8.魔獣使い(3歳)
「り、リア!? ダメだ、離れろ!」
パパの悲鳴が聞こえるが、私は止まらない。 このままではポチが「王族殺しの魔獣」として討伐されてしまう。それは困る。せっかく手に入れた最高のベッドを失うわけにはいかないのだ。
私は腰を抜かしているエドワード王子の前に立ち、そのままポチの鼻先へと手を伸ばした。
「ポチ、おすわり」
私の声は、殺気立った戦場には似つかわしくないほど、気の抜けたものだった。 だが、その効果は劇的だった。
ビクッ。
ポチの巨大な体が反応する。 私に向けられた手のひらから漂う「安心成分」が、ポチの怒りのボルテージを一気に下げていく。 金色の瞳から殺気が消え、代わりに「主に怒られた」という情けない色が浮かぶ。
ストン。
地響きとともに、ポチがその場にお座りをした。 ついでに、背後にいたとりさん(グリフォン)も、なぜか釣られてお座りをした。
「……え?」
エドワード王子が、涙目でポカンと口を開ける。 近衛兵たちの顎が外れそうになっている。 パパだけが「さすが私のリア! 猛獣使いの才能まで!」と目を輝かせているが、今は無視だ。
「めっ、だよ。ポチ」
私はポチの鼻先をペシッと軽く叩いた。 痛くも痒くもないはずだが、ポチは「クゥ~ン」としょげ返り、上目遣いで私の顔色を窺ってくる。
「おきゃくさま、かんだら、ダメ。ごはんなし」
その言葉は効いたらしい。ポチは耳を伏せ、反省の意を示すように地面に顎をつけた。 私はため息をつき、今度はエドワード王子の方を向いた。
王子はまだ腰を抜かしたままだ。 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔は、とても王族とは思えない。 だが、ここで彼を放置すれば、後で逆恨みされてポチの討伐命令を出されるかもしれない。 アフターフォローも、社会人の(今は幼児だが)嗜みだ。
「でんか。ポチは、こわくないよ」
私は王子の手を取り、無理やりポチの鼻先に持っていった。
「ひぃっ!? や、やめろ! 食われる!」
「だいじょうぶ」
私は王子の手をポチの濡れた鼻に押し付ける。 私の手が触れているおかげで、ポチからは敵意が消え、完全にリラックスモードになっている。 ポチは王子の匂いをふんふんと嗅ぐと、ピンク色の舌で王子の手をペロリと舐めた。
「……っ!」
王子が体を強張らせる。 しかし、痛みはない。ただ温かくて、少しザラリとした感触があるだけだ。
「……く、食われない?」
「ポチ、いいこだから」
私がニッコリ(営業用スマイル)笑いかけると、王子の顔色がサッと変わった。 恐怖の青色から、茹でダコのような赤色へ。
「……ふ、ふん! わ、分かっていたさ! 僕が本気を出せば、これくらい手懐けられるんだ!」
王子は震える足で立ち上がり、精一杯の虚勢を張った。 その手はまだポチの鼻先に触れたままだ。そして、ポチの毛並みの良さに気づいたのか、無意識にモフモフし始めている。
「……や、柔らかいな。この犬」
「でしょ?」
私は同意した。 分かればよろしい。ポチの良さを理解する者に、悪い奴はいない(たぶん)。
その一部始終を見ていた国王陛下が、大きく手を叩いた。
「見事だ!」
陛下は感動した面持ちで歩み寄ってくる。
「フェンリルを一喝し、あまつさえ怯える王子に手を差し伸べて和解させるとは……! ギルバートよ、お前の娘は、聖女の再来かもしれんぞ」
「はっ! 私の娘は世界一ですので!」
パパが胸を張る。そこは否定してほしかった。聖女認定なんてされたら、スローライフが遠のいてしまう。
「気に入った! ギルバート、この件は不問とする。むしろ、この魔獣たちはリア嬢の守護獣として国が認定しよう」
「ありがとうございます!」
よかった。これでポチたちが討伐される心配はなくなった。 私は安堵し、ポチの足元に座り込んだ。 どっと疲れが出た。三歳児の体で外交問題(?)を解決するのはハードすぎる。
しかし、問題は別のところで発生していた。 エドワード王子が、私をじっと見つめているのだ。 その瞳には、先ほどまでの不遜さはなく、代わりに妙にキラキラした熱っぽい色が宿っている。
「……リア、と言ったな」
「はい」
「お、お前……なかなかやるじゃないか。僕の次に偉いことを認めてやる」
「……はあ」
「だから! ……また、遊びに来てやってもいいぞ! その、この犬に会うためにな!」
王子は顔を真っ赤にして叫ぶと、脱兎のごとくパパたちの後ろへ隠れてしまった。
(……ん?)
私は首をかしげた。 パパを見ると、パパは顔面蒼白になり、幽霊でも見たかのように口をパクパクさせている。
「ま、まさか……フラグが立ったのか……? いや、認めんぞ! 殿下だろうが、私のリアは渡さん!!」
パパの絶叫が庭園に響く。 どうやら私は、ポチを守った代償に、もっと面倒くさいものを呼び寄せてしまったらしい。
私の理想の「誰にも邪魔されない昼寝ライフ」は、まだ少し遠そうだ。




