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Apollo  作者: ゆいまる
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廻る季節〜蒼汰〜


 真夏のスーツは地獄だ。蒼汰はいつになっても着慣れないそのジャケットを脱ぎ棄てると、いつものように腕まくりをした。

「本当に、物好きだねぇ」

 土方姿の大道具小林は、言葉の割には嬉しそうな顔をして蒼汰を振り返った。

「一銭もでないっていうのにさ」

「いや、もう、使ってもらえるだけでありがたいっす」

 蒼汰はそういうと、板につき始めた手つきで大工道具を手に作業を始めた。

 事の始まりは映画会社の面接。その面接の終了後、試験官からその会社の関係の映画が今撮影中だと聞かされ、見学をさせて貰った事からだった。初めて見るプロの現場に、蒼汰はすっかり夢中になり、気が付くと作業に見入っていた。

 その時に声をかけてくれたのが、この大道具の小林だった。あまりに熱心な蒼汰に興味をもった小林は、その後蒼汰の必死の頼み込みにおれ、現場責任者の王子を紹介してくれた。蒼汰はその王子にも食いつくように頭を下げ、結局、根負けした王子がバイト料も面接の合否にも関係なくていいなら、現場で手伝いくらいはしていいと言ってくれたのだ。

「今は、どこも結果待ちですし、こんな貴重な体験滅多にできませんからね」

 そう言って、金槌を振りあげる。

 大学のそれとは全く比べ物にならないクオリティと緊張感。何もかもが新鮮で、蒼汰の胸を躍らせた。

 今年で還暦を迎える小林は、目を輝かせるそんな蒼汰を見ながら苦笑する。人がいいだけでも、誠実なだけでもやっていけないこの世界。蒼汰の様に夢を抱えきれないくらい胸にいだいて門をたたく若者はこれまでにもたくさん見てきた。そして、同じくらい夢に破れて去っていく者も。

「お前さんの希望は大道具じゃないだろう?」

「はい。企画・制作です」

 ハッキリとした意思を感じさせる返答に、孫でも見るような眼になってしまう。自分も引退を考える年だ。もし後継を譲れるのなら、こんないい意味でずうずうしい人間がいいのだが。

「お、今日も来てたのか」

 セットの向こうから声がして、二人が顔を上げると、この暑さの中スーツ姿でも汗一つかいていない王子だ。

 蒼汰は慌てて背筋をただし頭を下げる。

「はい。お邪魔してます」

「邪魔になるなら帰ってくれよ」

「じゃ、役に立ちに来てます」

「それを決めるのはこっちだ馬鹿野郎」

 小林の突っ込みに、蒼汰は悪戯っぽく笑って頭を上げた。王子は小さく笑いながら、封筒を差し出す。

「おめでとう。この間の面接、受かってたよ」

「ほんまですか!!」

 思わず声が裏返り、蒼汰は差し出された封筒を両手で受け取った。

「次で最終だな。しっかり頑張れよ」

「はい!」

 背中を叩く王子に、蒼汰は満面の笑みで頷く。ようやく、ようやく自分は夢への切符を手に入れられるのかもしれない。そう思うと、気合がみなぎってくる。

 蒼汰がその封筒を感慨深く見つめていると、その笑顔に王子は「そうそう」と付け足した。

「人事に聞いたけど、君ってもしかして神崎川翠の後輩か?」

「え」

 まるで事のついでの様に発せられた言葉は、蒼汰の笑顔を一瞬にして凍らせた。

神崎川 翠

 その名前に心臓が音を立てる。

「はい。同じ映画サークルの先輩です」

 平静を装い蒼汰は事実の一番外側だけを口にした。

「あぁ。やっぱり!」

 それを聞いた王子は手を叩くと宝くじでも当たったように喜びに声をあげる。

「履歴書の大学名を見てピンときたんだよね。俺、彼のファンでさ。彼の作品いいよね〜。業界でも注目株だよ」

「そうなんですか」

 目指した男が、もっと先を行っている。自分は門に入れすらしていないのに。そう思うと、悔しさと同時に俄然やってやるという気持ちが湧いてきた。

 さすがはライバルや、と勝手に心の中でそう呼ぶ。

 実際、彼には苦々しさはある。しかしその実力や才能は今でも尊敬していた。ただ、以前より少し現実感は薄れてしまってはいるが。

「今、アメリカのロケハンに参加してるけど、来年辺りにうちの会社企画で、一本撮ってもらう事になるかもしれないんだよ。ミニシアター系で低予算だけどね。もちろん俺、企画。」

