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Apollo  作者: ゆいまる
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サヨナラの準備 4


 紅の退院は出産から10日ほどだった。

 ただ、赤ん坊、彩、の状態は思わしくなく、数か月は入院を要するという事だった。

 初めて紅が彩に面会する時、蒼汰は一緒に傍にいた。エプロンをつけて案内された部屋には、たくさんの機械とモニターが並び、小さな赤ん坊たちがそれぞれ透明なケースに入れられていた。

 その中の一つに彼は横たわっていた。

 不自然に膨らんだ頭に、小さな体にいくつもつながれた管。紅はそれを見た時言葉を無くし、蒼汰は彼女の手を強く握った。

 想像以上だった。

 でも、二人とも目を反らしはしなかった。息をのみ、震える肩を蒼汰は支えるように抱いて、一歩、近づいてみた。

 人形のように細い手足に浮きあがった血管。腫れあがった顔。喉の部分には穴が開いていて、そこに機械が繋がっていた。

 それでも……

「あの、まだ抱っこはできひんのですよね? 手、くらいは握ってええですか?」

 蒼汰は案内した看護師にそう尋ねた。看護師は手袋と何点かの注意を蒼汰に伝える。

「梅田君」

 紅の頼りなげな顔に、蒼汰は微笑んで見せた。

「紅さんも、握ってあげませんか? 絶対、母さんの手ぇやったら、喜ぶと思いますよ」

 怖い。そう言いたげな青い顔に、蒼汰は責めはせず、手袋をはめた。

 ケースに開いた穴から手を差し込んでみる。少々暑く感じる温度を手袋越しに感じながら、ゆっくり蒼汰はその自分の指を赤ん坊の掌にのせてみた。


きゅっと

その

小さな

小さな

手が動き

指を握る


「凄い!!」

 蒼汰は思わず胸がいっぱいになって声を上げた。

 今、自分にこの小さな命が応えてくれている。この指を掴む頼りない力は精一杯「ここにいるよ。ここで生きているよ」って存在を自分に伝えているような、そんな気がした。

 紅を振り返った時、思わず涙が零れる。二人を見る紅は涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。

それだけで、もう、この子が生まれてきた、その価値はその意味は十分だった。

 蒼汰はもう一度涙で霞む視界の向こうに、確かにある命の温もりを見つめると

「はじめまして。彩。よぅ、生まれてきてくれたな。おおきに。頑張ろうな。頑張ろうな」

 そう話しかけたのだった。


 蒼汰はあの小さな温もりを思い出しながら、ぎゅっと手を握りしめると眉を寄せて画面を睨みつけた。

 暗い部屋に煌々と輝くその画面に映るのは、最近結果が出た映像コンテストの神崎川の作品だった。

 これを見つけたのはたまたまだったが、それを見た時、さらに彼が先を行っている事を見せつけられた。

 この作品はきっと、仕事の合間に手掛けられたものだろう。個人名で見事に最優秀賞を受けていた。

 プロの現場で仕事をこなしながら、これかよ。その名前を見た時、正直、苦々しさより尊敬と憧れを喚起させてしまった。

「くそっ」

 何度もリピートさせる。

 確かにこの作品には役者もスタッフも、少人数とはいえプロかそれに近い人間を使っているのだろう。機材だって一流のもののはずだ。

 でも、仮にすべてが素人でカメラも家庭用のハンディいだったとしても、今の自分の作品と見比べるのが嫌になるくらい彼ならいい作品にしてしまうのだろう。

 どうすれば、こんなになれるんだ?

 どうすれば、こんな映像を撮る事が出来るんだ?

 途中で映像をきって、編集中の自分たちの作品に切り替える。精一杯やってるつもりでも、届かないもどかしさに、蒼汰は唇を噛む代わりに煙草を口に突っ込んだ。

「撮影ペースを考え直すか」

 数とって、みんなに仕事に慣れてもらうか、場数を踏ませるしかないか? そうなれば、雑事が邪魔になる。実力が明らかに足りないのなら、専門に徹してもらいたい。自分はどこまでそれらを排除できるだろう? とにかく自分が動ける部分は動くしかない。

 疲れと苛立ちにぼんやりしかける頭を起こすために、前髪をかき上げる。

 あと30分でバイトにいかないと。重い体が椅子から離れたくないと叫んでいた。

 東京の彼女の元に通うには高速代やガソリン代が必要だった。電車で行くにしても電車代はかかる。

 だから、バイトは辞められない。

 毎日、サークル、バイト追い立てられ、週末は東京に飛んでいく。そんな調子で、さすがに疲労がたまり始めていた。こんなに一生懸命走っても……。

 もう一度神崎川の作品をつける。

 まだ、止まるわけにいかない。諦めて今、立ち止まるのは致命傷になりかねない。

 追いつかないと。追い越さないと。

 もう一度、あの小さな手を思い出す。守りたいものが、もう一つ増えたのだ。

「よしっ!」

 今度会いに行った時、彩と紅の写真でも撮ろう。きっと励みになるはずだ。それまでは、頑張ろう!

 蒼汰は気合いを入れるように両頬を叩くと、少し痩せたその体を伸ばしたのだった。

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