



 そう思うだけで僕の心は幾分重荷から救済された。

 暁闇に浮かぶ灯火が徐々に強く、明るく廓寥の森を照らしだしてくれる。その光が周りの草花の成長をさらに促し、次第に暁闇の空を覆い尽くさんばかりに草花が育まれていってしまった。やがてこの草花は自分たちで自分たちの命を刈り取ることになるだろう。この世界のように。

 廓寥の森を草花が覆い尽くす頃、僕はきっと存在しない。光は更に力を強め、その力で世界を壊すだろう。僕はふと、廓寥の森の破滅の未来まで見えた気がした。

 そして、少し皮肉っぽく笑みを浮かべて、小さく微睡んだ。



***



 街の総合病院にて、一人の少年が自殺未遂で運ばれた。

 少年は首吊りを行ったものの、発見が早期であったため命を落とすことはなかったが、少年が何時までたっても目覚める様子はなかった。

 少年は学校で、酷いいじめにあってしまった。その時、親友の男子生徒から絶交宣言をされ、そのまま引きこもりになってしまった。


 少年の自殺未遂の理由がそこにあったのかは明白である。

 だが、彼はどうして過酷ないじめに耐えることが出来たのにも関わらず、親友の絶交宣言で自殺に駆り立てられたのだろう。酷いいじめのほうが、自殺理由として的確ではないだろうか、この少年をみたほとんどの人は口を揃えてそう言うだろう。

 だが、彼にとってその親友の男子生徒は自分の命よりも重い存在だったのだ。彼からの絶交宣言は、彼にとっての死刑判決と同等の重みがあったのだろう。


 それでも、少年は死に触れて、大きなカセから開放されたのだ。

 だからこそ、少年は廓寥の森から放たれ、病室で小さな瞳に光を取り戻した。 

今回モノローグに挑戦してみましたが、思いの外モノローグが好きなことに気がついてしまいました。これからも度々練習がてら投稿するかもしれません。ここまでご覧下さり有り難うございます。

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[良い点] とても好きです、この作品。
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