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◆世界の壊し方

「カテゴリ【哲学者】だって! やばいね! やばいよね!?」


 俺に遅れること約10分、執務室で室長から俺と同じ話を聞いた理々川が俺の隣で騒いでいる。

 相変わらず馬鹿っぽい――いや、間違いなく馬鹿丸出しな感じだが、まあ平常運転である。


「お前、何がどうヤバいのかわかってんのか?」


「ううん、ぜんぜん! だから教えて七森君!」


「……俺だってよくは知らねーよ」


 ――哲学者。

 世界の秩序に穴を穿つ者。異端の学問の信奉者として排訴された者たち。

 人は本来、自然が定めし法と秩序に疑問を持ってはならない。世界の観測者である人が世界に疑問を抱くことは、世界の存在に揺らぎを生じさせるからだ。知を極めるためには、人で在ることを辞めなければならない。


 知能や寿命といった肉体的な事から、良心や倫理といった精神的な事まで。自己の飛躍を縛る全てを踏破して、彼らは人を超える『何か』になった。

 そして、彼らがかつて創りだした、この世界に対する怨嗟とも呼べる思想の残骸――それが、想骸と呼ばれる化物だ。


 ただの思想がどういう理屈で形を持ったり実体したりして人に危害を加えるのか。その辺はよく分からない。

 だが、強すぎる想念というモノは時に現実世界に於ける(ことわり)や常識を飛び越えてしまえるモノらしい。

 古くは精霊だとか亡霊だとか呼ばれたモノや、手を触れずに念じるだけでモノを動かす超能力といった現象。

 結局のトコロ、想骸とはそういった説明不能な対象全般をひとつの瓶に閉じ込めて『想骸』と書かれたラベルを貼っつけたものである、と理解するしかない。例えば『魔法』というラベリングにしたって同じ事だ。説明できない現象は全て『魔法』と呼んでしまえばいい。そうすれば少なくとも人は名前の無い『それ』を意識の中に収める事ができる。

 古来そうやってラベリングされてきたもの――例えば悪霊などと呼ばれたモノは信仰の力という名の想念の力によって祓われてきた。除霊(イクソシズム)だとか鬼祓いとか呼ばれた方法だ。

 それが、俺達の場合は別のやり方――【H.E.R.M.I.T】という戦術によって掃討されるようになったに過ぎない。


 その除霊という方法にしたって、それを行う当人達は悪霊だの鬼だのを相手にしてはいても、それが『どういう存在なのか』を論理的に説明する事はできなかった。同様に、自分たちの行う除霊の方法――聖水を撒いたり護摩を焚いたりする事に誰もが理解できる理屈を与える事など出来なかったはずだ。

 それらの根拠を辿ってゆくと、結局の処『神の御加護』だの『信仰の力』に行き着く。そしてそれらは誰かが生み出した想念に基く力――いうなれば虚構(フィクション)の力に過ぎない。

 例えば『神』という概念や、それにまつわる物語のような。


 ――といった事を一応説明してやったのだが、理々川は解っているのかいないのか、眼を閉じ、頭に両手を当てて考え込んでいるようだった。

 どうやら俺が説明した事を、自分の中でイメージとして再構成しているらしい。

 ややこしい話をした時、コイツはよくこういうポーズを取る。


「……えっと、じゃあ、むかし哲学者と呼ばれたヒト? のオバケが今回の想骸【哲学者リオタール】だってこと?」


「オバケっつーか……」


 なんとなく腑に落ちない、物凄く単純な理解のされ方をした様に思えたので、俺が言葉を探すと、


「まあ平たく言えばそういう事になるな」


 と、視界の外から室長が俺の代わりに理々川に答えた。


「より正確に言うなら、哲学者の『思想の亡霊』だ。つまりそこに『人格』は伴わない。人格を伴わない思想のみで引き起こされる『実在を伴う現象』だ。想骸は『現実に居る化物』ではなく『物語の中に居る化物』であると表現した方がいくらか正しい。お前達には小説の登場人物を直接ぶん殴る事はできんだろう? それと同じ事だ。物語の中の竜を殺すには、物語の中の登場人物に殺させるしかない。そういった戦闘手段が我々の扱う【H.E.R.M.I.T】と呼ばれる戦術の基礎概念だ」


 室長の説明は俺にとっては何やら理解しにくい抽象的なもので、少し苦手だった。

 俺は基本的に、誰にとっても明確な論理で説明できないモノが好きではないのだ。


 形而上概念戦術(ハーミット)

 『形而上学』というのが何かくらいは知っている。世界の根本的な成り立ちだとか、人の存在理由や意味みたいな誰にも確認できないものについて考える学問。辞書にも載っている言葉だ。だが、それを戦闘に応用したもの――となるとどう理屈を付けて理解したものなのか解らなくなる。たぶん俺が常人だからだろう。この説明で素直に『ああ、なるほど』などと言えるのは頭の何処かに致命的なエラーを抱えた奴くらいではなかろうか。


