30 騎士団全体へ
翌朝、王城の中央訓練場には近衛騎士団二百名が整然と並んでいた。
王直属の精鋭部隊である彼らも、今日からは教えを受ける立場となる。
訓練場の前方には騎士団長、副団長、各中隊長が並び、その横にはアークと騎士団第一班二十名が立っていた。
騎士団長が一歩前へ出る。
「本日より、騎士団第一班を各中隊へ配属する。」
近衛騎士たちは静かに耳を傾けた。
「近衛騎士団二百名を二十班に分ける。」
「一班十名。」
「各班に騎士団第一班を一名ずつ配置し、基礎教導を開始する。」
その言葉に近衛騎士たちは姿勢を正した。
騎士団長はさらに続ける。
「本日より第一班は教師だ。」
「近衛騎士団は教えを受け、各中隊へ持ち帰れ。」
「中隊全体へ普及させることを目的とする。」
「了解!」
二百名の返事が訓練場へ響いた。
アークは静かに第一班を見渡す。
「皆さん。」
「今日から私が教えることはありません。」
教師たちは少し驚いた表情を見せた。
「皆さんが教えます。」
「私は見守るだけです。」
その言葉に二十人は緊張しながらも力強く頷いた。
やがて各班へ移動が始まる。
エレナは担当する十名の近衛騎士の前へ立った。
「本日から担当します、エレナです。」
「よろしくお願いいたします。」
近衛騎士たちも一礼する。
「よろしくお願いします。」
昨日まで王国最精鋭として戦場へ立ってきた近衛騎士たちが、今は素直に教師の言葉を待っている。
エレナは深呼吸を一つした。
「まず魔力循環です。」
「速く回すことではありません。」
「安定して循環させることを意識してください。」
十名が一斉に魔力循環を始める。
エレナは一人ひとりの様子を見ながら歩く。
呼吸。
姿勢。
肩の力。
魔力の流れ。
昨日学んだ「相手を見る」を意識しながら観察していく。
「呼吸は落ち着いています。」
「その調子です。」
「肩の力だけ少し抜いてみましょう。」
近衛騎士はすぐに修正した。
魔力の流れが滑らかになる。
「安定しました。」
「ありがとうございます。」
別の班ではレオンが指導していた。
「魔力循環が乱れた原因は何だと思いますか。」
すぐに答えを教えるのではなく、まず考えさせる。
近衛騎士は少し考えた後に答えた。
「呼吸が速くなっていました。」
「その通りです。」
「原因が分かれば、自分で修正できます。」
近衛騎士は再び魔力循環を行う。
今度は乱れない。
レオンは笑顔で頷いた。
「良くなりました。」
「その感覚を忘れないでください。」
訓練場では二十か所で同じような教導が進んでいた。
怒鳴る教師はいない。
失敗を責める教師もいない。
観察し、考えさせ、褒め、改善点だけを伝える。
その教導法は、近衛騎士たちにも新鮮だった。
少し離れた場所では、王都騎士団の各中隊長や部隊長たちが視察していた。
「これが新しい教導法か。」
「教師一人に対して十名か。」
「全員へ目が届いている。」
副団長も静かに頷く。
「この人数なら、一人ひとりの癖まで見抜けます。」
騎士団長は満足そうに訓練場を見渡した。
「まずは近衛騎士団二百名。」
「ここで成果を出し、この教導法を王都騎士団全体へ広げる。」
王国の騎士育成は、新たな時代へ向けて大きく動き始めていた。
基礎訓練が始まって一時間ほどが過ぎた。
王城訓練場では二十の班が、それぞれ落ち着いた雰囲気で教導を続けている。
「呼吸を整えてください。」
「焦る必要はありません。」
「魔力は途切れず流れています。その調子です。」
教師となった第一班の声が、訓練場のあちこちから聞こえてくる。
エレナは担当する近衛騎士たちを順番に見て回っていた。
魔力循環だけではない。
表情。
姿勢。
呼吸。
魔力の流れ。
細かな変化を観察しながら、一人ずつ声を掛けていく。
「昨日より安定していますね。」
「はい。以前より疲れなくなりました。」
「良い傾向です。そのまま続けましょう。」
近衛騎士は笑顔で頷いた。
一方、レオンの班では魔力操作の訓練へ移っていた。
「水弾を作ってください。」
十人が同時にウォーターバレットを形成する。
しかし、一人だけ形が崩れた。
レオンはすぐには教えない。
まず本人へ尋ねる。
「何が原因だと思いますか。」
近衛騎士は少し考え込む。
