終幕の始まり 1
規則正しい電子音がする。視界に映るのはまっ白い無機質な天井。俄かに自分の置かれている状況がつかめない。周囲を見回そうとしても、首が固定されそれもままならず、なにより不思議と視界そのものが狭かった。
「あ、梅田さん。気が付かれたんですね。気分はどうですか?」
聞き覚えのない声に目を向ける。白衣の看護師が自分の顔を覗いていた。そこで蒼汰はようやく自分のいる場所が病院だと気が付き「はぁ」となんとも間抜けな返事をした。
気分……良いも悪いも、身動きが出来ない。吐き気があるかどうかといえば、それはNOだ。
「ちょっと、バイタルとりますね。それから先生に来てもらいましょう」
「はぁ」
バイタル? なんだそうれは。それより、状況を説明してほしいのだが……。
疑問符ばかりが飛び交う思考を口に出しかけて、蒼汰はのどが痛いくらいに渇いているのに気がついた。その痛みを意識した瞬間、様々なものが鮮明になって見えてくる。
まず、痛い。この痛みは喉だけじゃない。かといってどこか一か所に集中しているのでもなく、とにかく全身が痛かった。
そして。動けない。筋肉に力を入れればそれなりにどこも動きそうなのだが、痛みがそれを邪魔するし、なにやら体中が硬いコルセットに巻かれているような感じだ。体にたくさんのチューブやコードが張り巡らされているようでもあった。幼い頃にテレビの再放送で見た仮面ライダーの改造シーンを想起させる。
「大丈夫みたいですね。梅田さん、先生呼んできますから、ちょっと待っててくださいね」
「はぁ」
結局三度目の返事も、間抜けな溜息の様な声しか出せずに蒼汰は全身の力を抜いた。
とにかく、痛みと固定で動ける状態にはない。観念して寝ておくのが賢明なのだろう。
幸い、思考は回るらしい。なら、何が起こったかくらいは思い出せるはずだ。
随分、長い間熟睡した後の様に、頭はどこかまだぼんやりしていたが、時間だけはありそうなので焦りはなかった。
もちろん、この状況に動揺していないわけじゃない。でも、それより何が起こったのか知りたい気持ちの方が恐怖にほんの僅かに勝っていた。
このなけなしの余裕をかき集めて捻り出した冷静さは、さっき、全身の痛みと動作確認ができたおかげでなのかもしれないが。
最後の記憶を思い出せば、わかるはずだ。
最後の記憶。一番新しい記憶。
そうだ、自分はセットの上にいて、そして……。
「こんにちは」
頭上から声が降って来た。知らずに閉じていた目を開けると、そこにはいかにも医者、きっと映画のエキストラで医師役を起用するのなら、こんな人を起用するのだろうな、と思わせる、落ち着いた感じの中年の医師がこちらを穏やかな顔で覗き込んでいるのが見えた。
こんな時にも、そんな例えしかできない自分に苦笑しながら、実際顔がそんな風に動いた自信はないが、答える。
「こんにちは。先生。俺、落ちたんですね?」
医師は蒼汰の意識がハッキリりているのを察すると、静かに頷いた。
医師の説明によると、二か所骨折と挫傷だけで済んでおり、手術も終わったそうだ。あの高さから考えれば奇跡的な事で、今後検査などを行いながら経過観察はするが、まず頭の障害や後遺症の心配はないだろうという事だった。
痛みの位置を確認し、内部に損傷部位が他にないかわかれば、すぐに痛み止めも処方するとの事で、蒼汰はそれを聞いて安心した。
窓のないこの部屋では分からないが、朝になったら一般病棟に移るというから、まだ夜らしく…その後約束通り痛み止めを処方されたそ蒼汰は再び眠りに落ちた。
次に気がついた時には、違う看護師が忙しそうにベッドの周りを走り回っていた。
蒼汰が起きた事に気が付くと、人懐っこい顔を上げ
「おはようございます。今からベッドごとお部屋を移りますからね」
とハキハキした声でそう言った。
