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◆最上位現実に於ける形而上概念戦術


「早く来てくれ! 警官が一人、精神を喰われた!」


 通信を受けながら、俺は要請を受けた現場を目指して夜の街を車で走っていた。

 隣の助手席には理々川が座っている。

 さっきの通信を聞いて、いつもは締まりの無い顔に沈痛な表情が浮かんでいる。


「もうすぐ着く。理々川、行けるな?」

「うん! いつでも行けるよ!」


 道路の先に、現場が見えてきた。

 街の十字路交差点の真ん中で、黒いわだかまりのような身体を持つ化物を、数人の警官が拳銃を向けて取り囲んでいる。

 時折発砲しているが、その銃弾は化物の身体に命中しても僅かに着弾点の像を歪ませるだけで抵抗も無く貫通してゆき、その像の歪みもすぐに修復されていた。

 ヤツら想骸に銃弾は通用しない。

 それは警官達とて解っているのだろうが、直接触れてしまえば精神を喰われてしまうこの化物に対して出来うる事が他に見つからない。

 幸いにして化物の知性は低いらしく、取り囲む警官らの威嚇と呼ぶにも心許ないこの射撃によって辛うじてこの場にその存在を留めていた。


「車を降りたらすぐに走れ。目標に接近して『H.E.R.M.I.T』を展開する。いいな?」

「了解!」


 ◆


 最上位現実に於ける形而上概念戦術『H.E.R.M.I.T』(High-End-Reality Metaphysical Idea Tactics)。

 『ハーミット』の通称で呼ばれるこの戦術は何十年か前にアリストートスとかいう名の軍事心理学者のオッサンによって体系付けられた戦術理論だ。

 俺達の所属する《環境省安全管理局形而上災害対策室》、通称『形而課』(ケイジカ)は、この『H.E.R.M.I.T』と呼ばれる戦術を運用して化物――公式名称『想骸』(ソウガイ)を駆除する事を主務としている。


 想骸が一体なんなのかは俺にもよく分からない。俺の理解の範疇だと『様々な異形と異能を持ち、通常の兵器では退治する事のできない化物』としか定義のしようがないからだ。

 確かな事は、こいつら想骸は人間に対してある種の害意を持っているという事。『ある種の』と表したのはコイツらが腹を空かせて人間を襲うような単なる害獣の延長ではないからだ。

 目的――そもそも知性や知能と呼ばれるものがあるのどうかさえ不明だが、想骸は様々な手段を使って俺達の社会に干渉してくる。そして、その干渉は大抵の場合、社会に混乱と混沌をもたらす。

 そして、普通の手段では退治ができない。

 実在の武器兵器では、斬ろうが焼こうが無意味。鉛の弾をいくらブチ込もうが、ロケット弾の爆風で吹き飛ばそうが無効。

 これは、想骸が量子力学上の理論『コペンハーゲン解釈』における実在と不在のどちらでもない状態『重ね合わせ状態』で存在している為だとされ、また『第四障壁』と呼ばれる結界を張っているせいだとも云われる。

 この退治不可能な相手に唯一の対抗できる手段が『H.E.R.M.I.T』だという事になる。

 もっとも、俺は敵を『観測』する事が役割の非戦闘員で、実際に戦うのは相棒の理々川、という事になる。

 二人組である理由は『H.E.R.M.I.T』の戦術理論にそうあるからだ。

 片方が特殊な観測装置を介し敵を視認して『観測』する。もう片方が特殊な方法で攻撃して『掃滅』する。


 ◆


 俺と理々川は車を降りると、共に走り出した。

 目標まで10メートル程の距離まで走り寄ってから立ち止まり、俺は想骸を視界の中心に捉える。

 俺が立ち止まった事に一瞬遅れて気付いた理々川が2、3メートル先で自分の足にブレーキを掛けてから振り返った。


「これより観測を開始する。実体化した瞬間に一撃で仕留めろ」


 それだけ言うと、俺は想骸の観測に精神を集中させる。

 ゆらゆらと揺らぎ、はっきりとしなかったその姿が、俺の観測によって徐々に形を得て、具現化していった。

 左右非対称の不気味な人型――影がそのまま起き上がったかのような黒いわだかまりの中に、オペラの仮面舞踏会に出てくるような薄気味の悪い仮面を着けていた。


「行け! 理々川!」


 俺が叫ぶと、俺の隣で待機していた理々川が弾かれたように飛び出した。

 と同時に自身の兵装――『証明不可能な巨獣』(プロスロギオン)を起動する。

 何もなかったはずの理々川の足元の地面からむっくりと生えるように起き上がったその姿は、一言で言い表すと『巨大で不細工なクマのぬいぐるみ』だ。

 理々川の脳裏に描いたイメージを忠実にトレースするこの思念体は、想骸が例外なく所持する『第四障壁』を突破できるという特性を持つ。ゆえに俺が行う『観測による波動関数への干渉』と合わせ、対想骸戦に於ける主兵装となっている。


 異形は自らの方へ突進してくる理々川とその思念体の姿を認めるや、その影のような体に大きな口を形成し、一息に喰らい付こうとした。

 精神を『喰らう』つもりだ。

 しかし理々川は速度を少しも緩める事は無かった。本体である理々川の突進の勢いをそのままに『証明不可能な巨獣』(プロスロギオン)が大木の様な腕を振るった。デカいとはいえ、このクマのぬいぐるみの腕の先に付いているのは布で出来たフニャフニャのフザケたような5本爪だ。でありながら、その爪は一撃で想骸の身体を貫き、引き裂き、なぎ払っていた。


