凍った温室へ春を届ける
霜は、旧道だけを選んでいた。
夜が明けても、雨に濡れた羊歯は青々としている。なのに二人の足元では、雨天第二中継所から続く青い光の上だけが、白く凍りついていた。
先を歩いていたカイが止まり、道端の泥へ片膝をつく。青い道から外れた斜面に、三人分の新しい靴跡があった。
〈所属は不明。距離も分からない。こちらの旧道を知っている可能性がある〉
続けて、彼は確認票を出した。
〈進むなら、温室まで退避場所がない。戻るなら、崩れかけた沢をもう一度越える〉
リネットは白い道の先を見た。四通目は鞄の中で、かすかに震えている。急ぐ理由はある。だからこそ、それを命令の代わりにはしなかった。
「進みます。ただし、霜が道の外へ広がるか、硝子の割れる音がしたら引き返す。休憩も予定どおり取ります」
カイは異論なしと書き、二人で小印を添えた。
約束したとおり、彼は気づいた危険を先に渡した。信頼が元へ戻ったのではない。けれど、昨日より一行ぶん、先へ進める。
山腹を回り込むと、灰色の空を映す大きな硝子屋根が現れた。工房だった石壁の上に温室を継ぎ足した、細長い建物だ。正面の看板には「北部育苗所」とある。その下へ新しい札が打ちつけられていた。
――旧工房跡。本季の集配を停止する。
「ここで種を預かっているのに、跡?」
返事の代わりに、硝子の内側から何かを叩く音がした。
白く曇った扉の向こうに、人影がいる。カイと二人で氷を削ると、手のひらほどの配達窓が開いた。向こうから赤い髪の女性が、煤けた顔をのぞかせる。
「助かった。夜中に熱管まで凍って、扉が開かないんです。苗番のノーラです」
彼女の背後には、小さな鉢と種袋が棚いっぱいに並んでいた。袋の封には、九つの村の受領印。枯れてはいない。けれど葉先は、寒さに耐えるよう固く閉じている。
リネットは四通目を窓の前へ出した。黒い封蝋が、氷の下で脈打つように光る。
「差出人が望んだ宛先は、『冬にも緑が眠る、北の硝子の家』です。心当たりは?」
ノーラは目を見開き、壁を振り返った。霜の向こうに、九枚の葉を輪にした古い印章が掛かっている。
「うちの合言葉です。冬に種を眠らせ、春に九つの村へ返す。役所が育苗所と名づける前から、ここは北の硝子の家でした」
「では、受取人は所長ですか」
「所長はいません。冬ごとに村から苗番を一人出します。今年は私。でも集配停止の札を持ってきた人には、もう存在しない場所の印は返せと言われました」
ノーラは首から下げた鍵を握る。その隣には、印箱があった。返してはいないのだ。
リネットは、指輪と引き換えに求められた自分の職務印を思い出した。だが、似ているからといって、同じ答えを選ばせてはいけない。
「これは王国の守護網を更新する便の一つです。受け取れば凍結が解けるかもしれません。でも、必ずとは言えません。黒返り便を狙う者がいる可能性もあります。拒むこともできます」
「拒んだら、この種は?」
「それも分かりません。分からないことを、承諾させる脅しには使えません」
硝子屋根が、寒さに軋んだ。ノーラは閉じた葉を一鉢ずつ見渡した。やがて印箱を開き、九枚の葉の印を取り出す。
「役所の名札のためではなく、種を預けた人たちの苗番として受け取ります。私の意思で」
カイが確認票へその言葉を書き、ノーラにも配達窓越しに読んでもらう。リネットは封を開けないまま便を差し出した。
「北の硝子の家、冬の苗番ノーラ。お受け取りください」
「確かに受け取りました」
便が彼女の手へ渡り、カイが証言の小印を押す。九枚の葉の受領印が四枚目の受領証へ下りた瞬間、黒い封蝋から青い光がほどけた。
光は配達窓から熱管へ走り、石壁を巡り、硝子屋根へ駆け上がる。氷は一度には消えなかった。まず一滴が落ち、次の一滴がそれを追い、温室じゅうに静かな雨を降らせた。
熱管が低く鳴る。閉じていた葉の間から、淡い緑の芽が顔を出した。
ノーラが開封した手紙へ目を走らせ、泣き笑いになる。
「命令じゃない。どの苗を、どの村へ、いつ返したいか――私たちの返事を待つと書いてあります」
届いたのは春そのものではない。春をどう迎えるか、自分たちで選ぶ権利だった。
ノーラから受領証を返してもらい、リネットは三枚の隣へ並べた。四つの印から青い線が伸び、互いを結んで一つの輪になる。その中央に、空白の宛名欄が浮かんだ。
〈四通は届いた〉
カイはそう書いてから、空白の下へもう一行を足した。
〈次は、この四つの同意をどこへ届ける?〉
温室には春の雫が降っている。それでも、配達はまだ終わっていなかった。




