映画館で偶然隣の席になった二十代中盤くらいの同年代の美女と仲良くなり、そろそろ告白しようと思った最中、その美女が女子高生だということが発覚した!?
「ふぅ……」
映画館の一番後ろの席に腰を下ろし、一息つく。
ああ、いつ来てもこの映画が始まる前の、ソワソワした空気はいい。
俺は映画鑑賞が趣味で、週末はほぼ毎週、映画館に通って一人で映画を観ている。
今日は最近話題の『きゅらどら!』という漫画が原作の、実写映画を観に来たところだ。
『きゅらどら!』の原作は俺も大好きなので、ずっとこの日を楽しみにしていた。
「あ、ちょっと前すいません」
「あ、はい……」
その時だった。
一人の女性が俺の前を横切り、隣の席に腰を下ろした。
茶色のトレンチコートに身を包んだその女性は、目を見張るほどの美女だった。
歳は俺と同じ、二十代中盤くらいだろうか?
サラサラの長い黒髪と泣きぼくろが蠱惑的な、大人の雰囲気漂う妖艶な美女だった。
俺は一目でこの美女に目を奪われ、暫し無言で見蕩れた。
「? あの、私の顔に何かついてますでしょうか?」
「っ!? い、いえ! 何でもないです! はは……」
危ない危ない!
不審者だと思われたら堪らないからな。
「ふふ、『きゅらどら!』はお好きなんですか?」
「え? あ、ああ! はい、好きです。原作も全巻持ってますし」
「あっ、私もです! 特に三巻の、ブリーフ脱税マンの正体が校長だってわかるシーンは、何度読んでも泣いちゃいます!」
「ああ、あそこは名シーンですよね!」
よ、よし、どうやら悪い印象は持たれてないみたいだな。
「ふふ、映画楽しみですね」
「あ、はい、そうですね」
確かに映画は楽しみではあったが、正直俺の心は半分この美女に持っていかれていたので、いつもほどは映画に集中できなかった――。
「はぁ~、面白かった~」
スタッフロールが終わり、館内が明るくなったと同時に、美女が天井を見上げながら感嘆の声を漏らした。
うん、確かに話題になってるだけあって、予想以上に面白かったな。
「ね! 凄い面白かったですよね!」
「え?」
美女がキラキラした眼で、俺にそう訊いてくる。
ふお!?
まさか話し掛けられるとは思ってもいなかったので、心臓がギュンッとなった。
「あ、はい、面白かったです。特にブリーフ脱税マン役の人の演技が最高でしたね」
「あー、わかるー! あの人、メッチャ演技上手でしたよね!」
「あの役者は元々は舞台出身で、バリバリの実力派ですからね。『五度目の離婚』ていう映画でも、主人公の父親役を演じてたんですけど、完全に主人公の演技を喰っちゃってましたからね」
「へー! 映画にお詳しいんですね! 憧れちゃいます……」
「え?」
美女がウットリとした顔で、俺を見つめてくる。
お、おおお??
「あの、もしよかったらなんですけど、この後どこかでお茶でもしませんか? 今の感想とか、語り合いたいですし」
「……!」
美女がもじもじしながら上目遣いを向けてくる。
こ、これは――!
「あ、はい、俺なんかでよければ……」
「やった! じゃあ行きましょ!」
美女はまるで子どもみたいに、無邪気に立ち上がった。
……夢じゃないよな、これ?
「へー、脇田さんてホント物知りですね!」
「いやいや、昔から映画が好きだったんで、自然と詳しくなっただけですよ」
「ふふ、でも凄いです。私はそういう、特技ってないから」
映画館の近くにあった喫茶店で、俺と美女はかれこれ三時間近く映画トークに花を咲かせていた。
美女の名前は三奈戸伊織さんというらしい。
こんな美女と二人きりで話したことなど生まれて初めてだったので、最初は緊張でドギマギしていた俺だが、三奈戸さんはその見た目に反して、意外と気さくで子どもっぽい一面もあり、とても話しやすかった。
今ではすっかり緊張も解け、自分でもビックリするくらい、スラスラ言葉が出てくる。
もしかしたら俺と三奈戸さんは、相性がいいのかもしれない。
「あっ、もうこんな時間だ。すいません、私そろそろ帰らなくちゃ……」
「あ、そうですか」
嗚呼、楽しい時間というのは、あっという間に過ぎてしまうものだな……。
せっかく三奈戸さんと仲良くなれたのに、もうこれっきり、かな……。
「……あの、脇田さん」
「? はい?」
三奈戸さんがもじもじしながら、さっきと同じく上目遣いを向けてくる。
み、三奈戸さん??
「もしよかったら、また一緒に映画観に行きませんか? 私もっと、脇田さんのこと、知りたいです」
「――!」
そう言う三奈戸さんの頬は、ほんのりと桃色に染まっていた。
ふおおおおおお!?!?