「――観測終了」


 眼を閉じる。

 『H.E.R.M.I.T』に於ける観測はただ観る、という行為を指し示すわけじゃない。

 観測装置の『眼』を介して得た想骸の情報を自身の脳で演算処理、再構成を行ってから出力する。その出力データを相棒の理々川にリンクさせる事で、初めて敵想骸への攻撃が可能となるからだ。

 俺の使う観測装置は少しばかり特別製だが、それでも連続で想骸観測を行えるのは3分間がせいぜいの処だ。それ以上やれば脳や神経になんらかの障害が出てもおかしくない。それくらい精神の消耗が激しい。

 今回は30秒と掛からずにカタが付いたが、それでも脳と視神経に相当な負荷が掛かったのには変わりがない。

 眉間に手をやり、酷使した神経を労るように軽く揉んだ。

 毎度の事ではあるが、軽い頭痛と共に意識が昏く沈んでいく様なこの感覚は決して心地の良いものではなかった。


 ――この時俺は、完全に、油断していた。


「七森君っ!!」


 その声で、闇に沈んでいた意識が一気に引き戻された。

 眼を開けると、理々川がこちらへ走ってくるのが眼に飛び込んできた。

 その視線は、俺の背後上方を見上げている。


 俺は振り返るよりも早く駆け出す。

 状況は一瞬で把握した。もう一体、居たのだ。

 背後で、重たい何かがこちらへ殺意を向けたような気がした。

 既に実在の側に自らの存在を収束させ始めている。

 状況に応じて自らの存在を実在と不在のどちらかに収束させる事ができるのは想骸の基本的な特性のひとつだった。

 そして、実在の側に自らの存在を収束させた想骸は、質量を持つ攻撃を振るって、対象を物理的に破壊する事ができる。


 4、5メートル先に、理々川の『証明不可能な巨獣』(プロスロギオン)が攻撃態勢に入っているのが見えたが、明らかに射程の外である事だけは分かった。


「(――間に合わない。それなら――)」


 と、俺は想骸を振り返ろうとした。

 その過程で眼に入る、周囲の全ての景色がスローモーションに流れていた。

 死ぬ直前に見るという走馬灯――というわけではない。視覚情報の認識量を意図的に増やす事で、攻撃に反応する猶予を相対的に高めているのだ。

 もっとも、原理としては走馬灯と呼ばれる現象とほぼ同じ事を意図的に発生させているに過ぎないが。


 この『意図的に発生させた走馬灯』によって相手の攻撃はスローで認識できても、自分の身体の動きもまた同じくスローに動くので、攻撃を『躱す』事は諦めている。

 躱さず、攻撃が届く前に『観測』によって相手の攻撃の手を不在の側へ収束させてやる。そうすれば、少なくとも質量による打撃は免れる事ができるはずだ。

 間に合わせる自信はあったが、収束が不充分で多少の質量的ダメージは喰らってしまうかもしれない。それを、3割くらいは覚悟していた。


 が――

 その時、視界の中に奇妙な光景を捉えた。

 こちらへ走ってくる理々川の様子がおかしい。

 『証明不可能な巨獣』(プロスロギオン)の掌に自ら飛び乗り、身体を丸めている。

 何をしてるんだ? いや、理々川が理解不能な行動を取るのはいつもの事なので、これはむしろ日常に近い光景なのだが――


 自分の頭の後ろ辺りに、質量を持った暴力のカタマリがゆっくりと迫ってくるのが分かる。

 理々川が、巨大なクマのぬいぐるみと戯れて遊んでいる。

 クマの身体が、ピッチングフォームのような姿勢を取ったかと思うと――


 理々川が、両手を広げてブッ飛んできた。


 当然、俺は理々川と衝突する。

 二人して、倒れ込む。

 というか、抱き合うような形で俺も理々川も後方へすっ転んだ。


 次の瞬間、俺がさっきまで居た場所を想骸の腕が通過するのが見えた。

 意味なくデカい胸のせいか、激突の瞬間は自体はさして痛くなかった。が、自分と理々川の体重分+ブッ飛んできた勢い分の質量で地面に叩きつけられた分は流石に痛い。

 そのまま俺と理々川は、ごろごろごろ、と地面を転がる。

 転がりながら、視界の端でクマの腕がまたも一撃で想骸を粉砕するのが見えた。


 ――今度こそ、任務完了。


 俺と理々川はそのまましばらく転がってゆき、路端のガードレールに激突してやっと止まった。

 俺は痛む身体をさすりつつ立ち上がる。


「おい、理々川! 大丈夫か?」


 目の前で仰向けに倒れている理々川にそう声をかけると、うーん、と唸りつつ、頭を抑えながら上半身を起こした。

 どうやら大したケガは無いらしい。


 俺は溜息を一息つくと、時間差で自身の中に沸々と込み上げてきた感情が命ずるがままの言葉を理々川に叩きつける事にした。


「お前は馬鹿か! それとも阿呆か!?」


 そう怒鳴ってやると、理々川はきょとんとした表情で俺を見上げた。

 そして。


「えーと……どちらかっていうと前者かな?」

「このバカ!!」


◆続く

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