緑の夕焼けに見とれていただけです
図書室を出ると由梨乃ちゃんと出くわした。
軽く挨拶を交わすと、彼女の視線は私の腕の中に移動して
「“雪の王子と星の唄”?」
由梨乃ちゃんは私が一番上に持っていた本の題名を読んだ。
そう、由梨乃ちゃんは日本語でも英語でもない、この世界の文字を読んだのだ。
「絵がすごく綺麗だね」
ニコッと可憐な笑顔とともに一言残して、一緒にいたエメリア姫様と廊下の向こうへ消えていった。
由梨乃ちゃんにはこの世界の言葉が読めるらしい。
真の賢者の特権ってヤツかしら…。
部屋へ戻ろうと中庭の前を通ったとき、私は思わず足を止めた。日が沈む前の、夕焼けの空の色が緑色だったのだ。メロンソーダのような、でももっと繊細に、もっと鮮やかにしたような、澄んだ緑色だ。
側にあったベンチに腰を下ろし、とにかくずーっと緑色に広がる空を見上げていた。
「…」
「―…」
無心で空を凝視していた私は、自分にかけられた声をすぐに察知することができなかった。
「ねぇ、ちょっといいかな?」
声の方へ視線を移すと3人の煌びやかなお兄さんたちがいた。それぞれ黒髪、銀髪、赤毛である。
「ああ、やっと気づいてくれた。君、ユリノと一緒に召喚された子だよね?」
人懐っこそうな笑みを浮かべているし、声色を聞く限り、私が無視したことで気分を害したような気配はない。
しかしやっぱり無視は感じ悪いので、謝罪の言葉を述べて頭を下げた。
『あ…、自分に声をかけられているのだとは思わなかったので…大変失礼いたしました。』
頭をゆっくり戻し、改めて3人の顔を拝見した。
この人たち…確か魔王討伐チームの人だ。ちゃんと紹介されたことはないけど、召喚されたときも、先日旅について行くことを脅迫されたときも確か後ろ側にいた気がする。
怖い。
こっちの世界に来て、あまり好意的な目を向けられていない。
また何か言われる?
また何か脅される?
怖い。
黒髪のお兄さんが一歩こちらに踏み出してきたので、私もさりげなく一歩下がってみる。あくまでさりげなく。
また一歩踏み出して近づいて来られたので私もまた一歩下がり、
『何か御用ですか?』
と、話を切り出してみた。感じ悪くない程度に無表情で首をかしげ、少し声のトーンを高くして。
黒髪のお兄さんの足が止まる。
「こんなところで1人でぼーっと、何してるんだい?」
後ろにいた赤髪のお兄さんが言った。
え、何か変なこと企んでるとか思われた?いや、誤解!私ただ緑の夕焼けが珍しすぎて綺麗すぎて見てただけデスヨ!?ワタシ無罪。
『この世界の夕焼けは綺麗ですね』
3人のお兄さんたちは少しキョトンとしたように顔を見合わせている。
別に悪いことをしているのではないはずなので素直に言うことにした。嘘はつかないに越したことはない。うん。
『先日の燃えるように真っ赤な夕焼けも見事でしたし…元の世界は空がこんなに鮮やかな緑色に染まることなんてまずありませんでしたから。だから綺麗だなぁ…と。』
3人が空を仰ぎ
「へえ、俺たちにとってはそんなに珍しいことでもないけどな。」
銀髪のお兄さんがつぶやいた。
ふーん。こんなに綺麗な空が日常だなんてちょっといいなぁ。
素直にそう言ったら今度は3人でまた一歩近づいて来られたので私もまた一歩後退。
えぇぇぇ…もう話すことないですよ?私たださえ会話苦手なのに…。人怖い異世界人怖い。
「…そんなに警戒しなくても乱暴なことはしないよ?距離、もう少し縮めていい?」
黒髪のお兄さんが少し眉を下げて困ったような笑みを浮かべて言った。
バレてるーーー!さりげなく下がったつもりだったのに…!
『えーっと…』
なんと言おうか言葉を探しながらまた一歩後ろに踏み出すと背中が壁にぶつかり、お兄さんたちは私の返事を待つことなく正面まで来た。
ひぃぃぃぃ!に、逃げ場無い!! 1対3って…!
“乱暴なことはしない”って言ってるけど…けど…
先日の脅された時の光景が頭をよぎる。
怖い。怖い。
持っていた本を胸の前でぎゅっと抱きしめるように持ち直した。
「ほらほら、お前がそんなに詰め寄ってるから怯えてるじゃないか。」
いや赤毛のお兄さん、あなたも含んでますから。
「あ…、すまない」
そう言って後ろの2人よりも1歩前に出ていた黒髪のお兄さんが1歩下がり、
「そんなに怖がらないでくれないか?俺たちも旅に行くメンバーなんだ」
俯いて目線を合わせようとしない私の顔を覗き込むようにして言った。
うん、知ってます。
「いやいや、先日の王たちの脅迫のことを思えばむしろチームの人間だから怖がっているんじゃないか?」
銀髪のお兄さん、わかっているなら何故そっとしておいてくれなかった。
「!それは…無神経で悪かった。」
一応、本当に敵意はないっぽい。声の感じは本気で申し訳なさそうだ。
「先日は脅迫されてるのを黙って見ていてごめんな。でも彼ら、王族とかお偉いさんたちだから俺らもあまり刃向えないんだよ。」
ん?赤毛のお兄さん、延いてはこのお兄さんたち、私のこと邪険じゃないのか?
