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Apollo  作者: ゆいまる
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サヨナラの準備 3


 試験明けのサークル初日。その日は夏休みの間のスケジュール確認と、合宿の打ち合わせの予定で、藍は足りなかった分のコピーを手に部室に戻る途中だった。

 廊下越しに部員たちの声に交じって青の声が聞こえて思わず足を止める。

「おい、お前ら、つきあってるのか?」

「そうですよ。何か?」

 肯定する声がやけにハッキリ耳に張り付いて、心臓が軋んだ。

 きっと桃との事だ。桃と付き合っているのか、今、誰かに問いただされたのだ。ざわつく部室内を廊下からそっと伺うと、青と目があった。

 また胸の痛みを感じ、藍は目をそらす。

 知ってる。二人がもう友達じゃなく『そう言う』関係だってことは。知っているどころか、自分はこの眼で見てしまったのだから。二人が……。

 その記憶を追い払うように目を瞑る。

 桃の肩を抱く彼のその姿と、あの朝見た……蒼汰を残し東京から戻ってきた時に見た、桃の部屋のベッドにいた二人が重なり、どうしようもないほどの息苦しさを感じた。

 あの時、本当に驚いたし、ショックだった。

 自分はずっと前から桃の気持ちを聞いていた。応援だってしていた。だから彼女と青が結ばれて、ショックなはずはないのに、胸が張り裂けそうなほど痛かった。

 きっと、自分は理解ある兄を奪われた気持ちになったのだろう……たぶん。

 藍はその日、そんな理由を一日部屋に戻らずに探すと、夜になってからようやく部屋に足をむけた。

 今でも覚えている。ドアを開けるのが怖かったこと。その向こうに、まだ二人の姿があったらどうしようって。

 藍はコピーを部室の入り口横の棚に置くと、そっと二人の祝福に湧く部室に背を向けた。

 自分の気持ちは、つくづく汚いのだと、藍は嫌気がさしていた。蒼汰の純粋な想いを一身に受ける紅に嫉妬し、真っ直ぐな気持ちを叶えた友人の幸せを喜べない。

 部室棟の外にあるベンチに腰掛け空を仰ぐと、力強く枝葉を天に広げる濃い緑の向こうに、梅雨明けの輝くような青空が広がっていた。

 木の葉の間から舞い落ちる光の束に、藍は目を細め、このままこの汚い心があの空へと消えていけばいいのに、と溜息をついた。

 自分の傍にいてほしい人は、いつだって他の女性ひとに奪われてしまう。そう、いつだって求めた温もりはこの傍を通りすぎ、遠くの方で違う人と微笑んでいる。

 蒼汰とも、青とも、距離を取るべきなのかもしれない。

 蒼汰は今は映画と彼女に集中したいのだろうし、青はもうただの友達ではなく親友の彼氏だ。少なくとも、今までのように簡単に部屋を行き来してはいけなくなるだろう。

 一人、置き去りにされた気持ちになった。スカートの裾を揺らす風は、もう冷たくはないのに……。

「ん? どないしたん?」

 その時、不意にその声は滑り込んできた。

 顔を上げると、昼御飯のつもりなのかコンビニの袋を提げた蒼汰がキョトンとこちらを見ている。

 藍は慌てて取り繕うように笑みを作ると

「あ、お昼ごはん食べすぎちゃって。休憩してたの」

 と、どうでもいいような理由を口にした。

 蒼汰は首を傾げ、じっと藍の顔を見ると小さく息をついた。

 見透かされた、と感じた。藍は気まずさに顔を伏せると、蒼汰は「隣、ええ?」と返事を聞く前に傍に座った。

「ほら」

 おにぎりが一つ差し出される。

「え?」

「そんな悲壮な顔して、満腹なわけないやろ? ほら」

 ぐいっと差し出されるおにぎりを、藍は躊躇いがちに受け取った。

 蒼汰の「いっただきます」という元気な声がして、なんだか急に泣きそうになる。

 蒼汰は今、どんな気持ちなんだろう?