「ああ、なるほどー」


 そんな俺の隣で理々川がそう元気よく相槌を打ったので、早くも俺の推論の正しさが証明された。


 ◇


 夕方の学校、その屋上。

 一人の少年が校庭を見下ろしていた。既に生徒は一人残らず下校している。


 ――ここから飛び降りたら、この下らない世界から解放されるだろうか。


 少年の脳裏に、ふとそんな想いがよぎった。

 彼の額には、包帯が巻かれている。今日の昼頃、クラスメイトとケンカになった時に出来たものだ。発端は些細な事だった。

 『道徳』の授業で、「戦争はなぜ起こるのか、どうすれば無くなるか」といったテーマを元に、彼の担任は生徒ひとりひとりに意見を発表するよう求めた。


『強欲な権力者が自分達だけ豊かになろうと、弱者の命を犠牲にしてでも戦争を起こすから』

『だから、そうした人たちが心を入れ替えれば戦争は無くなる』


『世界の人達の信じる宗教や考え方が違うから』

『みんながお互いを理解し合い、認め合えば戦争は無くなる』


 多くの生徒はそういった意見を述べていたが、そんな中で彼の意見だけは異質だった。


『人は自分の安全や快楽の為なら平気で弱者を虐げ、他者を排しようとする生き物だから』

『しかも人は自分がそういうものだという事を決して認めず、理解しようともしないから、何をしても戦争は無くならない』


 それが彼の、心のままに抱いた意見だった。

 この発言で、彼はクラスメイトの一部から非難を浴びた。しかし、彼は考えを改めようとはしなかった。

 大人である教師なら、この意見もひとつの考えとして認めてくれるのではないかと彼は期待した。

 しかし、彼の担任は、彼の考えを認めるどころか苦笑しながら『ひねくれた考えである』等と評し、改めさせようとすらした。

 まるでそれが、『中学生が抱いてはいけない、ルール違反の間違った考え方である』とでも言うかのように。


 授業が終わった後、クラスの一部の者が彼に因縁を付けてきた。どんな内容の因縁だったかは憶えていない。それほど下らない事だったから。

 彼らは皆、彼の事が気に入らない、といった顔つきだった。

 しかし、彼はその表情の裏の本人達ですら気付いていないであろう『意図』を確かに見ていた。


 ――今のこの空気なら、この『気に入らない奴』を攻撃しても、自分達は『悪者』にはならない――


 つまり彼らは合法的に、彼を攻撃する機会を得たのだ。

 自分たちが『良識ある善良な人間』の側で、彼を『間違った考えを持つ害ある人間』であると位置づけた。

 普段から何かと他人と同調する事を避け、何事にも冷笑的だったこの少年は、彼らにとって鼻持ちならない存在だった。

 そして、そんな『生意気な』彼を、良識の名の元に成敗できる機会が訪れた。

 それがこの時だった。


 『人でなし』『精神異常者』等と罵る彼らを、少年は薄ら笑いさえ浮かべて軽くいなした。

 その態度に感情を逆撫でされ、頭に血の昇ったクラスメイト達の内の一人が、とうとう彼の胸ぐらを掴んだ。その次の瞬間には、少年は相手の顔面に拳を叩き込んでいた。

 胸ぐらを掴んだクラスメイトの行動原理は苛立ちと怒りだったが、少年の行動原理はそのどちらでもなかった。それよりもっと深い場所に根を張る感情――嫌悪と憎悪だった。

 そこから殴り合いのケンカが始まったが、騒ぎを聞きつけて教師達がやってきた事で、この小さな争いはすぐに収まった。

 しかしその翌日、彼は両親と共に学校に呼ばれた。

 そもそもの発端となった道徳の授業の件から、親は教師とクラスメイトに何度も謝り、少年自身にも謝るよう促した。


「悪いのはあなたよ! 皆に謝りなさい!」


 少年の母は彼に言った。

 だが少年は決して頭を下げなかった。

 結局、両親だけが教師やクラスメイトに一方的に謝って、事が収まるような形になった。


 そんな日の夕方だった。


 ――この世には馬鹿しかいないのか?


 少年は口惜しい気持ちで校庭を見下ろしていた。

 彼の目には、世界の全てが虚ろに見えている。

 事を荒立てないために、誰もが『本当の事』から目を背けている。見ないようにしている。自分が『悪者』にならないように、それだけに心を砕いて生きている。

 自分には、それができない。大事なのは、『何が本当なのか』ということだ。

 その為には、他者に忌み嫌われるような事ですら進んでやらなくてはならない。

 何がどう転んだとしても、偽りに身を委ねてはいけない。


「そうそうソレだよ。そーゆー考え方が【哲学】ってヤツだ」


 ――!?

 背後からの声に、少年は振り返った。そこに自分より少し年上くらいに見える青年が立っている。

 黒いコートに、黒い帽子をかぶっている。

 目深にかぶった帽子に隠れて顔は良くは見えなかったが、声の質から少なくとも20は超えているように思えた。


「誰? 用務員の人?」


 正直とてもそうには見えなかったが、教師にしては見覚えがないし、この時間にこの場所に来そうなのは戸締りの為にここを訪れる用務員くらいしか思い当たらない。


「そーじゃねーよ。オレはなんつーか、ヒーローっての?」


「ヒーロー?」


「そ。お前を救いに来たんだよ」


 男はそんな事を言った。

 少年は戸惑った。この人は一体何を言い出すのか、と思った。

 しかしそう思いながらも――彼はこの奇妙な男と少し話してみたくなった。


 ――僕を、救いに来ただって?


 面白いことを言う。

 そう思った。

 何故なら、少年は今、誰よりも救われたいと願っていたから。


「親に教師、学校。その全てにウンザリしてんだろ? 本当の事を見ようともしない、馬鹿ばっかの世界に」


 少年の背後で、夕陽が遠く山の間に沈もうとしている。


「オレと来いよ。お前に教えてやるよ。ホンのちょっと気付くだけでいい。それでお前は自由だ」


「教えるって何を?」


「決まってる。この世界の――」


 辺りに夕闇の冥い影が落ちた。


「――壊し方ってヤツを、だよ」


◆続く

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