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3


幽残の寝所は夜そのものだ。


灯火は最小限。広い寝台の四隅には黒曜石の柱。天蓋は闇を織り込んだ布で覆われている。床には獣毛の敷物が重ねられ、冷たい石壁に触れる空気は死の直前のように張り詰めていた。


幽残は寝台の縁に腰掛け、長い指で濃い黒髪を無造作に払った。

湯浴みを済ませた彼の身体からは、先ほど伊織が嫌った血臭は消え、凍るような夜の香りだけが漂っている。


扉が静かに開いた。


黒衣の侍女たちが、美しい少年を闇の中へと押し出すように連れて入ってきた。


闇に月の雫が蕩ける。

伊織だった。


湯浴みのせいか白い肌は桃色に染まり、銀白の髪は柔らかく揺れている。相変わらず銀の狐耳も尾も感情の赴くままピクピク動いていた。

侍女たちによって纏わされた初夜の衣は、胸元、肩、腰――どこもかしこも隠すよりも誘うための装束で、胸元は風一つでほどけるほど脆く結ばれている。


伊織は寝所の闇に戸惑ったように琥珀の瞳を瞬かせた。


「……ここ、暗すぎない?」


その気の抜けた声に、幽残はわずかに瞳を細める。


「灯りは要らぬ。闇の方が、そなたの匂いがよく分かる」


「おかしなこと言う…」


湯上がりの身体から立ちのぼる甘い香りに、幽残の飢えは静かに疼いた。


侍女たちは深く一礼し、音もなく寝所から退出する。

扉が閉まると同時に、闇の中で二人きりになった。


伊織は幽残ほど夜目がきかないようだ。一歩ずつゆっくり幽残のほうに近づいてくる。


伊織は幽残の前に立つと、ひょいと顎を上げた。

伊織の視線が、ゆっくり幽残の瞳を探してのぼってくる。


「あなたから、いい匂いがする…」

「そなた……」


絹が擦れる音。

寝台の天蓋が揺れ、銀糸が星のように瞬く。


幽残の指が伊織の頬に触れた。湯上がりの肌は驚くほど温かい。縮まった距離に伊織の尾がぴんと立った。


「……嗅ぎ慣れぬ匂いだ。人でも神でも妖でもない。天も地も、そなたをどこにも置く場所がないと判断したのだろう」


「え、ひどくない?」


「──そなたは、余の飢えを久しく思い出させた」


伊織の心臓がどくりと高鳴り、狐耳がぴくりと揺れる。


「……ねえ」


「なんだ」


「僕、ずっとお腹すいてるの」


言いながら、伊織は幽残の胸に指を置いた。

それは無邪気で、しかし本能的には誘惑に等しい仕草だった。


「あなたからおいしそうな匂いがする」


幽残の笑みは、闇の中くっきりと浮かぶ。


「喰らいたいか?」


伊織の瞳がとろりと揺れた。


寝所に灯ったのは、ただふたりの呼吸と、ゆっくり近づく影の音だけだった。

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