◆義眼の話:死と生と適性と犠牲
俺がこの【形而課】に来た理由は、単純に適性の問題だった。
でなければ、国家公務員扱いとはいえ、誰もこんなリスクが異常に高い職業に就こうなんて思わない。
民を守る為に化物と闘う――といえば聞こえがいいので、そういったヒーローに憧れるような人間に人気があっても良さそうなものだが、実際はこの職業に就く為には特殊な才能が必須だったり、犠牲にしなければならないモノが多すぎる。
ゆえに、うちの組織は常時人手不足に喘いでいる。
特殊な才能が必要、というのは例えば理々川の場合だ。アイツは馬鹿だが、ある特異な才能を持つ。『証明不可能な巨獣』と呼ばれる思念兵装を扱える事だ。室長の言う所に依るとあれほど巨大な思念兵装を扱える人間は稀有らしい。そもそも思念兵装を扱える人間自体そうは居ないが、その中でも火力が並外れているらしいのだ。普通あれだけの思念兵装を動かせば、まず精神に過負荷がかかって自壊する。俺からしてみると既に自壊してるんじゃないかと思えるが、この場合の自壊とは自我も何もが壊れて廃人状態になる事を差すので、理々川は(一応)会話などのコンタクトが取れる分これには当たらない。
一方、俺の方はというと、才能があったわけじゃない。
たまたま、誰も好き好んで払いたがらない犠牲をムリヤリ支払うハメになっただけだ。
学生の頃、俺は眼を患った。ウィルス性の視神経疾患で、放置すればウィルスがやがて脳に達して死に至る。
治療には大金のかかる手術が必要で、しかも成功率は決して高いとは言えなかった。更に、仮に成功して死を免れたとしても失明は免れないとの事だった。
当然俺は絶望した。未来は間違いなく閉ざされたと思った。
両親は借金でも何でもして手術代は用意すると言ってくれたが、俺はそれを拒否した。手術が成功し、助かったとしても失明するのなら、これからの人生が文字通り明るいものになるとは思えなかった。両親に負担をかけてまで自分の人生を継続させる意味を見出せなかった。本人が『いっそ失敗してくれればいい』とさえ思える手術に大金を支払うなんてバカげてる。そんな風に考えてた俺は、断固として両親の申し出を断り続けた。
今思えば、失明という暗い道を歩く運命を背負わされながら、両親によって生かされたという負い目によって『生きなければならない』という義務を負わされる。それが怖かったのかも知れない。
いよいよ病気が進行し、失明の兆候が出始めた頃――両親と俺の元に、環境庁の役人を名乗る女性が訪ねてきた。黒いスーツを着た、30代半ばくらいに見える美人だった。
自宅の応接間に通された彼女は、俺と両親を前に、ある提案をした。ある条件と引換に、手術代を全額、政府が持とうというのだ。
『手術が成功しても失明するんなら』――そう言って断わろうとした俺に、女性は言った。『失明も免れるかも知れない』
出来過ぎた話だと思った。ひょっとしたら今見ているのは夢かも知れないと思うくらいに。
だから俺は、当然抱くべき疑問を女性に問いかけた。なぜそんな事をしてくれるのかを。
女性は明瞭簡潔に、説明した。
「もちろんこれはボランティアではありません。
単刀直入に申し上げましょう。七森君には政府が進めているあるプロジェクトの被験体になって頂きたいのです」
被験体。聞きなれない言葉に、俺の親父は眼を丸くしていた。
「被験体? それは眼の手術の、という事ですか?」
「手術もそうですが、あなたの眼に埋め込むモノの移植実験、及びその動作、運用モニタリングも兼ねています」
「埋め込む? モニター? 仰っている話の内容がよく解らないのですが……」
親父がそう言うと、それまで警戒させまいとしてか常に微笑を湛えながら話していた女性の表情に真剣な色が差した。
「申し訳ありません。ここから先にお話しする事は政府の機密に関わる内容となります。機密漏洩を防ぐ為に守秘義務を負う事を誓って頂き、及びそれらを録音させて頂きますが、宜しいでしょうか?」
言外の圧力を伴う言葉に両親と俺はたじろぎ、互いに顔を見合わせたが、俺が頷いて見せた事で、親父もお袋もそれに同意した。
それを認めると、女性は胸ポケットから小型のレコーダーらしきものを取り出し、それの電源を入れる。
俺と両親、それぞれが守秘義務を宣誓させてから、では先程の話の続きです、と改めて語り出した。
「義眼の移植手術。その被験体になって頂くのです。義眼といってもただ眼球の形をしているだけの作り物ではなく、視神経に接続して本物の眼と同等――いや、それ以上の機能を備えた【眼】です」
「そんな技術が既に実用化されているのですか!」
親父は感嘆の声を上げた。お袋も口に手を当てて驚きを示している。
俺は声こそ出さなかったが、当然驚きはあった。
病気を発症して以来、自分なりに色々と調べて、そういった研究が進められていたのは知っていた。
が、主にコストや安全性の面から未だ民間での実用に耐えるには程遠い技術だと思っていた。
「ええと……その義眼の移植手術、それとモニター? 息子がそれをする代わりに、国が手術代を支給する――と、そういう話でしょうか」
お袋がそう尋ねると、黒スーツの女性は首を横に振った。
「いいえ。国としましても多大な税金とコストを投じて『ただ視力を補うだけの義眼』を開発するという様な事はしません。我々の必要とするものは更にその先にあります。詳しくは申し上げられませんが、これは国民全体の安全な社会環境保全に関わる重要な役割に寄与する目的です」
義眼と社会環境の間にどういった関係があるのかが想像できず、俺達は一同、怪訝そうな顔をしていた事だろう。
黒スーツの女性は構わず続けた。
「我々の開発した義眼は視力を補う以外に『ある特別な機能』を備えています。これについても詳しくご説明する事はできませんが、本来人間の眼には備わっていない機能です。その特別な義眼を、その身を以て運用できる人材となる事。それが今回、我々が七森さんを国としてサポートさせて頂く理由です」
「その対象に、息子が選ばれたわけですか?」
「はい、そういう事です。国内で、若く、充分な学力を持ち、人格にも問題が無い。それでいて眼に重篤な疾患を発症している――そういった人間である必要があります。この全てに当てはまる七森君のような人材は希少です。だからこそ選考対象に選ばれました。手術後は国家公務員として、モニタリングと運用の義務を負って頂く事になります」
これらの話は、当時の俺には何か途方も無い様な話に聞こえていた。
だが、ここまでの話を聞いてやっと、なぜこんな奇跡のような話が舞い込んできたのかに一応は納得できた。
失明に至るような病を患ってもいない限り、誰だってこんな話は受けないし、知りもしない話だっただろう。
「はっきり申し上げましょう。この『ある機能』は、行使の際に脳に多大な負担をかける事が予想されています。結果、何が起こるかはわかりません。移植後、脳に何らかの障害をきたし――最悪の場合、四肢の機能不全や精神の崩壊を招く事になるかもしれません。その覚悟と了承の下、国家公務員としての義務を負って頂くのです。ですので、ご本人ご家族で、よくご相談された上で、慎重にご判断下さい」
こうして俺はこうして俺は、【想骸】を観る事のできる【眼】を持つ観測官として生きる事になったのだった。
確かに適任だったとは思う。
俺は『失明してでも生き続ける事』と『いっそ死ぬ事』、この2つを天秤に掛けて、『いっそ死ぬ方』を選びたがるような人間だったから。
それが強さだったのか、あるいは弱さだったのか。
それはあれから7年経った今でも分からない。
◆続く