「あ、はい、是非! また一緒に行きましょう!」
「わあ! やった! ふふ、約束ですよ」
「はい、約束です!」
三奈戸さんは、まるで天使みたいに微笑んだ――。
俺はその笑顔に、暫し見蕩れていた――。
こうしてこの日以来、俺と三奈戸さんはほぼ毎週、一緒に映画を観るような仲になった。
三奈戸さんは凄く感受性が豊かな人で、感動系の映画では毎回号泣し、ホラー映画では子犬みたいに終始プルプル震えていた。
そんな三奈戸さんとの日々を過ごすうちに、俺が三奈戸さんのことを好きになってしまったのは、言わば必然だったのだと思う――。
そんなある日の会社帰り。
一人で夕陽に染まる裏路地を歩く俺の頭の中は、三奈戸さんにどうやって告白するかでいっぱいになっていた。
今週末はまた三奈戸さんと映画を観に行くことになっているのだが、できればそこで勝負を決めたい。
今までの感覚的に、告白すればかなりの確率で成功するのではないかという気はしている。
だが、生まれてから一度も自分から女性に告白したことがない俺は、どう言えばいいのか、未だに悩んでいた。
「あっ、脇田さん!」
「っ!」
その時だった。
後ろから不意に、声を掛けられた。
こ、この声は――!
「あっ、三奈戸さ、ん……?」
振り返ると案の定、そこにいたのは三奈戸さんだった。
だが、三奈戸さんの格好を見た俺は、その場で完全にフリーズした。
――三奈戸さんは、高校の制服を着ていたのである。
な、なにィイイイイイイ!?!?!?
「わあ! ホントに脇田さんだ! キャー! スーツ姿メッチャカッコイイですね! はわわわわ、萌えが止まらないですぅううう!!!」
「…………」
萌えに萌えている三奈戸さんに反して、俺の心には絶対零度のブリザードが吹き荒れていた。
み、三奈戸さんが、女子高生……。
そういえばてっきり同年代だと思っていたので、三奈戸さんの年齢は一度も確認したことはなかった(女性に年齢を訊くのは失礼だし……)。
でも、まさか女子高生だったなんて……。
――これじゃ、俺が三奈戸さんと付き合ったら、犯罪じゃないかッ!
「あっ、せっかくスーツ姿の脇田さんと偶然会えたんですし、一緒に写真撮っていいですか!?」
「え!?」
三奈戸さんがスマホを手に取りながら、俺にピッタリと寄り添ってきた。
う、うわぁ!?
「そ、それはちょっと!!」
「……え」
慌てて三奈戸さんと距離を取る俺。
三奈戸さんは何が起きたのかわからないといった様子で、呆然としている。
――が、
「…………あ。脇田さんもしかして、私が高校生だってこと、知らなかったんですか?」
「――!!」
全てを察したらしい三奈戸さんは、一転眉間に皺を寄せ思案顔になる。
「うん、まあ、私はこの通り老け顔ですし、最初の頃は意図的に歳を隠してたから、怒る権利はないのかもしれないですけど」
えっ!?
意図的に隠してたの!?
な、なんで……。
「でも、私が高校生だったら何だっていうんですか!? 人が人を好きになるのに、年齢は関係ないはずです! ――私は、脇田さんのことが好きですッ!」
「――!!!」
三奈戸さんは目元に涙を浮かべながら、耳まで真っ赤にして、そう告白した――。
三奈戸さん――!!
「脇田さんはどうなんですか!? 私のこと、どう思ってますか!?」
「っ!?」
グイグイ近寄って来て、俺の手を両手でギュッと握り、上目遣いを向けてくる三奈戸さん。
あ、あぁ……。
「お、俺、は……」
――俺だって、三奈戸さんのことが好きだ。
この気持ちに、やましいところなんて欠片もないと、神に誓える。
……だが、ダメなんだ。
いくら俺たちの想いが通じ合っていたとしても、日本の法律がそれを許さないんだよ――!
「い、伊織、誰だその男は……」
「「――!!」」
その時だった。
50歳前後くらいのバリトンボイスのイケオジが、俺たちに震える手で指を差してきた。
しかもこのイケオジは、目元が三奈戸さんそっくりだった。
ま、まさかこの人は――!?
「……お父さん」
なにィイイイイイイ!?!?!?
「どういうことだ伊織。まさかその男と付き合ってるんじゃないだろうな? 明らかに学生じゃないだろう」
は、はい、バリバリの社会人です……。
「だったら何だっていうの!? お父さんには関係ないじゃない! 私は康作さんのことが好き! 誰にも文句は言わせないわ!」
「み、三奈戸さん!?」
三奈戸さんは俺の左腕に抱きつきながら、お父さんと対峙した。
しかもちゃっかり俺のことを下の名前で呼んでいる。
み、三奈戸さああああああん!!!!
「何だとおおおおおお!?!? フザけるなッ!! 私はお前の父親だぞ! 親として、女子高生に手を出すような犯罪者のことは、絶対に看過できん!」
ふぐぅ……!!
事実だから何も言えねぇ……!!
