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18,母さんがくれた50円の使い道、⓵友達と紙石鹸と憧れのフーセンガム

 三年生になった私は、なぜか? 担任の先生に

「登校拒否のクラスメイトの世話をしてくれ、帰りに家に寄って学校にくるように説得してこい」と言われるようになったんです。

(どうして私がそんなことをしないかんの?)と、正直、言っている意味がわかりませんでした。

「そんなこと、できません」と、言ったのですが・・・

「お前ならできる、お前にしかできない」と、押し切られてしまいました。(これはなぜか?中学生になっても続きました)


 それ以上、言い返せなくて、言われた通りにするしかなかったけど、内心は(いつも苛められていて友達もいないのに、どうして私にそんな事を? 出来るはずないがね・・・)と、モヤモヤしていました。


 でも、言われた通りにしないとビンタが怖いから、仕方なく学校の帰りに、隣の町内の【双子の女子の片割れ】に会いに行きました。

 何を話したのか?は、覚えていませんが、毎日とにかく、言われるままに通いました。


 当時は、【登校拒否をするなんて恥ずかしことだ】という時代でしたので、こういう人は相当なまでの強固な意志の持ち主です。

 だから、私が家に行ったくらいで学校にくる訳がないんです。

 案の定、むすっとした顔でろくに口も利かないし、だんだん【人の気持ちも知らないで!】と、腹が立ってきました。

 どれくらい続けたか?憶えていませんが、そのうち、先生も何も言わなくなり、私がその双子の家に行くこともなくなりました。


 けど、それがあってか? 私にも友達ができるようになったんです。

 おそらく、保育園のころから一緒だったであろう【部落の子達】ですが、他の子とは比べ物にならない程とても優しくて、みんな温かかったんです。

 時々、そのうちの誰かの家に行くこともあって、まあ君のお母さんと同じで、行く先々の大人が

「お腹すいとらん? これ、食べやあ」と言っては、何も聞かずに私を受け入れてくれました。


 伯母はいつも『あんな部落の子供なんかと遊ぶんじゃないぞ!』と、言うんですが、私には全く意味がわかりませんでした。

【自分のこと棚に上げて、うちの方が恥ずかしいわ】と、いつも思っていましたから。



 ちょうどこの頃から、伯母を介して母が私にお小遣いをくれるようになったんです。

「お前の母親が今日から小遣いをやると言っとるぞ。お前もそろそろ金の使い方を憶えた方が良いんだとさー ほれ!」と、渋い顔をしては、毎日50円を渡されました。


 相変わらず、母に直接 会える事はほとんどなかったんですが、母が二階にいるのだと確認ができるきっかけの一つにはなりました。


 私の小学校は、お金を持って行ったり、学校帰りに寄り道や買い物をしても大丈夫だったんです。だいたい、給食のマスクは学校で買う物でしたので、マスク代の50円を持っていないと叱られるくらいでした。


 うちの小学校の正門と裏門前には、文房具屋さんがあって、お菓子なども売っていました。

 みんな帰りには必ずと言っていいほど、文房具屋さんでお菓子などを買っていました。

 私の家の近所にも大きな文房具屋さんはあったんですが、一度も中に入ったことはなくて、ここが初めてでした。そもそも、私の文房具は姉のお下がりでしたから、買いに行く必要などなかったんですが。


 当時は【紙石鹸】が流行っていて、女子の人気アイテムでした。色んな色とか匂いがあって、みんなで交換するのが流行りでした。

 でも、私にはとても贅沢なもので、あまり買えなかったんですが、友達がいつもくれるので、【一度くらいはお返しないと】と、思って買ったことがあります。

 でも、伯母に見つかり『こんな物を買いやがって!』と、酷く殴られ、取り上げられてしまいました。


 男子は良く、フーセンガムを食べていました。みんなで楽しそうにワイワイ言いながら、大きさを競ったりしていました。

 その楽しそうな光景を見る度に「わたしも、やってみたい」と思うようになりました。


 この頃はまだ自分の部屋はありませんが、物置部屋に放置されていた姉の勉強机を貰ったので、学校の物や友達に貰った手紙などを机の中に大事にしまっていたんです。

 でも、私が居ない間に伯母が机の中を漁り、【こんなもん、誰から貰ったんだー またあの部落の子供だがや! どんだけ言ったらわかるんだ!!】と、大事な手紙を読まれた挙句にゴミに捨てられたんです。


 【くっそーーー もう嫌だ! くそババア! 絶対にこんなババアみたいな大人になんか成らないぞ!】と、反面教師になってしまったのも、この頃でした。


 それ以来、机の中の物を一ミリでも動かされたらわかるよう、びっしりと整理整頓する癖がついてしまいました。

 

一度だけ・・・

「机の中、 また勝手に触っただろう! 知らんと思ったら大間違いだからな! ちゃんとわかるようにしたるんだから、二度とさわるなー」と、怒鳴ったことを思い出します。

 さすがの私も、辛抱の限界を通り越して、ぶちぎれたという感じです。

 まさか私が怒るとは思っていなかったんでしょうね!  伯母もこの時は、ひるんで何も言い返して来ませんでした。



 ちょうどこの頃、家の近所にも駄菓子屋さんが出来ました。とても怖いおばあさんがやっているお店でしたが、私にも駄菓子屋に行くという楽しみが、ひとつ出来ました。

 

 みんながいつも食べているフーセンガム、どうしても食べてみたかったんです。ガムという物を見た事もなかったんですが、みんなが「ぷぅ~っ」と息を膨らますと、口の中から風船が出て来る、あれが! やってみたかったんですよね!!


 だから、50円の使い道を一生懸命に考えました。どうしても、フーセンガムの10円を残したかったんです。


 いつも駄菓子屋さんに行くと真っ先にガムを買うんですが、家に帰ると 

「そんな物を買ってくるんじゃない、何べん言ったら解るんだー直ぐに返して来い」と怒鳴られるんです。


 しぶしぶ、駄菓子屋さんのおばあさんに「ごめんなさい、おばさんがダメというから」と差し出すと、おばあさんにも「また、あんたか! 返しになんか来るなー」と怒鳴られるんです。

 結局、仕方なく【紐を引く飴】を買うんですが、なぜか? その飴だと怒られないんですよね・・・

 でも、どうしてもガムが食べてみたかったから諦めたくなくて、懲りずにこんな事を何度か繰り返しました。


 結果、最後は伯母にこっ酷く殴られて、二度と近所の駄菓子屋さんには行けなくなってしまいましたが、時々、隠れて部落の友達に着いて行っては、学校帰りに部落の駄菓子屋に行っていました。

 そっちの駄菓子屋さんの方が色んなものがあって、おじさんも優しかったし楽しかったことを覚えています。

 

 伯母は相変わらず家には居ない事の方が多かったので、見つかりさえしなければ怒られることもなかったんです。

 私もそれなりに多きくなり自我も芽生え、伯母の隙を狙う事にもだいぶん慣れて来て、見つからないようにするずる賢しこさも覚えて来ていましたから。

 

 思えば、伯母は・・・

 お金さえ与えていれば私が居なくても、何をしていても無関心だったんです。

 なのに、この頃から従姉がちょくちょく家に出入りするようになり、私の自由はどんどん奪われていくことになるのです・・・

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