方法は一つとは限らないと思います
美人騎士さんに嫌味を言われて数日。特に危害に出くわすような事件に遭遇することはなく、必要以上に人と関わることなく時間が過ぎた。が、私は今腕から血を流している。
えーっと…階段から落ちちゃいました。
しかし別に誰かから突き落とされた訳ではない。ちょっと考え事をしていて前をちゃんと見ていなかったのだ。階段を上っていたら、反対側から来た宰相さんに気付かなかった。それはブツブツと何かつぶやきながら書類に目を通していた宰相さんも同じだったらしく、突然ふさがった視界にびっくりしてバランスを崩し落下。うん、我ながらアホすぎる!! 前は良く見て歩きましょう。
落ちた直後、自分の身体の下になっている右腕が妙にズキズキするなとは思っていた。しかしそれよりも先に今の状況をどうやって終わらせるかの方が重要だった。
下手に自分が笑ったら変人に思われる可能性が高い。痛みに耐えられず泣いてしまうような年齢でもない。というか痛くはあるけれど泣くほどではない。仲の良い人がいたら笑い話にできるけど今は無理っぽい。いや、むしろ笑いものにされる?それとも無視される?あぁ、どっちにしても早く立たなくちゃ――――――
そんなことをぐるぐる考えていたら仰向け状態のままの私に手が差し出された。
「すまない、前を見ていなかった。立てるか?」
銀髪の間からのぞく薄鼠色の瞳が私を見下ろしていた。揺れる片眼鏡の鎖がオシャレです。
まぁそんなことよりも、宰相さんの意外な優しい動作に驚いた。眉間にシワは寄ってたけど。思ってたよりはいい人なのかもしれないのかな。
『あ、はい。こっちこそちゃんと前見ていなくてすいません。以後気をつけます』
せっかく手を差し伸べてもらったので左手をとってもらう。立ち上がるのを手伝ってもらい、お互いにもう一度謝罪しあって別れた後。ようやく右腕を擦りむいていることに気がついた。どうやら右腕を下にして階段の角でむき出しの腕を擦りながら落っこちたみたいだ。
さて、擦りむいただけなので大した怪我ではない。けれどできれば傷口を洗って衛生を保ちたいので井戸へ向かうことにした。人気の少ない石畳の廊下を抜ける。
すると見覚えのある人影が2つあった。片や肩にかかるくらいの青みがかった髪に眼鏡をかけた男性、片や色白でゆるいウェーブのかかった長い金髪の女性。
魔王討伐チームの魔術師のお2人だ。この人たちとは、まだちゃんと言葉を交わしたことがなかった。
2人がいるのはまさに私の進行方向。一瞬、回れ右をするべきか迷う。2人がまだ私に気付いていないうちに回避するべきか…。とはいえ、ここで引き返しても井戸へ行くにはここを通らなければならない。すれ違うだけならせいぜい睨まれるくらいで済むだろう。
腹を決めて軽く会釈をして通り過ぎようとしたとき
「待って!」
透き通ったソプラノの声が響いた。
んん?
辺りをキョロキョロ見回したけれど、私たちの3人しか見当たらない。魔術師様(♀)の顔は私に向いている。魔術師様(♂)は「何事だ?」とでもいうように彼女を見ている。
これってつまり私ですよね?何か悪いことしました!?
内心ビビりまくりだけど無視するのは失礼に値するはずだ。足を止め、私は改めて2人と向き合った。男性の方は眼鏡の奥のグレーの瞳がつり上がっている。その一方、女性の方はおっとりした雰囲気を纏い、やや眉が下がっているもののそこから不快な感情は読み取れない。
「貴女、怪我しているじゃない!」
彼女の視線が私の腕に注がれている。鋭いな。
『あぁ、ちょっとコケてしまいまして』
ぼんやりしていて階段から落ちたなんてカッコ悪くて言えない…!
「やれやれ、これだから…」
おい、“これだから役立たずは”って言おうとしただろうこのメガネ!馬鹿にされている感じがひしひしと伝わる。まぁ、態度はムカつくけど事実だから否定できない。
『擦りむいただけですけど一応、傷口を洗うくらいはしたいので井戸へ行くところなんです』
「私も一緒に行くわ」
おぉ!?珍しい。向こうから私につきあってくれる人なんて…!
