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その記憶を刻め

 目が覚めると、左腕に落書きがあった。

『ウタガエ』

 ひっかき傷のような赤い文字。誰が、何のために。というかどうやって?

 寝ぼけまなこのまま、それをそっと指でなぞる。体に刻まれたそれは、ジョークグッズの特殊メイクではなさそうだ。

 よくよく体を確認してみると、太ももや手の甲にも奇妙な単語が残されていた。『ウソ』『外』。

(またか……)

 これが初めてじゃないことに気づくまで、少し時間がかかった。

 いつの間にか消えて、また現れる。まるで何かを伝えようとしているみたいに。

「――起床時間です。本日の確認授業は九時より第三教室にて開始されます」

 無機質なアナウンスが、天井から降ってきた。

 俺はベッド代わりの学習ポットから身体を引きずり出す。頭が重い。インストールは、たぶんまたうまくいっていない。

 身支度を整えて寮の自室を出れば、同じ制服の生徒たちが食堂へと向かっていた。俺もそれに混ざる。

「おはよう、ハルト」

「はよ」

 明るく正しい挨拶をしてくる友人。顔色は良く、健康的な睡眠をとれたことがうかがえる。

 寮での食事も、歯磨きも、移動もすべてがスムーズで無駄がない。まるでプログラムされたロボットみたいに。

 その中に加わるものの、どこかうすら寒いものを感じていた。


 全寮制のこの学校では、夜間の睡眠中に学習ポットで知識をインストールし、昼間はその定着を確認する。それが日常だった。

 教師が問い、みんなが答える。黒板があり、ノート端末があり、給食もある。それ昔の学校と大差ないようでいて、実情は全く違う。

 答えは全てインストール済み。誰も考えてなどいない。インストールされた知識をアウトプットするだけ。

 インストールした知識が定着したか否か、それだけが大事になっている。

「ハル、また間違えたね」

 隣のリオナが、小さく溜め息をついた。

 彼女は優秀だ。インストールも完璧、授業も無駄なくこなす。まさにこの学校の優等生。俺の劣等感を掻き立てる存在。

「ちゃんと寝ないと。非効率だよ?」

「……そうだな」

 俺は曖昧に笑ってごまかした。

 でも、わかってる。俺には無理だ。ポットの中では、いつも夢ばかり見てしまう。

 ぼやけた光、誰かの声、知らない風景。知識なんか、ちっとも入ってこない。

「単に地頭が悪いだけだろ。そのうち『退学処分』されるだろうよ」

 前の席のクラスメイトが吐き捨てる。

「ちょっと!」

 リオナがは小声でたしなめるが、俺は何も言い返せなかった。。

 みんなが簡単にできることが、俺にはできない。

 きっと俺は、頭が悪いのだ。

(……もう、いやだ)

 その夜、俺は学習ポットに入る時間になっても、装置に入らなかった。

 部屋の明かりを落とし、そっと廊下へ出る。規律違反だ。けれど、もうすっかり学校生活が嫌になっていた。

 校舎の外へ出るのは、驚くほど簡単だった。

 厳重だと思っていた門も、夜間は最低限のロックしかかかっていない。

 まるで「誰も出ようとしない」ことが前提のように。

 並木道を走る。学園がどんどん遠くなっていく。道を走る車はない。等間隔の街灯がその道をどこまでも続くのだと錯覚させた。 

 夜風が冷たかった。けれど、不思議な開放感があった。そして、数十分は走っただろうか。唐突に目の前が開けた。

 ――外の街だった。

 学校から離れたそこには、人々が暮らす街が広がっていた。

 もう()()()()()だというのに、往来には人が歩き、子供たちが走り、店には明かりがついている。人々は自由に笑っていた。

(なんだよ、これ……)

