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Apollo  作者: ゆいまる
82/121

静かの海 2

 蒼汰は機材車の裏間で来ると、煙草に火をつけた。

 残りそうなメンバーを数え、手元にある材料を確かめる。

 暑さにやられそうな頭をフル回転してスケジュール表を睨んでは、ため息を煙草の煙に変えた。

 ふと、誰かの足をとがして顔を上げる。思わず頬が緩んだ。

 そこには、くそ暑い粘着質な熱気を吹き飛ばす風のような親友の顔があった。蒼汰は火を点けたばかりの煙草を地面に落して踏みつける。

「ちょうどよかった。相談しようと……」

「いいのかよ」

 味方の登場とばかり思っていたのに、言葉を遮ったその声は明らかに自分を責めていた。

 蒼汰は拗ねたように目をそらせると、一度唇を噛んでから

「やる気がないんやったらしゃあないやん。幸い、もう撮影はほとんど終わってるし、最悪でも、俺らの学年がいれば」

 口の中で言い訳めいた事を口にする。青の目の色が変わった。

「いい加減にしろよ!」

 そう、一気に詰め寄ると蒼汰を思いっきり睨みつける。

 蒼汰はそんな親友の様子に、少なくない落胆をしていた。

 結局、彼もこのサークルは大学生のお遊び程度にしか思っていなかったってことか? 映画は、皆が面白ろおかしく楽しい思い出を作るツールでしかないって言いたいのか? 自分だけが必死だったのか。

 そう脱力しかけた蒼汰の耳に、青の意外な言葉が届いた。

「藍、今、病院に行ったんだぞ」

「え?」

 目を見開く。青は怒りよりも深い苦しそうな色をその瞳に浮かべていた。

「目を覚ませよ! お前の気持ちもわかるけど……」

 蒼汰は顔をしかめてその瞳から目をそらした。

 青が藍の気持ちを知っているのかもしれないと思った。藍が自分を見ているという、その気持ちを。そうでなくても、今、現時点で彼がこんなに怒っているのは藍をそこまで追い詰めた、自分にであり映画にだ。

 気持ちはわかる。でも、でも自分はどうしてもやり遂げないといけないのだ。

「藍ちゃんには悪いけど、撮影を止める気はないで」

「お前っ!」

 言い捨てた言葉に青は顔をひきつらせ、蒼汰の胸倉を掴んだ。

 目を見る事ができなかった。映画を撮らないと。そんな気持ちがど真ん中にある以上、どうしようもない。

「藍がどんな気持ちかわかるか? お前は知らないかもしれないけどなぁ! 藍は……」

 やっぱり青は知っている。蒼汰はやりきれない気持ちを吐き出すように声を荒げた。

「知ってるわ!」

「え」

 青の顔がスッと波が引くように驚きに冷めた。蒼汰は苦痛に歪んだ頬を僅かに震わせる。

「彼女の気持ちくらい、ずっと前から気づいとった」

 そして顔をあげる

「でも、せやからなんや? 俺にはどうしようもできへん。それは彼女が一番わかってるやろ」

 そうだ、どうしようもない。応えられない。応えようもない。今の自分には映画が全てで、紅や彩が全てなんだ。

 そんな蒼汰を青は凝視すると、掴んでいた手をだらりと垂らした。

「藍が帰ってきたら、撮影再開や。彼女も、了承してくれるやろ」

 投げやりに言葉を口にし、蒼汰はそっと親友に背を向けようとした。

 自分たちを取り囲むのは、自由を奪う重力と精神を蝕む暑さだけだった。

 複雑に絡み合った感情が、どうしようもない形で自分たちをがんじがらめにしようとしている様だ。でも、それも仕方ない。仕方ないことなんだ。そう自分に言い聞かせようとした時だった。

「お前、人間まで神崎川先輩のコピーになり下がったんだな」

 その言葉は蒼汰に、蒼汰は振り返る。

 何よりも深く惨くそして鮮烈な痛みを胸の真ん中に穿つその言葉は、残酷なほど真実だった。

「何や……と?」

 顔色が変わる。殺意にすら近い怒りが蒼汰の内側から込み上げた。何がわかるって言うんだ? 軋んで歪み始めた心が唸る。

 何も知らないくせに。紅の苦しみも、彩の背負ったものも、自分の痛いくらいの想いも、何にも知らないくせに!