私はおそるおそる視線を上げて、目の前に佇む3人のイケメンさんたちを見た。
真ん中の人は、やや日に焼けた肌に軽くくせ毛気味の黒髪が片目をほぼ覆っている。その長めの前髪から覗く片目はラピスラズリのような深い青色だ。
右側の人は、白肌に薄く緑味を帯びた銀髪をゆるく三つ編みにして片側に垂らしている。少しつり気味の目は光の加減で黄色にも黄緑色にも見えるレモンイエロー。
そして左側の人は、褐色の肌に色づいた紅葉みたいな鮮やかな赤毛と琥珀色の瞳。その力強い瞳と流れる髪のせいか、ライオンを連想させられる。
「その本は?」
と、銀髪のお兄さんに尋ねられたので、抱きしめていた本を差し出して、図書室で借りた旨を告げた。
『絵がとても綺麗だったので…』
はっ!まさか由梨乃ちゃんが賢者としていろいろと準備を頑張っているのに、役立たずが悠長に本、しかも絵本なんか読んでお気楽なものだとか思われてる?(被害妄想)
しかしそれがあながち間違っていない事実がなんか恨めしい。
「へぇ、懐かしいな。それぞれ文字が違うけど、読めるのかい?」
『読めないから、絵本を選んだんです。』
内容がわかるということは言わないでいた。字が読めないのは事実だし。彼らは納得したみたいだし。これでよし。
『ここで一般的に使われている文字は…これらのどれかですか?』
丁度良い機会だったので今度は私から質問した。
銀髪のお兄さんは一番上に持っていた“雪の王子と星の唄”を手にとって
「これだよ」
と教えてくれた。
さらにお話を聞くに、赤毛のお兄さんは“第一騎士団副団長補佐”、黒髪のお兄さんは “第三騎士団副団長補佐”らしい。「騎士団副団長補佐」。長い。詳しくは分からないけれど、とりあえずエリートなんだろう。
そして銀髪のお兄さんは国一番の切れ者。強いて言えば“学者”とでも言おうか。学者は、候補は何人もいたらしいが、彼はこの騎士団副団長補佐2人の親友らしく、それで一緒にメンバーとなったそうだ。
一日の仕事が終わり、3人で食事に向かおうとしていたところに、傍から見たら放心状態の私がいたので、旅のメンバーだから声をかけてくださったんだそう。
一応、メンバーの一人としてこの人たちには認識されているのかしら…
単純な私にとって、“自分に敵意を向けずに話してくれる人”という時点で善人だとは思う。
でも彼らがどんな人物なのか、初めて話す今の時点では判断できないし、それは逆に彼らにとっても同じだろう。異世界とか関係なく、もともと人づきあいに苦手意識や恐怖心を少しだけ持ってしまっている。
どんな顔をすればいいのかわからない。
「私のことを気にかけていただいてありがとうございました。お役に立てることがあるかどうかわかりませんが、よろしくお願いします。」
変なことを言わないうちに逃げてしまおうと、ぺこりと頭を下げて私はその場を後にした。
自分が去った後、3人でこんな会話が繰り広げられていたのは私の知る由もない。
学者:「怯えているだけかとも思ったがやっぱり無愛想だな。ユリノと違っていつも無表情に近いから何を考えているのか読めないし。」
第一騎士団副団長補佐:「でも悪い子じゃなさそうだな。夕焼けとか絵本とか見てて気楽そうだけど。」
第三騎士団副団長補佐:「案外、脅されたとはいえ旅について行くだけでいい彼女の方が気楽なのかもしれないな。」
第一騎士団副団長補佐:「そうだ!確かユリノは文字の読み書きを教えてもらっていると言っていたよな。あのような絵本を教材にしてみたらどうだろう。」
第三騎士団副団長補佐:「ああ、それはいい考えかもしれない。」
学者:「いくつか見繕ってプレゼントしてみるか。」
由梨乃ちゃんが文字を読めたのは、文字を教えてもらっていたからでした。
「覚えるの早すぎだろっ!」というツッコミは…。この世界で一番使われている言語は日本語と文の構成が似ていたり、子供用の絵本だったので、1文字で1つの発音する、ひらがなのようなもので書かれていたために、習い始めた由梨乃ちゃんでもなんとか本の題名を読めたということで…。あと一応、主人公が選んだ絵本、“雪の王子と星の唄”は、お話には一切関係ありません。
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