第15話 スパチャ200万円投げてたコメント主は、向かいに住んでいたみたい
天城瑠花は、画面を閉じられなくなっていた。
午前一時。豪邸の三階の角部屋。カーテンの隙間から向かいのボロアパートが見える。まだ明かりはついていない。蓮さんは帰ってきていない。
瑠花のモニターには、VStreamのアーカイブが映っていた。
RENの配信。今日の分。S級ダンジョンの第八十層。
画面の中で、黒い服の青年が剣を振るっている。光の粒子が舞って、モンスターが消えていく。肩に止まっている小さなフクロウが何か喋って、青年が笑う。
瑠花はその映像を、もう三回見返していた。
私は知っている。
この声を、知っている。
「あの、温めてもらえますか」とコンビニで言う声。「嬉しいです。ありがとうございます」とコメントに返す声。「瑠花さん、おにぎりありがとうございます」と笑う声。
全部、同じ声だ。
全部、蓮さんの声だ。
実は全部わかっていた。最初にわかったときは衝撃で、『……』しかコメントできなかった。
蓮さんは自分から全部喋ってくれた。VStreamで配信していること。配信者名はRENであること。ダンジョンに潜っていること。AIのパートナーがいること。
でも、「わかっている」ことと「認める」ことは、違う。
認めてしまったら。
瑠花は、自分が何者なのかを考えなくてはならなくなる。
◆ ◆ ◆
天城瑠花。二十歳。天城ホールディングスの社長令嬢。
天城ホールディングスは、|Hollow Dive Onlineを開発・運営している会社だ。瑠花の父親が社長で、瑠花自身もゲーム事業部の内部資料にアクセスできる立場にいる。
だから、知っている。
RENの配信映像が、ホロダイのゲームエンジンで生成されたものではないことを。
攻略ガチ勢がコメント欄で積み上げてきた分析、ティックレートの不一致、流体シミュレーションの非整合、六十層以降の未実装エリア、それらは全て正しい。瑠花は自社の開発チームに非公式に確認を取っている。答えは明確だった。「この映像は弊社のゲームではありません」と。
つまり、RENの配信は本物だ。
本物のダンジョンの映像だ。
そして、配信者RENは蓮さん本人だ。
向かいのボロアパートに住んでいる、コンビニの温め方がわからない、おにぎりを嬉しそうに食べる、あの青年が、
あの人が、毎日命懸けでダンジョンに潜っている。
瑠花がスパチャで投げたお金の総額は、二百万円を超えている。
二百万円。瑠花にとっては大した額ではない。天城ホールディングスのご令嬢だ。月のお小遣いで足りる金額。
でも、そのお金を投げていた相手が向かいに住んでいた。
カップ麺の箱買いを手伝ってくれた人だった。
チョコレートをお礼にくれた人だった。
「瑠花さん」と名前を呼んでくれた人だった。
瑠花はモニターの前で膝を抱えた。
◆ ◆ ◆
午前二時。
向かいのアパートに明かりがついた。
蓮さんが帰ってきた。
瑠花はカーテンの隙間から覗いた。蓮さんがアパートの階段を上がっていく。今日は怪我をしていないようだ。よかった。
よかった、じゃない。
RENと話して以来ずっと、この窓から見ていた。蓮さんが夜遅くに帰ってくるのを。ボロボロの服で、たまに血を流して、それでもおにぎりを食べて笑っている姿を。
それが「ゲーム配信者の変わった隣人」だと思っていた間は、心配するだけで済んだ。
でも今は違う。
あの人は本物のダンジョンに行って、本物のモンスターと戦っている。あの血は本物の血で、あの怪我は本物の怪我だ。
そしてルカたんとして画面の向こうから「がんばれー!」とスパチャを投げていた自分は、命懸けで戦っている人間に向かって「課金して応援してます!」と叫んでいたのだ。
……最初はゲームだと思っていた。
ゲームだと思っていたから、気軽にお金を投げられた。気軽に「結婚して!」と書けた。気軽に「かっこいい!」と騒げた。
全部、本物だったのに。
瑠花は急に自分が恥ずかしくなった。
同時に、怖くなった。
蓮さんは、毎日死にかけている。E級暴走事件のとき、B級のモンスターに立ち向かった。散歩中にB級のはぐれを三秒で倒した。S級ダンジョンの深層で、致死量の魔力の中をおにぎりを食べながら歩いている。
あの全部が、本物だ。
ルカたんとしてスパチャを投げているとき、裏側では蓮さんの命が削れていた。
それを知ってしまった今、昔のようなスパチャ芸をする「ルカたん」に戻れるのだろうか。
◆ ◆ ◆
午前二時半。
考えすぎて、部屋にいるのが嫌だったので、外の空気を吸うことにした。
門を出て、コンビニ方向に向かう。アパートの前を通りかかったとき、声が聞こえた。
蓮さんの声だ。
部屋の窓が少し開いていて、声が漏れている。
「ノア。今日のスパチャ、合計でどれくらい?」
瑠花は足を止めた。
ノア。蓮さんが話していたAIパートナー。瑠花には見えない。でも、声は聞こえないはずなのに、蓮さんの返事から内容が推測できる。
