出会い(田中弘治の場合)
俺はただ深夜の通学路を走っていた。ただ間に合うように念じて。
俺は顔の濡れる感覚が、雨によるものなのか、それ以外の判別が付かなかった。
(間に合え、間に合え!あいつ等が犠牲になる前に!)
ずぶ濡れになりながら走る道は、普段とは違う表情を見せていた。
空は泣きに泣き、時折紫電が空をひた走る。叩きつける雨は礫の様に全身を襲い、雨と共に現れた霧は肺を沈めんと襲ってくる。
まるで俺が進むのを、拒絶するように。
♢
事の発端は数日前、俺の友人から聞いた噂だった。
「何、お前のクラスは女の声がする。」
「ああ、つい昨日なんて、先生が怒りのあまり教卓を投げたからな。」
そう言った志馬田鉄山は、少し声の調子を落として言った。
「しかも、最近俺のクラス死人が出ている。立て続けに4人だ。おかしいと思わないか。田中。」
「ああ、確かにな。その中には馬鹿やってる3人組も居たんだろ。」
俺こと田中弘治はそう言って空を見る。随分と陰気な空模様だった。夏が近付いた空にしては、少し気味が悪い。
「ま、今晩中にその異変は解決できると思う。」
そう言った志馬田は、少し安心したような笑みを浮かべた。
「なんでだ。」
俺がそう質問すると、志馬田はこういった。
「願掛けだよ。」
そう言って、その願掛けの内容を話した。
なんでもこっくりさんみたいな感じでやるらしい。
ただし、酒やら米やらといったものを用意したうえで、蠟燭なんかも用いる代物らしい。
「なあ、それって危険じゃないのか。」
俺がそう言うと、志馬田は大丈夫なはずだといった。
「とは言えだ。なんでも儀式では代償となるものが必要らしい。」
「その儀式に頼らずともいいのではないか。それに、その儀式に必要なのは寿命とかそのあたりの物だろう。」
俺がそう言うと、志馬田は少し顔を曇らせた。
「ああ、お前の言う通り、クラスメイトは寿命を代償にこの一連の異変を解決しようとしている。事が起こる原因を作った奴は20年。それ以外は10年と事前に決めている。それに、あの儀式でなければあれを封印する事は出来ない。」
俺は志馬田の顔を見た。揺ぎ無い覚悟が、鳶色の虹彩と漆黒の瞳に映っている。
「早まるな。俺なら何とか出来るかも知れない。」
「いや、もう無理だ。クラスメイトに詳しいやつがいるが、あいつは人では手に負えない。人外には人外をぶつけるしかないんだよ。」
志馬田の手は強く握りこまれ、細かく震えている。
その震えは恐怖からくるもので間違いない。
「少し待ってくれないか。深夜だな。」
「いや、明後日だ。」
俺と志馬田はそれぞれの自宅に帰った。
帰ってから課題をこなし、就寝した。
そして、翌日の深夜1時。俺は目を覚ました。
部屋の中は薄暗く、蒸し暑い。寝汗を吸った寝巻を脱ぎ、風呂場に向かう。時刻は0時を指していた。
汗をシャワーで流し、新しい寝間に気袖を通した。
だが、ここで間違いに気が付いた。
なぜか俺は、学生服のカッターシャツに袖を通していたのだ。
靴下も履いていて、下のズボンも学生服のそれである。
俺は志馬田との会話を思い出した。
あいつは優しい過ぎる所がある。何もかも背負い、潰れ掛ける。
まさかと思って、時計を見た。
(まずい。時間がない。)
俺は制服のブレザーを羽織って、家の中にある軍手をもって家を飛び出した。
♢
誤算だった。学校までは歩けば2時間、走れば1時間で着く。
だがこの日は大雨が降っていた。この為、ずぶ濡れになりながら走る羽目になった。その分、移動速度も落ちる。
(まずいな。このままでは彼らが行動してしまう。)
俺はあたりを見回して、何か足になる物は無いかと見まわした。
(あれは使えそうだ。)
1台の放置された自転車。幸いにもカギはかかっていない。
直に乗り込み、ペダルを一気に踏み込んだ。
市街地を抜け、橋を渡り、駅の前に到着する。しかし、駅から高校までの道は急峻な坂道である。その距離900m。
「走るか。」
自転車を駐輪スペースに置き、一気に坂を駆け上がった。
普段は15分で上がれる坂だが、体感にしておおよそ5分程度で上がれた。
だが、すでに役者はそろっていたらしい。立ち尽くす茶髪の女性と、その前にいる悪霊が見えた。校内では、今頃件の儀式が行われているのだろう。
だが、まだ始まっていないのなら、間に合った。
女性に後ろから声をかける。
「任せろ。一撃で決める。」俺は言うと、持ってきた軍手をはめる。
俺には、誰にも言えないことがあった。それを知っているのは両親と俺だけだ。生後3週間で、風邪にかかったらしい。そして、数週間生死の境をさまよったそうだ。奇跡的に後遺症等もなく回復。