 本当に神崎川の作品が好きなようで、喜々として話す。王子は本当は地位的に物凄く高いはずなのに、自慢げに話す顔はただの映画ファンだ。

 蒼汰が小林を振り返ると、彼はむすっとして「付き合い切れない」と言った風に太い腕を組んで溜息をついていた。

「な、彼の大学の頃の作品とかまわしてよ」

「いいっすよ」

「もしかして、一緒に映画撮ったりなんかした?」

「はい。一年だけ重なりましたから」

「へぇ、その時の話、今度ゆっくり聞かせてよ」

 矢継ぎ早の王子のお喋り。蒼汰は苦笑しながら答える。こうなると、王子はなかなか止まらない。実は、蒼汰が就職活動を始めて、神崎川の名前を聞くのはここが初めてではない。彼は着実にこの業界で注目され始めていた。蒼汰はそんな風に神崎川が評価されるのは嬉しかったが、どこかそれは少し複雑で、その理由はきっと……。

 蒼汰の目が一瞬伏せられる。きっと、あの月がまだ忘れられないせいだ。

「ほら、無駄話はもういいだろ? 王子さん。今日は足場の組み立てがあるんだ。うちの貴重な戦力を返してもらいたいんだが」

 蒼汰はそれまで黙っていた小林を振り返った。小林はまるで何にも気が付いていない風を装っているが、自分に助け船を出したんだとわかった。たった数日手伝っただけの自分が貴重な戦力のはずがないのだから。蒼汰はそんな無骨な優しさに破顔すると「失礼します」王子に頭を下げた。

 その時だった

「王子さ〜ん! ちょっとちょっと〜!」

 遠くで誰かの声がした。ADらしき男は電話を掲げ信じられないことを口にした。

「王子さんの大好きな神崎川翠から電話ですよ〜」

 蒼汰は耳を疑う。彼から電話? 何となく遠くに感じていた存在が、一気に痛みを伴うリアルになる。

 王子は嬉しそうにそれを受け取ると、蒼汰の前で話し始めた。受話器から洩れる声が気になる。神崎川が話している。彼女が選んだ男が。

「あ、今、ちょうど君の後輩がうちに来てるんですよ。代わりましょうか?」

「え?」

「おい」

 小林が心配そうに蒼汰の肩を叩いたが、振り向く前に王子が蒼汰の目をとらえた。

「ええ。梅田蒼汰です。あ、やっぱりご存知ですか! せっかくだし、ちょっと、ええ。はい、どうぞ」

 そして、まるで自分はもの凄く二人にいい橋渡しをしてやったといわんばかりの顔で、蒼汰に電話を向けた。

「はい。梅田君。久しぶりだろ? 先にプロになった先輩に話を聞いてみるといい」

「あ、はい」

 受け取る手が躊躇いに細かく震える。受話器の向こうに、神崎川が、紅がいるのかもしれない。良い思い出に変わったはずの痛みが、再び疼きだした。

「もしもし」

 干上がる喉から出た声は力がまるでなくて、それを『声』は小さく笑う。

「久しぶりだな」

 その『声』は全身に鳥肌を立たせ、言いようもない苦しさと熱い何かを蒼汰の胸に蘇らせた。電話の向こうは背後が静かで、外ではなさそうだった。

「お久しぶりです」

 固くなる声に、神崎川は苦笑交じりの声で応えた。

「就職活動か?」

「はい」

「去年の学祭。なかなかできが良かったんだって? 紅から聞いたよ」

 胸に楔が打ち込まれる。去年の学園祭。去りゆく横顔。届かなかった自分の手。蒼汰は目を軽くとじ、冷静を努める。

「ありがとう。ございます」

 声はそんな蒼汰の強がりを見抜いているらしく、低く笑うと

「なんなら紅に代わろうか? 今、こっちは夜でな。隣で寝て……」

「結構です」

 からかう声を蒼汰は固い声を制した。隣で眠っている。いちいち嫌な思いをさせる。もう、ここにはあるはずのない嫉妬心がまたチリチリと胸を焦がし始め、蒼汰は顔をしかめた。

「負けは認めていますよ、先輩」

「へぇ」

 受話器の向こうで面白がって口の端を吊り上げる顔が、目に浮かんだ。

 悔しい。自分の手に入れたいもの全てを持っているこの男が、羨ましくそしてそれをまだ何一つ手に入れられない事が心の底から悔しい。

 紅の横顔を、細い首を、折れそうな肩を、一度だけ触れた冷たい唇も、諦めたとはいえ、もし彼がまだ暴力を続けているというのなら「はいそうですか」と平静でいられることなんかできない。

