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Apollo  作者: ゆいまる
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静かの海 3

 人間は、そう強くも器用でもない。

 三宮は今、自分が吐いた言葉に『良く言うよ』と自嘲の笑みを浮かべ、桃と出て行く青の後姿を見送った。

 毎年恒例の合宿の打ち上げ。今年は大きな山を皆で超えた、その実感があるからか。例年以上に盛り上がっていた。

 三宮はグラスを傾けながら、その中心ではしゃぐ蒼汰を見て小さな溜息をつく。

 それは安堵のため息であり、同時に彼のゴールを知る者の苦々しいもどかしさでもあった。この、皆を明るい笑顔でひっぱって行くのが本来の彼の姿であり、武器のはずだ。神崎川とはカラーが違う。その点のみを見るのなら、比べること自体は『黒と白どちらが優っているか』という問いぐらい無意味なもので、蒼汰が自分を取り戻せたのはいい事だった。

 しかし、不思議だった。三宮は蒼汰に対して一つの疑問を抱いていた。

 三宮は元来、疑問に思った事を放ってはおけない質だ。しかも、解決にはできる限りの迅速さを求めてしまう。だから、今湧いている疑問を解決させるのに、なんら躊躇はなかった。

「梅田君。ちょっといいかな?」

 疑問解決のために三宮は軽く手を上げる。蒼汰はその声に、笑い疲れたのか少々顔を笑顔にひきつらせたながら振り返り返事をした。

「先生、飲んでますか?」

 すっかり調子づいた蒼汰は三宮のグラスに酒を注ぎながら、真っ赤な顔で無難な質問を口にした。

「君ほどではないが、楽しんでるよ」

 さっきまで青と話していたせいだろうか、少し彼に口調が似る。それを蒼汰も感じたのか苦笑しながら、あたりを見回した。

「青は?」

「彼女に呼び出しくらって外に行ったよ。今頃、説教でもされてるんじゃないかな?」

 肩をすくめ少々意地悪くそういう三宮を、事情の知らない蒼汰は首をかしげて見つめた。

「それより、いい映画はできそうか?」

 質問が飛ぶ前に先手を取る。蒼汰はその問いににんまり笑った。

「ええ。そりゃもう! 最強っすよ!」

 返答にしては不適切な勢いだけの言葉。三宮は苦笑する。しかし、蒼汰は自分の言葉の稚拙さには気がつかなかったらしい。

「見てください。こんなサイコーにアホな奴ら、いないでしょ? こいつらとやったら、最高のものができると思います」

「ほう」

 三宮は片眉をあげてグラスに口付けた。関西人のいう『アホ』は褒め言葉と聞いた事があるが、こう言う時にも使うのかと、妙な感心をしてしまう。

「俺、ほんまアホで、みんなに迷惑かけて。それでもこうやってついて来てくれる。幸せです」

「間違いは若者の特権だよ」

 今度の『アホ』は失敗や未熟さをさすのか。関西弁の難しさを感じながら、三宮はそう言って笑った。そして、すかさず本題に入る。

「で、君はどうしてこだわったのかね? 神崎川に」

 青や紅から事情は聞いていた。だが、蒼汰は自分を見失うくらい神崎川を映画で超す事に執着する理由が、三宮にはわからなかった。紅の事情があるにしても、それとこれは別事情ではないかと思うのだ。仮に神崎川を超える(これも三宮には抽象的すぎて理解に苦しむのだが)作品を作ったとして、紅を手に入れられるわけでもないだろう。なのにこの、一矢報いたいそんな程度のモノとも思えないほどの彼の必死さはなんなのだ?

 蒼汰はそんな三宮の質問に、困ったように眉を下げ、酔いを覚ますように大きく息をついた。

「紅さんを……解放したいんです」

「解放?」

「ええ。紅さんは言ってました。『彼の作品を見届けないといけない』と。神崎川先輩も紅さんは自分の才能に惚れこんでいるのだとも言ってました」

 縮めることのできない彼と自分の差に、未熟で間違いだらけの男の手が握りしめられる。

「せやから、彼を超える作品を突きつけて、彼の才能から紅さんを解放したいんです」

「なるほどね」

 三宮は納得したふりをして頷いた。そんな勘違いに、彼は踊らされているのか。真っすぐで純粋それゆえに愚直な教え子の澄んだ目に、人生は一直線ではない事を知っている教師は痛みを覚える。

 紅を神崎川に縛り付けているのはそんなものではない。限りなく無償に近い情愛だ。蒼汰はそんな重要な事を見誤っている。

 三宮はグラスの中の歪んだ照明の明かりを見つめた。

 ここで、真実を教えるのは実のところ、非常に簡単だった。でも、それは神崎川にもそうしなかったように、自分で気づき乗り越えてこそ意味のあるものであり、結局、三宮ができるのは

「才能のあるって言うのを、お前は幸せだと思うか?」

 こうやって真実に口を噤み、代わりに違う視点を示す事だけだ。

 蒼汰はその問いに、首を傾げ、当たり前の事をなんで訊くんだと言わんばかりの顔をする。

「ええ、そりゃそうでしょ。違うんですか?」

 その素直さに三宮は笑って答えた。

「俺はそういう奴を何人か見て来たが、全員が全員幸せな顔をしているわけじゃなかった。高みが見える人間は、それを宿命のように感じるらしい。そして、それに人生を狂わされる奴の方が多い。だから俺は、自分が凡人で良かったと思うよ」

「そんな、もんですか?」

 納得いかない様子で、蒼汰は悩むように眉を寄せ黙り込んでしまった。

 彼がこの意味に気が付くのはきっともっと後なのだろうなと、三宮は教え子に目を細める。そんな彼の視界に、藍の姿が映った。れるまで蒼汰のために耐えた彼女の姿とそれを抱える青、そしてそんな二人を見て悲痛な顔した桃を想起し、まったくもって、この学年は……という苦笑を堪えてそれを酒で流し込む。

「彼女とは話したのか?」

 蒼汰の表情がやや引き締まったモノに変わる。きっと、藍の気持ちをこの愚直な生徒は知っているのだなと悟った。

 蒼汰は藍を見つめ、少し迷ってから

「すみません。ちょっと行ってきます」

「あぁ」

 三宮は藍の元へ向かう蒼汰を見送った。藍が複雑そうな顔をして彼を振り返る。ぎこちない表情が、二三言で柔らかいものに変化した。三宮はそんな二人を眺めながら、酒を手酌する。

 間違いが若者の特権なら、こうやって観察するのは年寄りの特権であり……。

 自分の腕に巻きついた時を刻む精密機械に目をやる。時は確実に流れ、世界は残酷なほどどんな瞬間も留めはしない。迷い傷ついた若者をホローするのは、年寄りの義務なのかもしれない。そう思い、三宮は年をとるなんてろくなもんじゃねぇな。とぼやいたのだった。


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