だが、その日から何か人とは違う存在が用いる力が使えるようになった。その力の危険性を物心ついた時から理解していたから、なるべく使わないようにしていた。だが、いざ何かあったら大変だと思い、その力を少しずつ父に買ってもらった軍手に込めて行った。
力のこもった軍手とは、今はめているそれである。
そいつとの距離はおおよそ10m。俺はすたすたと歩み寄り、そいつの顔面に右から拳を叩きこんだ。吹き飛ぶ悪霊、それはどんどん小さくなっていき、きらりと空のかなたで光った。驚きのあまり口を大きく開ける女性。何が起こったかわからず、豆鉄砲を食らった鳩の様に固まる俺。
ひとまず俺は、茶髪の女性から話を聞くことにした。
「あの、すいません。大丈夫ですか。」
俺がそう問いかけると、女性は問いかけに答えてくれた。
「ありがとうございます。私では、あれに太刀打ち出来ませんでしたから。失礼ながら、お名前を聞いてもよろしいですか。」
そう問いかけてきた女性に、俺は何でもないように答えた。「田中弘治。あんたは。」「私はこういう者です。」
そう言って名刺を渡してきた女性。
「佐川探偵事務所?」俺は名刺を見て驚いた。
確か、親父がある依頼を持ち込んだ場所だったはずだ。
「なあ、あんた。俺のおやじについて何か知っているか。」
そう言うと、その女性は驚いて目を見開いた。
「そうですか、貴方が。」
「こちらから言ってなんですが、俺は校内に用事があります。また後で。」
俺はそう言って、校内に入る。
そして、上履きに履き替えた後、3年1組の教室に入った。
そこには、困惑するクラスメイト達の姿があった。
随分毛色の違う生徒もいるが、その人物が今回の騒動の発端を作り出した、いや呼び出したのだろう。
呼び出した人物の格好は、髪を明るい茶色に染め、ピアスを耳に着けていた。
カラコンもつけているらしく、金の虹彩をしている。
爪にはマニキュアの類が塗られており、随分着崩した格好だった。
「無事だったか。」
そう言うと、気が強そうな声が掛けられた。
「あの霊が叫び声をあげて消えた原因は、お前か。」
「ちょっと有馬さん。」
俺に詰め寄ったのは、有馬という女子生徒らしい。短く借り上げられた黒髪で目は釣り目気味だ。飢えたオオカミの様な顔立ちだった。
それを咎めたのは、少し地味な女子生徒である。
顔は伏せ気味で、猫背。黒髪は長く、背中を隠すほどだった。
薄い青縁の眼鏡を掛け、フレームはアンダー式である。
腕時計は制服の袖の上から付けられていて、ベルトには小物を入れる用の小さなポシェットが有った。
俺は有馬という女子生徒の問いかけに答える。
「あの霊とは俺には分からん。だが、随分厄介な奴は星になったぞ。」
そう言うと、有馬と眼鏡の女子生徒は顔を見合わせた。
「なあ田中。お前がやったのか。」
そう問いかけてきたのは、志馬田だった。
俺はその問いに答えた。説教臭い文言もつけて。
「恐らくな。だが、あれは国を亡ぼせるほどの強さだったと思う。俺が言えたことではないが、その手の儀式に手を出すことはするなよ。今回の件で十分わかっただろう。俺は帰る。」
踵を返して、俺は下駄箱に向かった。隣のクラスメイトたちは、教室を出ていくその瞬間まで、頭を下げ続けていた。
「どうでしたか。」「佐川さん。無事に彼らの問題は解決できたようです。」
俺はそう言うと、佐川さんは胸をなでおろした。
「それから、佐川さんとは少し話をしたい。」
「ええ、それは私もです。明日は休日ですから、事務所で話をしましょうか。」
それから、俺は佐川さんの働く探偵事務所にお邪魔した。
そして、ある聞きたいことを聞き出した。
「俺の親父、田中忠承を知っているのですか。」
俺がそう言うと、佐川さんは頷いた。
「ええ、あの人はね、君を調べてほしいと依頼してきたんだ。」
そう言って、当時の調査書を渡してきた。
「君の正体が、ここに記載されている。」
そうして調査書を流して読んだ。ぱたりと閉じて、長い息を吐く。
「私は、ある一つの式しか使えなくなった人間。そう言いたいわけですか。」
佐川さんは深く頷いた。
「そう。この世の中には、非科学的なエネルギーがある。それを効率よく、物理に干渉する式がある。君の場合は、たった一つしか使えない。だが、その式が非常に強力なんだ。」
そう言うと、佐川さんはこう言った。
「君はその力を持っているが為に、相当苦労することになると思う。そこで提案だ。田中君。ここで働かないか。私であれば、その方面には明るいからね。その力を制御するための術を教えられる。如何かな。」
俺はその提案に、乗ることにした。
「判りました。ここで働きますが、高校在学中は殆ど顔を出せませんよ。」
すると佐川さんは、それでもありがたいと言い書類を手渡してきた。