「魔力を一度に集め過ぎたと思います。」
「その通りです。」
「では半分ほどの魔力で試してみましょう。」
再び水弾を作る。
今度はきれいな球体になった。
「できました。」
「自分で原因が分かれば、次から修正できます。」
近衛騎士は嬉しそうに頭を下げた。
「ありがとうございます。」
その様子を見ていた他の近衛騎士たちも、自分の魔力操作を見直し始める。
一人の成長が、班全体へ良い影響を与えていた。
別の班ではリディアが新人時代の経験を交えながら説明していた。
「私も最初は魔力が安定しませんでした。」
「何度も失敗しました。」
その言葉に近衛騎士たちは少し驚く。
教師にも失敗した時代がある。
それを隠さず話すことで、生徒たちも安心して挑戦できるようになっていた。
「失敗しても構いません。」
「大切なのは、昨日より少し前へ進むことです。」
近衛騎士たちは力強く頷く。
訓練場全体から、以前のような張り詰めた空気は消えていた。
互いに質問し、互いに考え、互いに成長する。
そんな教導が自然に行われている。
少し離れた場所では、王都騎士団の各部隊長が熱心に視察を続けていた。
「教える側が答えを押し付けていない。」
「まず考えさせているな。」
「だから理解が早いのか。」
「教えられる側も積極的に質問している。」
今までの訓練では考えられなかった光景だった。
副団長は静かにアークへ近づく。
「アーク殿。」
「第一班は、もう立派な教師です。」
アークは穏やかに訓練場を見渡した。
「まだ始まったばかりです。」
「教師は教え続ける限り、学び続けます。」
「教え子が増えれば、その分だけ教師も成長します。」
副団長は深く頷いた。
「だから教師を育てることが大切なのですね。」
「はい。」
「一人の教師が十人を育てる。」
「その十人が次の十人を育てる。」
「そうして教導は王都中へ広がっていきます。」
訓練場では二十人の教師が二百人の近衛騎士を育てている。
その光景は、王都騎士団全体へ新しい教導法が広がる第一歩となっていた。
翌朝。
騎士団第一班二十名は、それぞれ担当する近衛騎士十名を率いて王都近郊の森へ向かった。
総勢二百二十名。
昨日まで訓練場で基礎を学んでいた近衛騎士たちにとって、今日は初めての実戦教導である。
アークは隊列の最後尾を歩いていた。
今回も指揮は執らない。
第一班が教師として、自ら判断し、教導を行うためだった。
森へ入ると、エレナが静かに手を挙げる。
「全員停止。」
近衛騎士たちは一斉に足を止めた。
「まず索敵を行います。」
全員が魔力循環を維持したまま、水属性索敵を発動する。
周囲へ魔力が広がっていく。
すぐに一人の近衛騎士が報告した。
「反応があります。」
「前方百メートル。」
「フォレストウルフ十頭です。」
エレナは頷いた。
「落ち着いてください。」
「昨日まで訓練した通りに行います。」
「剣は使いません。」
近衛騎士たちは腰の剣には手を掛けない。
今日の目的は魔法による制圧だった。
エレナは指示を出す。
「一人目、ウォーターウィップ。」
一筋の水が鞭のように伸び、先頭のフォレストウルフの足へ絡み付く。
動きが鈍る。
「二人目、ウォーターバインド。」
続けて水の縄が獲物の全身を拘束した。
フォレストウルフは暴れるが、水の拘束は解けない。
「三人目、ウォーターマスク。」
透明な水が魔物の口と鼻を覆う。
フォレストウルフは激しく暴れ始めた。
しかし拘束された身体は自由に動かない。
数十秒後。
力尽き、そのまま静かに倒れた。
「制圧完了。」
エレナは静かに頷く。
「この流れを繰り返します。」
残る九頭に対しても、近衛騎士たちは同じ手順を実行する。
ウォーターウィップ。
ウォーターバインド。
拘束。
ウォーターマスク。
窒息。
役割を分担しながら、確実に制圧していく。
誰一人として剣を抜く者はいなかった。
別の場所ではレオンの班も実戦教導を行っていた。
「焦って近付かない。」
「まず動きを止めます。」
近衛騎士たちは頷き、一斉にウォーターウィップを放つ。
フォレストボアの脚へ水の鞭が絡み付き、勢いが大きく落ちる。
続いてウォーターバインド。
四方から水の縄が巻き付き、巨体を完全に拘束する。
最後にウォーターマスク。