「は、犯罪者って……! 康作さんはそんな人じゃないわ! とっても誠実な人なんだから!」
「ふん、女子高生に手を出している時点で、とても誠実とは言えんだろうが」
仰る通りでございます……。
「そ、それは、私が女子高生だってことを隠してただけで……。それに、まだ、手は出されてないし……」
三奈戸さんは頬を桃色に染めてもじもじしながら、俺の顔をチラ見してくる。
いや、かっわいい!!
こんな時だけど、三奈戸さんかわいすぎるやろッ!!(唐突な関西弁)
「フン、口ではどうとでも言える。――オイ君、娘とはどういう関係なんだね」
「――!」
お父さんが不動明王みたいな顔で、俺のことを睨んできた。
あわわわ……!
何という圧迫面接……!!
俺が就活の時に、某上場企業で受けた圧迫面接よりも数段上のやつだ――!!
「お、俺、は……」
クソッ、何て言えばいい……。
何と言うのが正解なんだ……。
「康作さん……」
「――!」
三奈戸さんが震える声で、縋るような瞳を俺に向けてくる。
――三奈戸さん!
この瞬間、俺の中の何かに、青い炎が灯った――。
「……お父さん」
「なっ!?」
俺は真っ直ぐにお父さんの目を見据えた。
「き、貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはないッ!!」
「俺は――いや、僕は、伊織さんが好きですッ!」
「な、なにィイイイイイイ!?!?!?」
「康作さんッ! 嬉しいッ!」
伊織さんが俺の肩に、スリスリと頬擦りしてきた。
ふふ、本当に可愛いな伊織さんは。
こんな可愛い伊織さんのためにも、何としてもここでお父さんのことを説得してみせる――!
「こ、この、変態がッ!! 大人が高校生に手を出したら犯罪だということすら知らんのか!?」
「……もちろん知っています。――ですから、伊織さんが高校を卒業されるまではあくまで清い交際にとどめ、卒業されると同時に、責任を取って結婚したいと思っております!」
「け、結婚だとおおおおおおおおお!?!?」
「康作さぁんッッ!!!」
嗚呼、言ってしまった……。
だが、不思議と後悔はない。
これで仮にお父さんに警察に突き出されたとしても、あのまま伊織さんと自分の想いを裏切るよりは、百万倍マシだ――!
「あらあら、じゃあ今日は、お赤飯を炊かなくちゃね」
「「「――!!?」」」
その時だった。
40歳前後くらいの和服姿の美魔女が、いつの間にかお父さんの隣に立っていた。
美魔女の顔は、伊織さんに瓜二つだった――。
「お母さん!」
そうか、この方が伊織さんのお母さん。
伊織さんが年齢を重ねたら、まさにこんな感じになるだろうなと思われる、大人の魅力に溢れたお母さんだな。
「しょ、正気か母さん!? 娘を犯罪者に嫁がせてもいいというのか!?」
「あら? どの口が言っているのかしら? あのね、この人は私が高校生の時の、担任教師だったのよ」
「…………え」
「か、母さあああああああん!!!!」
マ、マジですかお父さん……。
俺もひとのこと言えないですけど、お父さんもなかなかやりますねぇ……。
むしろサラリーマンと女子高生よりも、担任教師と女子高生のほうが、背徳感は上のような気も……。
「だ、だが、私は母さんのご両親に許可を取ったうえで、母さんが在学中は清い交際にとどめ、卒業すると同時に結婚して責任を取ったから問題はないだろう!?」
「うん、そうよね。つまりそれって、康作さんが今言ったこととまったく同じでしょ? だったら二人が交際することも、問題はないってことよね?」
「…………あ」
うん、今確信した。
どうやら三奈戸家の実権を握っているのは、お母さんらしいな。
「ありがとう、お母さん!」
「うふふ、いいのよ。それよりも、流石私の娘だわ。男を見る目があるわね」
「えへへ、でしょでしょー!」
そ、そうですかね?
「私があと10歳は若かったら、放っておかなかったのに」
「っ!?」
お母さんが思わず背筋がゾクリとするような、妖艶な笑みで俺を見つめてきた。
お、お母さん???
「か、母さん!?!?」
「それは絶対ダメッ!!! いくらお母さんでも、康作さんは絶対絶対渡さないからッ!!」
伊織さんが猫みたいにシャーッとお母さんを威嚇しながら、俺に抱きついてきた。
あわわわわ……。
「うふふ、冗談よ。ね、康作さん? 今夜はうちで夕飯食べてってくださいな。腕を奮ってご馳走するわ」
「あっ、それいい! ね、康作さん! いいでしょ!」
「あ、うん、じゃあ、お言葉に甘えて……」
「母さん、本当に冗談なんだよな、母さん!?」
ハハ、こりゃ、いろいろと前途多難だな……。
「えへへ、康作さんだーい好き!」
「……!」
でも、きっと伊織さんとなら乗り越えられる。
覚悟を新たに空を見上げると、輪郭を失った夕陽が、歪な地平線に沈んでいくところだった。