2
「警察きたみたいよ。・・・・梨ノ木さん?」
と、陽子は梨ノ木を見て首を傾げた。
「トイレの床に寝そべるのが趣味なの?」
無精髭男もとい、梨ノ木はガバッと起き上がり、低く唸った。
彼の動作は、まるでエサを盗られると勘違いした犬のようだ。
まぁ、違和感がないのはどうかと思うが・・・・。
「お嬢さん、ここを見てごらん」
梨ノ木の指差すタイルの一角に、じっと陽子は目を凝らすと、
「あっ!!これ・・・・針じゃない。ってことは、まさか毒殺?」
と、小声で呟く。
傍には、まだ容疑者である三人がいるので、トーンを下げたのだ。
梨ノ木がにっこり笑った瞬間、ぞろぞろと警察が現れた。
陽子と梨ノ木は素早くその場を離れ、警察が入れるように横に避けた。
検死官らしき人が入っていった後に、陽子たちの前にスーツに白い手袋をした男が立ち止まった。
五十過ぎで、いかにも頑固ですって主張していそうな眉に、薄くなった白髪の頭部。だが、嫌な印象は与えない。
「・・・・梨ノ木、またお前か」
梨ノ木はにんまりと笑い、その刑事(であるかは不明だが)の肩をごついた。
「あ〜・・・・逆岐刑事じゃないですかぁ!いつぶりですかね」
「三週間振りだな・・・・よく、事件に巻き込まれる男だな、全く」
端からみても、呆れた表情を隠せずに唸る姿は、痩せたブルドックのようだ。
「まぁ、お前さんがいると事件もすぐ片付くがな」
逆岐は梨ノ木の傍を離れ、現場である狭いトイレへと向かった。陽子は、右肘で梨ノ木をつつく。
「今のおじさん、何なのよ?」
「ん?どっからみても、警察関係者じゃないか」
梨ノ木のはぐらかし技には、陽子も歯がたたない。
何か言い返そうとしたが、容疑者全員は店の椅子に座るよう告げられた。
逆岐は、座ろうとした梨ノ木に目で来いと合図した。
「殺害されたのは、藤森充刃祢。四十三歳。祖父母のどちらかが日本人で、国籍は日本だそうだ」
逆岐刑事は台所の隅で小さな声で話す。
梨ノ木は、うむと相槌を打った。もちろん、陽子は強引にくっついてきた。
「でな、お前さんは知ってるだろうが、仏さん、裏ルートと繋がってたよ。なんでも、うまくブツを流すことで有名だったらしい」
「なんの裏ルートよ?」
逆岐は露骨に嫌そうな顔をし、陽子を眺めた。
「どうでもいいがよ、梨ノ木。この娘っこは容疑者の一人じゃないのか」
その言葉にニヤッと笑うと、陽子を前につきだした。
「いったいわねっ!!なにす・・・・」
「このお嬢さん、携帯と財布、車の鍵しか持ってきてないんだよ。まぁ、検査してみないと分からんが」
梨ノ木は続ける。
「それに、彼女はトイレに入っていない。容疑者から、うまく外れる」
陽子は、梨ノ木がそこにいた人間の行動を記憶していることに驚いた。
逆岐が胡散臭そうに陽子をみていたが、手帳を捲り読みあげた。
「奥道陽子・・・・都内のF大二年生。父は病死、母子家庭。二年前から一人暮らしを始める。現在は、花屋『カリッジ』にアルバイトをしている」
・・・・警察なんだから、調べることなんて朝飯前だとは分かっているものの、良い気分はしない。「親父さんがいたから、簡単に調べられたよ」
陽子は逆岐を睨んだ。
それをみて、逆岐はどこ吹く風と言った様子で手帳を閉じた。
「まぁ、俺は下っ端だからな。上の人間のことなんざ、知らねぇが」
「父と私はもう関係ありませんから」
陽子は不機嫌そうに会釈をして、容疑者の集まるテーブルへと向かった。
梨ノ木は逆岐の肩をつついて、
「何なんですか、このやりとりは。逆岐さん、このお嬢さんとは初対面でしょ?」
と、聞いた。
逆岐は小声で、梨ノ木に耳打ちした。
「あの嬢ちゃんはな、警視庁の本部長さんの一人娘なんだよ。今は、離婚したらしいから一緒に暮らしてはいないだろうが、あの嬢ちゃんは物凄い洞察力で、本部長の浮気を暴いたらしいからな。」
おっと、これは禁句だったと言いながら、逆岐は後を続けた。
「嬢ちゃんには、よく目を光らせておいてくれ。何かのキーポイントになるかもしれん」
梨ノ木はふむと言い、テーブルに向かった逆岐の後ろ姿にボソッと呟いた。
「洞察力だけじゃなく、直感力にも長けているみたいだけど・・・・浮気がバレるのは、女の勘ってヤツでしょうしね」
see you NEXT