 心の中で入り乱れ飛び交う言葉はすべてが身勝手で、攻撃的だった。それが加速度を増すほどに、目の前の綺麗な顔は冷たくなっていく。

 青の口元が嘲りに歪んだ。

「いや、仲間を信用できない分、それ以下か」

 何かが切れる。

「もういっぺん言ってみろや!」

 蒼汰は自分の中の全ての憤懣をぶつけるかのような勢いで掴みかかると、青を殴らんばかりに睨みあげた。しかし眼鏡の奥の瞳は全くの動揺を見せず、憎々しいほどの冷静さで見つめかえしていた。

「何度でも言ってやるよ。お前はよく似ているよ。神崎川先輩の嫌な所ばっかりな。結局、自分の為に、お前を慕ってくれる仲間も、お前を見ている藍の気持ちも利用してるんじゃないか」

 一言一言が、楔のように胸に突き刺さった。

 利用。

 さっきの藍の顔が浮かんだ。それは紅の影と重なり……。

「それは」

 青は自分を掴みあげる蒼汰の手に自分のそれを重ねると

「お前が作りたいものって、そうならないと作れないものなのか? お前がなりたいものって、こんな姿なのか?」

 ゆっくりと手を解く。

「青」

 蒼汰の顔が泣き顔のように歪んだ。

「皆、お前を信じてたから、お前が好きだから、ここまでついてきたんじゃないか。お前、俺に言っただろ。自分から友達を無くすようなことはするなって」

「せやけど」


俺らは

自分の無力さの前に

どれだけあがけば

この焦燥感を消せるのだろう


俺らは

自分の未熟さの前に

どれだけもがけば

このもどかしさを消せるのだろう


 途方に暮れる。自分の馬鹿さ加減に、大事なものを見失い傷つけてきた間違いに。

「俺は、俺自身の為にも、藍の為にも、皆の為にも、この映画を皆で完成させる」

「青」

 青はそういって蒼汰の胸をたたくと

「お前と先輩の違いを見せてやる」

 まるでついてこいと言わんばかりにそう、背を向けた。


 青が向かったのは後輩たちがいる部屋だった。

 自分を振り向きもせずに迷いなく進む背の高い彼の後姿は、どこか潔く迫力を感じさせ、蒼汰に数歩の間を開けさせた。

 自分が神崎川に似ている。うすうす気が付きながら、無視し続けた一番認めたくないその事。塚口先輩に指摘されたのは、こう言った事態を避けるためのチャンスだったんじゃないだろうか。

 蒼汰は滲んだ汗を強制的に奪い去り、皮肉なまでに体を冷やす調節の壊れたクーラーの耳にざらつく音に顔をしかめた。

 確かに青の言う通りなのだ。藍の泣きそうな顔を思い出す。

 自分は彼女の気持ちを知っている。知っているからこそ、あぁやって彼女に甘えたのだ。八当たりという形で。彼女の気持ちにこたえる気なんかないくせに。つまり、利用した。自分の感情のはけ口として。

 それは……。今度は紅の細い腕にいくつも刻まれている痣と傷跡を思い出す。

 同じ事をしたんだ。最低だ。

 顔を上げると、青が躊躇いもせずに後輩の部屋のドアを開けていた。

 一斉に注がれる非難の眼差しに耐えきれず、目をそらす蒼汰とは対照的に、青は視線を下げることもなく皆を見据えている。

 良く通る冷静な彼の声と、皆を代表するような苛立ちを含んだ春日の声が、刺々しい空気に振動する。

 不意にそんな青の声がたわんだ。

「すまなかった。俺のミスだ。皆の意見を聞いたり、スケジュール管理をするのは副部長の俺がもっとしっかりするべきだった」

 蒼汰は目を見開き青の背中を見つめる。なんだ、どういう事だ? 蒼汰は混乱して青の微動だにしない背中を見つめる。

 悪いのは明らかに自分だ、それを奴は全部庇おうって言うのか? どうして。さっきは自分に怒っていたじゃないか? 青だって、自分が暴走していたのを指摘したじゃないか? なのに、なのに。

