4、顔のないお母さん・・・「黄色いお化け」これが本当にお母さん?
両親は、父の女癖の悪さで、私がまだ赤ちゃんの頃に離婚したと聞かされていました。
私の記憶の中の母は、顔がありません。首から上には黒い雲がかかっていて母の顔は見えません。
母は、小さい頃から病弱で小学校にも通えないほど弱かったそうです。大人になってから親戚のおじさんに聞いて知ったことですが、伯母はそんな母をずっと奴隷にしていたそうです。
ずっと母は、長い入院生活を送っていて、私が母の面会に行った記憶は、ぼんやりとしかありません。
私の中で、母の病院に行った時の記憶はひとつしか無くて・・・
病室に連れられて中に入り、伯母から「お母さんだよ」と言われたのですが、怖くて伯母のお尻に隠れた自分の姿を今でも覚えています。
本当のお母さんが誰なのか? 本当にこの人がお母さんなのか?わかりませんでした。
幼い私の目に飛び込んで来たものは【全身が黄色く腫れあがったお化け】のような生きものでした。
今思えばわかるのですが、酷い肝臓病の母は、黄疸が出ていて全身がむくんでいました。黄土色に腫れあがった顔には、母の面影などありません。
何度も伯母から聞かされた話も、どうやら嘘だったようで・・・
「お前はコーヒー牛乳が大好きで、いつもお母さんに連れられて病院の自動販売機で、三角コーヒー牛乳を買って貰うのを凄く楽しみにしていたんだよ。お母さんに会いに行くのを心待ちにしていて、いつも三角牛乳を買って貰って嬉しそうにしていたんだよ」と、
伯母が何度も言い聞かせるように話しましたが、その記憶は、私の中にはありません。
私の記憶の中にあるものは、
病院の廊下を歩く自分の姿と、隣に居る大人らしき人の姿だけです。白にブルーの縦縞の院内着を着た誰かと手を繋いで歩いているのですが、おそらくその大人は母だと思いますが、その顔には真っ黒な雲がかかっていて何も見えません。
これが本当の事だったのか? それとも、伯母に聞かされた話を想像した自分の妄想だったのか? は、今でもわからないままです。
「本当にこの人がお母さんなの?」と、いう不安な気持ちしか覚えていなくて、母と普通に会話した事もなかったように思います。
自分が母親になった今、それを思うと「母はどんなに悲しかったことだろう・・・」と思うのですが、幼かったあの頃の私には理解できるはずもない事です。
いつも母の悪口ばかりを聞かされて・・・
母は幼いころから病弱でまともに小学校にも通えなくて、毎日、二階の部屋で床に伏せていたそうです。
伯母はよく自慢話と一緒に母の悪口を私に聞かせました。
「私は高等尋常小学校まで卒業しているんだよ。いつもお前のお爺ちゃんの人力車で学校に送り迎えをして貰っていてな。きれいな着物と袴を着て学校に行くもんだから、 ハイカラさんだって言われて、みんなが羨ましがって家に集まって来たんだ」
「お前の母親は小学校すら出とらんから、まともに字も書けんし読めん。お前は、あんな風になったらいかんぞ」と。
心の中で私は、いつも「お母さん可愛そう・・・」と思っていました。
けれど、幼い私はまだ伯母の作為に気づく由もなく、ただただ黙って聞かされるしかありませんでした。
伯母が私に話した母の子供の頃の事を思うと、母がどんなに辛かったか!母がなぜ?「姉さま」と、伯母のことを様付けで呼んでいたのかが理解できる気がします。
母は自分が病弱である事や小学校にも通えず、読み書きも出来ない自分に引け目を感じていたと思うんです。
だから小学生になった私に、たくさんの習い事をさせるようになりました。 そして、母の唯一の願いは私をプロのエレクトーン奏者にする事でした。
けど、それも姉の妬みと作為であっけなく奪われてしまったのですが・・・
その上伯母は、布団から起き上がることもできない母をあざ笑うかの様に、毎日毎日きれいに着飾って人力車で学校に行き、帰ってくると家の前にたくさんの友人を集めて楽しそうにワイワイと遊んでいたと言いました。
二階の部屋の窓越しに母は悲しそうに、黙って見ているしかなかったそうです。
母はどんなに辛かっただろう。どんなに悲しかっただろう。そう思うと、私の胸は張り裂けそうです。
それなのに伯母は、幼い私に次々と母を罵倒する言葉を擦り込んだのでした。
「お前の母親が生まれてから私は苦労をさせられたんだ」
「お前の母親が居たから、お婆さんを取られて私は寂しい思いをさせられたんだぞ」
「私が面倒を診てやらなかったら、お前の母親は生きて来られなかったんだぞ」
「なんで私だけが働きに出されないかんのだー! お前の母親は働きもせず、1円の金もよこさん最低のクズだ!」
「お前の親父も私に金の無心ばかりに来る人間のクズだ」
「お前には親は居ないと思え」
「お前は人に必要とされる人間にならんといかんぞ、居ても居なくても良い人間ではいかん、居ないほうが良い人間にだけはなるんじゃないぞ」
「お前がここに置いて貰っとるのは、私のお陰なんだから感謝しろ」
「お前には、母親の分まで私の面倒を診て恩返しする責任がある」
これが伯母の常套句でした。
けれど生まれた時からの事でしたし、私の心は既に「洗脳」されていたと思いますので、言われている意味に疑問を持つ事も、自分の感情などもよくわかりませんでした。「黙って聞いて、黙って従う事が自分の存在なんだ」と、思わされていたように思います。