「ルカたんさん、累計で二百万超えてるの? ……すごいな。ルカたんさん、どんな人なんだろう」
瑠花の心臓が止まりそうになった。
「会ってみたいな、ルカたんさん。いつも応援してくれてるし。ここ最近は元気なさそうだったから、直接お礼言いたいな」
会ってみたい。
蓮さんが会ってみたい、と言ってくれている。
ルカたんに。
目の前の私に。
瑠花は口を押さえた。声が出そうになるのを堪えた。
蓮さんの声が続く。
「……でもさ、ノア」
少し間があった。
「ルカたんさんって、俺のことゲーム配信者だと思って見てくれてるんだよな。みんなそうだけど。……もし本物だって知ったら、どうなるんだろう」
瑠花は動けなくなった。
「ゲームだから楽しんでくれてる。ゲームだから気軽にコメントしてくれる。ゲームだから……怖がらないでいてくれる」
蓮さんの声が、少しだけ小さくなった。
「バレたら……みんな離れちゃうかな」
瑠花の目から、涙が溢れた。
離れない。
離れるわけない。
だって私は、もう知ってる。全部知ってる。ゲームじゃないって知ってる。蓮さんが本物のダンジョンで命懸けで戦ってるって知ってる。
知った上で、ここにいる。
知った上で、おにぎりを差し入れた。
知った上で、チョコレートをもらって嬉しかった。
知った上で、エナジードリンクを一緒に飲んだ。
知った上で、「ルカたん」として、今日もコメントを書いた。
離れるわけがない。
でも、言えない。
ここで「私がルカたんです」と言ったらどうなる。蓮さんは驚くだろう。そして「バレたら離れちゃうかな」と怖がっている人に、「あなたの秘密を最初から知っていました」と告げることになるからだ。
それは、蓮さんを追い詰めることにならないだろうか。
蓮さんは「ゲームだと思われている方が安心する」と感じている。それは、嘘の上に成り立っている安心だけど、蓮さんにとっては本物の安心だ。
その安心を壊す権利が、瑠花にあるのだろうか。
……ない。
今は、ない。
瑠花は引き返し、涙を拭いて、豪邸に戻った。
三階の角部屋。モニターの前に座る。
VStreamを開いた。
RENのチャンネルページ。コメント欄。
瑠花は、震える指で、コメントを打った。
「【ルカたん】……RENくん、今日もおつかれさまでした。私は、どこにも行きません」
送信した。
蓮さんはたぶん、このコメントの意味がわからない。「どこにも行きません」が何に対する答えなのか、わからない。
でもいい。
いつかは、お互いにわかる日が来る。
それまでは、ルカたんでいる。
全部知っている、ルカたんでいる。
◆ ◆ ◆
翌朝。
瑠花はおにぎりを三つ作った。
コンビニのおにぎりではない。初めておにぎりを自分で握った。初めて作ったからか、形がいびつだけど、ちゃんと作れた。蓮さんのために、三つ、鮭おにぎりを作った。
袋の中にメモを添えた。
『おはようございます。今日も頑張ってください。瑠花より』
アパートのドアの前に置いた。
豪邸に戻って、窓から見ていた。
しばらくして、蓮さんがドアを開けた。足元のおにぎりに気づいて、しゃがんで拾い上げる。メモを読んでいる。
笑った。
あの柔らかい笑顔。配信でコメントを読んでいるときと同じ顔。
多分「嬉しいです」と言っている。声は聞こえないけど、口の動きでわかる。
瑠花は窓辺で、声を出さずに泣いた。
嬉しいと言ってくれた。
それだけで充分だ。
今は、まだ。
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┃ アーカイブコメント欄 ┃
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>【ルカたん】……RENくん、今日もおつかれさまでした。私は、どこにも行きません
>【草の民】?? どこにも行きませんって何?
>【攻略ガチ勢】ルカたん、最近ずっと様子がおかしいけど、今日のコメントは今までと違うな。「どこにも行きません」……何かに対する宣言か?
>【ノア推し】ルカたんのコメント、なんか泣ける。意味わかんないけど泣ける
>【草の民】わかる。意味わかんないけどなんか重いな
>【陰謀論者】ルカたんは覚悟を決めたんだな。……何の覚悟かは、言わないでおく
>【攻略ガチ勢】陰謀論者。お前、ルカたんについて何か知ってるのか?
>【陰謀論者】いや、知らない。推測してるだけだ。ただ、全部つながるんだよ。RENの向かいの豪邸。天城ホールディングス。ルカたんのスパチャ額。「どこにも行きません」。分かるはずだ
>【草の民】全部って何だよ。説明しろよ
>【陰謀論者】今は言わない。答え合わせは、当事者がするものだ
>【ルカたん】……ありがとう、みんな。大丈夫だから
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