いつもなら、そんな声に調子良く返すのだが、この時ばかりは何にも浮かばず、結局「お願いします」とやっぱり渇きに痛む喉で答えたのだった。
天井が流れて行く。自分と様々な器具を積んだベッドが重い音を立てている。
不安というより、まだ現状把握が実感を伴っていないといった感じで、蒼汰はぼんやりと蛍光灯が次々と後ろに飛んでいくのを目で追っていた。
その時だった、耳によく知る声が飛び込んできた。
「蒼汰!」
ベッドが揺れ、動きが止まり、自分を覗き込んだ顔は……
「何や、青か」
なんだか無性にホッとして、思わず笑みがこぼれた。
青がいる。もう大丈夫。理由はないが、なぜかそう思った。
青は顔を真っ青にして寝不足なのか酷く疲れて見えた。無精ひげも生えている。せっかくの綺麗な顔が台無しや。そんな事をのんきに思いながら、蒼汰は視線だけでぐるりと周囲を見回した。
真っ先に母親の顔が見え、次に藍、桃、三宮、王子、十三……みんな酷い面でこっちを見ていた。
こんな顔をさせているのを申し訳なく思いながらも、自分の事を心配してくれている人間がこんなにいる事に、心の奥で温かいものを感じた。
「なんやぁ、オールスターやな」
どう言っていいかわからず、茶化したつもりで言葉を絞り出す。
「もう、この子は……ほんまにアホなんやから!」
母親が泣きながら微笑んだ。
ごめんな、オカン。もし、手が動けば、間違いなく母親の手を握り、背中をさすっていただろう。母親の涙に胸が痛み、鼻の奥がツンとする。そして蒼汰の腫れあがった顔はその母親とそっくりの泣き笑いの顔になったのだった。
母親は仕事を休み、一週間は付き添えることになっていた。
だが、長い休みを取り続けられるわけなく、蒼汰は母親の働く奈良の病院への転院を母親と医師から勧められていた。しかし
「なぁ、なんでアカンの?」
母親の半ば呆れたような声が病室に響く。
蒼汰は転院に頑として首を縦に振らなかった。あと卒論だけで卒業できる状態で、留年はしたくない気持ちが強かったのだ。
「授業料とかそんなん、ええの。母さん、これ以上休まれへんし、通うのなんて無理やし。今年は卒業は諦め?」
幾度も繰り返される説得の言葉に、足を吊ったまま上半身を起こし座る蒼汰は顔をしかめた。
母親の言う事が正しいのはわかっている。しかし、リハビリをすれば春までには杖なしで歩ける可能性もあるという。という事は、卒業さえできれば四月から働けるという事だ。なら、一日でもはやくプロの世界に飛び込みたい。追いかけたい目標はもう、ずっと先を行っているのだから。
「就職は気にすることないよ。今回の事故はうちに非があったんだ、留年しても、内定は……」
王子の言葉に、蒼汰は眉を下げる。
「あの……お言葉は嬉しいですし、願ってもありません。でも、生意気かもしれませんが、この事故のために内定をもらうって言うのは……」
王子は素直な蒼汰に優しい顔で首を横に振る。
「いや何も、うちだって罪滅ぼしで雇うって言ってるんじゃない。君は最終面接まで残っていた。つまりあとは君の意志確認だけだったってことさ。ま、君さえよければ、になるけどね」
「それは、もう!」
王子の言葉に顔を輝かし、蒼汰は「よろしくお願いします」とすぐに頭を下げた。
自分のわがままで現場に置いてもらっておいて、迷惑をかけ、本当に申し訳なく思っていた。なのに王子や見舞いに来てくれたスタッフたちの言葉は予想外に温かで、できることならこの会社で働きたいと思っていたのだ。
「な、蒼汰。お金の事も就職も、留年しても何のさしさわりもないねんで? おとなしく母さんの病院に……」
懇願するような母親の顔に、輝いた顔はすぐに曇った。
王子と母親は蒼汰の頑固さに顔を見合わせ苦笑する。
分かっている。彼らの提案のが無難だ。でも、やっぱりわがままが通せるのなら、青や皆と一緒に卒業したいし、一日も早く社会に出て勝負したい。