『えっと…お忙しくないんですか?』
「ええ、この後は特に何もないし…今話していた件、これでもういいわよね?」
「あ、あぁ。しかしこっちの件の方も今から…」
魔術師様(♂)は書類をめくって相方の方へ向けた。
「そっちは明日会議をしてからじゃないと今2人だけで話を進めても無駄でしょう?」
「しかし…」
煮え切らない様子の魔術師様(♂)はまだもごもご言っていた。
しかし、私とて傷口を洗うだけだから絶対付き添ってもらわないと困るというわけでもない。
『あの…一人でも大丈夫ですよ?』
「いいえ、行きます。ねぇ、その件のことを今から話し合わないといけない理由があるの?」
もう一度、魔術師様(♂)に確認する。
「理由は…特にないが」
引き留める理由はないらしい。彼女は強引に話を終わらせ、私の手を引いて井戸のある方向へ歩き出した。おっとりした柔らかな口調なのに!むしろメガネの方が強引そうなのに!!
『すいません、失礼します』
そう言った私の言葉は届いたのかそうでないのかはわからない。ただ、頭を上げた瞬間に見えた彼は私を睨んでいたので、すぐさま顔を正面に向けて目を逸らした。怖い怖い。
少し歩き、建物にそって角を曲がると井戸がある。使い慣れていない井戸にちょっぴり不安を感じながらも、桶に手を伸ばした。
「ああ、井戸からくみ上げなくてもいいわよ。桶だけ貸してちょうだい」
と、魔術師様(♀)に言われたので、どういうことかと思いつつ素直に手渡す。
彼女はそれを地面に置いて、ひとなでするような動作をしたかと思うと、空だったはずの桶には水が満杯になっていた。
「ふふっ、水の属性を持っているもの。これくらい簡単よ」
未だに魔術の存在は私にとって摩訶不思議な現象だ。そう思っていたのが顔に出ていたらしい。
「さ、洗ったら傷口見せてね」
そう言ってにっこりとスマイルを向けられてはいつまでも不思議がっているわけにはいかない。彼女に傷を見せる趣旨はよくわからなかったけれど、特に否定する理由もなかったので、水をはってくれたお礼を言いながら ちゃぷん と傷口を浸した。
「私は水の属性も持っているけどもうひとつ、“治癒”の属性も持っているの」
だから自分も討伐チームに組まれたのよ と、水をすくっている私の動作を眺めながら彼女が話す。覗き込んで見えたその瞳は陽だまりを連想させるような温かみのあるオレンジ色だ。治癒の属性を持つ人は今、彼女を含めて数人しかいないらしい。貴重な存在なんですね。
「自然治癒力を促すの。だからこの傷も…」
そう言って彼女は掌と布で傷口を包み込んだ。
自然治癒力ということは、もともとその人の体内にある力を引き出すことしかできないのかしら?
そんなことをぼんやり考えながら布の下にある自分の腕の傷口を血小板が塞いで血が止まり、膿が出て瘡蓋ができて表皮が癒えていくイメージを、生物の教科書の図と共に思い描いた。
「ほら」と、そっと外された手の下にあったはずの傷はきれいに消えている。
『これ…魔術師さんの魔術ですか?』
私は腕の角度を何度も変えて傷があったはずの箇所を確認する。痕も残っていないし痛みもない。はじめから怪我などしていなかったみたいだ。
「ええ。それと、私はエレナよ」
ふわりとした笑みに金髪が日の光を受けてきらめきが増している。女神かっ!
こんな人が討伐チームにいたという事実への感動と、彼女の女神スマイルに見とれて思わず呆けそうになった。しかしここでアホ面をさらすわけにはいかない。こんな超いい人に変人と間違われてしまうことは断固として阻止せねば!!
