38 過去の因縁
「さて、伯爵。あんたもわざわざ悪かったな。皇妃の血が思ったより濃くてしっかり餌の役割を果たしてくれそうだ。これからここにアイツがやってくる。巻き込まれる前に城内へ避難してくれ」
皇帝夫妻を見送った後、振り返った『狼』は東屋にてひっそりと魔法を見ていた伯爵にそう言った。セイラムがレオンを促すところをみるに、兄は祖父の護衛も兼ねているのだろう。レオンを安全なところに案内した後、騎士団に戻るつもりなのだろう。
だが、レオンはじっと『狼』を見つめたまま、身じろぎもしなかった。ただ仮面を被ったかのように無表情な顔は不自然なほど凪いでおり、ひたりと『狼』を見据えていた。やがて、吐き出された声はナクロが聞いたこともないほど重々しい響きを持っていた。
「アイツ、とはやはり今王都を騒がせている魔獣のことですかな?」
「・・・そうだ」
「黒い体毛に赤い目の狼型の魔獣?」
「そうだ」
「『紫紺の末裔』の血をなによりも好む?」
「ああ」
「では---」
「あんたの予想したとおりだよ。アイツは50年前、ユーグ伯爵領の小さな村をひとつ消している。あんたの生まれた村だ」
はっとしてレオンを見れば、セイラムも同じように驚きを隠せないようだった。
レオンの出自が平民であることは周知の事実であり、若いころはそれがもとで下げずまれ多くの妬みを受けたという。だが、そのすべてを跳ね返し有能さを見せつけ、ついに娘シェクラーナが皇妃の座に就いたときには表舞台で彼を貶める者はいなくなった。
だがレオンがユーグ伯爵領出身で、血のつながった家族を魔獣に殺されていると知っている者は少ない。ことさら公言するようなものでもないと言いつつ、50年経ってもまだ祖父の中では癒えない傷なのだ。
「では、わたしはここに残ろう」
ぐるぐると回る思考に沈んでいると、レオンのそのような言葉が聞こえナクロは反射的に叫んだ。
「駄目だ!おじい様は城内へ避難を---」
「わかった」
だがナクロの言葉に被せて聞こえた落ち着いた声は『狼』のもので、勢いよく睨みつけたものの、『狼』は全くナクロを見なかった。ただ、何かを探るようにレオンを観察し、そして満足そうに頷いた。
「いいだろう。あんたは俺が守ってやろう。セイラム、もう行っていいぞ」
「おい!俺は納得してない。兄上、おじい様も一緒に連れて行ってください!」
「いいって。伯爵もてこでも動きそうにねぇからな」
「兄上!」
しっしっと手を振る『狼』と吠える弟、動きそうにない祖父を交互に見回し、セイラムは諦めたように苦笑いを浮かべる。
「わかりました。ではわたしは先に騎士団に向かいましょう。『狼』、祖父と弟をよろしくお願いします」
「ああ」
「では、御前失礼します」とセイラムは一礼し、自分の戦場へ戻っていった。だが、納得いかないのはナクロで、さらに『狼』に突っかかった。『古森の狼』だろうが、許容できないものもある。
「約束が違うじゃないか!術が終わったらおじい様たちは避難させると言っていただろう」
「まぁ、な。でもまぁ、いいじゃねぇか」
「いいじゃねぇか、じゃない!」
「ほれ、それより・・・来るぞ」
「来る、って------!!」
ゾクリ、と背筋に震えが走り反射的に振り返る。じっと目を凝らしてそちらを見れば、漆黒の暗闇の中赤い双眸がギラリとまがまがしく光り輝いた。
* * *
「よう、いい月だな。こんな夜は体が軽くてひどく気分がいい。おまけにとんでもなくいい匂いがして来てみれば、お前一人かい?」
「ああ、そうだ」
スラリ、と剣を鞘から抜き、ナクロは魔獣に切っ先を向ける。祖父と『狼』の姿はない。当初の予定通り、気配を消した『狼』は魔獣の隙を見つけるまで姿を隠し、奇襲をかけるつもりらしい。
「この匂い、『紫紺の末裔』の血の匂いだな。皇妃サマの血か?オレを呼ぶために結界まで弱めてわざわざご苦労なことだな」
「黙れ」
「いいぜ、せっかくのゴショウタイだ。お前の後に、皇妃サマも喰ってやるよ」
「黙れと言ってる!」
魔獣の懐に飛び込み腹を横薙ぎするように剣を振るう。だがひらりと余裕をもって身をかわした魔獣はすれ違いざまナクロの体に爪を伸ばす。体を反らしギリギリ避けたつもりだったが、ピリリ、と痛みを感じた頬には一筋の赤い線が出来ていた。
ナクロが持つ剣と同じほど伸びた爪をぺろりと舐め上げ、魔獣はうっそりと目を細めた。
「やはり『紫紺の末裔』はいい。うまい上に力になる。だが、もうあんまり残ってなねぇし見つけるのに難儀なんだよな。失敗したな、殺しすぎちまった」
「何をいまさら!」
「だから、増やそうと思ってんだ。あいつを使ってな」
「あいつ・・・?」
「シェリア=ハイゼン。俺とあいつの子なら、高確率で『紫紺の末裔』が生まれるはずだぜ」
「貴様っ・・・!!」
カッと頭に血が上る。怒りで目の前が真っ赤になった気がした。気がつけば魔獣の爪と鍔迫り合いをしており、ギリギリという音が聞こえてきそうなほどだった。こちらは力の限り押しているはずだが、間近で見た魔獣の目は楽しそうにナクロを見ていた。
(力で勝てるはずもないか。ならば---)
剣をわずかに傾け、爪を滑らし軌道を変えながらナクロは懐に潜り込む。さらに傍らをくるりと回転するように回り込むと魔獣の背中を下から切り上げた。
(これでどうだ!)
致命傷にはなっていない。だがわずかなりとも動きを鈍らせれば、という心づもりがあった。
イルディスほどの剣の腕はないがそれでもナクロは国で十指に入るという自負もあり、『古森の狼』が隙を突くまでの時間稼ぎが自分の役目だと分かっていても、魔獣にやられっぱなしで済ませるつもりはなかった。
すばやく距離をとり、様子を伺うことしばし。クツクツとひそやかにもれる笑い声がした。怪訝な顔で警戒していると、ゆらり、魔獣の赤い傷が歪んだ気がした。そして、ナクロの目の前で、見る間に塞がっていったのだ。
「なっ・・・!」
「・・・これで終わりか?オウジサマ。ないならそろそろ喰っちまうぞ』
くるりと振り返りナクロを見やった魔獣は残酷そうに笑ったのだった。