暴れていたフォレストボアは次第に動きを止め、やがて静かに倒れた。
「成功です。」
レオンは周囲を見渡した。
「重要なのは連携です。」
「一人で倒そうとしないでください。」
「仲間と役割を分担すれば、安全に制圧できます。」
近衛騎士たちは力強く頷いた。
「はい!」
森の各所では、第一班二十名による教導が続いていた。
どの班も共通しているのは、力任せに戦わないことだった。
敵を見つける。
動きを止める。
拘束する。
そしてウォーターマスクによって無力化する。
危険な接近戦を避け、安全を最優先とした戦い方である。
少し離れた場所から見守るアークは、静かに微笑んだ。
第一班は、教えられる騎士から教える教師へと確実に成長し、その教えは実戦の中でも着実に近衛騎士たちへ受け継がれていた。
実戦教導を終えた二十班は、討伐した魔物を回収していた。
フォレストウルフ。
フォレストボア。
ホーンラビット。
班ごとに討伐した魔物を確認すると、教師役の第一班が指示を出す。
「貸与したマジックバッグへ収納してください。」
近衛騎士たちは魔物へ手を触れ、一体ずつマジックバッグへ収納していく。
「収納完了しました。」
「こちらも完了です。」
荷車を使う必要はなく、全ての魔物は短時間で収納された。
そのまま一行は王宮へ帰還する。
向かった先は、騎士団訓練場に隣接する解体場だった。
マジックバッグから魔物が次々と取り出され、整然と並べられていく。
エレナが近衛騎士たちを見渡した。
「解体を始めます。」
しかし、誰も動かなかった。
一人の近衛騎士が申し訳なさそうに口を開く。
「私たちは……魔物を解体した経験がありません。」
「討伐後は冒険者ギルドへ引き渡していました。」
他の近衛騎士たちも頷く。
王都を守る近衛騎士団は、討伐こそ行ってきたが、素材の採取や解体は冒険者の仕事だったのである。
アークは静かに前へ出た。
「今日から解体も学びます。」
「戦闘と同じです。」
「魔力循環を止めないでください。」
エレナはフォレストウルフの前へ立つ。
魔力循環を維持したまま右手をかざした。
「ウォーターカッター。」
薄く圧縮された水の刃が滑らかに走る。
皮を傷付けることなく切り開き、肉と内臓を丁寧に分けていく。
さらに胸部を開き、魔石を傷付けずに取り出した。
一連の動きには無駄がない。
「解体中も魔力循環を続けてください。」
「戦闘だけでなく、解体も修練になります。」
近衛騎士たちは一斉にウォーターカッターを発動した。
最初は水の刃がぶれ、切り口も曲がる。
それでも魔力循環だけは止めない。
教師役の第一班は班ごとに巡回しながら助言を続ける。
「水の刃を細く保ってください。」
「筋に沿って切ります。」
「魔力を一定に流しましょう。」
何度も繰り返すうちに、水の刃は安定し始めた。
一人の近衛騎士が驚きの声を上げる。
「切る場所が自然に分かります!」
別の騎士も目を見開いた。
「肉を傷付けずに切り分けられます!」
レオンは笑顔で頷く。
「解体スキルが覚醒しました。」
その言葉をきっかけに、解体場の各所から歓声が上がる。
「私も覚醒しました!」
「こちらもです!」
魔力循環を維持したまま解体を続けることで、近衛騎士たちは次々と解体スキルを習得していった。
その様子を見守っていたのはアークだけではない。
国王と宰相も視察に訪れていた。
国王は整然と並べられた素材を眺め、満足そうに頷く。
「見事だ。」
「討伐だけで終わらせず、資源として活用するのだな。」
宰相も仕分けされた素材を見ながら笑みを浮かべる。
「皮、牙、骨、魔石、肉まで無駄がありません。」
アークは二人へ説明した。
「素材と魔石は冒険者ギルドへ卸します。」
「肉も冒険者ギルドを通じて王都の肉屋へ流通させます。」
「販売による収益は、すべて国庫へ納めます。」
宰相は思わず顔をほころばせた。
「騎士団が国を守るだけでなく、国庫にも貢献するとは。」
国王も力強く頷く。
「王都の民へ肉が行き渡り、国庫にも収益が入る。」
「これほど理にかなった仕組みはない。」
討伐した魔物は脅威ではなく資源となる。
騎士団は戦うだけの組織ではなく、国を支える生産組織としても歩み始めていた。
王と宰相は、その新しい騎士団の姿に大きな期待を寄せるのだった。