「これが誓約書だ。家に帰ってから書きなさい。ところで、進路は。」
佐川さんの問いかけに、俺は立て板に水と答えた。
「大学の方に進学しようかと。佐川さんも、大卒の人材が入るのはうれしいのでは。」
佐川さんは、微笑んで答えた。
「そうだね。じゃあ大学の学費も私が負担しようか。」
「いえ、流石に学費ぐらいは払えます。」
翌日。放課後の学校から俺は出ようとしていた。今日の深夜に有った事が、皆忘れられないらしい。
朝来た時、隣のクラスメイトに囲まれた。
そして質問攻めにあったのだから、少し驚いたのだ。
あれを放課後も対応していては、少々骨が折れる。そう思い、さっさと下校しようと思ったのだが。
「お、弘治。一緒に帰ろうぜ。」
そう声をかけてきたのは、志馬田だった。隣にはあの眼鏡を掛けた女子生徒と飯島と呼ばれた女子生徒もいる。また、教室内で腰を抜かしていた、毛色の違う女子生徒もいるらしかった。
「志馬田か。隣の二人は。」
俺がそう言うと、その二人が自己紹介をした。
「私は麻島裕子。今は室長を務めているわ。」
「…私は、梶間ゆう。よろしく。」
少し気まずそうに言ったのが、一連の騒動の諸悪の根源なのだろう。
今回の騒動で亡くなった人物は4名。
室長である伊吹泰雅
八重島玲子
島本俊太郎
稲瀬啓である。
この内、俺の友人は伊吹と稲瀬の二人だ。よく俺含めた三人で、一緒に勉強会を開く等していた。
「そうか。なあ、少し提案があるが。」
俺はそう言って、ある場所に行こうといった。
四人で、その場所まで歩く。
「なあ弘治。本当に行くのか。」
「ああ、行かなければならないだろう。俺がもう少し早くに気が付いていれば。」
「弘治、それ以上自分を責めるのは止せ。」
向かった先は、伊吹の実家だ。
伊吹の遺骨が納められた骨壺の前に手を合わせた。一緒に来た、梶間や麻島、志馬田も同じように手を合わせていた。
伊吹の両親は、ただそれを見守るだけだった。
島本や八重島、稲瀬の実家にも顔を出し、そこでも手を合わせ、一連の異変が収束した事を報告した。
それぞれが帰路につき、眠りにつく。
そしてその晩、夢を見た。真っ白の空間の中、俺は一人で立っていた。
「弘治。」ふいに後ろから声を掛けられる。
声の主は、伊吹だった。その隣には、島本、八重島、稲瀬の姿もある。
「伊吹、島本、八重島、稲瀬。」
俺がそう言うと、三人が口を開いた。
「へえ、私の名前を憶えているのか。」「ははっ。こいつらしい。」
「まあまあ。僕たちがここにいる事を、田中に話そうか。なあ伊吹。」
最初から順に、八重島、島本、稲瀬である。
「なあ弘治。」「伊吹、伝言か。」「ああ、お前に託したい言葉がある。」
「「「「また会おう。」」」」「…わかった。2組の皆に伝える。」
そう言うと、空間を濃い霧が覆っていく。
「ありがとう。」「さようなら。」「また会おう。」
「運命は、霧の中にある。だけど、手を伸ばせば届くよ。」
それぞれが言葉を残して、霧の中に消えていった。
翌朝、学校に行った俺は、隣のクラスである3年1組に向かった。
「志馬田。少しいいか。」俺は自席に座っていた志馬田に声をかける。
「どうした、弘治。」「また会おう。伝言だ。」「そうか。判った。」
俺は1組の教室から出る。
その後の日常は、随分と穏やかなものだった。朝のホームルームが始まるまでに大半の生徒が席に着き。遅れた生徒は職員室前の遅刻カードを取りに向かう。昼休憩は受験勉強に励むものや、また雑談に興じる者もいた。
だが、以前と決定的に違う事もある。それは、オカルト系の話を一切聞かなくなったことだ。
あの四人が亡くなって以来、幽霊だのそう言った非科学的な存在は話題に上がらなくなった。皆怖いのだろう。あの悲劇を繰り返さないためにも、オカルトは話してはならないと暗黙の了解となっている。
そして俺は、休日は佐川探偵事務所に働きに行き、平日は学生として学業に励むことになった。
「はい、こちらは佐川探偵事務所です。ご用件は何でしょうか。」
今日も又、電話がかかってくる。日常は駆ける様に過ぎ去る。
♢
これが俺“田中弘治”が、佐渡島出身の狸の妖怪である“佐川涼子”と出会った話だ。
これ以降の話は、また別の機会にしようと思う。
♢
登場人物一覧
田中弘治男性、高校3年生である。
志馬田鉄山男性、田中弘治の同級生。
麻島裕子女性、田中弘治の同級生。
梶間ゆあ(かじまゆあ)女性、田中弘治の同級生。
有馬洋子女性、田中弘治の同級生。生徒会役員。
伊吹泰雅男性、田中弘治の友人で同級生。故人。
八重島玲子 女性、田中弘治の同級生。故人。
島本俊太郎 男性、田中弘治の同級生。故人。
稲瀬啓 男性、田中弘治の友人で同級生。故人。