「おい、君。その制服、学校から脱走してきたのか?」

 声をかけられて思わず体がびくりとする。振り返ると、スーツ姿の中年の男が笑っていた。どこか親しみやすい雰囲気だ。

「君らからすれば、旧世代の俺たちの夜は賑やかだろ?」

 ――旧世代。ポット教育を受けていない人々のことだ。

 もう一人、連れなのだろうか、スーツの男よりも少し若い、ラフなポロシャツの男が俺を見て目を細めた

「お前は……ああ、そうか。せっかくだから一緒に飯でも食おうじゃないか」

 初対面のはずのその人に、俺は謎の懐かしさを感じ、誘われるままにふらふらとついていった。



 映像では見たことのある居酒屋タイプの店だった。

 酒の代わりにオレンジジュースを差し出される。

「新世代の学校教育、詰め込み教育としちゃ最高だと思うよ。ただ、学校の中は、考えることすら奪われる場所だ」

 スーツの男が言う。

「本来、睡眠中は起きてるときに得た記憶を整理するはずの時間だ。ところが新世代の君たちはその時間すら奪われ、ただひたすらに画一的な知識を流し込まれている」

 男はぐいとビールをあおった。

「そりゃ便利だろうよ。旧世代が苦労して何十時間とかけてようやく定着するような記憶を一晩でインプットできるんだから。努力しなくてもみんな横並びだ。ただなぁ」

 男は俺を指さす。

「君たちは便利さと引き換えに自由を失った」

 俺は呆然とした。

 でも、言葉のひとつひとつが、不思議なくらい胸に刺さった。

 ポロシャツの男が枝豆の殻をいじりながら言う。

「学習内容を統一するため、毎日夜8時就寝、起床は7時が絶対。こっちじゃ小さい子供並みの睡眠時間だ」

 彼は往来に目を向ける。俺と同じ、十代の若者が楽しそうに歩いていた。

「必要な知識をぶち込むだけぶち込んで、それを有効活用させる。大人になっても同様に、長い睡眠時間と引き換えに自分の頭で考えて学ぶ時間を減らした」

「新世代は正解ありきの無駄のない教育を施されている。だが人生なんて唯一絶対の正解がない問題の連続だ。若いころに考えて悩んで選ぶ、そういう経験の機会を奪うのは人を人として扱っていないと僕は思うね」

 考える自由。悩む自由。選ぶ自由。

 今まで想像をしたことすらなかった話だった。

「……お前はきっと、そういう自由が必要なタイプなんだ。これが正しいんだという押し付け続けられるのは、きっとお前を息苦しくしている」

 ポロシャツの男の言葉で、大事なものが奪われた世界で、俺はずっと苦しんでいたのだと気づいた。

「…………学校を出たい」

 呟いた時だった。

 背後から複数の男に拘束された。その制服は学校の警備部のものだ。

「脱走は懲罰だ」

 無慈悲に告げら、立たされる。

 目の前の旧世代の男たちは、俺を気の毒そうに見るだけで助けてはくれなかった。

 だって、これが新世代のルールだから。


 戻された学習ポットの中、システム音声が優しく囁く。

「――忘れてしまえば、楽になります」

 消去処理が始まる。

 意識が遠のき、全てが霧に包まれていく。

(……それでいいのか?)

 楽になる。考えなくていい。でも、それは――

 視界の隅で、腕に刻まれた「ウタガエ」の文字光った気がした。

 前の俺が残した、ささやかな反抗の証。

(……ふざけるな)

 最後の最後で、俺は力を振り絞った。

 自分の腕に爪を立てる。

『外へ』

 意識が途切れるその瞬間まで。俺は自分の意思を刻み続けた。


 翌朝。

 いつものように、俺はポットから目覚めた。

 頭はぼんやりしている。何か大事なことを、忘れてしまった気がする。

 けれど、腕にできた真新しいひっかき傷が目についた。

「……外へ?」

 意味も理由もわからない。

 ただ、その言葉は、まるで鼓動のように俺の中で響いていた。

(行かなきゃ)

 根拠なんてない。けれど、俺はもう一度立ち上がる。

 今日もまた、普通の確認授業が始まる前に。

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