 憧れの先輩の奥さん。正直、そんな人を好きになって諦めない気持ちが理解できない。しかも、紅の方だって、どうして彼を繋ぎとめておくのか?

 あの日、彼を求めたのは彼女の方だった。

 じゃ、神崎川先輩は?

 藍はあの細い体で憐みを誘う彼女が狡いと思った。夫がいるくせに、すでに一人の人を選んでいるくせに、蒼汰の気持ちをいいように利用していると思った。そして、それを彼女ができるのが、悔しかった。

「紅先輩は?」

「ん? 赤ちゃん、生まれたで」

「え?」

 上げた目に映る蒼汰の横顔は、真っ直ぐにここにはいない彼女だけを見つめていた。

「俺、週末しか見舞いに行かれへんねんけど……赤ちゃん、ちょっと調子悪くてな、まだ入院中やねん」

「先輩達は」

「……」

 蒼汰はその質問には寂しそうに微笑んだだけで答えなかった。

 いつも皆の前で明るくて笑っているその顔を、そんな風にさせるのは彼女しかいない。そして、蒼汰はそんな顔になっても諦めることはないのだろう。

 藍はやるせない気持ちに眉を寄せると、蒼汰からもらったおにぎりを見つめた。

「蒼汰くん……どうして、そんなに強いの?」

「え?」

「だって」

 藍は自分の声が震えているのを感じていた。心が悲鳴を上げるように、胸が熱くて痛い。

自分にはできない。叶う可能性なんてほとんどない想いを貫くなんて、与えるだけの恋なんてできるわけない。どうしてそこまで、蒼汰は強くなれるのだ? どうしてそこまで、『彼女』なのだ?

「強い?」

 蒼汰はそう呟くと苦笑した。藍はその笑顔の意味がわからなくてじっとそれを見つめる。蒼汰は前髪をかきまわし

「全然! いっつも情けない思いばっかりやで。俺は」

 視線を手元に落とす。

「まだ、何にもできてへん。何にもつかめてへん。同じところをぐるぐる回ってるみたいな気になる時もある」

 そして、ギュッとその手を握りしめた。

「でも、旅でわかってん。自分の心からは逃げられへんって。せやから、今しかできへん事を、今出せる精一杯でやるしかないって。それだけや。情けなくても、無力でも、自分は自分やからな」

 そして、うん、と背筋を伸ばし、まるで天を掴むように手を掲げる。

「めっちゃ良い映画作って、神崎川を超えて、紅さんに見せるねん。それが今、俺がせなあかんことや」

 そう言うと、手を下ろしはにかんだ。

「蒼汰くん」

 藍はそう笑える蒼汰が眩しかった。

 自分の心からは逃げられない、か。微笑んでみる。まだ、自分は無理にだって笑える。

 なら……。

 藍はおにぎりを開けると、口の中に突っ込んでみた。

「お?!」

 目を丸める蒼汰の視線を無視して、一気に全部喉の奥に押しやった。

 自分の心が向かう場所、今しかできないこと。それは……。

 藍はおにぎりを飲み下すと、思いっきり蒼汰に微笑んで見せた。

「だったら私、演技頑張るね。だから一緒に映画作ろうね。最高のやつ!」

 蒼汰が好きだ。青の事も桃の事も大切にしたい。だから今、自分にしかできないこと。それを自分は精一杯するしかない。

 藍は少し晴れ晴れとした気持ちになって、もう一度空を見上げた。

「おう」

 蒼汰の声が隣でする。

 彼の隣にいて、彼と一緒に彼の映画を作れるのは彼女じゃない。

 藍は、少しくらい汚くてもいい、もう少し頑張ってみようと、果てない空の色のその先を見るように目を凝らした。

 空の色はさっきより少し優しい色をしていた。

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