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はじめに

 



 

  とうとう来年で60歳かぁ。

 正直、ここまで長く生きるとは思っていませんでした。


 母が亡くなった歳に近づいた頃、母と同じように【ガリガリに痩せた自分】がいました。


「ああ、このままお母さんのように死んで行くのかな?・・・」と思っていました。

 母がまだ元気だった頃に聞いた記憶では、身長145cmもない母の体重は36キロでした。【亡くなった時はもっと減っていて、子供の私が、姉と二人で母を持ち上げて階段を降りても、ちっとも重いと思わなかったんです。それほどに母は衰弱させられていたのです。】


 それなのに、身長約165cmの私は、体重が39キロまで落ちていました。

 思春期の頃でも最高で45キロまでしか太った事がなく、妊娠中も50キロくらいしかありませんでした。他の人のお腹のサイズを知った時、びっくりしました。

 臨月になると、大概の人は【100cm】くらいになるんだそうで、私は【85cm】くらいしかなかったんです。お医者さんに言わせれば、とても優等生の妊婦さんですよね。


 でも、妊娠中は不思議な事に、良く食べました。食べても食べても足りなくて、いつもお腹を空かせている妊婦でした。

「ああ、子供が欲しがっているんだな」と、思っていました。

 どうしてか? スイカとケンタッキーフライドチキンが食べたくて食べたくて、一人で8ピースは平らげていました。大きなお腹で自分のお腹と同じくらいのスイカを持って歩いていることが何だか面白くて「スイカがスイカを抱えて歩いているな」と、歩きながら一人で笑ったりしていました。

 あの頃は、それだけ、幸せを感じられていたんだと思います。


 お蔭さまで、息子達はすくすくと大きくなり、二人とも【3600~3700g】もありましたから、産むときは「頭の線が切れて死ぬんじゃないか?」と思うほど大変でしたが、大きい子は首の座りも早く、体がしっかり安定しているので、育てるには楽でした。

 お産の後で、助産婦さんに

「あなたのお腹の中は凄く居心地がいい、とっても良い環境ですね。綺麗な胎盤で、見ればすぐにわかりますよ」と、言われたことを今でも忘れません。


 本当は、小さい頃からずっと、まともに食事を食べられなくなっていて、ひと口食べるだけで喉が詰まってしまい、それだけでお腹いっぱいになるんです。

 食べないことに慣れてしまったのか? 食べることを許されない環境が長かったせいで体が受け付けなくなっていたのか? は、わかりせんが、子供が生まれるまでの私は、あまり食べない人でした。


 子供ができて、やっと夕飯だけはちゃんと食べられるようになったんですが。

 仕事が忙しくて食べる暇もなかったと言えばそうですが、まともに睡眠もとれないままバイトを掛け持ちして本業もしていましたので、休日もなく、とにかく眠かったんです。

「食べる時間があるなら、少しでも寝ていたい。お腹がすいても寝れば治る」

ずっと、そんな生活をしていました。


 この頃の息子達は、まだ幼くて

「このまま死ぬわけにはいかない! 私が居なくなったら、この子たちはどうやって生きていけるというんだ。神様、もう少し頑張らせてください」という、自分が居ました。


 それが、今は、我儘の度を越した毒息子から離れて、しがない一人暮らしの身です。本当なら今頃は、息子達も大人になり手が離れ、私もゆったりとした生活を送っているはずでした。ところが、何処からかボタンの掛け違いが出来て、ほころびがどんどん大きくなってしまったのです。

 それも、みんな、家族と言う名のだらしのない大人達が、影響を及ぼしたのです・・・


 人は誰でもどんな関係であっても、ちゃんと言葉にして伝えてくれないと相手の考えていることなんてわかりません。 

「黙っていても解ってくれるだろう」なんて、あり得ません!!

「私は神でも仏でもない、ちゃんと言ってくれなきゃわからないよ! ちゃんと話し合おうよ」と、元夫にも、息子にも、何度も言いましたが、届きませんでした。

【血は争えない】というのか? 【三つ子の魂百まで】というのか? ・・・

大きくなった長男は、次第に、私の大嫌いな大人達と同じことを言い、同じように暴力的になっていき、私を追い詰めました。


 フラッシュバックが起きて・・・

 少し前までは過去の記憶や感情が見えてしまったことが苦しくて、身動きできない自分がいました。どうしても、息子達のことや周囲に迷惑をかけるから・・・など、色々と考えてしまうから自死したくてもできない自分が辛くて仕方がなかったです。


 それでもまだ生きていなければならない意味は何なんだろう・・・?

ずっと、そんな事ばかりを考えていました。



 そんな時に、以前 見た事のあるドラマ

「ビりギャル」の「ああちゃん」が書かれた本があることを知りました。


 ドラマを見ていた時には知らなかった【ああちゃんの過去】をちらっと見た時、自分と重ねる部分がたくさんあることに気付きました。


 ああちゃんのお母さんの人生は、まるで自分を見ているようでした。

 親戚中からなけなしの金を奪われ・・・「このままでは、優しい旦那さんに迷惑がかかる」と思い、取るものも取らず、行く当てもなく一人家を出て・・・


 また、【怖い人にも動じず、気づいたらその怖い人にも気に入られていた・・・】等という部分までもが、そのまんま自分が経験してきたことでした。


 ただ、私は子供の立場になって生きた事がありません。母とまともに関わった記憶もありません。だから、私は母の気持ちを想像したり、寄り添うことはできません。


 ドラマの中で、ああちゃんが なぜ? あんなに旦那さんの暴力に辛抱されていたのか?

旦那さんに必死に抵抗してまで、子供を守ろうとしたのか? 

本を読んでいて自分の中でストンと落ちた気がしました。


 私にもまだ何かできることがあるとしたら、それは、ずっと思っていたこと【自分の過去の経験】を生かして世の中に発信することではないか?と、改めて思いました。



 数年前ようやく【自分が解離性健忘になっている】という事を知りました。

だったら、そうなった原因や経緯などを自分の言葉で綴っていくことが、これからの自分のためにもなるんじゃないかと思えたんです。


 私のこれまでの半生はとても長くて・・・ おそらく、これから先もまだまだ遠いです。自分の答えが見つかるか?は、未知の世界ですが、少しでも見つけられたらと思います。


 ずっと周囲の人からは「ドラマのようだね」と言われて苦しかったし、ひと口では説明ができない程、絡み合った事情がいくつもあります。


 こうして一人になってからはずっと、自分のことを書いて発表したいと思ってはいましたが、自分の中で上手くまとまらずに今に至ります。


 でも、こんな私がまだこの世に居るということは、何か理由があるような気がするので、それなら今までしたこともないような事をしてみよう!


 それで、少しでも苦しい自分から脱却できるなら良いし、過去の自分に向きってみようと思いました。


 そして、それが少しでも誰かの助けになれれば良いな。 そんな思いを込めて綴っていきたいと思います。

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