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プロローグ

天と闇――

決して交わることのない二つの世界が、一匹の美しい天狐によって結ばれようとしていた。


その夜、月は薄絹をまとったように霞み、雲ひとつないはずの夜空から細い雨がしとしとと降りそそいだ。

雨粒を照らす白い靄のなか、天から地へと一本の金糸が垂れるように、まばゆい光の道が伸びている。


それは炎ではない。提灯の灯りでもない。

ゆらゆらと揺れる銀白の狐火。

白装束に狐面をつけた天狐たちの一団が、天の国から闇の王城へ向けて、音も影も落とさず降りてゆく。


先頭の輿に乗る伊織(いおり)は、退屈そうにまぶたを伏せていた。

まだ100歳にも満たない人型の銀狐だ。

中性的な美貌を彩る銀糸の髪に同じ色の狐耳、ふわりと揺れる銀色のしっぽは伊織の自慢だ。ふわふわの尾を撫でながら闇の王の姿を想像してみる。


闇の王――古き時代より生きながらえる吸血鬼の王。

美男美女を集めた後宮を持ち、尽きることのない飢えを夜ごとに満たしているという。

闇と死を司る吸血鬼の王は青白く、血に濡れているのかもしれない。


(まあ、王が見るに堪えないほど醜かったとしても関係ないけどね。問題は"王が美味しいかどうか"だもの。でも臭いとやだなあ。)


伊織は小さく笑い、ふわりと尾を揺らした。


次に思い浮かんだのは伊織を見送る兄王の悲痛な様子。

伊織の兄は天狐族を束ねる王だ。天狐の一族は総じて美しいが、なかでも美しい伊織は本来なら天上の神へ嫁ぐ存在だった。


だが、伊織には神には赦されぬ血が流れていた。

かつて地上で妖狐として生きた祖先の血が、強く強く現れてしまったのだ。


天上の清浄な空気は、伊織にとっては餓えそのものだった。

妖狐の主食は精気――

その精を得るため、妖狐は生まれながらにして甘く妖しい色香を放つ。


伊織が成長するにつれ、その色香は天を満たし、ただひと目見るだけで天狐や神々でさえ正気を失う。

天に置いておくことは、すでに許されなくなっていた。


天は伊織を友好の証として闇に贈るなどと言っていたが、ようは厄介払いだ。

天は穢れを許さない。

天をも誘惑する伊織を闇に堕とし、消し去りたいのだ。

闇の王は残酷と聞く。

初夜の褥で伊織の穢れた血が王に吸い尽くされることを天は望んでいるのかもしれない。

そうと分かっているから兄王はあんな哀れみと後悔に満ちた表情で伊織を見送ったのだ。

伊織には分かっている。

これは嫁入りの行列ではない。

伊織の葬列だ。


(闇の王、幽残(ゆうざん)…長い時を生き続ける吸血鬼。死を司る王に贈られる身としては、葬列が相応しいのかもしれないけど…)


輿の外では、狐火が白い雨を照らしながら闇へと降り続ける。

伊織がため息をつけばふわりと甘い桃のような香りが漂った。まだ若い銀狐はその光のゆらめきの向こうに、これから自分を迎える闇の王の影を思い描いた。


伊織に明日はないのかもしれない。

それでもなぜか伊織は、おぞましい噂しか聞かない王に会うことが楽しみだった。

【登場人物】

伊織いおり

銀白の髪、琥珀の瞳。銀の狐耳とふわふわのしっぽが自慢。桃のように甘い香りを纏う美貌の少年。無邪気な子狐のように振る舞うが、自分の美しさを理解している小悪魔的な面も持つ。

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