 室内がざわつく。

「これからは、気をつける。だから」

 青の言葉に部員達の表情に変化が生まれ始める。

「園田先輩がそんな風に言うんじゃ」

「うん。べつに本気で止めたかったわけでもないし、改善するなら……」

 口々に囁かれるほどけた空気。蒼汰自身戸惑いながら、その流れにほっとしかけた時だった。

「格好つけにきたのか?」

 冷たく鋭い声が突き刺さった。

「春日っ」

 スミレがその声の主の腕を掴む。しかし、奴はそれを振り払い、青を睨みあげた。

「俺は、アンタのそういう所が一番嫌いなんだ。顔が良いからって、少し同情を買えば皆許すと思ってるのか? 俺は違う」

「春日」

 春日は蒼汰を一瞥してから再び青に視線を戻し、皮肉を込めた目で言い放った。

「本気でそう思ってるなら。園田先輩、アンタが皆に頭下げろよ」

 カチンとした。蒼汰は眉を寄せる青を楽しそうに短い腕を組んで覗きこむ春日を睨む。

 青が悪いんじゃないのはここの皆が知っている。それでも敢えて責任をかぶった青にそんな事を言うか?

「できないだろ。プライドの高いあんたにはね。どうせ、あぁでも言えば、なんとかなるって思ったんだろ。馬鹿にするのもいい加減にしてくれ」

 春日は一気にまくし立てると、口を開きかけた蒼汰を牽制するように声を上げた。

「部長、あんたもだ」

 蒼汰は思わず口を噤む。

「俺達は道具じゃないんだ」

「それは」

 言葉が突き刺さり顔が歪んだ。何も言い返せなかった。確かに自分がして来た事は、そう言う事だ。皆の能力を引き出して来たわけでも、皆が自由にできるようにしたわけでもない。ただ自分勝手な目的のために利用したんだ。

 唇を噛み、俯いた時だった。

「わかった」

 耳に飛び込んできた凛とした声。それは他の誰でもない、目の前の青の声だった。

「青!」

 スミレが悲痛な声を出し、蒼汰は顔をはね上げた。青が振り返った。その顔は清々しく、笑みすら自分に浮かべて見せていた。まるで『俺に任せろ』そう言わんばかりに。

 青は小さく頷くと、皆の方に向きなおった。

 そして

「すまなかった」

 頭を深く下げた。

「青」

「先輩」

 親友のその姿に、自分への情けなさと怒りがこみ上げる。青はこんなに傲慢で自分勝手だった自分を、それでも信用して守ってくれようとしている。プライドさえも棄てて、自分の為に。

 涙が胸をついて、蒼汰は言葉を無くした。

「春日、もういいよね」

 スミレの優しい声がした。

「皆も、いいよね? 自分たちが文句があっても言ったこなかったのも悪いんじゃない。映画だって、完成させたいよね?」

 そして蒼汰の方に微笑んでみせる。

「部長の監督でさ」

「スミレちゃん」

 蒼汰がその笑顔を何とも言えない表情で見つめた。それを彼女は頷きで受け止めると

「先輩。皆、先輩が好きなんですよ、だから、これからはもっと信頼してください」

「そうですよ。なんでも、一人で突っ走らないでくださいよ」

 春日が口の中で言葉を吐く。

「え」

 意外な言葉に蒼汰は目を丸めた。それをかわきりに皆口々に同じような事を蒼汰に話しだす。

 それは、強行スケジュールの事なんかじゃなく、もっと自分たちを頼って欲しい。自分たちと話し合いをしてほしい。つまりは、自分たち皆で一緒に映画を作りたい。そういうものばかりだった。

「春日。皆……」

 瞳が涙で滲む。固く結ばれた口元がそれを零れ落ちるのを堪えようと揺れた。蒼汰はじっくり一人一人の顔を見ていく。それを、皆、誰一人反らすことなく見つめ返してくれた。

 見えていなかった。周りの事を、全く。自分の事ばかりでいっぱいいっぱいで、ちゃんと目を見開けば、こんなに仲間がいたのに、自分は独りで頑張っている気になって。

 蒼汰は全員と目を合わし終えると、まるで内に潜んでいた焦りを吐き出すように大きな息をついた。

 そして、ゆっくり頭を下げる。

「皆、すまんかった」

 青が言いたかった事がわかった。さっき言った、神崎川と自分の違い。

 頭を上げると真っ先に青の澄ました笑顔が見えた。

 青、おおきにな。

 蒼汰は心の中で呟くと、彼だけは何があっても裏切ってはいけない。そう自分の胸に刻み、それを見透かすように胸をを拳で小突いてきた青に照れ笑いしたのだった。

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