10.後は頼む
10.後は頼む
店を出ると小雨がぱらついていた。井川はかなりいい気分になっているようだ。駅までの道すがら一軒の居酒屋が目に入った。
「どおら、ちょっくら寄っていくか」
既に、散り散りに解散して、井川について歩いているのは良介、名取、青田、今日子だけだった。
「部長、大丈夫ですか?」
名取が心配そうに言う。
「まだ、歩けるから大丈夫さ」
良介が言う。井川は当たり前だとうなずき、店に入って行った。
「僕は一緒に帰るのはごめんですからね」
家の方角が同じ青田が念を押しながらも渋々後に従う。
井川は日本酒の燗を、その他は焼酎の緑茶割りを、良介は井川に付き合って猪口をもう一つもらった。
「なんにっしてもよかった。居なくなった奴らは所詮、それだけの人間だったってことよ」
感慨深気に井川が呟く。このリストラを実施するに当たり、竹山の構想と井川の見解には一致しない部分もかなりあった。少なくとも、青田と今日子は井川が口を挟まなければ、今ここには居なかったはずだ。もちろん、本人たちはそのことを知らない。しかし、一度は解雇を宣告された身であるのだから、うっすらとは分かっているのだろう。
「部長、無理はしないでくださいね」
そう言った青田の顔には井川を気遣う気持ちと、感謝の気持ちが強く表れていたように思う。
今日子は井川に酒を注ぎながら、しんみりと井川の顔を見つめた。
「なんか腹が減ったなあ」
と、井川。
「マジですか?僕はもう何も入りませんよ」
「名取、お前はいいんだよ。おい、日下部、なんか肴を適当に頼んでくれ」
蕎麦屋であれだけの量を食べつくしたのだ。腹が減っていることなどありえないのは分かっている。良介はうなずいて、刺身の三点盛り、きゅうりとわかめの酢の物、茶わん蒸しを頼んだ。
勘定は井川が一人で払った。
「おい、タクシーを止めてくれ」
さすがに、井川の足元はおぼつかなくなっている。名取と青田、今日子はタクシーを捕まえるために車道の方へ出て手を挙げている。
「まあ、後は頼むぞ」
井川は良介にそう言うと、三人が捕まえたタクシーに向かって歩き始めた。
「青田、一緒に乗って行け」
そう言って青田の腕を捕まえ、井川はタクシーに乗り込んだ。
「大丈夫ですかねえ」
今日子が心配そうに言う。
「毎度のことだから心配はない。それに青田も一緒だからな」
良介は名取、今日子とともに駅へ向かって歩き出した。今日子は良介と名取の少し前を歩いている。
「日下部さん、まだ大丈夫ですか?」
「大丈夫だけど、お前は彼女を送って行けよ」
「いやあ、僕、彼女苦手なんですよね」
「なにもったいないこと言ってるんだ。俺なら喜んで送って行きたいけどな」
「頼みますよ。彼女をまいて二人でどこか行きましょうよ」
名取はそう言って、ちらっと今日子の方を見た。嫌な雰囲気を察知したかのように今日子が振り向いた。
「今日はこれで終わりにしよう」
名取は残念そうにうつむいた。
駅に着いた。名取と今日子はJRに、良介は地下鉄に乗る。JRの改札口で良介は名取と今日子を見送った。今日子が名取の横にぴったりくっついている。名取が振り返り、手を振った。今日子も軽く頭を下げた。その瞬間に名取は走り出した。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ…」
慌てて名取の後を追う今日子の姿が可笑しくて良介は笑みをこぼした。
「さて、どこで飲み直そうか…」
良介は改札口に背を向けると、地下鉄の入り口とは別の方へ歩き出した。