「あの」
その時、病室の入り口から様子を窺うような遠慮がちな声がした。三人が目を向けると、声の主は見舞いの花束をかかえ、注目されることにちょっと恥ずかしかしそうな顔で、やはり遠慮がちに微笑んだ。
「私、毎日ここに通います。お洗濯くらいならできます。だから、蒼汰くんを卒業させて貰えないでしょうか?」
「藍ちゃん」
藍は自分の言った言葉に照れているのか、頬を染めてベッドサイドまで来ると、空の花瓶を手に取った。
「でも御影さん。あなた……」
今度は母親が顔を曇らせる。心配するのも当たり前だ。彼女はまだ就職活動中だ。それを自分の付き添いに費やすのがどういう事かくらい、言わずと知れている。
「せや。藍ちゃん。こんなことで、藍ちゃんの時間を無駄にしたらあかんで」
蒼汰も母親の言わんとする事に賛同を見せた。しかし、藍は唇を軽く噛んでから
「こんなこと……なんて言わないで。お願い。私もたくさん考えました。ちゃんと」
笑みを消すと蒼汰とその母親に顔を上げる。
「蒼汰くんの支えになりたいんです。私がそうしたいんです。そうしないと、たとえ希望の会社に就職できても一生後悔すると思うんです」
「藍ちゃん」
藍は蒼汰を見ると、寂しそうに微笑んだ。
「重くなんか感じないでね。私のわがままで、こうしたいだけなの。だから……」
蒼汰はその頬笑みに言葉を無くし、目を反らした。
藍の気持ち。春に聞かされた想い。それはこんなに強く、深いものだったのか。でも、自分の気持ちはまだ……。
「梅田君」
王子が腕を組んで、首を傾げて蒼汰を見つめていた。
「ここで、こんな健気な女の子の気持ちを拒否るような無粋者じゃないだろ?」
「王子さん」
戸惑い、言葉を飲み込む。こんな深い想い。受け取っても返せる自信は正直ない。まだ、どこかであの月が自分を照らしていて、その月影から逃れられる気がしないのだ。
そんな自分が、彼女の人生を乱していいはずはない。
不安げに見上げる蒼汰に、王子は大げさに溜息をついて見せた。
そして、そっと耳打ちする。
「恋人にするような応え方をする必要はないんだ。彼女もそれを望んじゃいない。彼女の想いをここで否定する方が、きっと彼女を一生苦しめ、縛ることになるぞ」
「王子さん」
王子は耳元から離れると、肩をすくめる。
蒼汰は藍の目を見る。それは真剣で、迷いがなくて、まるでいつかの自分の様だった。もし、あの時の自分と同じ気持ちなのなら……。
蒼汰は決心するように一つ息をつくと、藍の顔を見上げた。
「わかった。頼むわ。藍ちゃん」
「蒼汰くん!」
ハッキリした言葉。藍の微笑みの花が咲いた。
自分の気持ちも紅に受け入れてもらえたから、精一杯やれた。後悔を残さず前に進めた。だから、何が正しいのかわからないが……。
振り返ると、母親は笑っているような残念そうな複雑な顔をしていた。それが、息子をもつ母親特有のそれであるのだが、蒼汰が知る由もない。彼はただただそんな母親の見たこともない顔に、反対されるんじゃないかという不安を感じ眉を寄せた。
母親は諦めの頬笑みを零す。
「そんな顔しなさんな。御影さんにわがまま聞いてもらうんやから、リハビリ、手ぇ抜くんやないよ」
そして、何かを振り切るように、そういって背中を叩いた。
息子のいつの間にか大きくなった背中を手に感じ、感慨深げにそれをしばらく見つめる。こみ上げる寂しさと、息子の傍にいてくれる他人の存在を喜ぶ気持ちがせめぎ合い、うまく微笑めなかった。ただ、そのかわりに心からの感謝をこめて、藍をしっかり見つめるとゆっくりと頭を下げた。
「御影さん。この子をよろしくお願いします」
藍もまた、そんな母親の背に胸が詰まる。
そして、うまく声がだせず言葉の代わりに黙って頭を下げたのだった。




