9.対峙
「オレたちはいじめてるんじゃない! お前らのいじめを止めてるだけだ!」
古川に話しかけられたジャッカルは、敵意をむき出しにして叫んだ。
しかし古川は意に介さない、という風に首をかしげる。
「いじめを止める? バカな。斎川中にいじめなど存在しない。お前たち西岸のように不良のせいで荒れた中学ではないのだ」
大吾は、こいつはやはり面倒というか、ずる賢いなという印象を受けた。
昔、大吾がタイムリープする前もそうだった。
昔からの住人が多い西岸は荒れていて、新興住宅地の東岸は平和。
斎川市全体にそういう評判があった。
実際、東岸のように不良が跋扈している環境は、大人が見ても荒れていると感じるものだ。
一方、斎川中には表立って不良行為をする者はいない。だから、不良のいる東岸と比べて、平和なのだと、学校の外にいる人たちは信じていた。
実際には、斎川中にオールドな不良はいないものの、いじめが横行していて、いじめの標的になった生徒にとっては、地獄のようなものなのだ。
大吾は自分の目で、それを見てきた。
不良というわかりやすい悪役がいなくても、いじめという形で、娯楽のように暴力を実行する悪人は、存在し得るのだった。
「ふざけたこと言うんじゃなねえ! 今こいつがいじめられてたのを止めてたんだよ!」
ジャッカルが、突然の出来事にうずくまっていた、いじめられていた少年を指差す。
この少年は、歯並びが悪い、いわゆる「出っ歯」ということでいじめられていた。昔は歯列矯正をする子どもが少なく、よくある事だった。
「君、いじめられていたのか?」
古川が優しげに言うと、その少年は古川の顔を見て、何かを察したのか、力なく首を横に振った。
「なっ……」
そんな少年の様子を見たジャッカルは、絶句した。
斎川中には、古川には口答えできない、という雰囲気があるのだろう。
大吾は、少年が本当のことを言っているとは思えなかった。覇気が全くなく、何かをあきらめたような表情だったからだ。大吾自身、かつては瓜谷中の番長・上島に勝てず、逆らうこともなかったのだ。今のこの少年は、昔の大吾と同じだった。
「そんなわけあるかよ! オレたちは見たんだよ、こいつがいじめられていたのを!」
「それは信じられないな? 信じて欲しければ、証拠を出すがいい」
古川は怪しい笑みで、大吾の方を見ながら言った。
大吾は、古川の言葉と表情から二つの意図を読み取った。
一つは、ジャッカルがうるさいので、おそらく兄貴分の大吾が黙らせろよ、ということ。
不良も企業と同じ縦社会である。下っ端が叫んでも、上の人間には届かない。上の人間が管理しろよ、ということ。つまりジャッカルのことなど眼中になくて、大吾しか相手にしていないのだ。
もう一つは、証拠を出せ、という言葉の重さだった。
この時代、携帯電話では動画の撮影もできなかった。本当にいじめが行われていたとしても、あとからそれを証明するのは難しい。いじめていた加害者と被害者が事実を認めればよいが、今の雰囲気なら、おそらく両者共に否定するだろう。
古川の父親は、刑事だという話だった。おそらく古川は証拠の重さを知っている。
大吾は、現場監督をしているが、数ヶ月だけ、幹部候補生ということでゼネコンの本社で仕事をしたことがあった。
そこでは、下っ端である大吾の意見など関係なく、上司が言うことを議事録に記録したり、録音を残したりして、いわゆるエビデンスを取ることを徹底していた。
そうしないと、「そんなことは言ってない」と言われて覆されることが多々あったからだ。
大吾は、こんな世界より現場で働いた方がいいなと思って、数ヶ月の研修期間が終わると逃げるように現場監督へと舞い戻ったのだった。
今、古川が言っているのはそういう意味でのエビデンスを出せということだ。
もちろん大吾は持っていない。
「お前らが嘘をついているだけだろう」
古川が言う。取り巻きの剣道部部員たちも、厳しい表情を大吾に向けていた。
まずい、と大吾は思う。
このままでは、完全に大吾たちが悪者だ。
斎川中の剣道部は、県内でもベスト4に入るほどの実力があると、昔聞いた。
そんな剣道部の男たちは斎川中の最も上位にいる存在であり、それを主将としてまとめる古川の考えは絶対だ。
事実はどうあれ、ここでいじめがでっちあげだと思われたら、大吾の、斎川中の生徒たちからの評判は地に落ちる。
東岸からやってきて西岸の生徒をいじめる悪者、と認定されている。
しかしこの手のずる賢い人間に対して、大吾は言い合う技術がなかった。
相撲や現場労働で肉体を鍛えても、言い合いだけは上手くなれなかったのだ。これは大吾の根は優しい性格によるものだった。
これで、作戦は失敗か……
大吾が、そう思った時だった。
パアーン!
突然、爆竹が弾けるような破裂音がした。
「な、何だ?」
斎川中の生徒たちがざわめいている。
音のした方向を見ると、掘っ立て小屋のような公園のトイレの壁に、白い粉塵が待っていた。
パアーン! パアーン! パアーン!
壁に何かが当たり、それが破裂しているようだった。
「や、やばい! 俺たち銃で狙われてるぞ! 殺される!」
剣道部の誰かがそう言って、取り巻きたちは一気にパニックへと陥った。
「馬鹿なことを言うな! 中学生が銃なんか持っている訳ないだろう」
古川が冷静を装っているが、古川にもその破裂音の原因はわからないのだろう、明らかに焦っていた。
「逃げろ!!」
そのうちに一人、走って逃げて、皆それについて行った。
「くそ」
古川は大吾を一瞥してから、集団と一緒に去っていった。
ジャッカルは、破裂音に驚いたのか、腰を抜かしていた。
大吾は落ち着いていたが、破裂音がどこから来たのかわからないままだ。
トイレの壁に何かが当たっていたから、トイレの壁の向かい側から何かが打ち込まれたと推測できる。大吾は、その方向を見た。
「よーう、ダイゴロン!」
呑気そうに、一人の男が歩いてきた。
東岸連合・二番隊隊長、磯崎翔太であった。