 蒼汰は周りに人がいるのを気にしながら、深く息を吸い込むと、ゆっくり、ハッキリ、確かな響きを持って言い放った。

「けど、一生は負け続けるつもりはありません」

 これは宣戦布告。

「ほぅ」

「次、お会いする時を楽しみにしていてください」

 そして誓いでもあった。

 神崎川は受話器の向こうで低く笑うと

「わかった。俺も、紅もお前を待ってるよ」

 そう言った。

 そうだ。恋を諦めても、夢を諦めたわけじゃない。今は及ばなくても、一生そうだというわけじゃない。最後に笑ってやる。そして紅にいつか、自分たちの出会いは無駄じゃなかったってことを伝えるのだ。

「じゃ、王子さんに代わります。先輩もお元気で」

 胸は久しぶりの興奮で満たされていた。

 蒼汰達の会話の内容が見当もつかない様子の王子は不思議そうな顔で蒼汰から電話を受け取った。

 蒼汰は自分の立っている位置を確かめるように足元を見た。今は、叶わないかもしれない。でも……

「小林さん。足場、組みに行きましょうか」

「あ? あぁ、そうだな」

 顔を上げた蒼汰は今までにないやる気が体中に漲っているのを感じていた。

 忘れかけていた目標を再認識した気分だ。見上げれば突き抜けるような青空。目標の月は失っても、まだ見ぬ世界と出会うために飛ぶことは今でもできる。

 そう思った。


 足場が組み終わったのは、日も傾き始めた頃だった。

 地鳴りのような虫の声がどこからともなくし、あたりに汗臭さが漂う。お世辞にも風情がある環境ではなかったが、ごくごく幽かにただよう秋の気配に、蒼汰は熱っぽい頬をさらした。

「おつかれさん〜」

「おつかれっす」

 スタッフたちも、今日は帰るらしい。今組んだ足場を元に、仮止めしたただけのセットの骨組に明日は本格的な装飾を施していく予定だ。

 蒼汰は去っていくスタッフに挨拶しながら、そびえるように立つセットを見上げた。大学のサークルではまず組めない舞台装置にほれぼれする。

 その時、背後で「あ、しまった」と声がした。振り返ると、一番年の近い、つまり現場では一番下っ端の大道具が弱った顔で頭をかいていた。

「どうしたんすか?」

 駆け寄る。ここ数日見ていて、彼が少々現場では動きが悪く、頻繁に小林をはじめ先輩スタッフに叱責されているのを見ていた蒼汰は、また何かをやらかしたのかと心配になる。

 その大道具の逆瀬は自分のつぶやきを聞いたのが蒼汰だとわかると、ホッとした顔をして、言い訳を並べるように言った。

「いや、足場に明日の進行表と図面を置き忘れちゃってさ。今夜、見直そうと思ってたのに」

「あ」

 逆瀬が見上げる方を見ると、なるほど、よりによって足場の一番上に紙の束らしきものが見える。

「ま、明日の朝にでもとりに行くよ」

 そう苦笑いする逆瀬に強い風が吹いた。周囲の木々や、テントの屋根がまるで鳥が羽ばたくような音をたてて震えた。慌てて図面を見るが、何とか引っかかっているようだ。

「まずいっすよ、一晩おいたら飛ばされてまうかも」

「ん〜でも、なぁ」

 みると逆瀬の膝は震えていた。きっと疲労の限界なのだろう。蒼汰は怒られても怒られても一生懸命だった彼の昼の姿を思い出すと、二コリと微笑んだ。

「それやったら、俺が行ってきます」

 途端に逆瀬の顔が明るくなる。

「本当に? それは助かるよ!」

「いやいや」

 蒼汰はオーバーなくらい喜ぶ逆瀬に照れ笑いを浮かべると、気恥ずかしくてすぐに足場に上り始めた。

 簡易とはいえ、しっかり組まれている足場。特に不安定でもないし、高いところは平気だから問題ない。

 上りきったところで、下の方から声がした。

「何してんだ?」

 小林の声だ。蒼汰は図面を手に下を振り返った。

「あ、忘れも」

 その時だった。逆瀬が組んだ足場まさにその場所で、数本のボルトが目に端に映った。

 瞬間、さっきより強い突風が世界を連れ去らんかの勢いで迫り……世界が、揺れた。

「え」


なにが起こったのかわからなかった

何か物凄い音が耳をつんざき

自分を支えるもの全てが崩れ

夕暮れ空が見えた


次の瞬間

感じたことのないような強烈な力で

地面に叩きつけられ

世界が真っ暗になった

遠くの方で

悲鳴や自分を呼ぶような声がする

でも…聞こえるようで聞こえない

力が入らない

目が開いているのか閉じているのかもわからない

唯一つ

現実以上にリアルに感じたのは

心が覚えている

あの人の纏う空気だった


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