と、我ながら仕様もない思考回路に自分でツッコミながらも冷静を装い、会話を続けるためにその“属性”について話題をふってみた。
魔術には騎士が剣に形をかえて使うようなものの他にも、“音”や“蜃気楼”などといった属性もあるらしい。もはやこの世界の“自然現象”のカテゴリの境界線がよくわからない。ただ私の想像の及ぶ範囲内では、“治癒”はかなりのレベルで有益そうな気がする。そう思ったことを伝えるとエレナさんは少し陰のある微笑を浮かべて言った。
「私は本音を言ってしまえば、色の属性が欲しかったわ」
『色、ですか?そんな属性もあるんですねぇ』
「これも稀にしか持つ人はいないのだけどね。色の属性があれば虹を作ることができたのに…」
『虹って…空にかかるあの七色の…ですよね?』
エレナさんは ええ、と頷く。
「私のお母様がね、持っていたの。虹は幸運を呼ぶって言われていて、それもあってお父様と恋に落ちたお母様は庶民だったけど、幸運の女性だと祝福されて伯爵家にお嫁に迎えられたらしいわ」
虹は世界が違っても幸せの象徴なんですね。というかエレナさん貴族なんですね。あふれる品格に納得。
「でも私が言いたいのはそういうことではなくて…それよりも、母は私が小さい頃、体調を崩したり落ち込んだりするといつも虹を見せて元気づけてくれたのよ」
素敵なお母様だ。そしてこの世界での虹の原理は“色の精霊が作るもの”なのか。
「でもお母様はもう随分前に…年の離れた弟がまだ物心がつくかつかないかの頃に亡くなってしまって。できることなら私も、彼にも虹を見せてやりたかったのよ。お母様が私にしてくれた大切な思い出を弟にもね…」
眉毛を下げたエレナさんは憂いの表情を浮かべて話してくれた。綺麗な顔立ちが儚さを一層引き立てているような気がする。エレナさん、弟想いのその優しい心、お母様に似たんだろうなぁ。ちなみに弟さんはまだ10歳だそうだ。
それにしても話を聞く限り、要は「色の属性が欲しい」と言うよりも「弟さんに虹を見せたい」らしい。
私は元の世界から持ってきていた安物のコロンを取り出した。好きな匂いだったので気分転換にでもなるかと思ってポケットにしのばせておいたのだ。もともとあまり残っていなかった中身に水を入れる。エレナさんはそんな私の行動を、「何するんだろう」というように黙って見ていた。
私は太陽の位置を確認してそちらに背を向ける。
もう夕方に近いからお日さまもやや傾いているし、たぶん大丈夫だろう。
私はしゃがみこみ、植木や草花のかげに向けて適当にシュッシュッシュッと霧を吹いた。
そう、虹を作ってみたのだ。小さいけれど、くっきりとした七色の弧が現れる。
おお!わりと綺麗。もしかしたら地球とは科学的な環境の差異とかあって作れないかもしれないと思ったけどよかった!
「あなた…色の属性を持っていたの?」
私と同じところを覗き込んでいたエレナさんが目を丸くしてつぶやいた。
『私に属性がないことはご存じでしょう』
ちょっと皮肉を込めて言ってみた。
『魔術がなくても虹を見ることはできますよ。空気中の水滴に太陽光が屈折と反射をすることで…って、きちんと説明なんてできないんですけど』
エレナさんの頭上にクエスチョンマークが浮かんでいる。
『とにかく空気中の細かい水滴が関係していまして…エレナさん、水の属性もお持ちなんですよね?太陽に背を向けて、この辺に雨とか霧雨状の水を出すことってできますか?』
「え、えぇ…」
無言で行動を促すと、彼女は腑に落ちないような面持ちで手をかざした。
すると私が霧吹きで作ったものよりも広範囲に水滴のスクリーンができたため、大きな七色が浮かびあがった。
「………」
エレナさん絶句。
魔術などというものに、現実的な意味では無縁である地球人としては、感動はするものの特別驚くほどのことではないと思う。でも彼女は本気で驚いているみたいだ。科学が発達して、色は光による刺激で感じるものだということが知られていなければ、このような反応をするものなのか。
この世界は魔術を使うことを前提として発展しているらしいので、当然なのかもしれないがここの人たちは魔術に頼りすぎている節がある気がする。
『色の魔術でどのようなことができるのかは存じませんが…あまりやりすぎると「インチキだ」と、顰蹙を買ってしまうこともあるかもしれませんけど、弟さんに喜んでいただくくらいになら、充分エレナさんにもこれでできるんじゃないでしょうか。天候や時間などを考慮する必要はありますけどね』
その後、薄暗くなってくるまで何度も試して2人でより綺麗に虹が見える条件を探した。
その夜、寝る前にふと窓を開けて外を見ると、真ん丸で色の濃い月が浮かんでいた。と言ってももちろん本物の月ではない。地球における月のような存在の天体のことだ。この世界には月が3つ浮かんでいる。ひとつは小さめで赤いもの。ひとつは青白くて楕円形のもの。もうひとつは一番大きくて地球から見る月みたいに丸くて黄色いもの。今日はその黄色い月が満月のようだ。
そういえばここへ来て初めて、ちゃんと名乗ってもらったなぁ…
彼女の瞳に似たオレンジ色の月光を見て思った。
それから、エレナさんは私とよく話すようになった。彼女に片思いしていた魔術師様(♂)がそれによって彼女と過ごせる時間が減ってしまい、彼からさらに反感を買ってしまう結果になったのはこの時の私には知る由もなかったし、これはまた別のお話。
タイトルの「方法」とは虹を見る方法のことです。